ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第三十二話 追跡

 人工太陽の日が暮れて、魔界は夜を迎えていた。暗黒の夜空に星はなく、漆黒の海に生き物の気配は絶えていた。
 どこか遠くから雷鳴が聞こえてきた。薄紫の稲光が空の片隅でしきりに光っていた。さきほどから降り出した雨が海面をたたいていた。
 ざざ、ざざ、と繰り返す波の音に奇妙な音が混ざった。
 黒い海が盛り上がった。一番高い波よりもさらに上へ水面は高まり、その中から異形の怪物が姿を現した。
 もしチウが見ていたら、あのメドーサボールだとすぐにわかったことだろう。
「ワレカラ、逃ゲル気カ」
 海蛇たちがメドーサボールの円周上でうぞうぞとうごめく。そのたびに海水がしたたり落ちた。
 メドーサボールは小島がひとつ浮上したほどの大きさがある。全身が空中に浮かぶまで時間がかかった。
「誰モ彼モガ逃ゲテイク。許サヌ。オマエタチダケ逃ゲテ幸セニナロウナド、誰ガ許スカ……」
 誰が聞くでもない恨み言とともに、メドーサボールが収縮を始めた。大量の海水が絞り出されて滝のように水面へぶちまけられた。
 小島のような巨体がかなり縮み、軽くもなった。大量の蛇たちが体を伸ばし、メドーサボールは一つ目を見開いた。
「思イ知ラセテクレヨウ!」
 かっと開いた目で虚空を見据え、メドーサボールは、浮き上がった。雷鳴とどろく中、しだいに高度を上げ、それは海からの風に乗り、舞い上がり、疾走を開始した。

 ポップは足を組んで、直に甲板に座ったまま瞑目していた。顔がうつむき、猫背になっている。うなり、顔をしかめ、ときどき急に頭を振っていた。
 ポップの頭上には黒い雨の雨よけがあった。ダイたちがマジックフライト一号の船首のそばに耐水性のある帆布を吊って簡単なレインシェードを作っていた。
 布をめくってダイが入ってきた。
「ポップ大丈夫?船長室に入ったほうがいいんじゃない?」
 ポップはうすく目を開いた。
 箱舟の船団は魔界の夜空をひた走っている。悩みの種だった黒い雨は次第に雨足を弱めていたが、上空の風は身が切れそうなほど冷たかった。
 夜空には月も星もなく、あたりは真の暗闇で、吹きすさぶ風の音のほかは完全な静寂だった。
「ここでいいや。なんか船長室だと他の船のコントロールがしにくいんだ」
「そうなんだ……」
 レインシェードの下にある光源は、全身からほの白く発光しているポップ自身だった。
「みんなは?」
「予定通り。二号にはラーハルト、三号はクロコダイン、四号にマァムがいる。ヒュンケルはラーハルトといっしょで、ヒムとチウと仲間モンスターはクロコダインのところだよ」
 少しためらってからダイがたずねた。
「あのさ、ポップ、さっきから眠そうだよ」
 ポップは眉をしかめたまま口角をあげた。
「おまえにはバレちゃうんだな。実は、魔力切れが近くてさ。くらくらするんだ」
 ダイがあわてた。
「それじゃ」
 ポップは何か抑えるような仕草をした。
「だからほら、アレだ。ブーストするって言ったろ。心配するなって」
「マトリフさんに魔力を送って増幅するっていうやつ?」
「そうそう」
 ポップは片手で額の汗をぬぐった。
「隠れ家にいた時、ブーストは実験済みで成功したんだ。だから師匠も大丈夫のはず」
 シェードごしにポップは上空を見上げた。
 その肩にダイは手を触れた。
「大丈夫。ポップのしてることは間違ってないよ。ポップにできなきゃ、誰にもできないさ、魔界脱出なんて」
 へへ、とポップはつぶやいた。
「魔闘演武をやらないって言った時、師匠には、怒られたんだ。甘っちょろいこと言ってんじゃねえ、ってな。師匠いわく『味方を効率よく殺すことを覚えねえと、おまえ、詰むぞ』だってさ」
「そんなのは、でも……ポップはその時なんて言ったの?」

