その日は、昨日までと何も変わらないようすで始まった。昼過ぎ、ノヴァが地上から大荷物を抱えて魔界を訪れた。魔界の隠れ家の内部にあるダイたちの部屋で、ノヴァは荷ほどきをした。
「まず鎧の魔槍」
ラーハルトは少し前に地上へ戻ったときに、ロン・ベルク・ノヴァ師弟に鎧の魔槍の手入れを依頼していた。
「確かに受け取った」
とラーハルトは答えた。
「主に磨き直しをほどこした。あとで確かめてください」
「確かめるまでもない。こいつは長年の相棒だが新品同様のようだ」
満足げにラーハルトがそう言った。
あらためてノヴァは大小の布包みを取り出した。
「大きいのはクロコダイン殿の新しい斧だ。ここまで重量のある武器を扱うのは初めてだった。勉強させてもらったよ。小さい方はマァムの手甲だ。素材の関係で鎧化の機能はないが、守備力はかなりあがっているはずだ」
自分でも満足のいく仕事だったらしく、ノヴァは静かな自信にあふれていた。
「こいつのは?」
とラーハルトが聞いた。ラーハルトと同じ時にヒュンケルも、自分の装備について師弟に相談していた。ランカークス郊外の森の中、鍛冶小屋の前で、ヒュンケルは自分のやろうとしていることを実演してみせなくてはならなかった。
長大な布包みをノヴァは取り出した。
「これは、苦労したんだ」
とノヴァは答えた。
「ヒュンケル、君の注文にすべて答えるのは難しかったけれど、工夫はしてみた。使ってみて、直すところがあったら連絡してほしい」
「わかった」
とだけヒュンケルは言った。
「これもやはり、鎧化はできない。というか、鎧化を可能にするための素材は魔界でも希少な鉱石で、手に入らなかった」
そして、というノヴァの頬が紅潮した。
「ダイ、これを、君に」
新たに持ち出した布包みの先をくるくるとほどいて差し出した。
布の中に、朱色の首に支えられた鋼の色合いの竜の頭部が現れた。
ダイは、竜の首に手のひらをあて、そっと握った。
深く呼吸をして、竜の首を静かに鞘から引き出した。
ノヴァは固唾を吞んで見守っていた。長大な刃がすべて現れた時、魔界にいる仲間たちからため息がもれた。
――真魔剛竜剣!!!!この剣のみが全力で放つ竜の騎士の一撃に耐えることができる…!!
ダイは剣を頭上高く掲げ、その姿に見入った。新たに打ち直された真魔剛竜剣は前と同じ身幅の太い刀身に片刃をつけた形状で、切っ先に向かって湾曲している。
ダイはそっと手首を動かし、角度を変えた。剣は刃文を境にシャンパンゴールドに輝いた。
「不思議だ」
ダイはそうつぶやいた。
「『ダイの剣』のときは、手に吸い付くみたいな感触だったけど、これはなんだか、しびれるみたいな気がする」
ノヴァは深くうなずいた。
「それでいいんだ」
ようやくノヴァは笑った。
「その柄頭の竜は、元の真魔剛竜剣についていた竜だよ。三分の二くらい残ってたんで、ぼくと先生で新しい刀身につなげたんだ。うまくいったみたいだ」
ダイは竜の頭の形をした柄をしげしげと調べ、再び竜の首を握って刃をまっすぐに立て、刀身を見上げた。刃のおもてに大きな目で見つめる顔が映っていた。
「バラン様の剣とは色合いが異なるようですが」
とラーハルトがつぶやいた。
ノヴァは苦笑した。
「先生の話では、この真魔剛竜剣の魂はもとの剣が生まれ変わった存在なんだって」
「剣が?」
ヒュンケルの短い問いに、ノヴァも短く答えた。
「剣が。赤子なんだよ。鍛冶場で産声をあげた時は、先生と二人で物理的に押さえつけなきゃならなかった。でも、今ダイは鞘からあっさり剣を引き出した。たぶん自分が竜の騎士の手にあるってことにこの子は気づいたんだろうな。ダイ、その剣は、たぶんきみといっしょに成長するのだと思う」
ダイはうれしそうにうなずいた。やおら部屋の真ん中に立ち、ダイは新しい真魔剛竜剣の柄をつかんだ。
両手で握り、中央上段にかまえ、静かに正面中央へとおろしていく。さらに切っ先が下段へ向かったあたりでダイは片手を柄から放した。ぱし、と音を立てて剣を逆手に持ち替え、背後へ構えた。正面を見据えたまま、腰を沈め、闘気を高めていく。
緊張が張りつめた。それはまぎれもなくアバンストラッシュの構えだった。
――そういえば、魔界ではダイがアバンストラッシュを撃つところを見ていないな。
とヒュンケルは思った。
「ノヴァ、ありがとう!」
振り向いてそう言うダイは、いつもの笑顔だった。ダイは笑みを浮かべたまま竜の頭を自分の額にそっと押し付けた。
