ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第五話 ぬすっとうさぎの村

 海からは絶え間なく波の音が聞こえてきた。崖のはるか下で、魔界の黒い海が波を打ち寄せてくる。波頭だけが白く、あとは黒々として光を通さない暗黒の海だった。
 空からはとぎれもせず風の音が聞こえてきた。太陽ではない何か不思議な光源が、魔界の暗い空の厚い雲を通しておぼろげな光を放つ。灰色の濃淡の雲の中に、ときどき白熱の稲妻が走った。
「どうした、どうした、ぬすっとうさぎ!あらくれみてぇなかっこうしやがって、そのナリでびびりかよ」
そう煽ると、背後で仲間がどっと笑った。言われたぬすっとうさぎは、長い耳をふるわせたが、反撃しようとはしない。手も足も出ないようすだった。
 魔界には獣人族が多い。ただしぬすっとうさぎは有力な一族ではなかった。その名の通り、もっと強い獣人や魔族の食べ残しをかすめとって日々の糧にしている者たちだった。
「なんか言えや。ええ?言う事があんだろうがッ」
 ぬすっとうさぎたちは、どれもずんぐりした毛深い体に人間のあらくれそっくりのベルトをしめていた。頭には黄色いマスクをかぶり、マスクの上方左右に穴をあけてそこから長い耳を突き出している。マスクの目の部分はメッシュになっていて、表情や目つきはうかがい知れなかった。
 だがその若いぬすっとうさぎは明らかにおびえていた。小さな体の下に何か抱え込んで守っているようだった。
「ゆ、ゆるして、これだけは……」
 鋭い爪の生えた足が、おびえたぬすっとうさぎを蹴りたおした。
「許してくれってか!おまえは俺たちに逆らった!言うことをきかなかった!食い物を全部差し出せと言ったのに、おまえはひとつがめて隠してやがったんだ!それを許せって言うのかよぉ!」
 ひとこと言うたびに蹴りを浴びせているので、ぬすっとうさぎはじりじりと後退した。
「落ちる……」
 マスクはしていても、その姿勢に、しぐさに、恐怖がこびりついていた。
「落ちろよ!落ちりゃいいだろうが!」
 そこは崖の上だった。あともう少しさがればぬすっとうさぎは高台から落ち、黒い海へはまるという場所だった。
「食べ物渡す……や、やめて」
「あたりめえだっ」
とリカントが叫んだ。
「やって当たり前のことを、えらそうに言ってんじゃねえぞウサ公!」
 もともとぬすっとうさぎは、人間でいえば十歳くらいの子供の体格しかない。ひれ伏した身体はひどくたよりなく、小さかった。
 対してリカントは狼系だった。体格はうさぎの数倍、全身を青い剛毛で覆い、赤茶色の簡単なチュニックを身につけて黒いベルトをしめている。鋭い爪と牙で武装し、たくましい身体と強靭な筋肉に物を言わせる戦法が得意の獣人だった。
「やることがいちいちカンにさわるんだよ、こいつは」
 リカントの背後に、槍を手にしたオーク、斧を肩に乗せたサイ男、体格のいいグリズリー、オックスベアなどの仲間が群がり、おびえて震えるぬすっとうさぎを見下していた。彼らの後ろには、ぬすっとうさぎの一族から取り上げた食べ物の箱や籠、袋などが積み上げられていた。
「まだ何か持ってんじゃねえか」
 グリズリーが近寄り、ぬすっとうさぎを鋭い爪の生えた手で乱暴にひっくり返し、守っていたものをぶんどった食糧の上に放り投げた。獣人の頭部ほどの大きさのある、金属でできた杯のようなものだった。
 おい、とグリズリーが話しかけた。
「こいつは、鐘か?」
 ひっ、とぬすっとうさぎが短い悲鳴を上げた。
「鐘だな。最近はめったに見かけないが、まだ残ってたんだな。おい、舌(ぜつ:鐘の中に吊るす金属片)がないぞ」
