クロコダインは船長室のほうを指した。
「おお、みんな出てきたぞ。戦闘態勢のアバンの使徒がそろうところを見るのは、久々だ」
ラノの目も自然とそちらへ向いた。船長室の扉が開いて、戦士たちが甲板へ出てきたところだった。
「あの」
と言うと、クロコダインが振り向いた。
「『アバンの使徒』って、なんすか?」
「ああ、おまえは知らんか」
そう言うと、前方を指した。
「アバン、は師匠の名で、彼らはその弟子たちだ。『アバンの使徒』はいわば敬称というところだな。先頭のヒュンケルは、アバンの一番弟子だ」
そう言ってからクロコダインはしげしげとヒュンケルを眺めた。
「あれがハルベルトか」
ラーハルトがうなずいた。
「ダイさまの剣と同じ、ロン・ベルク殿の工房製だ。先ほどおろして初遣いしたばかりだ」
二人が話しているのは、ヒュンケルが手にしている武器のことだろうとラノは思った。まさかりのような三日月形の刃とフックのある、十文字の槍に見えた。
ヒュンケルは前に見た時と同じ紫の布の服の上に、厚地のマントを身につけている。マントの内側に金属製の胸当てが見えた。
ヒュンケルはハルベルトの柄を右肩に預け、右腕を柄にからませて支えている。ふいにこちらを見ると、ラーハルトに向かって一度うなずき、長柄の下部をつかんでぐるんと武器を回転させた。
「ハルベルトに慣れたようだな」
ヒュンケルはうなずいた。
「こいつは、悪くない」
ラーハルトが指摘した。
「おまえ、口が笑っているぞ。何を浮かれている」
ヒュンケルは、ん、とつぶやき大きな手で自分の顔をつかんだ。
「気を引き締めろ。エネルギーの消耗は避けろ。おまえの知覚の網は闘気を消費するはずだ。しばらくは閉じておけ」
「細かいことを」
と、ヒュンケルはつぶやいた。
「言うことは聞いておけ。そしてオレの代わりにダイ様をお守りしてくれ」
返事の代わりに軽く手をあげて、ヒュンケルは行ってしまった。
ふふふ、とクロコダインが笑った。
「ふっきれたようだな、ヒュンケルは」
「あいつは、いろいろと時間がかかるのだ!だが、あれでいい。闘志の申し子、ようやく復活だ」
どこか誇らしげにラーハルトがそう言った。
ヒュンケルが向かったのは、甲板に翼竜が集まっているところだった。翼竜はプテラノドンと呼ばれる猛禽に近い種類で、その中心には艶やかな武闘着の女がいた。装備しているのは戦闘用のブーツなのに、ハイヒールのような優雅さだった。
「マァムは二番弟子だ」
ふたたびクロコダインはラノに話しかけた。
「アバンに師事したあとでマァムは武闘家の修行をしているのであの姿だ。おまえがからんだ件は聞いたが、マァムは昔から性根のまっすぐな娘で、しかもけなげでべっぴんだ」
魔界の翼竜は軍馬より一回り大きい。マァムは五頭のプテラノドンを選び、乗馬用の鞍などの馬具を置いたらしかった。
プテラノドンたちはおとなしく馬具を受け入れ、マァムの手で撫でてもらっていた。マァム自身は真珠色の武闘着の腰に紫のストールを巻き、片側の胸に丸い胸甲を、腕にストロベリーゴールドの手甲を装備した姿だった。桃色の髪は後頭部で束ね、真珠の髪留めをつけていた。
上半身をプテラノドンの身体にもたせかけ、軽く腰をつきだして長い脚を交差させている。プテラノドンの鞍に片手をかけ、その腕にほほをあずけ、艶やかな唇で竜にささやきかけていた。
「ポップは三番弟子ということになるか」
とクロコダインが言った。
「兄弟子が戦士、姉弟子が武闘家だが、ポップは純然たる魔法使いだ」
クロコダインの視線は、船首へ向かっている。その視線の先には、これもラノにとっては因縁の相手がいた。
ポップは黙ったまま立ち尽くしているように見えた。が、魔界の夜空が一瞬光った。稲光に似ているが、雷鳴が聞こえない。紫の稲妻を伴う白い光は柱のように降り注ぎ、その円柱の中にポップを閉じ込めた。
――何やってんだ、あいつ。
ポップは妙な格好をしていた。まるで目に見えない重荷を両手に乗せられているように、肩の高さで手の平を上に向けて、押し返そうとしている。ときどき、うっ、とか、くそっ、とかつぶやきながら懸命に頑張っていた。
「はっ」
ついに声に出して気合を発し、ポップは白い光を天へ押し返した。そのままじっと天をにらんでいる。
次の瞬間、再度、光柱が降った。今度は先ほどより直径が大きい。その分「重い」らしく、ポップはぎりぎりと歯を噛みしめた。
「師匠!ちっとは手加減してくれやっ」
そのぼやきが通ったのか通らなかったのか、ひときわ激しく光り輝くと、光柱は次第に輝きを失って大気に溶け、まるでポップの中へ吸い込まれたように見えた。
――あいつ、光ってるのか?
