ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第三十一話 第一のカード:身代わり

 雷鳴がとどろいた。暗雲が重くたれこめ、黒い海と同じ成分の雨が絶え間なくふってくる。すでに昼下がりを迎えていた。
 マァムは片手をあげ、額から雨粒をぬぐった。
「まずいわね」
 生き物から命のエネルギーを奪うこの雨は、実は一種のバリヤー床なのだとポップが説明してくれた。
「マジックフライト号船団は魔法力で飛ぶのに、こんなに魔法力を削られたら計画がくるってしまうわ」
 すぐそばでプテラノドンが鳴き声をあげた。
 飛竜たちはその雨の中を飛び続けてきた。消耗も激しい。
「いい子ね、すぐに島に着くわ」
 自分を乗せて飛んでくれる飛竜の首を、マァムはそっとたたいた。
「ほら、もう、隠れ家の島が」
 言いかけてマァムは唇を引き結んだ。隠れ家が敵に囲まれていた。
 冥界との境を示す赤黒い渦があちこちに広がり、目を血走らせた屍狼の群れが島へ吐き出されている。海からは黒い海藻で覆われたゾンビが次々と上陸してきた。
「あいつら……!」
 隠れ家で建造していた箱舟四隻は、水路を使って外海へ出さなくてはならない。だがゾンビの群れは明らかに、その水路を埋め尽くそうと動いていた。

 最初に島に到達したのは屍カラスの大群だった。簡単に倒せるし攻撃力も低いが、的が小さく、数が多い。いらだったラーハルトは槍を高速で回転させた。光の渦が沸き上がり、ゾンビカラスの群れは一掃された。
「たった一度のハーケン・ディストールで、これだけ消耗するのか」
 自分の手を眺め、舌打ち交じりにラーハルトはそうつぶやいた。久しぶりに降る黒い雨は、こちらの命そのものを削っていた。
「大技かますとあとがやばいぜ?」
 ふりむくと、ヒムが来ていた。ラーハルトは軽く眉根を寄せた。
「わかっているっ」
 落ち着け、とヒュンケルが言った。
「ヒムも来たのだから、ここからは集団でことに当たることができる」
 敵に向かって飛び出そうとしていたヒムは、振り向いて意外そうな口調で聞き返した。
「集団だとぉ?」
 ヒュンケルは浜を指した。
「狼系のゾンビは攻撃力が高く、しかも素早い。高速で長距離を動く。一方、海藻をまとう死者たちは動きが鈍いがしぶとく、打たれ強い」
「オレは狼の方が好みだね」
 左右の拳を打ち付けて、にっとヒムは笑った。
「ラーハルトも狼の方を頼む」
 高速移動の屍狼を先に片づければ、あとの闘いが楽になるのはわかっていた。だが、そのあいだワカメゾンビがおとなしくしているだろうか。
「ゾンビはどうする」
 表情も変えずにヒュンケルは答えた。
「オレが足止めをしておく」
 ラーハルトは愛用の鎧を装備していた。ヒムはそもそも、オリハルコン製だった。が、ヒュンケルは魔界探索の間ずっと身につけていたのと同じ、布の服とブーツのままでゾンビどもの上陸地点へ一人で向かおうとした。
「数が多いぞ。一人でかっ?」
 ヒュンケルは、自分の武器で斜め後ろを指した。
「来るぞ」
 砂浜を駆け、岩と岩を飛び越えて、凶暴な屍狼の群れがこちらへ向かってくる。エンカウントが始まろうとしていた。
「行くぞ、ヒム。後れを取るな」
「ラーハルトさんよ」
とヒムが言った。
「ヒュンケルの武器、ありゃなんだ?剣でも槍でもねえ」
 不思議な武具をヒュンケルは装備していた。槍と同じくらい長いが、上部の片側には三日月形の分厚い刃が取り付けられている。その反対側には短めのフックがあった。そして長柄の先端は十文字の槍となり、穂先は鋭いスパイクだった。
「ハルベルトという。“槍のリーチと両手剣の攻撃力を合わせ持つ武器が欲しい”とあいつがロン・ベルク師弟に依頼して造らせ、今日納品されたばかりだ」
 ヒムは渋い表情になった。
