★このお話は拙作「エルフの時代」をベースにしています。ラインハットのコリンズはグランバニアの双子のところへ遊びに行ったときに、城下に現れた神秘的な美女が騒ぎを巻き起こすのを見ました。魔王に愛されたエルフの乙女、ロザリー。グランバニアは大騒ぎになり、コリンズは一度帰国しました。これはその直後から始まります。
ラインハット城最上階の王族居住区にたどりつくと、護衛兵がさっと敬礼を捧げた。コリンズは軽く会釈して部屋に飛び込んだ。
「おれ、エルフの人見ちゃった!グランバニアにエルフいたよっ」
時間は昼過ぎで、母のマリアが午前中の公務を終わって部屋に戻る時間だった。大きなソファにマリアがいて、お茶のカップとソーサーを手にしていた。
「あら、まあ。お帰りなさいコリンズ」
母のほほにただいまのキスをすると、マリア付きの侍女たちがコリンズのお茶とお菓子をもってきてくれた。
「この世の中に本当にエルフがいるなんて。どんな人だったの?」
母は絶対に“そんなのいるわけないでしょう!”とは言わない。コリンズは焼き菓子をひとくちほおばると、安心して話し始めた。
「髪の長い色白のお姉さんだった。でもずっと眠ってるんだよ。魔法とか呪いかもしれないってカイが言ってた」
カイことグランバニアの王女カイリファは、まだ八歳ながらその母ビアンカの血を引く優れた魔法使いだった。
「それはご心配でしょうね」
かたりと音を立てて、誰かがローテーブルにカップを置いた。
「ま、グランバニアにいるなら大丈夫だろ」
珍しく父のヘンリーがその時間に部屋にいた。
「父上、仕事は?」
「対応待ちだ」
短く答えるとヘンリーはソファの、マリアの隣に腰かけた。
現在ラインハットでは王国内の貴族の代表者を集めて国王の御前会議が開かれている。会期は十日にわたり、王国宰相ヘンリーは今、政敵の対応を見定めているらしいとコリンズは思った。
「おれも、昔見たぞ」
「何を?」
ソファによりかかってヘンリーはかるく首筋をもんだ。
「エルフ、じゃないな。フェアリーかな」
「まじ?!」
「子供のころ、今のおまえよりまだちっこいときに俺が草むらにいたら、なんか妙なヤツが逃げてきたんだ」
マリアが首を傾げた。
「エルフとフェアリーって、ちがうものなのですか?」
ヘンリーが笑顔を向けた。
「エルフは人とだいたい同じ大きさ、フェアリーはもっとずっと小さくて羽が生えていたりする。でも」
ヘンリーはにやりとして妻の耳元でささやいた。
「マリアはエルフみたいに綺麗でフェアリーみたいに可愛いよなっ」
まあ、とつぶやいてマリアはほほを染めた。
「父上、父上、それ、お城のどこ?!」
邪魔をされたヘンリーは、かるく唇をとがらせた。
「ほら北側のお濠の内側の、草とかキノコが生えてるとこだ」
そこは代々のラインハット王子たちがこっそり遊びに行く穴場だった。
「家庭教師が来るのをばっくれて草むらで遊んでたとき、城の兵士が見えたんでおれは物陰に隠れた。そうしたら目の前に羽の生えた小さい生き物がふらふら飛んできて、“助けて”だってさ」
「それで父上が助けたの?」
「そのフェアリーを追いかけてるのが、たまたまトムだったからな」
「トムって、お城の?」
ヘンリーがうなずいた。
「あいつはもともとラインハット城の兵士見習いで、偽太后時代に河の関所に勤めて、今はこっちで兵士長だ。おれは昔から知ってるわけだ」
つまり家庭教師から逃げ回る悪ガキヘンリー王子を追いかけるのがトムの役目だったらしい。
そしてトムには弱点があった。
「んで、『カエルに化けると逃げられるぞ』って教えてやったな、確か」
「それで?」
「“ありがとー”とか言って、目の前でぽわん、と緑のカエルに化けた」
「まじっ?!」
コリンズは思わず父の顔を眺めた。
「あ?疑ってんのか?」