ほの白くポップの体が発光していた。ポップは自分の手を空中に掲げ、表、裏、表と返してじっと眺め、ふいに笑顔になってよしっとつぶやいた。
背後にあったマントを取ると、ばさっと羽織り、片手で襟の留め金をかけ、もう片方の手でベルトからブラックロッドを引きぬきながらポップは歩き出した。魔界上空の強い風がマントを大きく広げ、吹き上げた。
「ポップがついているのだ、必ず勝機を見出してくれるさ」
「あの魔法使いのことは、まあ、認める」
とラーハルトが言った。
「ほう?」
意外そうにクロコダインがつぶやいた。ラーハルトはそっぽを向き、早口につぶやいた。
「そうでなくば、御側にいることをオレが許すわけがなかろう!」
クロコダインはにやにやしていた。
「そしてアバンの最後の弟子がダイだ。当代の勇者にして、竜の騎士」
もちろんラノは、魔界の隠れ家の島でダイを見ていた。少し硬そうな黒髪に大きなな目、よく笑うニンゲンの若者だった。
身につけているのは布のチュニックとマントで、防具らしきものは装備していない。が、マントの下に剣を背負い、鞘の締め金の中央に赤い魔石が光っているのが見えた。
ダイは船の手すりに寄り、じっと虚空を見据えた。ラノたちのいる場所から、横顔がよく見えた。
隠れ家の島で、こいつはよく走り回っていた、とラノは思った。魔界には似合わないほど明るく楽しそうに笑い、あけっぴろげに驚き、素直にぼやいていた。
あのあどけないような若者はどこへいったのだろう。船の手すりをつかむ手は大きく力強く、暗闇を見透かす目は鋭かった。
「何をじろじろ見ている」
ラーハルトに、にらまれた。
「え、いや、その、なんとなく」
「何だ?」
「他の戦士と、何が違うんだろうと思って」
クロコダインが、ラノの肩を軽くたたいた。
「“太陽”なのだ」
とクロコダインが言った。
「地上の太陽のように、ダイは子供のころから輝きやぬくもりを誰にでも与えてきた。それも、敵味方を問わずな。だから誰もがダイに希望を託す」
隠れ家の島で見た一場面を、ラノは思い出した。ポップはそれをなんと呼んでいただろうか。
――「魔界でも毒気抜きまくりだな」……。
ラノは、彼らに見入った。太陽を中心にアバンの使徒たちが集うようすは確かに壮観だった。
ふいに、にぎやかな声がした。
「よお!みなさんおそろいで!」
「ヒム!」
ダイが新しい戦士を笑顔で迎えた。全身がオリハルコンでできた金属生命体、ヒム。ラノは隠れ家でこの男がチウたちといっしょにいるのを見たことがあった。
「兄弟水入らずンとこにお邪魔して悪ぃけどよ。オレもまざるからなっ」
うん、と子供のように素直にダイはうなずいた。
「ヒムがそこにいると、ハドラーが来てくれたような気がするよ」
ヒムは言葉に詰まり、赤くなってぷいと横を向いた。
「おう、ありがたく思えよ」