「音が出るのが怖くて舌をとっちまったのか。かまわねえ、樹に吊るせ。叩きゃいいんだからな」
「おもしろくなったぞ」
「やめろ、やめてくれ」
 弱弱しい声でぬすっとうさぎが抗った。
「それは、おれたちの大事なものなんだ」
 リカントたちは大喜びで鐘を吊るし、ガンガンたたいた。ぬすっとうさぎが飛び上がって鐘を止めようと抱き着いた。
「こいつ、涙目になってるぜ」
「ようし、それ、それ!」
 オークが槍の穂先をぬすっとうさぎに突きつけた。
 その瞬間、槍の先端にいきなり炎が宿った。
「うわっ」
 悲鳴を上げてオークは飛び下がった。
「なんだこりゃ!」
 獣の本能によってリカントたちも炎を避けた。
 妙に明るい声がした。
「これはメラゾーマではない……なんちゃって」
 リカントたちは身構えた。
 黒い海に突き出した崖の上に、三つの人影があった。
「冗談抜きでただのメラだ。けどあんたら、そこのうさぎを放してやれよ。みっともないぜ」
 強風の吹く崖の上に、ざわめきが巻き上がった。リカントたちを遠巻きにして、他のぬすっとうさぎたちがずっとこちらのようすをうかがっていたようだった。
「人間だ」
「どこから来た?」
「地上もんがなんでここへ」
 先頭の若い男が飄々と答えた。
「なんで、って、この羅針盤がこっちへ行けって言うからさ」
「てめえ、魔法使いか」
とリカントは尋ねた。
「まあ、“魔法使い”でいいぜ。おれの名はポップだ」
 緑の服に黒い法衣をつけ、頭に黄色いバンダナを巻いた若者がそう答えた。魔界には似合わないほどへらへらした笑顔で、鈍感なのか肝がすわっているのか判断がつかない。
 リカントは仲間のほうへ向き直った。
「こいつはいいや!魔法使いだとよ!」
 仲間たちはげらげら笑い出した。
「なんだよ、感じ悪いぜ」
「ポップって言ったか?おまえ、何も感じねえのか?」
「はぁ?」
 そのときだった。波の音、風の音を圧して、何かが聞こえてきた。
「来た、来た、来た」
 サイ男がそうつぶやいた。グリズリーたちは真っ黒な水平線のほうを眺めた。
「なんだってんだよ、まったく」
 しっ、ともう一人の人間が制止した。薄紅色の武闘着の上に軽めの肩当てをつけた若い女だった。
「何かしら。海鳴りみたい」
 最後の一人は淡い紫の服とマントを身につけ、杖を手にした旅人だった。片手でマントの合わせ目をおさえたまま、あたりのようすをうかがっていた。
「妙な気配がする。海だ」
 ポップはひとつうなずいた。
「よし、ちょっと見てくる」
 トベルーラ!と唱えると、ポップの身体は垂直に上昇した。
「なんだありゃあ……」
 上空からポップの声が聞こえてきた。そのあとの言葉が続かないらしい。
「ポップ、何が見える」
 魔法使いは高度を下げて降りてきた。
 降りてこようとした。
 そしてその途中で体勢を崩し、いきなりポップは墜落した。地に墜ちて転がるまで、まったく意識がないようだった。
「ちょっと、何やってるの!」
 ポップはようやく目を開き、仲間の女を見上げ、苦しそうに言った。
「魔法力が、切れた」
「トベルーラだけで?そんなバカな」
 まだくらくらするらしく、ポップは両手で自分の頭を支えていた。
 その姿をリカントはいい心持で見下ろした。
「やっとわかったか。魔界の海はな、生気を吸い取るんだよ」
 人間たちがさっとこちらへ警戒の視線を向けた。
「なんでおまえたちは無事なんだ?」
 リカントはわざとらしく肩をすくめた。
「魔族や獣人はもともと魔界の生き物だから、黒い海にも慣れてんだ。けど、慣れねえやつはすぐフラフラになるはずだ」
 サイ男はくっくっと笑った。