 地上もまた、日が暮れていた。ヴィオホルン台地にあるカール王国の天幕を中心に、巨大なかがり火をいくつも焚いて、かなりの明るさを保っていた。
 ダイたちが魔界を脱出する。ノヴァからの知らせを受けて、カール、パプニカはじめ世界中の国々がこの台地に支援を送り込んでいた。
 人でごった返すなかで指揮を取っているのは、女王レオナの信任厚い賢者アポロとマリンだった。群衆の前でマリンは、時々羊皮紙を見ながらてきぱきと説明していた。
「魔界からの箱舟は、ゲートキーパーのつかさどる亜空間を通って異世界へ行く予定です。竜の騎士殿の一行のみがその亜空間から地上世界へ帰還します」
 質問が飛んだ。
「航海は順調ですか?」
「船団を飛ばしているポップ君の技量にかかっていますが、離水発進までは成功したということです」
「不安定要素は?」
「魔界のモンスターが船団を追跡してくる可能性があるそうです」
 群衆がざわめいた。
「やっと平和になったのに」
「またそんな怪物が?」
 パプニカはじめ各国は五年前の大魔王戦で壮大な被害を受けている。ほとんどの国はまだその復興の途中だった。
「ご心配なく」
 賢者アポロがすすみでた。
「船団を指揮するのは、竜の騎士ダイ。そして大魔王戦を戦い抜いたパーティがその傍らで守りを固めています」
 人々の表情に、落ち着きが戻ってきた。さらに、とアポロは言葉をつないだ。
「万が一そのモンスターを魔界で討ちきれなかったとしても、地上で暴れる前にこのヴィオホルン台地でトドメを刺します。そのために我々は拳聖ブロキーナさま、大魔道士マトリフ殿をお迎えして迎撃態勢を」
 アポロが言葉を切ってきょろきょろした。
「マリン、ご両所は?」
 とまどった顔のマリンがあらぬ方角を指した。群衆の外側をとことこ歩く人影があった。
 一人は鶴のように痩せた年寄りで、身につけているのは杣人のような粗衣と丸縁眼鏡のみ。両手を腰の後ろに回し、やや前かがみで歩いている。もう一人は巨大な帽子とゆったりしたローブを身につけ、片手に杖を握り、いかにも気難しそうな顔つきで歩を運ぶ老人だった。
 ブロキーナがふりむいて声をかけた。
「お若いの、ワシらのことは気にせんでいいよ」
 自分のことらしいとアポロは思った。
「しかし、あの」
 マトリフはひらひらと手を振った。
「迎撃なら、そのうちアバンが来るから大丈夫だ」
 元勇者にして現カール王を呼び捨てにするのは、女王フローラを除けばこの老人くらいだろうとアポロは思う。
「オレらはちょっとやることがあるんでな。おう、賢者の兄ちゃん、頼んだ仕事はやってくれたんだろうな?」
 こちらへ向ける眼光は鋭かった。
「魔法陣のことでしたら、ご指定の通り描き上げていますが」
 そうかそうか、とマトリフは何度かうなずいた。
「パプニカの三賢者の仕事なら安心していられるな。ありがとうよ」
 頭の後ろでまた手を振って、二人の年よりは行ってしまった。
「失礼なんだか、おだて上手なんだか」
そう言ってマリンは苦笑していた。
「お二人から見たら、我々はほんの若輩なんだろう」
 アポロも苦笑を返し、神とうたわれる武闘家と規格外の天才呪文使いを見送った。