ヒムは、ふと真顔になった。
「下は真っ暗だな。オレは地上生まれだけど、ここがハドラー様の故郷なのか」
「残るか?」
ぼそっとヒュンケルが尋ねた。
「いいや。ハドラー様と同じように、オレは地上を目指す」
その答えを聞いて、ヒュンケルがふと口元をほころばせた。
「相変わらず口の重いヤツだな!言いたいことがあんなら言えや、おら!」
まって、とダイが割って入った。
「そろそろあいつが追いかけてくるよ」
全員の視線がからみあった。
「照明弾の用意を。待ち伏せを始めよう」
●
船団は岩山でできたすり鉢の中を静かに旋回していた。すり鉢のふちにあたる部分ははるか上空にある。
上空には、だいぶ前に発射した照明弾の明りが消え残っていた。おかげですり鉢の中のようすがおぼろげに識別できた。おそらく上から見たら、白い胸びれを両側に大きく広げたマジックフライト一号はよく目立っただろう。二号から四号は、一号より低いところにいた。
一号では、避難民は船底、船倉に、船長や乗組員のほとんどは船室にそれぞれ閉じこもった。
アバンの使徒たちは一号の甲板のあちこちにひそんで息を殺している。ただ上空を見上げ、待ち続けていた。
なんの前触れもなく、すり鉢のふちに異物がぬっと現れた。銀の鱗がわずかな灯りを受けてちらちらと光った。蛇の頭だった。
何頭もの蛇が岩山のふちからそろりと現れ、やがて元締めのメドーサボールがすり鉢上空に全身を見せた。
ヒュンケルは手にしたハルベルトを握り直した。逆さに伏せたボートの下に隠れているのだが、うっかり夜空を見上げるとメドーサボールと目が合ってしまいそうだった。
(もう、いいか?)
近くの物陰に身を潜めたヒムがせっかちにささやいた。
(まだだ!強攻撃を連続で叩き込むからには途中で逃げられたら困る。もう少し引き付けろ)
(しゃべれんじゃねえか、てめぇ!)
(静かに!)
(待って。雨だわ)
(くっそ~、いやなところに降らせやがって)
バタバタバタ……と音を立てて、黒い雨の雨粒が一号の甲板をたたいている。メドーサボールは巨大な眼玉を見開いたまま、ゆっくり降りてきた。魔界の海にいた時は小さめの島ほどの巨体だったが、魔界の空を飛ぶときにかなりサイズダウンした。『櫛』をくらったあとはもう一回り小さくなり、真球だった身体は輪郭がでこぼこになっていた。それでも箱舟の全長よりやや小さいていどにしかなっていない。
(飛び蛇がおとなしいな)
タコの触腕のように、メドーサボールは蛇をあやつってマジックフライト一号の帆柱に触れた。三本の帆柱がじゃまをしてまっすぐ降りてこられないらしい。
(ダイ?)
(あいつが甲板と同じ高さに降りるまで待って)
メドーサボールは、罠を疑っているのか、慎重に動いていた。ようやくメドーサボールが甲板へ回り込み、船長室にのしかかろうとした。
(いまだ!)