「生気を取られた生き物はもろいぜぇ?なにせ、生きようって気持ちがなくなっちまうんだからな。生気や気力を取られるってのはそういうこった」
 武闘着の女は唇を嚙みしめた。
「魔法力も闘気も、元をただせば命のエネルギー、生気よね。それが吸い取られるなんて。これが魔界?なんてところなの!」
 ケッケッケとリカントは嘲笑った。
「おまえら、逃げ場はねえぞ。このあたりは、昔は山だったんだぜ?黒い海がぐいぐい上がってきて、今じゃ山の上のほうだけが島になって残ってるだけだ」
「それだけじゃねえ、ヒュンケル」
 ひじをついてポップがようやく身を起こした。
「何か、いるぜ、真っ暗な海に白い泡が立って、その中で見渡す限りのウロコがうごいてた」
 ヒュンケルと呼ばれた旅人が尋ねた。
「魚か?大群なのか?」
「いや、バケモンだ。あれが全部一匹のでっかい海蛇だ」
 獣人たちは腹を抱えて笑っていた。
「そうさ!ヤツラは今、おまえの飛ぶのを見つけたはずだ。あのまま飛んでたら、こうだ!」
 リカントは、ぬすっとうさぎたちから先に取り上げておいた食糧の袋を一つ、海に向かって思いきり投げ飛ばした。強風にあおられて袋が宙を舞った。
 同じ風が高波をけたて、黒い大波は崖の上までおよんだ、と見えた。突如銀色に光るうろこでおおわれた長大な首が波にまぎれて飛び出し、大口を広げて袋をかっさらった。白刃を連ねたような牙の列は三重に並び、ガチリと音を立てて嚙み合った。
 口を閉じて銀鱗で覆った喉首がのけぞった瞬間、真円の目がかっと見開き、崖の上の獲物たちを見下ろした。鮮やかな黄色の瞳の中央に縦長の赤い光彩があり、悪意と憎悪で輝いていた。海蛇はそのままずぶずぶと水中へ潜っていった。
「何なのっ!?」
 武闘着の女が崖から身を乗り出した。ポップがあわてた。
「よせ、マァム!あいつ、やばい」
 ヒュンケルは黒い水平線を指した。
「見ろ。一頭だけではないぞ。あれはすべて、口だ」
 ポップと、マァムと呼ばれた女は青ざめていた。
 崖の上から見渡す限りの海面に、島を呑み込むほど巨大な口がいくつも開いていた。波が逆巻くほどの勢いで口が開閉する。そのたびに水位が変わった。
 水が退くと遠目ながら海底に何かあるのがわかった。
「あれって、塔じゃねえかっ?」
「そうらしい。この湾は昔、町だったのだろう」
 けっけっけとリカントは笑った。
「見たかよ。黒い海はヤツらのなわばりだ。どんどん海を広げてやがるんだ」
 ポップは、ヒュンケルに羅針盤を見せた。
「まずいぞ」
 ヒュンケルは海と羅針盤を見比べた。
「この海を渡れというのか」
 ポップは首を振った。
「迂回するしかねえ」
「どこへ?」
 ポップは視線を上げた。
「背後の山を少し登ってみようぜ」
「そうだな、地形を見て考えるか」
 リカントは仲間たちと視線を交わした。獣人たちは、共犯者の笑みを返してきた。
「あんたら、地上から来たんだろ?」
 ヒュンケルがこちらをちらりと見て、短く答えた。
「そうだ」
「つくづく物好きだな!地上ってのは、アレだろ?お天道さまが照らしてて、明るくてあったかい土地なんだろ?そんな土地のもんが、なんで薄暗くて寒い魔界まで来たんだ?」
 サイ男が大きな斧をいじりながら、いやな目つきをした。
「あんたら、ここまで旅をしてきたってことは、食い物を持ってるんだろ?今の魔界にゃ、食いもんは少なくてねえ。少しわけてくれよ」
 そうだ、そうだ、と仲間の獣人たちが言い出した。
「黙って通るってのも愛想がねえ話だ。あいさつ代わりに何かおいてけよ」
 ひときわゲスな顔つきの獣人が、マァムを眺めていた。
「食い物がねえなら、その女でもいい」
 一瞬で旅人たちの気配が変わった。
「なんだよ、やる気か、ああっ?」
