地上、カール王国の王都には日の光が降り注いでいた。明るい中庭に向かって開いた王城の廊下を、一組の親子が歩いていた。
一人はリンガイアのバウスン将軍だった。国王不在のリンガイアで、彼は事実上国を率いる立場にある。重職であり、多忙でもあった。
カール王国らしく赤系で彩られた美しい扉が廊下の奥にあった。その前でバウスンは立ち止まり、連れに告げた。
「私はここまでだ」
バウスンの息子ノヴァは父と向き合った。
「ありがとう、父さん。十分だよ」
その日将軍は国籍と職位を名乗ってカールの城を訪れ、国王夫妻にとある申し入れをしていた。
カールの女王フローラにとってリンガイアは外交関係を良好に保ちたい国のひとつであり、そもそも先の大魔王戦でバウスンは共に戦った仲間でもあった。フローラとその夫アバンにより、バウスンの願いは聞き入れられることになった。
「今日だって、忙しかったんだろう。ボクのためにフローラ様とアバン様に頼んでくれて、ありがとう」
真魔剛竜剣のかけらを探して持ち帰ることをノヴァに許可してほしい、とバウスンはカールの国王夫妻に依頼していた。ダイ捜索のために集めたものはどんなに小さくてもカール王国の所有であり、勝手に持ち出すことはできないものだった。
いや、とバウスンは言った。
「おそらくアバン殿は、おまえが直接『かけらがほしい』と頼んだら快く引き受けて下さったことだろう。あの方は、そういうお人柄だ。私がカールに来たのは、おまえに何か父親らしいことをしてやりたかったからなのだ」
「父さんは、ずっと父さんでしょう?」
バウスンは苦笑した。
「おまえが大人になったのを、私はまだ呑みこめていないようだ」
「ボクは、大人になりましたか?」
不思議そうにノヴァは尋ねた。
「鍛冶の基本は親方のジャンクさん、生活のあれこれは女将さんのスティーヌさんに教わってるけど、ボクはまだまだ半人前なんだ。先生の指導も、半分もわかってないよ」
「昔のお前だったら」
唯々諾々と他人の指導に従ったりはしなかっただろう。子供のころから優等生でなんでもできた結果、ひとから教えられることなど、はなからバカにしていた。そう言いかけて、バウスンは言葉を呑みこんだ。
それをどう受け取ったのか、ノヴァはおずおずと言い出した。
「ボクは先生の弟子になったのを後悔したことはないけど、でも、父さんにはすまないと思ってる。ごめんなさい」
「気にすることはない」
どう言えばいいかとバウスンは悩み、言葉を選んだ。
「おまえは、おまえの人生においてただ一人の勇者だ。国にも親にもとらわれず、お前の信じる道を自由に進みなさい。それが私の望みだよ。ロン・ベルク殿によろしく伝えておくれ」
廊下の奥の扉が開き、カール兵が出てきて敬礼した。その先にアバンの研究室があるはずだった。バウスンは会釈して、きびすを返した。最後に一度だけ振り向いたとき目に入ったのは、こちらに向かって深く頭を垂れている息子の姿だった。
●
この土地は赤茶色の奇岩の乱立する荒野だった。岩と岩の間には砂地があり、岩の裂け目から赤みがかったガスが噴きあがる。触れると火傷するほど熱い。ガスのせいでこの荒野の空は赤く見えた。
「誰か来たね」
白髪に紫色の肌の乱杭歯の魔女がそうつぶやいて、上目遣いに空を見上げた。
魔界史上この土地は幾度となく戦場になってきた。血の雨とともに呪いも魔術もこの地に降り注ぎ、いまでは赤い空気に包まれた不毛の土地となっていた。
よたよたと魔女は歩を進め、岩と岩の隙間にある粗末な棲み処にもぐりこんだ。
「いったいなんだってこんなところまで」
魔女はひもを編んでつくった不細工な人形をいくつか取り出した。
「もう魔界にはこんな土地しか住める場所はないってのに、哀れな魔法おばばをほっといちゃくれないものかね」
哀れっぽくぼやきながら、魔法おばばはひも人形をひとつ取り上げ、赤紫の舌でべろりとなめた。
「哀れな魔法おばばをいじめようっていうやつらに遠慮はいらないねえ。ひとつ脅かしてやろうかい」
魔法おばばの着ている魔女服は暗赤色で、戦場ヶ原ではほとんど目立たなかった。それをよいことに魔法おばばは岩をぬって歩き回り、岩陰にひとつずつ人形を置いていった。
最後に大きめの岩の上によじのぼり、片手を目の上にかざして周辺を観察した。
「あいつらか。はあ、どこから寄せ集めたのやら。先頭はおおねずみかのう。魔獣が多い気がするが、見たこともないモンスターもおるわ」
