ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第十五話 襲来

 ヒュンケルはあたりを見回した。
「何か来る」
 憎悪と殺意。魔界ならありふれた感情かもしれないが、ヒュンケルの察知したそれはけた外れの鋭さだった。
 オーシャンクローたちはあおざめた。
「海蛇どもがもう来たか!」
 ダイは背中に背負った剣をおろし、刀身をおおう布をほどき始めた。柄と刃の間に赤い魔石を飾ったダイの剣が現れた。
「みんな、準備をしたほうがいい」
 ダイは警戒もあらわに目を細め、殺気の源をうかがった。先ほどまでの天真爛漫な若者は、歴戦の戦士の顔になっていた。
 自然な口調でラーハルトが促した。
「ダイさま、ご命令を」
「敵が現れた瞬間に最大の攻撃で迎える」
とダイは言った。
「相手が立ち直るまで、短くても時間が稼げる。その間に攻撃方法を見きわめる。それがおれたちの唯一の勝機だ」
「おおせのままに」
とラーハルトが言って、槍をかまえた。
「それほどの相手か!」
 クロコダインは戦斧を手につぶやいた。
「まず……」
 海へ視線を向けたまま、ダイが答えた。ダイの戦略は、代々の竜の騎士たちが積み上げた戦闘ノウハウの集積だとヒュンケルは聞いたことがあった。
――戦神の息子、か。
 ヒュンケルは自分の杖を取った。ラーハルトが餞別に渡したその杖は、内部に刀が仕込まれているだけではなく、握りの部分に細工が施されていた。握りから直交する短いバーが十字型に開くようになっている。先ほどのグランドクルスは、この杖のおかげだった。
 ダイたちは武器を構え、息を殺し、じっと殺気の主の到来を待ち構えた。
 ヒュンケルは妙なことに気付いた。沖の波の動きがおかしい。波の真下へ渦を巻いて吸い込まれていた。
「あれは」
 ヒュンケルは、ポップとマァムと共に三人で降り立った魔界の島を思い出した。リカントら獣人たちがぬすっとうさぎ一族をいじめていたあの島は、海に対して崖となっていた。
 その崖の上から見た、海水を飲み干すかのような巨大な口がいくつも開閉している情景は悪夢そのものだったが、悪夢はいま過剰に再現されようとしていた。
 クロコダインと協力してねじ切った海蛇よりも一回り以上太い胴の海蛇が海上に姿を現した。その真横にもう一頭、背後にも一頭。
「ニクイ、ニクゥゥゥィィィッ」
 どこから出しているのか、奇妙に甲高い声をそれは放った。
「いやな声だ」
とラーハルトがつぶやいた。
 無言でうなずいてヒュンケルは腕の外側をそっと抑えた。幼いころから戦闘訓練を受け、魔王軍の将としてもアバンの使徒としても戦ってきたが、これほど異質な闘気はおぼえがない。光か闇か、善か悪かのちがいすら超越して、徹底して異質な、相容れない気配だった。
 海蛇たちは妙な動きを始めた。こちらを無視して波の下をくぐりぬけている。
「ダイ、やるか?」
 ダイは視線を海から外さなかった。
「待って。まだ何か上がってくる」
 沖で水柱が立った。
 何かが、暗黒の深海から海面目指して急浮上してくる。
 ヒュンケルのドリームキャッチャーは、オーシャンクローの砦と砂州、そしてこの島を捕捉していた。その真下から真っ黒な塊があがってきた。
 ヒュンケルは息を呑んだ。知覚の網をどれだけ広げても、その存在が大きすぎて全容を把握しきれない。
 もし今島の上に翼竜でもいたら、島をちっぽけに見せるほど巨大な影が海面下に広がっていく光景を見ただろう。
 ざく、と音がした。ダイのブーツが浅瀬の砂を踏みしめた。
「みんな、前に出よう!ここで戦うとこの島が壊れる!」
そうなっては、せっかく移住したオーシャンクローも入り江に匿われている水棲竜族も困ることになる。パーティは浅瀬へ踏み込んだ。
 最前列にダイ、そのうしろにラーハルト、ヒュンケル、クロコダインという布陣になった。
 水平線そのものが沸き立ち、かなりの大波が浅瀬を走り、海岸を襲った。
 全身ずぶぬれになりながら、ダイは目を見開いて敵を凝視していた。