「病み上がりで、しかも初めて使う武器で、ゾンビの大群を抑えられるのか、あいつは?」
 ラーハルトはわずかに眉を寄せてつぶやいた。
「おそらくヒュンケルなら、と思うが」
 海から上がってきたゾンビが、黒い海藻をぐるぐる巻きつけた腕をしつように伸ばしてくる。ヒュンケルはハルベルトのフックにその腕を迎え、足元へ向けた。あわてたゾンビが身を起こそうとする。その顔面を十文字槍のスパイクが襲った。頭部を破壊されてゾンビが動かなくなった。
 屍人の群れが四五体まとまってヒュンケルにつかみ掛かってきた。ヒトに似た直立歩行あり、獣に似た四肢歩行ありだが、腕や前足をまとめてフックでからめとり、動きを封じる。腐った口でうめくゾンビどもへ冷たい笑みを浴びせ、いきなりヒュンケルはハルベルトを頭上へすくいあげ、半回転させた。屍人が地べたへたたきつけられた。その上から三日月形の刃が襲った。
 スパイク、フック、刃。すべてのハルベルトの機能をヒュンケルは難なく使いこなしている。かなりの重量のある武器のはずだが、斬る、突く、叩くなどの動作にまったくあぶなげがなかった。
 ヒュンケルの足元にバタバタとゾンビが倒れ伏し、島の地面は黒い海藻でおおわれたように見えた。
 その山を飛び越えて、大型のモンスターゾンビが襲い掛かった。片手にハルベルトの柄を長く握り、ヒュンケルが迎え撃った。
「アバン流槍殺法、地雷閃!」
 圧倒的な破壊力で薙ぎ払うその技を、軽々とヒュンケルは放った。
 大型ゾンビは木端微塵と砕け散った。ようやくヒュンケルはこちらを向いた。
「何か言ったか?」
 唸るようにヒムは言った。
「あんた、そういうとこだぜ」
 思わずラーハルトは言った。
「同感だ」
 一瞬、ヒムはぽかんとした。
「……前方狼ゾンビの群れ。ヒム、構えろ!」
「お、おう!」
「闘気はあまり展開するな」
「うっせぇな、あんま仕切んなっ」
 ヒムの拳が赤く、ついで真っ白に染まっていく。灼熱の拳が猛烈な速さで動き出した。
 普通に地上にいる狼たちと同じく、屍狼は集団で襲い掛かってくる。ヒムの攻撃はほぼ近距離に限られ、しかも単体相手だった。が、その一撃、ひと蹴りを高速で繰り出すことでヒムは敵を圧倒していた。
 ヒムを眺め、ヒュンケルに視線を向け、ラーハルトは自分の槍を構えた。
「負けていられんな」
 地を蹴ってラーハルトは飛び出した。ヒムに向かっていく屍狼の一頭と並走する。その眼球めがけて正確に突きを入れた。
「があああっっっ!」
 吠えるような鳴き声は唐突に途切れる。一突一殺、ラーハルトは死をまき散らして走った。
「こっちのワン公どもは終わったぞ」
そう叫んでヒムが戻ってきた。
「こちらもだ。あとは水路確保のみ!」
「ヒュンケルのやつぁ……」
どこだ、とヒムが言う前に、ラーハルトは叫んだ。
「足元!」
 水路のそばにいたヒュンケルはハルベルトの中ほどをつかみ直し、もう片方の手を添え、真下から足首をつかみに来たワカメゾンビの頭部に垂直に突き立てた。熟れすぎたスイカのように頭は砕け、それは動かなくなった。風鳴りの音を立ててヒュンケルは水車のようにハルベルトを回し、ゾンビの体液を振り払った。
 ヒムがにやりとした。
「かっこつけやがって。孤高の剣士、復活かよ」
 かつて、闘いはヒュンケルにとって自罰のようなものだったとラーハルトは知っている。だが、魔界へ下ってバルトスの霊と出会った後から、ヒュンケルははるかに自由になったように見えた。
「地雷閃……大地斬……虚空閃!」
 長めに柄を握れば槍として、短く握って三日月状の刃を立てれば剣として、ハルベルトは機能する。その最大の欠点、重さと取り扱いの難しさをヒュンケルはものともしない。
 ヒュンケルが真横から一文字に空間を裂いた。最前線のゾンビどもが首を落とされて倒れ伏した。その後から別の群れがまっすぐに押し寄せてきた。