「おれたち、きっといっしょにやっていけるよ。よろしくね、真魔剛竜剣」
「じゃあ、こっちも確かめてくれ」
ノヴァは最後の布包みを取り出し、端から開いていった。もうひと振りの剣が現れた。嬉しそうにダイはその名を呼んだ。
「ダイの剣だ!お帰り、おれの剣!」
「先生の指示で、少し刀身を伸ばして握りも調節したよ。鞘のサイズも大きくなったけど、機能はそのままだ」
剣の柄の赤い魔石を囲い込むように鞘の留め金が周囲を締めている。その鞘ごと抱え上げて、ダイは嬉しそうだった。
「おまえが帰ってきてくれて安心したよ。心強いや」
ラーハルトは咳払いをした。
「どちらを装備されるのですか?」
ダイは、子供の時と同じ表情で考え込んだ。
「ええと、どうしようか」
「ゲートキーパーの前を通過するときに真魔剛竜剣を装備していれば問題ないだろう」
とヒュンケルは言った。
ダイの表情がぱっと明るくなった。
「じゃあ、両方持っていても」
ダイは言葉を切った。ヒュンケルも身構えた。ラーハルトはいきなり自分の槍をつかんだ。
「みんな?」
ノヴァもそう言いかけて、すぐに顔色を変えた。
「なんだ、これ」
ヒュンケルはつぶやいた。
「闘気の塊だ。大きい……」
男たちは顔を見合わせた。
「ヤツが来る!」
●
その日オーシャンクローたちは朝から引っ越しの荷物を巨大な箱舟に積み込んでいた。船はもう完成していた。この隠れ家にいる他の種族も自分たちの区画を教えてもらい、そこに大きな荷物を運び入れる作業に入っていた。
ラノは、身軽だった。もともと孤児で、漂流者であり、身ひとつで生きてきた。魔界から持ち出す個人の荷物などほとんどない。
「荷入れが終わったんなら、向こうを手伝ってこい」
そう言われてラノは午後から若いオーシャンクローたちといっしょに倉庫へやってきた。
――あいつらを信用できるのか?
もう何日もたっているのにその問いはラノの心の中から消えなかった。もやもやしたままラノは何日も竜の騎士ダイとその仲間たちの動向を探っていた。
今日は地上から鍛冶屋だという若い人間の男がやってきて、ダイ、ヒュンケル、ラーハルトが宿舎で迎えていた。
マァムとクロコダインはそれぞれ飛竜と水龍の種族のようすを見に行っている。ヒムとチウは仲間モンスターを引き連れて隠れ家の外へトレーニングとやらに出かけてしまった。ポップはこのドックで魔族の船大工たちと何か話し合い、四隻ある箱舟に次々と乗り込んでは降りることを繰り返していた。
「そこのリカント!あんた背丈があるな。こいつを持ってってくれ」
ラノは我に返った。作業監督が指すのは木枠に整然と並んだ大きな紙玉だった。
「なんだこれ」
「パプニカ製の信号弾だそうだ」
と魔族の作業監督は言った。
「筒に入れて火をつければ火薬玉が飛び出して、空で破裂して光るんだ。魔界の空は暗いからな。照明の代わりだそうだ」
ラノはその木枠を抱え上げ、船倉へ入っていった。
「一番上の棚にどんどん並べてくれ」
荷運び作業は船着き場と船倉との往復だった。何度か往復した後、ラノは外が妙にうるさいことに気付いた。
●
黒い雨の一滴が、魔界の空から隠れ家の見張り台へしたたり落ちた。
その場所は隠れ家の島で一番高い場所にあり、見張り台として使われていた。外から見れば、かつて魔界の山々の頂きだった部分が海に沈んで島と化したという、ありふれた地形に過ぎない。その頂上の岩に隠れて周辺の見張りは常に行われていた。
その日の見張り、魔族の若者イジフは、はっとして空を見上げた。最近ではほとんど黒い雨は降っていない。だが、それが一種のバリヤー床であり、生命エネルギーを吸収する罠だということは知っていた。
「雨?妙だな、船長に」
知らせないと、と言いかけてイジフは口を閉じた。悪寒が背中をのぼってきた。
取り囲まれている。
魔界の空の一画に赤紫の巨大な渦ができていた。そこから黒雲が沸き上がるように見えたが、目を凝らせば屍カラスの群れだとわかった。冥界から召喚されてきたらしい。
波が立ち騒いでいる。波頭は白い泡を生じ、その下からうかがう者たちの姿が透けていた。海藻を全身に巻き付けたゾンビたちが、隠れ家の島を取り巻く絶壁に向かって押し寄せていた。
どさっと音がした。砂浜に何かが落ちてきた。唸り声が起こった。そちらを見るまでもなく、アニマルゾンビたちが冥界の渦からこの浜へ直接召喚されたのだとわかった。