 クロコダインが、低く唸り声を上げた。大波の後ろに姿を現したのは、鱗の塊だった。蛇体がほとんど真球状にからまりあい、ずるずるとうごめきながら浮上してきた。あまりにも巨大な球であるため、全体が浮かび上がるのに時間がかかった。
 ちゃっと音をたててダイが剣の柄をつかみなおした。
「球体中心に攻撃を!」
一瞬にして闘気が沸騰した。全員が浅瀬を駆けた。
 ギガブレイクが、ハーケン・ディストールが、獣王激烈掌が、グランドクルスが球体の中心に襲い掛かった。
 球体の表面を覆っている蛇体が飛び散った。残った蛇体がほどけ始めた。からまりあう蛇どもがそれぞれ口を半開きにして力なくうなだれた。
 ヒュンケルたちは浅瀬からそのようすを見ていた。
「手ごたえはあったな」
「いや、貫通していない」
 ぞくっとヒュンケルは背筋に悪寒を感じた。
「こいつ、回復しているのか」
 剣でダイは海蛇の塊を指した。
「あれは、蛇じゃない」
 ぶるっと一度、蛇体のかたまりは身をゆすった。気絶していた蛇たちがぐっと鎌首をもたげた。
 蛇体がほどけた部分に、何か奇妙なものが見えてきた。球体の中央に鮮やかな朱色に縁どられた部分がある。その内部の表面を覆う分厚い膜が上下に別れていく。
「あれ、まぶただよね」
とダイがつぶやいた。
 クロコダインの喉がごく、と鳴った。
「今までオレたちが相手をしてきたのは」
 巨大な目から生えた無数の蛇。
「メドーサボールだったのか!」
とラーハルトが叫んだ。
 その声が聞こえたかのようにメドーサボールは目を開き始めた。上下に別れたまぶたの下に、真円の瞳を持つ白い眼球が現れた。
 黒い海、銀の鱗を背景に、朱色の縁取りと生白い目は異様な輝きをもっていた。
 巨大な目がじろりとこちらをにらんだ。それだけで身がすくむほど憎しみと悪意に満ちた視線だった。
「ヨクモ、ヨクモ、ワレヲ」
 黒い海に浮かぶ巨大なメドーサボールは、大量の蛇を触手のように伸ばしてきた。
「アバン流刀殺法!」
 ダイの声にヒュンケルは我に返った。
「海波斬!」
 ダイは下段左に構えた剣で、右上にむかって空間を薙ぎ払った。ダイの剣から一筋の剣圧がメドーサボールへ向かって飛んだ。
 メドーサボールの中心にある瞳を守るようにいっせいに海蛇がかたまった。一頭の海蛇が胴をばっさりと断ち切られた。が、他の蛇たちが障害物となって、本体の瞳へは届かなかった。
「もっと近くで撃たないとダメだ!」
 剣をかまえたまま、突進しようとした。
「お待ちください、ダイさま!」
 ヒュンケルにはラーハルトの制止の意味がわかった。ダイが浅瀬を越えて沖へ出ようとしている。そこは完全にメドーサボールのテリトリーだった。
「危険です!」
 くっとつぶやいてダイが立ち止まった。メドーサボールはあざ笑うかのように多頭蛇をうごめかせた。
「見ヨヤ、アノザマ!」
 ダイを挑発するようにメドーサボールは鳴いた。
「ダイ、戻れ」
とヒュンケルは声をかけた。
「いくらおまえでも、黒い海に近づきすぎだ。闘気を削ぎ取られるぞ」
 ダイは、体の重さに初めて気づいたかのように、剣から片手を放して目の前で指を開閉していた。
――キてるな。
 それは危険な兆候だった。
「もう少し近づかないと剣圧が足らない」
 ダイは敵から目を離さずにそうつぶやいた。
「でも黒い海へ踏み込むと威力が出ない」
 上半身がぐらりと揺れた。
「ダイさま!」
 ラーハルトが飛び出してダイを支えた。そのまま体を抱え、なかば引きずるようにしてヒュンケルたちのところへ連れて戻った。
「落ち着け、ダイ」
とヒュンケルは声をかけた。
「この場でやつを倒すのは、まず無理だ」
「そんなことは……」
 ダイは歯を食いしばっていた。
「もっと人数を集めて、攻撃を集中させて、瞳を守る蛇をすべて斬ってから本体をたたけば」
「そんな状態になったら、あいつは必ず黒い海に潜って逃げる。そのためにやつは魔界中を黒い海に沈めたんだからな」
「逃げられないように海を凍らせて、」