 パプニカの賢者たちに依頼した魔法陣の前でマトリフが足を止めた。
「『命ひとつと割り切って使い捨てろ。味方を効率よく殺すことを覚えねえと、おまえ、詰むぞ』。そう忠告してやったんだ」
 歩きながらの事情説明だった。
「んで?ポップ君はなんて答えたんだね?」
 マトリフは苦いものをなめたような顔になった。
「『そんなこと、師匠だってできてねえじゃねえかっ』だとよ」
 はっはっとブロキーナが笑った。
「こりゃ一本取られたねえ」
「ったく、口の達者なガキは扱いにくいったらよぅ」
 ぼやきながらマトリフは魔法陣の前に座り込み、懐から長煙管を取り出して煙草を詰めた。
「それを言われちゃこっちに分がねえからな。しかたなくあいつのプランにのることにしたわけさ」
 小さなメラを点けてマトリフは長煙管から煙を吸い込んだ。
「あいつぁまだまだガキだからよ、わかってねえんだ。老い先短くなるとてめえの命よりも、後から来るやつのために何かしてやりたくなるものだってことを」
 ブロキーナはまた相好を崩した。
「今言った通りに、あの子に話してやればいいじゃあないかね」
 マトリフは勢いよく煙を吹いた。
「まっぴらだ!」
「老いては子に従え、とことわざにあるよね」
「子じゃねえ、弟子だ」
ふふふ、とブロキーナは笑った。
「いつだったか、“自慢の弟子だ”と言ってやったことがあったんだって?」
「ありゃ、あいつが落ち込んでたから」
「素直じゃないねえ」
「あンだよ」
「“自慢の息子だ”って言いたかったんだろうに」
 しばらくマトリフは黙っていた。煙管の先から白い煙がゆったりと昇って行った。
「おたがい、家族なんてものを望まずにこの年まで修行に明け暮れた身だ」
とマトリフはつぶやいた。
「こうなったのもおのれの選択の結果だ、大将。オレに文句は言えねえよ」
 あっさりとブロキーナは応じた。
「そうそう。いろんな幸せがあるし、いろんな人生があるものだよ」
 おや、とブロキーナは言った。
「魔法陣が光っている」
 む、とマトリフもつぶやいた。
「さあ、不肖の倅から魔法力が飛んできたぜ!」
「けっこう、けっこう。始めようか」
 魔法陣の中央にマトリフが立ち、広幅の袖をめくりあげた。その背後にブロキーナが立ち、背に両手をあてがった。
「いざとなったらわしが支えるよ。立つことに筋力を使わなくても大丈夫。ただ魔法力を受け止め、投げ返すことに全力を注ぎなさい」
「おう」
 低くマトリフは答えて、全身の力を抜いて行った。
「いよいよだねえ。がんばって。うまくいかなかったら、ここでわしと心中だ」
 心底嫌そうにマトリフがわめいた。
「爺と心中?!冗談じゃねえぜ!絶対に成功させてやる!」

 雨よけの布の下から出てポップは上空をにらんでいた。
「ようし、これでいい」
そうつぶやいて振り向いた。
「ちょっとの間、船団の進みが遅くなるし、高度も下がると思う。でもブーストが終わったら元に戻るからみんなに驚かないように伝えてくれ」
 先ほどのどこかつらそうな表情が消えている。ダイは少し安心した。
「まかせて!」
そう言って踵を返した。
「ダイ、どこ行くんだ?船長に頼んで船を寄せてもらって」
 へへ、とダイは笑った。
「おれ、飛べるもん」
 額の紋章に意識を集め、不完全ながら竜魔人の形態に近づいていく。背中の上半分が熱くなり、そこから竜の翼が生まれるのがわかった。チュニックの背から翼が飛び出し大きく広がるのをポップは目を丸くして見ていた。
「そんなこと、いつできるようになったんだよ!」
「ポップがいろいろやってた間に、おれだって遊んでたわけじゃないからねっ」
「黒い雨の中でも飛べるのか?」
「この翼は自前だもん。あまり影響受けないよ。じゃ、行ってきます!」
そう言って、船べりを越えて飛び出した。