「だってさ……」
グランバニアじゃあるまいし、そんなファンタスティックな生き物が城の中をうろうろしているなんてありえない。しかも、フェアリーがカエルになったと主張するこの男が、ラインハットで一番タチの悪いイタズラ好きと来ている。
「まじだって。カエルを見つけたらキスしてみろ。元に戻るから」
と、大真面目にヘンリーは言った。
●
一時間後のこと。コリンズはラインハット城北のお濠のそばにいた。厨房から持ち出したざるが目の前の草むらに伏せてある。その中には緑のカエルが鎮座していた。
草むらにあぐらをかいて、コリンズは腕を組み、真剣な顔で問いかけた。
「おまえ、フェアリーなのか?」
「ゲロゲロ」
がっくりとコリンズはうなだれた。
ざるを片手にお濠の北へ来て見ると、本当に草むらにカエルがいた。
「夏の今頃、お濠にカエルなんて何十匹もいるよなあ。絶対父上にからかわれてるって気がする」
コリンズは、はっとした。
「まさか、こうやって悩んでいるところを父上ったら城の上の方から見てるんじゃないか?」
コリンズは顔を上げてきょろきょろしたが、にやにやしているヘンリーは見つからなかった。
「よ、よし、エルフはほんとにいたんだ。だから、もしかして、ひょっとして。がんばれ、おれ!」
ざるを持ち上げてカエルを手の上に乗せたが、逃げようとはしなかった。ごくりとつばをのみこんで、コリンズは目を閉じ、おそるおそる顔を近づけた。
●
秘書がヘンリーを呼びに来たので、短い休憩時間は終わった。
「じゃ、行ってくる」
マリアは夫に微笑みかけた。
「お気をつけて……ヘンリーさま、あまりコリンズをからかってはだめです」
「からかってないぞ?」
とヘンリーは答えたが、マリアはその顔をじっと見ていた。
突然がくんとヘンリーがうなだれた。
「ごめん」
マリアは目を見張った。
「あの、それでは、先ほどのお話は」
「いや、おれの記憶の中では真実なんだ。けど、思い出せば思い出すほど、あれは夢だったんじゃないかって思って」
「まあ、どうして」
人一倍物覚えのよいヘンリーにしては珍しく自信のないようすだった。
「今思い出しても、そのフェアリーの顔が子供のころのルークにそっくりだった。そんなことって、あるのか?」
マリアは目をぱちくりした。
「ぎ、ぎゃくに考えませんか。ルークさんが、フェアリー顔なのです」
ヘンリーは右手の拳を左手の手のひらにぽん、とのせた。
「それだ」
マリアは頭いいなあ、まああなたったら、のようないちゃいちゃを繰り広げた後、あらためてヘンリーは、いってきますのキスを妻の額に落とした。
「コリンズのことだけど、その、からかった詫びに何かうまいおやつを食べられるようにしてやってくれ」
「ご自分でごめんておっしゃればよろしいのに」
「そこは、ほら、いろいろとだな、うん、その、頼んだ!」
そう言うと、ケープをひるがえして行ってしまった。あとには、くすくす笑うマリアが残った
●
そいつはぷっくりしたほっぺと大きな目をした子供に見えた。ただし、大きさはコリンズの手のひらに乗るくらいで、背中に薄い透明な羽をつけていた。
「わーいっ、元に戻った!助かったんだ、ぼく」
「おっ、おまっ、おまえっ」
カエルだったよな?ほんのちょっと前まで、絶対に緑色のカエルだったよな?と言いたかったのだが、コリンズの舌はもつれっぱなしだった。
「あれ、もう夏だね。カエルになったら凄く眠くて、ずっと冬眠しちゃったみたい」
ふわ~あ~、とフェアリーは両腕をつきあげて伸びをした。その姿をコリンズは草むらに座り込んだままぼう然と眺めていた。
「あのお城のちっちゃい兵士はいなくなったんだね。あの子カエル嫌いなのかな。あわてて逃げちゃった」
「あいつはトムって言って」
コリンズは言葉を切った。
――こいつ、何年寝てたんだ?