●
前を歩くチウのしっぽの先端は、はたきにそっくりだった。ねずみ色のはたきは、絶えずフルフルしていた。
「おいおい、隊長さんよぉ」
「静かにしたまえっ」
ピリピリした声でチウが制止した。
「諸君、警戒を怠るな!まいったな。ひどい土地だ」
要するに、びびっているらしい。ヒムはあたりを見回した。
赤黒い岩の荒野だった。チウがぼやく原因は、岩から噴き出るガスらしい。あちこちでガスが新たに岩を割って噴きあがるらしく、ドォン、ブシュウと不気味な音が聞こえていた。生き物の気配はなく、魔界らしいと言えばなんとも魔界らしい場所だった。
「まったく奇妙な場所だ。さきほどから視線を感じるのだが、住民だろうか」
獣王遊撃隊は、魔界のまだ沈んでいない土地のほとんどを回ってしまっていた。今いるのは、生存者なしとして一度除外した土地だったが、誰か棲んでいるらしいという目撃報告を得て再度避難民捜索に来ていた。
「奇妙なのは魔界だからじゃねえの?」
チウは、びしっと前方を指した。
「あちらの方角だ。何か、いるぞ!」
仲間のモンスターがいっせいにざわめいた。
「コゾー、このあたりにゃどんなやつが棲んでるんだ?」
魔界出身のおにこぞうは首を傾げた。
「すいません、俺の出身地から遠いんであんまり知らなくて」
ていうか、とコゾーの相方のオニーが言い出した。
「特にここらは大昔の戦場で、前からさびれてたんです。食べられそうなものもないから、住んでるやつもめったにいなかったし」
ヒムはあたりを見回した。
「そうだなあ、あえて言うなら精霊系とか、ふつうのメシは必要ない連中か」
「せ、せいれいって」
完全にチウのしっぽは震えていた。
「要するにオバケのことだなっ?」
ヒムは思わずにやついた。
「隊長さん、怖ぇのか?」
「ば、バカにするなっ」
とチウが空元気を発揮した瞬間のこと、奇怪な声が谷間に響き渡った。
「ここからでていけ」
とそれは聞こえた。
ひいいっとチウが悲鳴を上げた。ヒムは鋭く叫んだ。
「誰だ、出てきやがれっ」
赤味を帯びた空気がゆらぎ、魔女の姿になった。魔女帽子の影となって表情はうかがい知れない。だが見るからに禍々しいようすだった。
「なんだてめえ!」
「出ておいき。さもないと……」
言葉を濁したまま魔女は消えた。
次の瞬間、真後ろから声が聞こえた。
「命はないよ」
ヒムはふりむいた。が、不気味な岩が立ち並ぶだけで、誰もいなかった。
「くそがっ」
獣王遊撃隊のメンバーが悲鳴を上げた。すぐ近くに魔女が現れたのだった。
「キャハハハハ!」
けたたましい笑い声に向かってグリズリーのくまちゃがパンチを放った。だが空振りだったらしく、くまちゃはきょろきょろした。
「これは一種のマヌーサか?」
とチウがつぶやいた。
ヒムはうなった。こんなとき、ヒュンケルたちなら闘気を頼りに相手の位置を推し量ることができる。ヒムも闘気技は使えるが、殴る蹴るのゴリ押し上等の自分にとって、どちらかといういと闘気の把握は苦手だった。
「まだるっこしいっ!」
ヒムは叫んだ。
「こうなったら暴れまわってやる、おい、どこの誰だか知らねえが、ケガしたくなかったら小細工やめて出てきた方がいいぜ!」
陰々とした声が再び、出ていけ、と迫った。
「うおぉらぁぁぁぁっ」
声のした方角に向かって回し蹴りを放った。風化してもろくなった奇岩が、蹴ったつま先で真っ二つになり、音を立てて崩れた。
まったく異なる方向に魔女の幻が現れた。そして反対方向から笑い声。
「おらっしゃぁぁぁぁっ!」
虚空に向かって連続パンチを浴びせた。
チウがとつぜんいきり立った。
「あちゅーっ!」
短い両手を振り回している。
「我が隊員諸君、君たちも暴れてくれ!何か手ごたえがあったら教えるんだ!」
荒野はカオスと化した。かなりの数のモンスターたちが、警告も、漂う魔女も無視してひたすら暴れ、わめきたてる。ヒム以下のメンバーがあげる雄叫びに岩の崩れる音が混じった。
「死にたいのかおまえたち。侵入者は」
突然、声が途切れた。
「なんだ?何があった?」
ふとヒムは足元をながめた。土くれのなかに、何か混ざっていた。つまみあげると、ひもの切れ端のように見えた。
「なんだこりゃ?」
くまちゃの張り手で岩が崩れ落ちた。あたりを漂っていた魔女がふっと消えた。
「よくわからねえけど、ガンガン行くぜっ」