 マジックフライト二号の船尾楼へ、ラーハルトとヒュンケルが飛び出してきた。
「こっちか!」
「おそらく」
 船は純黒の空間を疾走している。周辺に見えるのは姉妹艦だけだった。だが二人の感覚は同じことを察知していた。
「来るぞ……」
「船が遅くなったし、高度も落ちているからな」
「ブーストというやつか」
 それはつい先ほど有翼のダイが船へやってきて説明した件と一致していた。
「こんなときに、くそっ」
 二人とも武器をかまえ、別々の方角を警戒して闇をにらみすえた。あいかわらず強い風が吹き、横殴りに黒い雨が降っていた。
「どうだ?」
 ラーハルトに問われ、ヒュンケルは語り始めた。
「魔界の地表にいたときより、ヤツは小さくなっている。その分、早い」
 漆黒の夜空を、ヒュンケルは光の闘気の糸を編んだ網で探っている。かなり距離はあるが、巨大な闘気が接近してくるのを感じ取っていた。
 ん、とヒュンケルはつぶやいた。
「何か飛ばしたぞ」
 その言葉が終わる前に夜空に無数の物体が現れた。
「あの蛇は!」
 魔界の海を我が物顔に泳ぎ回っていた銀の鱗の海蛇がいきなり闇から現れて襲い掛かってきた。ヒュンケルは歯を食いしばった。闘気の網、ドリームキャッチャーで動きを制限したが、数が多すぎた。
「ねらいは、船か!」
 先頭の一頭が帆柱の先に食いついた。メドーサボール本体が縮んだのと呼応して、蛇もサイズが小さくなっている。それでも帆柱に食らいついたために、船の被害は大きかった。
「いかん!」
と言った時、飛んできた蛇は帆柱から滑り落ちた。甲板に落ちて二三度震え、動かなくなった。
「こいつら、メドーサボール本体を離れるとすぐに死ぬのか」
 飛び蛇に独立した意識はあるのだろうか、とヒュンケルは思った。
「考える暇はない。船に近寄らせなければ、こちらの勝ちだ」
「先手を取るぞ」
 ラーハルトが頭上の闇を薙ぎ払った。
 ラーハルトの槍は蛇の顎の下を一気に切り裂いた。蛇は青黒い体液を滴らせながらラーハルトに向かって噛みつきにかかった。頭部まで飛び上がってラーハルトは真上から槍で貫き通した。
「なんとかやれるが、多すぎる!」
 ヒュンケルにはラーハルトの考えていることがわかった。ハーケン・ディストールを使えば一掃できる。が、命のエネルギーを削ぎ取るこの雨の中で、闘気の消耗は地上よりはるかに速い。当然大技は数回しか使えない。
「蛇を一か所に追い詰めろ」
とヒュンケルは言ってハルベルトを構えた。
「まとめて吹き飛ばす」
 言いながら体内の闘気を急速に高めていった。

 マジックフライト二号から突如十字型の光が輝き、後方へ伸びていくのが見えた。
「あんなとこに居やがるぜ」
 マジックフライト三号の甲板でヒムは片手をかざしている。グランドクルスの光の中にメドーサボールが目を見開いて追跡してくるようすが見えた。
「前は島くらいあったんだが、ちょっとは縮みやがったか。こっちにも飛び蛇が来るぜ」
 クロコダインはうなずいた。
「オレも闘気技を使うとするか。だが、どのくらい飛び蛇が来るかわからん。闘気がいつまでもつか」
「そこだな問題は」
 闇の中にちらちらと銀の光が現れた。
「来るぞ」
 ノヴァがもたらした新しい斧をひっさげて、クロコダインは銀の光の前に立ちはだかった。
「むん!」
 闘気の渦が真正面から飛び蛇を襲った。それでも近寄ってくる個体は、重厚な刃で斬り飛ばされた。
 飛び蛇の狙いは船の破壊らしかった。ならば、船にぶつかる前にたたく。クロコダインとヒムの考えは一致していた。
――遠距離攻撃ってのが苦手なんだよオレは。
 ただし、至近距離からの物理攻撃ならだれにも負けない自信がある。ヒムは勢いをつけて飛び上がり、帆柱に登って帆桁へ移り、待ち構えた。
「調子に乗んじゃねえっ」
 船に飛び込んでくる飛び蛇に真上から飛び乗り、拳をぶちこんだ。その背後にいた飛び蛇が巨大な口を開けて襲ってきた。身を沈めて顎の下をきつく蹴り上げた。
「ヒム、大丈夫か?!」
 斧で飛び蛇にとどめを刺して、クロコダインが尋ねた。
「……なんとか」
 飛び蛇は数が多く、一頭ずつがけっこうでかい。本体であるメドーサボールを離れてから生存できる時間は短いが、その短時間で精いっぱい暴れて船を壊そうとしてくる。
「つらいならシルバーフェザーを使うといい。見ろ、もうひと群れ来るぞ」
 ちっとヒムは舌打ちした。
「獣王さんよ、ちいと耳貸せ」
とヒムは言った。