 殺気には殺気を返すのが、限りなく獣に近いビースト系モンスターの習性だった。グリズリーなどは、もう前足の爪をむきだしにしていた。
「こっちは仲良くやろうって言ってんだ。飯、酒、女。宴会ができそうじゃねえか」
 言葉だけは友好的だが、獣人たちはじりじり動いて三人の旅人を包囲しにかかっていた。
 ポップは、ふっと表情を崩した。
「宴会でもパーティでも勝手にしてくれ。けど、おれたちにはこの魔界で人を探すっていう、れっきとした目的があるんだ。こうしちゃいられねえや、そこをどいてくれ」
 獣人たちは一斉に沸騰した。
「てめぇ、魔力切れのくせにふざけやがって!」
「気に入らねえなあ、よそ者がっ」
「身ぐるみはいで取り上げようぜ」
「あとは海へほうり込め!」
 ちっとポップが舌打ちした。
 ヒュンケルが、わずかに体勢を変えた。足を踏み込み、上体は柔軟にかまえ、かすかに顎を引いている。何とはなしにリカントはぞくっとした。
「ヒュンケル、待って」
 いつのまにかマァムは若いぬすっとうさぎのところにかがみこんでいた。手の中に魔力の輝きが生まれている。リカントたちがさんざん蹴りつけた傷を回復してやっていた。
「これでもう大丈夫よ」
そう告げてマァムは立ち上がり、こちらを見た。
 その顔が気に食わない、とリカントは思った。
「これだからよぉ、地上もんは!」
と、嘲笑った。
「あたしって優しいのよね、ってか?あんたが助けたのはぬすっとうさぎだぜ?こすっからくて、ひがみやで、箸にも棒にも掛からねえ連中だ」
「そう言うあなたは何なの?たかり屋かしら?」
 マァムは冷静に聞き返した。
 獣人たちが色めきたった。
「言うじゃねえか、この姉ちゃん」
 まあ、待ちな、とリカントは手で止めた。
「論より証拠だ。見な」
そう言って、ぬすっとうさぎから取り上げた食糧の中から、ひとつ取ってマァムの前に放り出した。丈夫なひもで獲物をぐるぐる巻きにしてある。体表は乾ききっていた。
 マァムは眉をひそめ、そして息を呑んだ。
 その顔がおもしろかったのか、獣人たちはいっせいに笑い出した。
「な、傑作だろ?ぬすっとうさぎは、こうやって獲物を漁って、弱ったら食うんだよ」
 獲物は最初、大きめの蛇に見えた。だが、短いが手足があり、背には小さな三角形のヒレ、剣板がならんでいる。オリエンタルドラゴンの一種と思われた。
「この子、竜だわ!」
 食い込むほどきついひもを解いて、マァムは獲物の竜を膝に乗せて座り込んだ。両手で再度回復魔法を放つと、小型のドラゴンはようやく目を開いた。
「たぶん、スカイドラゴンね。まだ子供なのかしら」
 竜は幼く見えた。成竜の持つ太い眉がまだなく、鼻の両側のひげも額の上の角も短かった。
「ひでえことしやがる」
 ポップがつぶやいた。
「そうだろ、そうだろ?」
 いい心持ちでリカントは言いつのった。
「助けてやることなんかないぜ、こんなやつら。おい、魔法力がもったいねえぞ。そいつは助からねえよ」
「少し黙って」
 鋭い口調でマァムは言った。
「この子、何か言ってる」
 ヒュンケルが首を傾げた。
「まさか、スカイドラゴンが?」
 かつて竜族のほとんどは言葉を話したが、今ではそんな知恵のある竜はほぼいなくなっていた。
「片言みたい……ああっ」
 スカイドラゴンの目から光が失われていく。何かつぶやいて、それから全身がぐったりと弛緩した。マァムの両手の中で小さな竜は動かなくなった。
 リカントをはじめ、獣人たちは気持ちよさそうに説教を始めた。
「姉ちゃん、あきらめがついたら、そのスカイドラゴンをぬすっとうさぎたちに渡してやれよ」
「あんたらには死骸漁りなんてひどいやり方に見えるだろうが、誰だって腹は減るさ」