 片手を大きく広げて前につきだし、その手を照準がわりにヒュンケルは高速の突き技を見舞った。
 ヒムが叫んだ。
「こぼれたやつらは、オレたちにまかせろ。そのまんまガンガン行けっ」
 ヒュンケルはうなずいた。その唇が、かすかに笑っていた。

 一斉に羽ばたきの音がした。新たに現れた屍カラスの大群がヒュンケルたちに向かっていくのが見えた。
「お願い!」
 マァムを乗せているプテラノドンは、すぐに意味を悟ったようだった。皮革質の翼をいっぱいに広げ、頭部を低くしてカラスの群れへ突っ込んでいった。
 気合を発してマァムは拳を突き入れた。あわてて散り散りになるカラスたちを、武闘家の素早さを活かしてさばいていく。
「こっちはまかせて!」
 眼下の三人に向かってそう叫ぶと、マァムはプテラノドンの背中の上で片膝立ちの体勢を取った。
「敵はゾンビ、生体じゃない……一匹ずつ潰していてはらちがあかない。ならば、回し蹴り!」
 絢爛たる武神が華やかに舞い始めた。

 片手を額にかざしてヒムはプテラノドンを見上げた。
「武闘家の姉ちゃん、いいなあ。おれも竜がほしいぜ」
「集中しろ、ヒム!」
 真後ろから怒鳴られた。
「もうすぐダイさまが船を出される!露払いをしておかねば」
「水路は開けた」
と、冷静にヒュンケルが言った。
「問題は、この雨だ」
 ヒムは頭を振って顔から雨粒を飛ばした。
「直接あたるといやなモンだな。これが生気を吸い取るってやつか。闘気技が使いにくい。もともとあんま得意じゃねえんだからよ」
 モンスターの自分でも影響が出る。ハーフのラーハルトはともかく、ヒュンケルはかなりこたえるんじゃないか、とヒムは思った。
 声をかけようとした瞬間、ぞくっと悪寒がした。島を囲む黒い海に、特徴のある波のうねりが来た。
「追って来やがったか!」
 チウたちと一緒に目撃した巨大メドーサボールがすぐそばへ迫っている。くっとラーハルトはつぶやいた。
「ちょうど船団が出てくるぞ」
 マジックフライト一号を先頭に全四隻が水路の奥から進んでくるのが見えた。
 黒い水平線が盛り上がり、銀のヒドラのように何頭もの海蛇が頭を突き出した。
「まずい、船が!」
 ヒムたちは飛び出そうとした。次の瞬間マジックフライト一号と海蛇の群れの間で、白く煌めく光が爆発した。
「な、なんだ」
 あわてて手で覆ったが、目がくらんでいる。だが、聞き覚えのある声が響いた。
「それ以上近づくな」
 はっとしてラーハルトが顔を上げた。
「ダイさま?」
 ヒムは魔界暮らしの間にようやく成長したダイに慣れたところだった。今でもどうかすると昔よく知っていた、小柄なくせにパワフルな少年のダイを思い描いてしまう。だが聞こえたのは、大人になったダイの声だった。
「これ以上非道を行うなら、竜の騎士の制裁をおまえに下す」
 殺気を漂わせた冷ややかな声だった。
 凶悪なほどまぶしい光のなかに、ヒトであり、魔であり、竜でもある姿があった。バランよりはやや細身だが、青く光る紋章を額に宿し、竜翼を背負い、筋肉の上に鱗と剣板をまとう姿は、神々の造った最強生物、竜の騎士に間違いなかった。
 大魔王逝って五年、魔界に神はいない。だが人工太陽が水平線に近づく魔界のたそがれの中で、竜の騎士はいとも神々しく、そして大きく見えた。
 竜魔人ダイは両腕を頭上にそろえ、手首を重ね、ゆっくり正面へおろして狙いをつけた。ドルオーラの準備体勢だった。
 片手を伸ばしてラーハルトが言いかけた。
「ダイさまっ」
「おれはここだよ」
 ヒムたちはそろって振り向いた。ちょっと苦笑したような顔のダイが後ろにいた。ドラゴノイドではなくヒトの姿で、大きめのチュニックを身につけ背に二振りの剣の鞘を背負い、その上からマントをつけていた。
「え、あれ?」
 ダイは人差し指をたてて唇にあてた。
「あれは、ポップの造った身代わりなんだ」