イジフの喉は乾ききって一言も出ない。顔を、魔界の風が撫でて過ぎる。雨は勢いを増し、額に、頬に雨滴がついた。
「せ、船長!」
そう叫んで隠れ家の中へ飛び込もうとしたそのとき、逆に誰かが見張り台へ飛び出してきた。
竜の騎士の一行の一人、ヒュンケルという人間の戦士だった。
「何があった!」
険しい表情でヒュンケルは問い詰めた。
「……バレました!」
とイジフは泣くように叫んだ。
「襲ってきます!」
ヒュンケルは周囲を確認していた。
「やはりか!」
厳しい目つきで敵の数を測ると、ヒュンケルは身をひるがえした。
「来い!竜の騎士の判断を仰ぐ!」
●
空を覆うような屍カラスの群れをはるか遠くに眺めながら、さまざまな飛竜たちが群れを成して飛んでいた。
「みんな、急いで。でも、焦らないで」
先頭を行くプテラノドンの背にはマァムがいた。横座りの体勢で軽く飛竜の首に手のひらを当てていた。
マァムの上空には一番上に巨大なスカイドラゴンがいた。一族の女王が子供たちをすべて引き連れて大空を泳いでいく。オリエンタルドラゴンたち、翼を持った翼竜たち、また鳥型や蝶型などさまざまな形態の空棲ドラゴンがそのあとを追っていた。
「屍カラスなんて、数が多いだけ。私たちの敵じゃないわ。でも今は、戦うより急いで隠れ家に入りましょう!」
力強いマァムの言葉に、プテラノドンは高く発した鳴き声で応じた。
●
その日、箱舟のドックで、ポップは船底での作業の途中だった。
「こいつさえうまく動いてくれれば」
船底には巨大で複雑な魔法陣が描かれている。主にポップの魔法力を受けて船の推進力に変えるためのものだった。
「4号はこれでいいな」
ちょっとでも間違うと魔法陣は機能しないので、ポップは四隻分の作業をすべて一人で行っている。発進離水を控えて今は最終点検だった。
次の船に行くと、内部は荷物の搬入でごった返していた。目当ての船底に近い場所には、地上で「一つ目ピエロ」とか「ベビーマジシャン」とか呼ばれる呪文使いのひとつ目の小鬼たちが大勢集まっていた。
ポップの目には、かつて地上で知っていた使い魔ピロロが大量にいるように見える。げっとつぶやいてポップはそこを通過しようとした。
「おっとごめんよ、急いでるんだ、通してくれ」
一つ目小鬼たちは歩くのではなく、ふわふわと空中を漂っている。彼らはがやがや言いながらポップを通してくれた。だが、よく知った声に突然呼び止められた。
「ちょっとお待ちよ」
ぎくりとしてポップは振り返った。
「キルバーンか!てめぇ……」
一つ目小鬼たちはてんでんばらばらな方を向いて好き勝手に漂い、しゃべったり、帽子をふったり、踊ったりしている。どれがキルバーンなのかポップにはまったくわからなかった。
笑いを含んだ声が聞こえてきた。
「ダメ、ダメ。ボクを探してもムダだよ」
「邪魔しに来やがったのか、死神!」
ポップの手はベルトにはさんだブラックロッドに伸びた。
「ご冗談。その物騒なものはしまっておくんだね。なに、邪魔なんかしないさ。ご主人様の魔界脱出がかかってるんだもの」
「ご主人様って、あの竜野郎か」
「やれやれ、冥竜王の前に出るときは口をつつしみなさい、魔法使い君。ボクはね、アドバイスをあげようと思って来たんだ」
「余計なお世話だ!」
「いいのかな、そんなこと言っちゃって」
くすくす笑う声が聞こえた。
「キミたちを狙っているアイツ、こっちの動きに気付いたようだよ?どんどん近づいてくる」
「なんだと」
「もうすぐ勇者クンがあわてて飛んでくるころさ。彼は成長したし、強くもなった。けど、アイツには勝てないよ」
「ふざけるなよ、ダイのチカラは知ってんだろうが」
「チカラだけで勝負が決まるわけじゃない。キミがそのことを、一番よく知ってるはずだよねぇ?」
ポップは言葉に詰まった。
「ああ、細かく説明する時間がないね。いいかい、ボクのアドバイスはこうだ。アイツについて情報を集めるんだ。特に、生前の姿についてね。そうすれば弱点がわかるはずさ。ヴェルザー様に聞いてごらんよ」
待てよ、とポップは叫んだが、一つ目の小鬼たちはいっせいに船室から漂い出た。思わずその後をポップは追いかけた。
甲板へ上がったとたん、島の外が騒がしくなっていることに気付いた。隠れ家の島の周りから、怒鳴り声や悲鳴などがかすかに伝わってきた。まわりの魔族やモンスターたちもざわついていた。
「マジかよ……」