「よっしゃぁぁぁぁっっ!」
先陣を切ったのはヒムだった。畳んだ帆布の下から飛び出し、雄たけびを上げて甲板を突っ走った。
濡れた甲板を蹴る音がした。マァムが飛び出し、ジャンプを繰り返してメドーサボールに急迫した。
ボートをはねのけてヒュンケルも攻撃に移った。片手をマントの下に入れて、最後のシルバーフェザーを握り締めた。聖石がほのかに温まり、自分の中にエネルギーがあふれ出すのを感じた。
「よしっ」
悠長に何度も攻撃する時間などない。最強の技をぶつけるしかない。ならばグランドクルス一択だった。
一方、メドーサボールは敏捷に反応した。ヒムの雄たけびと同時にぎくりとして飛び上がり、上空へ逃げようと動き出した。同時にそれまで大人しくしていた蛇を次々に放出し始めた。
「ポップ、頼む!」
後ろでダイが叫んでいた。
「まかせろ!」
数の多い敵を一網打尽にするのは魔法使いの得意な分野だった。背後でイオ系の魔法力が炸裂している。
真っ先にメドーサボールに到達したヒムが本体に高速のオーラナックルを連打していた。もともといびつだったメドーサボールが見る見るうちに変形していった。
間髪おかずにマァムが拳を放った。
「閃華裂光拳!」
いびつな球体から白い光が四方八方へ飛び出した。マァムの拳は、生体なら必ず有効という恐ろしい技だった。
ヒュンケルは位置を決め、斜め上で悶えているメドーサボールへ向かってハルベルトを構えた。
「今から放つ。離脱しろ!」
ヒムとマァム、打撃系の二人が鮮やかにとんぼを切って後退した。後ろからダイの気配がした。バチバチと聞こえるのは、おそらくダイの剣にまとわりつくデイン系の魔法力だった。
「グランドクルス!」
フェザーで回復した分のエネルギーを思い切り放出した。闘気の流れのすぐわきをダイが走り抜けた。
――ダイが、とどめだろうな。
待ち伏せのあいだに、ヒュンケルはダイにたずねてみた。
「今回は真魔剛竜剣ではないのか」
「これは威力が高すぎるんだ」
とダイが答えた。
「船への影響を考えて技を出せないんじゃ、意味がない。使い慣れたおれの剣で戦ってみるよ」
メドーサボールはグランドクルスに直撃され、甲板でのたうち回っていた。
「これで終わりだ!ギガ……」
異変はそのとき起こった。
「ダイ、どうした!」
思わずヒュンケルは叫んだ。剣を振り上げたままダイは動けなくなっていた。こちらから顔は見えないが、苦しそうなようすだった。一歩あとずさってダイは剣の切っ先を甲板につきたて、その柄にすがりつくようにうずくまった。
「ダイっ!」
血相変えたポップが走ってきた。
ダイは片手で腹部を抑えていた。
「ダメージ反射……」
ヒム、マァム、そして自分の三人がメドーサボールに与えたダメージが、ダイ一人を標的にして返ってきたらしい。
「はは、やっぱりみんな、強いや」
「しゃべるな、今回復する」
ポップの手から回復魔法が矢継ぎ早に放たれた。
ヒムとマァムが戻ってきた。
「ダメージ反射って、こんなタイムラグで来るのね」
「ダイ、おい、ダイ!」
ヒムはおろおろしていた。
ヒュンケルはメドーサボールのようすをうかがった。
「あいつも回復している」
仲間たちの表情が変わった。
「いったん、退避だ!」
●
待ち伏せの間、ラノは船倉のオーシャンクロー一族のところへ戻るつもりだった。それをしなかったのは、顔見知りの獣人たちが先に船倉への階段にいるのが見えたからだった。
別に逃げ隠れすることはないのだが、またからまれそうな気がして甲板の空き樽の陰で彼らをやりすごすことにした。
「でもっ、これは大事なものだから!」
子供のような甲高い声が聞こえてきた。ラノは空き樽の脇から顔を出してようすをうかがった。聞き覚えのある声は、ぬすっとうさぎのものだった。
――こいつら、この船に乗ってたのか。
ぬすっとうさぎが何人か集まって、大きな荷物を運んでいる。魔族の船員が、船倉は狭いから甲板へおいていけ、と指示したのに逆らっているようだった。
「いくら大事でも、命には代えられないだろう!」
いらついた魔族がそう言った。
「他のものとはちがうんだ!」
人間でいえば十歳前後の子供のような体格のぬすっとうさぎたちは、体格に不釣り合いなほど大きな鐘を数名がかりで掲げていた。
「この鐘がないと、これがないと……」
ほとんど泣き落としにかかっている。魔族はうんざりした顔になった。