 ヒュウ、とヒムは無音の口笛を吹いた。よく見ると、マジックフライト一号の甲板で、ポップが両手を天に突き上げてガッツポーズをしていた。
「マァムはもう、飛竜たちといっしょに乗船したよ。みんな、このすきに船に乗ってよ。あの身代わりが出現している時間は長くないから、あいつが下がったらすぐに出航する」
 黒い海の海蛇たちは、じりじりと後退している。本体のメドーサボールも腰が引けているらしかった。
「ドルオーラの威力を覚えているようだな」
とヒュンケルがつぶやいた。
「でも身代わりが消えたら、あいつは襲ってくる。そのときのために魔法力を節約しておきたいんだ。この雨の中だと、たぶんあっというまに生命エネルギーが尽きる」
 ダイは心配そうに空を見上げた。黒い雨は風を伴って嵐になりそうな気配があった。

 箱舟マジックフライト一号の船長室に、ダイと仲間たちが集まっていた。
「みんな、大丈夫?」
 心配そうにダイが尋ねた。
 座り込んでいたマァムが、肩をすくめた。
「正直言って、へとへと」
「だよね。黒い雨の中を飛んだんだから」
 ポップが仲間たちを見回した。
「今のうちに手持ちのシルバーフェザーを分けておくぜ」
そう言って船長室のテーブルにシルバーフェザーを並べた。
「あ、これはキメラの翼か。地上行きだけど、もう使わないかもな」
そうつぶやいてキメラの翼を自分のベルトの後ろにはさんだ。
「みんな一枚ずつ取ってくれ。ほんとは魔法力補充用だけど、これでなんとか生命力を回復しながら旅の扉まで行こう。ほら、マァムの」
 ポップがフェザーを取ってマァムに手渡した。
「オレの使う闘気は呪文ではないが、エネルギーの回復にはなるかもしれん。預かっておく」
 ヒュンケルがそう言ってフェザーを取った。
「オレも、念のために」
 ラーハルトが続いた。
――念のため、じゃねえだろ。オレが辛いくらいなんだから。
 心中、ヒムはツッコミを入れた。平気な顔をしているが、命のエネルギーを削がれながらの戦いは、ラーハルトも、そしてヒュンケルもかなりこたえたはずだった。
――けど、こいつら絶対認めねえだろうな。
「このフェザーって、オレでも効くのか?オレ、金属なんだけど」
 ヒムは一本取り上げて、近々と眺めた。
「曲がりなりにも薬草が食べられるなら、大丈夫なんじゃないかな」
とダイが言った。
「お守りだと思って持ってて」
 クロコダインが苦笑した。
「お守りか。違いない。まったく嫌な雨だ。オレももらうとするか」
 うん、とダイはうなずいた。
「じゃ、あとはポップだね。一番魔法力使うんだから」
 とたんにポップが反発した。
「またおまえはそういうこと言う!ちゃんと自分の分持ってろ」
そう言ってダイにシルバーフェザーを一枚押し付けた。その瞬間、船の前方で悲鳴が起こった。
「待ち伏せだぁっ」
 反射的にヒムは船長室を飛び出した。
「敵さんは後ろにいるのにいったいどこの誰が」
 魔族たちが前方の海面を指して叫んでいた。
「ヤツだぁっ」
 ひと目でやばい相手だとわかった。
「こいつ、首無しってやつか!」
 それは斬首にあった騎士の姿をしていた。馬鎧をつけた軍馬にまたがる甲冑の騎士だが、首から上がなく、その代わり盾に彫りつけたどくろの顔がこちらをにらみすえていた。
 盾を持つ手の反対側には太い鎖が見えた。鎖の先にはトゲのついた大きな鉄球がつながっていた。
 軍馬の蹄は明らかに海中にあるのだが、沈むことはない。そしてその足元にはおぞましくうごめいている者たちがいた。黒い海でおぼれた死者たちの変わり果てた姿だった。
「ワカメゾンビの親玉か、あいつは」
 背後から仲間たちの足音が聞こえた。
「またまずいときにまずい相手が出たものだ」
とクロコダインがつぶやいた。
「獣王さんあんた、直接やりあったんだって?」
 ヒムが聞くと、クロコダインはうなずいた。