しばらくすると奇岩の群れはほぼなくなっていた。
「これで更地か。いや、まだ一つ残ってんな?ようし、おまえら、あの岩に突撃!」
雄たけびを上げてモンスターたちが最後の岩に殺到した。
その瞬間、悲鳴が上がった。
「哀れな魔法おばばに乱暴しないでおくれ!」
保護色で見えにくいが、岩の上にしなびた魔族の女がしがみついて震えていた。
はぁ?とヒムは言った。
「出て行かないと殺すとかほざいておいて、哀れだあ?ふざけんじゃねえぞって言うか、警告だの幻だのは、おまえの小細工か」
魔族らしく紫系の肌と尖った耳の魔女は、岩から降りてくるとその場にうずくまって泣きわめいた。
「だって、だって、あたしにゃもうこの土地しか居場所がないんだよ!元から住んでいた村は黒い海の底に沈んじまったのさ。一族のもんはあたしをこんな土地に置き去りにして逃げて行ったよ。あたしゃ行くところがないんだよぅ!」
ヒムはチウたちと視線を交えた。
「ここにゃ、婆さん一人か?」
魔法おばばは上目遣いにヒムを見上げた。
「同じように見捨てられた連中が寄り集まって暮らしてるよ。みんな住処をなくして着の身着のまま逃げてきたのさ。でも、持ってきた食料も飲み水も尽きちまって、もうどうしようもないんだ」
そのまま、うっうっっと泣き始めた。
チウが胸を張った。
「よしっ、ではぼくたちが助けてやる!」
へ?という顔つきで魔法おばばがチウを見上げた。
「ぼくたちは魔界から別の世界への避難民を募っているのだ。きみの仲間はどこだ?希望者はすべて救助するぞ?」
「どこって、あの、ほら、そこに」
てっきり岩だと思っていた赤茶色の塊から、ぬっと手足がつきだして、スライムに似た丸い目がぱちりと開いた。
うっとヒムはつぶやいた。物質系モンスターらしいのだが、一体や二体ではなかった。見渡す限りの岩に、眼がついている。獣王遊撃隊は彼らに包囲されているに等しかった。
「こいつら全部箱舟に乗せるのかよ」
「船が沈むぞ」
ヒムとチウは顔を見合わせた。
●
その入り江は、淡い紫の色をしていた。オーシャンクロー一族の新たな棲み処となった島には、おそらく魔界で唯一の汚染されていない海があった。
入り江の岸から、緑と黒の人影がふわりと浮いた。
両手を大きく広げ、半ば眼を閉じて、自らの魔力を使ってポップは上昇する。その動きは優雅でさえあった。
「ずいぶん飛ぶものだ」
とクロコダインがつぶやいた。
「うん。この辺一帯を透明呪文の結界で囲んで、敵から見えにくくするんだって」
とダイが答えた。
クロコダインはしばらく地上で体を休めた後の再度の魔界入りだった。代わってヒュンケルとラーハルトが一時的に、主に装備を整えるために地上へ戻っている。ラーハルトに続き、クロコダインはこの魔界の海で海戦騎としてのライディングに挑むことになっていた。
「ダイ、オーシャンクローたちが感謝していたぞ。一族を上げて魔界から避難するそうだ」
ダイはクロコダインに笑顔を見せた。
「よかった。ちゃんと成功させないとね」
相変わらず暗雲の渦巻く魔界の空を背景に、ポップの姿はうすく輝く白い輪郭に縁どられているように見える。左右の手から明るい光の粒子があふれ、流れ、気流に乗って旋回しながらあたりに舞い降りてきた。
「クロコダイン、おれ、ちょっとポップに話があるんだ。先に行っててくれる?」
「ふむ。承知した。では、あとでな」
いつものように重厚な鎧を着け、背後にマントをひるがえして獣王が去っていく。ダイは黙ったまま、ポップが降りてくるのを待った。
ダイと視線があうと彼にしては言葉少なに、ポップは言った。
「よう」
「……」
ダイは腕を組んで、真顔で見ていた。
「なんだよ?」
「ポップが無茶しないか、見張ってるんだ」
ポップが片手をあげ、頭の後ろをカリカリかいた。
「あーっ、もうっ、こないだからずっとそれじゃねえか!」
「だってポップは仲間のために、あっさり命を張ろうとするだろ?」
「どの口で言ってんだよ。おまえだって……」
今度はポップが黙る番だった。
「わかったよ。じゃあ、おれの考えてることを、話せるところだけ話す。それでいいか?」
ダイは思わず笑顔になった。
「うん!」
「うん、じゃねえよ、ガキかよ……」
「でもおれ、十二歳からいきなり十七歳になっちゃっただろ?体は大きくなったけど、頭の中は子供のころから変わってないよ」