 ポップが今は居ないことを思い出しらしく、ダイは頭を振った。
「やはり、無理があるようだ。ここは撤退すべきだ」
 冷静にクロコダインが説いた。
 距離を取ったおかげなのか、ダイはようやくふらつかなくなった。
「ごめん、みんな」
 ダイは、自分の剣を砂浜につきたてた。
「撤退の前に、ひとつ試したいことがあるんだ」
そう言うと、ラーハルトにむかって手を差し出した。
「ポップが持ってきてって頼んだものを、おれに」
 その手の上に、ラーハルトは竜の横顔のような形のアクセサリをのせた。
「ドラゴンファング」
とクロコダインはつぶやき、隻眼を見開いてダイを見た。
「まさか!」
 うん、とダイはつぶやいた。
「おれは竜魔人になる」
 ドラゴンファングを手に取り、重さをはかるように手首を動かした。控えめな口調でラーハルトが告げた。
「竜魔人化するキーは“痛み”です。痛みを身体に効率よく伝えるための瞑想と詠唱はこの前お伝えした通りです」
「大丈夫か!竜魔人化は、かなり負担になるはずだが」
 クロコダインはダイよりも青ざめていた。
 ダイはなんとか微笑んでみせた。
「バーンと決闘したときに一回体験したから、今度は前よりましだよ。それにラーハルトによると、竜の紋章をいきなり開放するなんてやりかたは荒っぽすぎるんだって」
 ラーハルトがうなずいた。
「本当に竜魔人になるにはきちんと儀式を行い、精神を段階的に切り替えていくことが必要なのだ。バラン様は慣れておられたので儀式なしで竜魔人化が可能だった」
 ダイは深く息を吐いた。
「みんな、ここにいて」
 さきほどギガブレイクのために呼んだ雷雲が再び頭上に広がり始めた。ダイは少し離れたところに立ち、肘を張り、両手の間にドラゴンファングをはさみ、眼を閉じて何かつぶやき始めた。
「あれは?」
 ヒュンケルがそう言うとラーハルトが答えた。
「竜の騎士の儀式の、伝統的な詠唱だ」
 ダイの頭上で稲妻が閃いた。メドーサボールは、触手代わりの巨大海蛇をダイのほうへ差し向け、威嚇した。
 バリバリという音が鳴り響き、光の柱のような稲妻が落ちてきた。一瞬、すべてが真っ白になって何も見えなくなった。
「いや、見ろ!」
 光の中にダイが立っていた。
 竜の紋章が青く発光している。紋章は額の上に、バランと同じく兜の前立てのように華やかに広がっていた。
 ぴく、とダイが身じろぎした。苦しそうに上半身をねじって前かがみになった。両手で自分の服の胸のあたりをわしづかみにしてダイは一息にむしり取った。
 竜魔人と化したバランのような、見るからにドラゴンたる筋肉の流れはまだない。重量感も父に及ばない。あくまでベースは人間の若者のようだったが、肩から腕にかけて、バランと同じ竜の尾の剣板が並んでいた。
 ダイのむきだしの背で何かが動き出した。服の残骸をおしのけてそれは大きく伸びあがった。骨格の間に被膜を張った竜の翼だった。
 ヒュンケルは息を呑んだ。
「あれは、翼か!子供のころはなかったはず」
 うむ、とラーハルトがつぶやいた。
「竜魔人ならばあって当然だ。が、」
「なんだ?」
「バラン様とは、翼の色が違う」
 竜魔人バランは白い骨格に黒い被膜のある巨大な翼を備えていた覚えがある。だが、成長したダイの背には、淡い金の骨格に白い被膜の翼があった。
「ソアラ様の血か、あるいは、奇跡か」
 奇跡のほうだろう、とヒュンケルは思った。目の前の若きドラゴノイドは天誅の使者であるはずなのに、どこか天使めいた清らかさがあった。
 ふわ、と竜の白翼が広がった。ばさりとはばたいてダイが浮いた。そのままメドーサボールの目の高さまで急上昇した。
 ダイを追いかけて海蛇が何頭も空中で首を伸ばしてきた。メドーサボール、そして蛇たちの巨大さにくらべると、ダイはなんとも小さく見えた。
 ダイは両手を合わせて前方へ伸ばし、手首を直角にねじった。
 見上げているヒュンケルたちの目の前で、ダイの表情が変わった。あれは、殺気だ、とヒュンケルは悟った。バランがもっていた、貫き通すように鋭い殺気がダイを包んでいた。