フェアリーの言うトムはもう見習い兵士の少年ではなく、城の兵士長になっている。
どうやらこのフェアリーは、カエルに化けろとアドバイスした少年(ヘンリー)とカエルからフェアリーに戻した少年(コリンズ)が同じ男の子だと思っているようだった。
「しかたないか。同じ場所で同じ服を着てて顔が似てんだもんな」
ねえ、とフェアリーは言った。
「助けてくれたお礼だよ。きみの願いをかなえてあげる」
「えっ、いいのかっ?」
「でも、みっつだけね」
「じゃあ、じゃあ、う~ん、なにがいいかな?」
思いもよらない成り行きにコリンズの頭の中はぐるぐるしていた。
「ま、まず、おやつ。今日はおいしいおやつだといいな!」
フェアリーは目を閉じて首をかしげたが、すぐに笑顔になった。
「それなら大丈夫。おやつ食べに行ってごらんよ」
自信満々にそう言った。
「ほんとだなっ?!よし、一緒に行こうぜ」
●
コリンズはうっとりと眺めていた。午後の真ん中の時間、自分の部屋にワゴンが運び込まれた。その上に三段重ねのケーキスタンドがあり、各トレイに大好きなお菓子類がところせましと並んでいた。
「すげえ、チョコレートタルト、プディング、クリームパフ……全部食べていいの?」
そう聞くとコリンズ付きの侍女はにっこり笑った。
「日ごろ真面目にお勉強されているのでご褒美だということです」
「まじかー」
というわけで、片手でげっぷをおさえるほどコリンズはおやつを堪能した。
「おまえ、凄いな!」
フェアリーは、コリンズの背中にくっついてケープで隠してもらって城へもぐりこんでいた。
「それほどでもないけどね」
ふふん、と言いたいような顔をしていた。
「なあ、あとお願いふたつ、いいんだろ?」
「うん。今度は何?」
「えーと、父上がうれしいことがあるといい」
フェアリーは不思議そうな顔になった。
「そうなの?君のお願いひとつへっちゃうのに?」
――だって、昔ほんとにこいつを助けたのは父上なんだし。
「まあ、いろいろ事情があるんだ」
「それならぼくはかまわないけど、どんなお願い?」
コリンズは考え込んだ。
「なんかわりと父上幸せだよな。母上と仲良しだし、仕事もやりたい放題やってるし。そうだ、グランバニアにいる友達から手紙が来るといつも父上うれしそうだから、それがいいや」」
「おっけー。了解しました」
あっさりとフェアリーは言った。
数日後、コリンズは再度驚きを味わった。グランバニアからの使いがルーラで到着して、グランバニア王からの急ぎの書状をヘンリーに渡したという。
「かなっちゃった……」
王国宰相は御前会議を中座して執務室にこもり、書状に接しているという。コリンズは父の部屋のそばまでようすを見に行った。
宰相執務室の前には護衛の兵士が立ち、ものものしい雰囲気だった。
「なあなあ、フェアリー、どんな手紙を持ってこさせたんだ?」
小さな肩をすくめてフェアリーは答えた。
「中身はさすがにわからないよ」
王太子の特権でコリンズは執務室の中に入れてもらった。
奥の大きな机に座って、ヘンリーはぶつぶつ言いながら羊皮紙にペンを走らせていた。
「天空城へ盗みに入るから計画をたてろ?ったくおまえは昔からすっとんきょうな奴だったが、とんでもねえことを考えやがる……」
なんだか今おそろしいことを聞いた気がした、と思った時ヘンリーがこちらを見た。
「コリンズか。ちょうどよかった、この手紙をグランバニアへ届けてくれ」そう言ってヘンリーは書き上げた手紙とキメラの翼を差し出した。
「急ぎの仕事らしい。頼んだぞ」
「えっ、でも今なんかすごいこと言ってなかった?」
「気のせいだ、気のせい」
「ほんとにっ?この手紙何なの?」
「国家機密だ」
ヘンリーは机から立って部屋の出口に向かいながら、一度だけ振り向いた。