「ああ、もう、勝手にしろ!いいか、下のスペースに余裕はないのだ。鐘をここに置いておまえらが隠れるか、鐘と一緒に甲板にいるか、どちらかだ!」
鐘、鐘と連呼されてラノは思い出した。
――あいつら、どうしても渡せない鐘があったよな、そういや。
一度、面白半分に取り上げたことをラノは思い出した。つまらないことをやったもんだ、と自分でも思った。
「でっでも!」
別の魔族が走ってきた。
「おい、来たぞ!隠れろ!」
それだけ言って船長室へ飛び込んだ。あっという間に魔族はいなくなり、甲板は無人になった。
ラノも空き樽の陰に身を潜めた。ぬすっとうさぎたちも黙り込んだ。クロコダインたちが時々話す「闘気」というものはラノにはわからない。だが、ビースト系モンスターにありがちなことに、殺気には敏感だった。
真上から殺気を込めた視線に射すくめられている。喉がひとりでに唾液をのみこみ、リカントの全身を覆う青い剛毛がすべて逆立った。魔界の海の暴君、メドーサボールが自分のまさに真上にいて、獲物を探しているのだと知った。
「よっしゃぁぁぁぁっっ!」
いきなり雄叫びがあがり、ラノの心臓が口から飛び出しかけた。ヒムとマァムが先行し、その後からヒュンケルとダイが追っている。
ためらいもおびえもなく、彼らはメドーサボールに襲い掛かり、激しく攻撃していた。
あわてたメドーサボールが本体から飛び蛇をバンバン発射した。
「まかせろ!」
と声がした。最後尾にいたポップが両手から呪文を放つのが見えた。空中で小爆発が連続して起こり、飛び蛇は船に損害を与える前に甲板へ落ちた。
「ざまー見ろ!」
歌うようにそう言って、ポップは走っていった。
飛び蛇は一掃された。メドーサボールは甲板に落ちてピクピクしていた。ラノはまだ胸がどきどきしている。片手で心臓のあたりを撫でた。
――本当はあいつら、すげぇ強かったんだな……。
焼けただれた飛び蛇が一匹、転がってきた。ラノは船の手すりまであとずさった。
何気なく船の手すりに寄りかかったとき、ラノはぞくっとした。
船の後方、真横に張った白いトビウオ横帆の下に、何かいた。
腕の外側を覆う毛皮が一気に逆立った。自分の体を両腕で抱え込み、ラノはうずくまった。殺気を、感じるのだった。
アバンの使徒たちが何か叫んでいた。
「いったん、退避だ!」
明らかに何か異常があった、そんな口調だった。
トビウオがかすかに上下に動き、その下にひそむ者がちらりと見えた。
最初は飛び蛇の大きいのに見えた。メドーサボールの本体から生えている蛇たちの数匹で、銀の鱗に覆われ、殺意と憎悪のかたまりのような赤い目と鋭い牙の蛇が数頭からみあっていると思った。
「あいつら、繋がってんのか?」
ラノは息を呑んだ。鱗の塊の奥に、眼球があった。その目は半眼閉じているが、静かに瞼が上がろうとしていた。
ばっとラノは甲板に身を伏せた。
――分裂したのか!
ずっと船団を追ってきたメドーサボールよりはだいぶ小さくて、いわば分裂したてなのかもしれないが、メドーサボールは一体だけではない。そして、そのことに気付いているのは、たぶん自分だけだった。
――おい、どうするっ?!
自分だけで対処するなど、論外中の論外だった。なら、誰に伝えればいい?
ラノはきょろきょろした。
さきほどクロコダインはこの船に残ると言っていたではないか。そして魔族の男、ラーハルトも。だが、ラノから見える範囲には二人の姿はなかった。
何があったのか、アバンの使徒たちは退避したらしい。
かつての仲間の獣人たちにラノは言った事がある、オレはやつらを信じている、と。だが、逆に、やつらがオレなんかを信じてくれるだろうか。
ラノの額に冷や汗が噴き出した。
――もうダメじゃん。こんなの、しょうがねえよ。オレのせいじゃねえんだし……
そんな考えが降ってきた。
――このまま、逃げ……。
どこへ?
パニックになりかけた頭がさっと醒めた。
逃げ場などない。
ラノ、この船、クロコダイン、アバンの使徒、そして獣人やぬすっとうさぎ、魔族を含めて、魔界からの避難民。誰もこの状況から逃げることなどできない。
うずくまっていた体を無理に動かして、ラノは震える足で立ち上がった。
――ったく、なんでオレなんだよ。
音を立てないように動きながら、ラノは先ほどのぬすっとうさぎたちがいないかと甲板へ視線を走らせた。
――って、オレしかいねえんだよ。
助けられる可能性がある者は。