「竜闘気砲!」
 ためも何もなしにダイはドルオーラを放った。魔界の空の薄闇を圧縮された竜闘気が飛ぶ。浅瀬から眺めるそれは、一条の閃光に見えた。
 耳を聾する轟音が響き渡った。黒い海の水面に同心円状の波が現れ、広がった。
 ダイに迫っていた海蛇が一瞬で消滅した。
 二頭目、三頭目が追いすがった。ダイは片手を高く揚げた。その手のひらに雷の威力が集中した。
 閃光と轟音が絶え間なく響く。あれほど魔界の住民たちに恐れられていた海蛇たちが、デイン系呪文で次々と消されているのだった。
「見ろ……」
 喉にからんだような声でクロコダインが言った。
 嵐のような爆音が終わった時、メドーサボールの瞳を守っていた海蛇は半分ほど消えていた。メドーサボールは蛇を一生懸命再生しようとしているのだが、間に合っていない。
 本体である瞳は無防備にさらされていた。
 空中のダイが動いた。ほとんど逆落としのように上空から急降下してきた。目指すは砂浜だった。片手を長く伸ばしていた。
「剣か!」
 ヒュンケルは、砂の中からダイの剣をつかんでぬき、ダイめがけて投げ上げた。空中でその柄をつかむとダイが水平飛行に入った。
 ほとんど海面すれすれを、白い竜翼を広げ、剣を引っさげてダイが飛んでいく。あまりの勢いに背後の水面で波が分かれて澪ができるほどだった。
 ダイは海面から上昇する勢いに乗って、一気に空間を切り裂いた。
「海波斬!」
 剣圧は真一文字の衝撃波となって瞳におそいかった。
「グウアアアッッ!」
 メドーサボールが悲鳴を上げてけいれんした。
 一拍置いて、まったく同じ剣圧がダイを襲った。半身をひねってダイは避けたが、竜闘気で覆われているはずの二の腕に線状の傷が開いた。
「ダメージ反射か」
 片手をかざして見ていたクロコダインがつぶやいた。
「なんというやつだ。しかも攻撃は通ったが、致命傷になっておらんぞ」
「大きすぎるのだ」
とヒュンケルは答えた。
 いきなりラーハルトが動いた。
「どうした?」
「ダイ様のようすが変だ」
 あわてて上空を見上げると、ダイがいた。先ほどの腕の傷を、もう片方の手でかばっていた。今まで軽々と振り回していた剣をだらりと下げ、剣尖が海面を指している。ひどく重そうだった。
「やつに近づきすぎて、闘気を削られているのだ!」
 肩で息をしながら、ダイはメドーサボールから目を離さなかった。
「もう一度、海波斬が通れば……っ」
 だが、神速をもって剣圧をうみだす海波斬は、今のダイには無理だということは、誰の目にも明らかだった。
「ナゼニ、ワレヲ……」
 メドーサボールが身をゆすった。そのままずるずると高度を下げ、下端が海面に触れた。
「逃げるなっ!もういちどギガブレイクで」
 ダイの剣が力なくぶれた。上段に構えることさえ難しいようだった。
「ダイさまっ」
 ラーハルトが砂の上を走り出した。ヒュンケルたちも続いた。
 ダイは、できるだけ近づいて攻撃しようとしたらしくメドーサボールに接近していた。そのままダイも下へ向かっていく。行きつく先は黒い海だった。
「いけません、浅瀬へっ」
 ダイは片手で自分の額をつかむようにした。がくりと高度が落ちた。もう気絶寸前だった。
 ラーハルトは波を身体で裂くようにしてダイのほうへ進んでいく。ヒュンケルも後を追ったが、海の中でいきなり足元から砂地が失せた。
 ついにダイが頭から海へ着水した。ヒュンケルたちはもがいたが、たどりつけない。
――この黒い海は、もしや、「水」ではないのか?
 黒い海水にはねばりつくような不快さがあった。
 けして太陽の届かない魔界の海の闇の中へ、ダイの姿が回りながら小さくなっていく。ヒュンケルはあせった。
 突然誰かの手で体をつかまれ、空中へ引き上げられた。
「息をしろ!もう大丈夫だ」
 クロコダインだった。もう片方の腕にラーハルトを抱えていた。
「こいつを頼む」
 意識のないラーハルトをヒュンケルにゆだねると、そのままクロコダインは勢いよく海中へ潜っていった。