「ああ、そうだ、あいつに伝言を伝えてくれ。『もうけは七三でいいからなっ』ってな」
そう言うと扉を開け、待っていた従僕や秘書を引き連れて悠々と会議に戻っていった。
●
屋上の見張り台を目指して階段を駆け上がりながら、コリンズはフェアリーに話しかけた。
「これ、俺のせい?」
「そんなことないと思うよ?」
のんきな口調でそう言うと、フェアリーはコリンズのケープからはいだしてきた。
「そろそろぼくは森へ帰らなくちゃ。最後のお願い、まだだよね。言ってみてよ」
「そっか、最後なんだ。もう会えないの?」
「そのうち来るよ」
ふわふわ飛びながらお気楽にフェアリーは言った。でもこいつの“そのうち”はへたしたら二十年後かもしれない、とコリンズは思った。
「じゃあ、最後のお願いだ。か……カイと仲良くなりたい」
「カイって?」
「グランバニアの王女だ。つまりカイが、コリンズ君凄い、とか、コリンズ君かっこいい、とか、頭いい、とか思ってくれないかなーって。いーだろ?悪いかよっ」
「悪い」
さらっとフェアリーは言った。
「手抜きしちゃだめだよ。その子のこと好きなんでしょ?自分でやんなきゃ」
こ、このっと言いかけたが、コリンズはうなだれた。
「ほっぺのぷくぷくしたフェアリーのくせに、ひとに正論ぶつけてんじゃねえよ」
「常識ってものさ」
ぐぅの音も出ない。フェアリーはちょっと首を傾げた。
「それじゃ最後のお願いはこんなのどう?その子と二人っきりで手をつないでラインハットまで帰ってこれるようにしてあげる」
コリンズの心は一気に浮上した。
「それって、まるでデートじゃないか」
「デートになるかどうかは君しだいだよ」
●
コリンズはどぎまぎしていた。先日コリンズはグランバニアでエルフを見たのだが、今日は別の種族がいた。
長い銀の髪と赤い瞳を持った黒い衣の剣士が、石の出窓の場所に座り込んでグランバニアの大森林を眺めていた。
ごくっとコリンズの喉が鳴った。どうやら話のようすから、剣士はエルフではなく高位の魔族らしい。
何より驚いたことに、グランバニアの国王夫妻はおろか、友達のカイまでもがこの魔族に普通に、知り合いにするように話しかけていたことだった。
「カイ、一つ頼んでいいかい?コリンズ君が来てくれたんだけど、またラインハットへ送ってあげてくれないかな」
カイの父、グランバニア王がそう言ってくれてコリンズは我に返った。
「あら、遊びに来たの?」
「あ、いや、父上からの手紙を持って来たんだ。もう帰らないと」
「とにかく、送るわ。屋上へ行きましょう」
カイは、今の時代にはとても珍しい魔法、ルーラの使い手だった。この魔法の使い手が誰かといっしょに飛ぼうとするときは、その相手の身体に手を触れなくてはならない。
カイは何気なくコリンズに手を差し出した。
――その子と二人っきりで手をつないでラインハットまで帰ってこれるようにしてあげる。
コリンズはおずおずとその手を取った。
「行こっ」
「あ、うん」
カイの手はとても柔らかくて、いい匂いがした。
●
たしかに二人きりだったし、手もつないだ。
「でも一瞬だったぞ!」
ルーラでラインハットへ戻ると、カイはすぐに同じ魔法でグランバニアへとんぼ返りした。ラインハット城の見張り台の上で、コリンズは空を見上げてつぶやいた。
「わかってるよ、手抜きはダメなんだな?」
もっとがんばってカッコいいと思ってもらえるような男になるんだ、コリンズはそう誓いをたてた。
そう言えば、とコリンズはつぶやいた。
「父上は手抜きしなかったのかな?」
何をどうすればあの万年新婚夫婦ができあがるのだろう。
見張り台の階段をとっとこ降りながら、母上に聞いてみようとコリンズは思った。
了(2023年8月10日X上のイベント「ラインハットの日」のために)