「あいつの武器はあの鉄球だ。かなり使うぞ。あのナリで素早さが高いうえに、一撃が重い」
 冗談を言う口調ではなかった。
 マジックフライト一号の船長は海の魔族の長、ダリボルだった。
「ダイ殿、どうしますか」
 ダイの返事を待たずにポップがわめいた。
「どうするつったって、相手なんかしてられねえよ!船長、回頭してくれ!魔法陣に魔法力が行きわたる前は飛べねえんだ、船を走らせて逃げるしかねえ!」
「……それしかなかろう」
とヒュンケルが言った。
「首無しは我々を待ち伏せしていたのだ。ダイの身代わりが消えたらメドーサボールが来る。つまりここで挟み撃ちにされる」
 船長は振り向いて舵の座に向かって叫んだ。
「方向転換!逃げろ!」
 ぐぐっと一号の船首が向きを変えていく。二号から四号も、同じルートを取るはずだった。
 海面にいる首無しは船に向かって盾をかかげた。盾の中のどくろの目が爛爛と輝いた。
「逃がすか」
 黒い海が泡立った、と見えた。が、すぐに黒い海藻のゾンビが船に向かって群れを成して襲ってきたのだとわかった。まるで海全体が悪意をもって船団をはばもうとしているようだった。
 じゃらじゃらと音を立てて首無しは鎖を解いた。片手で鎖を握り、もう片方の手で鉄球を放った。狙われたのは船団の最後尾、マジックフライト四号だった。
 間一髪で鉄球は船に届かずに海中へ落ちた。が、ヒムはぞっとした。
「あの野郎、船を壊す気か」
 ポップは居ても立っても居られないようすだった。
「冗談じゃねえぞ、ここまで来て。くそっ、早く魔法陣があったまれば飛べるのに!」
 ダイは意を決したようだった。
「魔法力がどうこう言ってられないよ。ポップ、おれが出る」
「お供します」
 ラーハルトが槍を手にした。
「なら、オレも」
「私だって」
 ダイは両手で何かおさえるような仕草をした。
「待った、おれ、さっきあまり戦ってないから余裕あるんだ。みんなは疲れてるだろ?」
 一斉に抗議の声があがった。
 が、それを圧して響き渡ったのは、クロコダインの悲鳴に似た叫びだった。
「おい、何をしている!」
 クロコダインは船尾の方角に向かって叫んでいた。
 後方のマジックフライト三号に異変が起きていた。マジックフライト二号は陸戦騎、四号は空戦騎が担当する。三号は海戦騎クロコダインが乗り組む予定の船で、甲板上には水棲ドラゴンたちのためのプールが造られていた。
 三号が大きく左右に揺れた。どうやらプールから何か飛び出そうとしているようだった。
 クロコダインが切迫したようすで船長に頼んだ。
「三号へ寄せてくれ!」
 他の船でも異変を悟ったのか、姉妹艦はすべて三号の周囲へ集まった。
「あれは、ドラゴンたちか?」
 ヒムたちの目の前で、プールから魔界の海に住んでいたドラゴンたちが次々と海面めがけて降りて行った。
「戻れ、おまえたち!」
 声をからしてクロコダインが叫んだ。
 海蛇型、魚型、ワニ型などの水棲ドラゴンたちは、あれほど嫌っていた黒い海に自ら身を浸していた。
「まさか……見ろ!」
 横並びの一列に彼らは並んでいた。視線の先にあるのは、あの首無しとゾンビの群れだった。
 黒い海の上に人工太陽が沈もうとしていた。日没の直前、魔界の空は鮮やかな朱色に染まる。赤い空を背景に、ドラゴンたちの黒いシルエットが海上に続々と並んでいた。
「捨て石になろうと言うのかっ!やめろっ、戻れっ」
 こちらから見えるのは、魔界の海のドラゴンたちの後ろ姿だけだった。
「せっかく助かる命をっ」
 クロコダインの声は悲痛だった。
 眼下の海面から、赤みがかった鱗を持つ長大な水竜が姿を現した。
 長い首を空中へ伸ばすと、ほとんどマジックフライト一号の甲板に届く位置になった。クロコダインはかき口説いた。
「シャークマジュ、やつらに戻れと言ってくれ!」