「しょうがねえな、よし、子供でもわかるように説明してやる。いいか?今四隻造ってる箱舟が、船団としてまとまって飛ぶとするだろ?」
ダイは言い返した。
「飛ぶ、ってところが問題なんだろ?」
「そこはほら、トベルーラの応用だ。自分の身体じゃなくて魔法陣から魔法力を放出して飛ぶ。その魔法陣は船そのものに描いておく」
ベルトからブラックロッドを抜き取り、その先端を使って濡れた砂浜にポップは図を描いた。
「ここが船を造っているドックで、これがゲートキーパーのいるとこにつながる旅の扉。船団がこうまっすぐ飛べば早いんだが、たぶん監視のカラスに見つかってあっという間にヤツが来る」
「おれたちを逃さない気だろうね」
「ああ。だから、海の上を避けてこっちのルートを通る」
ポップのロッドが砂の上に別の線を引いた。
「あいつに見つかるのは織り込み済みで魔界の山岳地帯の上を飛ぶルートだ。ルート沿いに罠を仕掛ける。このあいだ師匠からそのためのカードを預かったんだ。カードのうち一枚は『櫛』に使うことにした。あいつはメドーサボールだから、ふよふよ宙を浮いて箱舟を追いかけてくるはず。そこを狙ってだな……」
ポップは説明を続けながら砂の上に三角形をいくつか描き加えた。
聞いているダイはうなった。
「そんな呪文、聞いたこともないよ。重圧呪文(ベタン)じゃないんだね?」
「同じ地属性だが、呪文としちゃあまったくの別口だ。これが上手く行ったらあとは余裕なんだが、たぶんそれほど甘い敵さんじゃねえよな」
「そしたらどうするの?」
「二枚目のカード『川』の出番だ。メドーサボールを川の流れで押し流そうって罠さ」
「あいつ、水関係は効かないと思うよ」
「誰が水だって言った?」
「え?」
ポップはまた地面に絵を書き添えた。
「……ってわけだ」
思わずダイはつぶやいた。
「えぐいよ、それ」
「そのくらいやってちょうどいいのさ」
「そっか。まあ、これだけやったら、あいつも追ってこれないよね」
「たぶんなっ。正直、箱舟を飛ばしちまえばこっちのもんだと思ってる。一番危険なのは、四隻の箱舟をドックから出して離水発進する瞬間だ」
ポップは片手を額にあてた。
「黒い海から一番近い。監視の目が一番多い。船団が飛び出してあるていどの高さに上がるまで、攻撃もさんざん食らうはずだ。呪文で船団全体の守備力を上げるしかないが、それをやると推進力に使う魔法力が……」
ポップ、とダイが声をかけた。
「透明化呪文(レムオル)を使うか、このあいだの紙の船みたいな、おとりを出したらどうかな。そのおとりに敵がひっかかっている間に発進したら?」
「レムオルは完全じゃないんだ。だから、おとり案だな。そこはおれも考えてた。ヒムのやつがおもしろいことを教えてくれたんだ。避難民のひとりでメドナっていう魔法おばばは、自分の身代わりの幻を出す術を知ってるらしい。ヒムたちはメドナの声で警告する魔女の幻を何体も見たってさ」
「それじゃあ三枚目のカードは『身代わり』で決まりだね!」
入り江の反対側から、ドラの鳴る音が聞こえてきた。
「あ、ライディングが始まるみたい。行こうよ、ポップ」
「そうすっか」
二人は浜を回って歩いて行った。
「さっき、地面に棒で書いてただろ?昔もやってたよね」
ポップはうなずいた。
「デルムリン島を出てすぐのころだろ。おまえ、読み書き、からっきしだったから、おれが地面に字を書いて『だ・い』っていうつづりを教えたんだ。そういや、おまえの頭の中ガキのままだと言ってたけど」
ポップは言葉を切った。
「う……、実はまだ、読み書きはあんまり得意じゃなくて」
ポップは愛用のロッドでかるく自分の肩を叩いた。
「思わぬ弱点だな。けど、見た目ガキだった昔と比べて、今は不得意ですじゃ通らねえぞ、竜の騎士さま?」
「だよね。地上へ戻ったら、レオナか誰かに特訓してもらわなきゃ」
とつぶやいてダイはへこんだ。
「あのさ、今思い出したんだが」
「なに」
ごく真面目にポップは言った。
「たしかおまえ、家庭教師がついてなかったか?」
「おれ、そんなの」
と言いかけてダイは立ち止まり、ポップと顔を見合わせた。
「そう言えば……でもさすがに頼めないよ。アバン先生も今じゃ王様だし、特にここんとこ会議続きで忙しそうだし」
「先生が忙しいのは、おれがちょっとお願いしたせいなんだ。まあ、特訓ならおれがやってやるよ、スペシャルハードコースで」
楽しそうにポップはそう言った。