「あいつらは魔界の掃除屋だ、仕方ないだろう?」
「おれたちはこっちで仲良くやろうぜ、なあ?」
 彼女は背中を見せたまま動かなかった。
 リカントは舌打ちした。
「いつまでもめそめそと、うっとうしい女だなあ!ほんとにボコすぞ!」
 きっとマァムはこちらをにらんだ。人間の仲間たちが心配そうにマァムを見ていた。
「私が戦うわ」
「マァム、大丈夫か」
とヒュンケルが言った。
「黒い海は、闘気をも吸収するぞ」
「私はまだ戦える。この子をお願い。あとでどこかに葬りたいの」
そう言って、一人でリカントたち獣人の前に立ちはだかった。
「あなた、名前は?」
 リカントは胸を張った。
「魔界の狂犬、ハイン・モイ・ラノたぁ、俺のことよ」
「じゃあ、ハイン・モイ・ラノ、どうしてこんなことをするの?」
 はぁ?とラノは言った。
「こういう目に合わせてやらないと、ぬすっとうさぎが俺たちをなめてかかるじゃねえか。三日に一度、死ぬような目に合わせてやらないと、こいつらは思い上がるのよ」
 地上者に魔界の常識を説きながら、ラノはあきれていた。
「そんな目に合わされるようなことを、このうさぎたちがやったって言うの?」
 背後でグリズリーたちが笑い出した。
「弱いんだから、当たり前だろ?」
 マァムは愕然としていた。
「そんな」
と言ったまま二の句を告げないようだった。
「弱いんだから、強い者に何をされても仕方ねえんだよ」
 マァムはじっとリカントたちを見て、静かにつぶやいた。
「あなたが弱者になっても、それを言えるの?なんて哀れな生き物かしら」
 ラノはカッとなった。
「俺を憐れむなぁ!」
 いら立ちに襲われてラノは叫んだ。
「女だからって手加減してもらえると思ってんじゃねえぞ!」
 オークがわめきたて、いきなり槍を構えて突進してきた。
 マァムは避けなかった。槍のけら首をつかんで引き寄せ、膝をオークのみぞおちに鋭くつきあげた。
「ぐぅえっ」
 膝蹴り一発でオークは倒れ伏した。無言でマァムは槍を投げ捨てた。オークを見下す目はこの上なく冷たかった。
 ラノが殺気だったのは、その視線のせいだった。
「マァムとかいったな!おれたちに逆らうと、ここらのぬすっとうさぎを一匹ずつ殺すぞ!」
 柳の葉のような眉が逆立った。
「なんでそんなことをするの?関係ないでしょう!」
 地を這っていたオークがようやく顔を上げた。
「もっといいことがあるぜ。おい、ぬすっとうさぎども!全員でこの女を押さえつけろ」
 周りにいたぬすっとうさぎたちがざわめいた。
「こりゃいいや!」
 ラノは悦に入った。
「おまえは、おまえが助けたぬすっとうさぎたちに攻められるんだ、どうだ、楽しいだろうが!」
 あわてて泣きをいれるか、と思いながらラノはにやにやとマァムを眺めた。
 地上から来た女は、奇妙な表情になった。両腕に力を入れずに、自然にただ立っている。紅唇には笑みさえ浮かんでいた。
「何やってるうさぎども!」
 甲高い声を上げてぬすっとうさぎの群れがマァムに殺到した。一匹一匹は小柄でも、二十余りの数がいっせいに襲い掛かった。
「ちょっと痛いかも。ごめんね?」
 彼女はかがみこんだ。マァムの手のひらが魔界の大地を抑えた瞬間、攻め寄せてくる盗人うさぎたちが、真下からの衝撃を受けて舞い散った。
「武神流土竜昇破拳!」
 朗々とした声はまさに勝ち名乗りだった。
 サイ男は斧を構えた。
「地上もんにコケにされてたまるか!ラノ、ウマル、一度にかかるぞ!」
 オークが起き上がり、真っ先にマァムを目指した。ラノは爪をむき出しにしてその後を追った。オックスベアは二足歩行をやめ、角を振りたて四肢を使って突進した。