 いつものように無表情な丸い目がクロコダインを見ていた。さらにぐっと身を乗り出し、短い前足で何かを差し出した。人間の大人でもひと抱えはありそうな、巨大な卵だった。
 シャークマジュは甲板にそっと卵をおろすと、大口を開けておたけびをあげた。同時に身をひるがえし、しぶきをあげて海中に身を投じると長い体をうねらせて戦列へ向かって泳ぎ出した。
 竜の戦列は海藻をからみつかせたゾンビの群れを食い破っていた。獰猛に襲い掛かり、巨大な口を広げて彼らを呑みこんでいく。
 元より海竜たちは魔界の海の支配者だった。ゾンビにはなすすべもなかった。
 やおら首無しが動いた。
 箱舟の前に立ちふさがる竜たちの上に鉄球が襲い掛かった。
 ドラゴンたちの顔面に背中に、激痛と暴力が襲い掛かる。赤い空に向かって、青緑の体液が激しく噴きあがった。竜たちは、真正面から攻撃を受けてもまだ首無しに向かって進んでいた。
 力及ばずに途中で絶命する者、その背に乗り上げるようにしてなお進む者。吠える声、断末魔の悲鳴、なおも続く雄叫び。黒い海は一方的な殺戮の場と化した。
 突如、首無しの背後からシャークマジュの顔が現れた。海中深く潜り、首無しの後ろへ回り込み、奇襲をかけたようだった。
 巨大な口が開かれ、首無しの上半身を思い切り呑みこんだ。
「あいつ、やったか!」
 船から見ているヒムたちは息を呑んだ。
 シャークマジュが苦し気に悶えた。そのほほびれのあたりから、いきなりトゲが突き出した。ぎりぎりと鉄球がシャークマジュの顔面を切り裂いていく。それでも口を開けようとはせず、シャークマジュは首無しにくらいついていた。
 凄惨な光景の前に、ヒムたちは茫然としていた。
「ポップ殿!」
 船長が手にしたものをポップに差し出していた。
「砂時計が」
 ポップが目を見開いた。
「飛べる。飛べるんだが」
 ヒムはうなった。目の前の殺戮を捨て置いてあっさり離水することなどできそうにない。思わずダイのほうを見た。
「こんなのって」
 あとが続かないようすで、ダイは船の手すりをきつくにぎりしめ、顔をそむけた。
 太い声がした。
「飛ぶべきだ」
クロコダインだった。
「ダイ、シャークマジュと水竜たちの死を、犬死ににしてくれるな」
 うなるようにそう言った。ヒムを含めてその場の者たちは言葉を失っていた。
 ダイは大きく息を吸い込んだ。
「船長、離水用意。ポップ、いけるよね」
 ひと呼吸おくれて、押し殺した声でポップが答えた。
「ああ。飛べるさ」
 ダイはうなずいただけだった。
 ふりしきる黒い雨をものともせず、ポップが魔法力の集中を始めた。甲板に立ったまま、ポップの身体がほの白く発光していた。マジックフライト一号から四号まで、箱舟は細かく左右に身をゆするように動き始めた。
 船の上から見るシャークマジュは、首無しの鉄球で顔の半ばまで切り裂かれ、金色の兜のような外骨格まで砕けていた。
 その姿が小さくなる。箱舟が海面を離れ、上昇しているのだった。隠れ家の島と海の戦場を後に、船団は斜め上へと疾走していた。そのあいだダイの仲間たちは姿勢を正して壮絶な犠牲を見守っていた。
「皆さん、船長室へ」
 遠慮がちに船長がすすめた。
 ダイは首を振った。
「ここで最後まで見届けます」
 戦場を注視していたクロコダインが、くっと息をもらした。小さな、むしろ軽い音がして、シャークマジュの顔の上半分が斬り落とされ、海へ落ちていった。
「君のこと、忘れない」
とダイがつぶやいた。
「おぬしの最後の闘いを、オレは心に刻もう」
 託された卵を抱くようにして、クロコダインは男泣きに泣いていた。
「ダイ、この卵、地上へ持ち込むぞ」
 持ち込んでもいいか、ではなく、持ち込むという宣言だった。
 うん、とダイはうなずいた。
「その卵はまだ生まれてないんだから、『魔界生まれの者』じゃないからね。ゲートキーパーが何を言っても、おれが押しとおすよ」