 オークの槍が空を切った。ふわりとマァムはあとずさっていた。すかさずサイ男の斧が振り下ろされた。が、斧の刃は地面にめりこんだ。
「くそっ」
 どれだけ攻めても、マァムをとらえきれない。呼吸を合わせてラノはグリズリーと同時に攻撃した。マァムは背後に手を突き、とんぼを切って後退した。
 あわてて追いすがるラノは、マァムのつま先で顎をえぐられた。
「なんだ、この女!」
 冷静な声が答えた。
「その娘は拳聖ブロキーナの直弟子だ。見切りも身かわしもおまえたちが捕捉できるレベルじゃない」
 あのヒュンケルという旅人だった。
「ほんとにすげぇ。一度だけ見たビースト君の戦いにそっくりだ」
 のんきな口調でポップがそう言った。
「まだまだ!」
 絶え間なく攻撃にさらされているというのに、マァムの口調は明るかった。
 絶え間ない攻撃が強風ならば、彼女は風に舞う柳の葉だった。そして攻め手にとって一番いやな瞬間にヒットを出す。
「おい、この女、追い詰めて海へ落とそうぜ!」
 答えはなかった。
 ラノはぞっとした。
「マット、ブルート、みんな、どこ行った?」
 もう立っているのは自分だけになっていた。
 ラノは一瞬立ち止まって目を凝らした。
 風に吹かれる木の葉のように絶えず動いていたマァムが、静止している。足を肩幅に開いてまっすぐに立ち、じっとこちらを見ていた。
「最後の忠告よ。うさぎたちから取り上げた物を全部返して謝りなさい。そうしたら仲間を連れて逃げてもいいわ」
 ラノは大声で吠えた。
「誰がやるかっ、喰らえ!」
 爪をまっすぐ突き出し、ラノは走り出した。
 マァムは片手を前に伸ばしてやや前傾したかまえを取った。
「武神流鳳凰掌」
 ラノがとびかかった。人の身長の倍ほども飛び上がって自慢の爪を振り下ろした。
 時間が引き延ばされて、ゆっくり進んだ。
 ラノの爪を真下からマァムの手刀が受けた。
 モンスターであるラノの目にも追えないほどの速さで手刀が迫る。彼女の白い手は陽炎をまとっていた。
 手刀が爪をとらえ、押し上げ、はじき返した。
 弾かれた腕に強烈な衝撃があった。ラノの身体が一度浮き、次の瞬間、背中から地べたに激突し、勢いよく転がった。
「うっ!」
 背中どころか、全身が痛かった。ラノは痛みに耐えて脂汗を流した。
 マァム!と名を呼んで旅の仲間たちが駆け寄った。
「今の、フェニックスウイングか!」
「あれはバーンの身体だけができる技」
とマァムの声がした。
「今の技はアバン先生のアドバイスで私が老師に相談して工夫したの。だからもうフェニックスウィングではなくて」
 ラノの視界の隅に、すらりと立つマァムの姿があった。左手で右手をおおっているが、どこかはにかんだような表情だった。
「武神流鳳凰掌、よ」
「よく、ここまで」
 ヒュンケルが短くつぶやいた。
「ピオラとスカラを、インパクトの瞬間に放つ。実戦で使ったのは今日が初めて。でももっと工夫しないとね」
 マァムはこちらに背を向けていた。痛みをこらえてラノは動こうとした。
「くそっ地上もんが」
そう言いかけてラノは硬直した。
 その場で顔を上げた。
 ぬすっとうさぎたちがラノのまわりに立って、じっと見下ろしていた。マスクの中の目は無表情で、何を考えているのかを明かさない。
「どけっ」
 うさぎたちは動かなかった。剛毛に覆われたラノの顔に、いやな汗が流れた。
 掛け声も合図も何一つなく、うさぎたちはいっせいにラノの身体に手をかけて、転がし始めた。
「おい、やめろっ」
 無言のままうさぎたちはラノを崖際までころがした。ぬすっとうさぎたちの意図を察してラノは青くなった。
「きさまら、ぶっ殺すからなっ!おい、誰か、助けてくれっ」
 ラノの悲鳴に答える者はいなかった。
 その代わりにあわてたような声が聞こえてきた。
「やめろ、やめっ、もういい、食糧は返す!」
 ぬすっとうさぎたちの甲高い声が答えた。
「あたりまえだ。あたりまえのことをしただけのくせに、恩着せがましいぞ」
「おまえも負け犬だ。弱いんだから、何をされてもしかたがない」
 その宣言と同時に、ぬすっとうさぎたちは動けないラノを海へ落とそうとした。
「負け犬……負け犬」
 うさぎたちがつぶやいた。真っ暗な絶望のなか、ラノは手探りでつかめるものがないかとやみくもまさぐった。

 三人はぬすっとうさぎたちの変わり身の早さにとまどっていた。食べ物を奪い返し、仲間を失った獣人たちに飛び蹴りをくらわせて撃退している。そして仕返しなのか、獣人たちのリーダーだったリカント、ラノを海へ落とそうとしていた。
「おい、待てよ!」
 ポップが声をかけた。
「そいつの右腕はもう使い物にならねえよ。だから殺さなくてもいいだろ」
 うさぎたちの手が止まり、ポップのほうを振り向いた。
「邪魔するな、地上もん」
 ポップは、ムッとした。
「おれたちいちおう助けたんだぜ、おまえらのこと?」
「それがどうした」
と、ぬすっとうさぎが答えた。
「ここは魔界だ。上か下かしか、ない」
 しばらく、沈黙があった。
「わかったわ」
とマァムが言った。
「地上の義理人情は通じないということね。なら、対価を払いましょう。これ、手持ちの薬草よ。十個ある。全部あげるから、そのひとを落とすのはやめて。それから、死んだスカイドラゴンの仔を渡してほしい。葬ってあげたいの」
 うさぎたちは互いの間で何か相談していた。が、一匹が前に出ると薬草を取った。
「取引は完了した。さっさと出て行け」
そう言うと、うさぎたちは群れをつくって荷物を抱え、行ってしまった。三人は風の吹く崖に取り残された。
「これが魔界か。きつい洗礼を受けたということだな」
とヒュンケルがつぶやいた。
「おめえはこれでよかったのか、マァム?」
 ポップが言うと、ふふっとマァムは笑った。
「ポップだって同じことをしたでしょ?だって、ダイだったら絶対助けてたもの」
 ポップはにやりとした。
「違ぇねえ。ま、いっか。お?」
 崖の先の岩陰から、一匹のぬすっとうさぎがこちらをうかがっていた。どのうさぎもあらくれマスクをかぶっているので見分けがつかないのだが、体や耳の傷からして、マァムが回復してやったあの若いぬすっとうさぎのようだった。
「おい、まだ何か用か?」
「この山を越えた先に、橋がある」
 マスクでくぐもった声でうさぎが言った。
「まだ海面がそこまであがってなければ、渡れる」
 地上から来た三人は、互いの顔を見合った。
「マジか!海を迂回できそうじゃないか!」
「確かめる価値はあるな」
 ヒュンケルは慎重に答えたが、表情がどこか明るくなっていた。
 マァムは、小柄なうさぎの前に身をかがめて視線を合わせた。
「わざわざ教えてくれたの?ありがとう」
 ふぁ、とか、ぐぅ、とかつぶやいて、ぬすっとうさぎは走り去った。
「よし、目標が決まったぜ。行くか!」
 ダイ捜索隊が動き出した。

 息を殺してラノは、誰もいなくなるのを待っていた。ぬすっとうさぎたちが引き上げ、地上者たちは山を目指して移動したようだった。動かない右腕をあきらめ、なんとか動く左腕で身を引き上げ、ラノは崖の上に生還した。
「ちくしょう……ちくしょう!」
 あいつらさえこなければ、今頃ラノは仲間たちと楽しくやっていたはずだった。
「ツラと名前、覚えたぜ」
そうつぶやくと、ふらふらした足取りでラノは彼らを追って山を登り始めた。
「必ず後悔させてやる!」