ハンマー無双

 グランバニアの宮廷は、息詰まるような沈黙の中にあった。オジロン宰相をはじめ文武百官が見守っているのは、玉座の前に立つ貴婦人だった。王妃デボラ。国王フィフスが城を留守にしているので、宮廷の頂点に君臨するのは齢二十歳そこそこの彼女だった。
 春の遅いグランバニアは、まだ雪が消え残っている。王妃はライトブラウンの厚地のガウンに薄紅色のストールを巻き付けるという、気品豊かな初春の装いだった。
「これはどこで見つけたの」
 デボラの前に直立した兵士が答えた。
「正門前に貼り付けられていた、と見張りから報告がありました!」
 デボラはすっと視線を横へそらせた。ぽてぽてと音を立ててスライムナイトが進み出た。
「読ませていただきます」
 スライムナイトのアーサーはデボラの手から汚れた羊皮紙を受け取った。
「これは魔族文字ですな。むむ、方言まじりか。読めるところは、ああ、本日の正午、南東の双子橋のたもとにて待つ、とあります」
 どよ、と宮廷がざわめいた。が、デボラの片手が上がると、静寂へ戻った。
「果たしあいということね?」
「そのように読み取れます」
「このごろこういう手合いは出なかったのに。うちの小魚が留守の時に挑戦に来るなんて」
 グランバニア王フィフス即位後、土地のモンスター等が力試しに、また功名にはやって王に挑戦しに来ることは多かった。
「どうなさいますか、王の御帰還を待つように申しましょうか」
「そもそも、手紙の主は?」
 アーサーは羊皮紙の裏表をとっくりと眺めた。
「どうやら、ブラウニーのようです」
 ふ、と美しい唇が笑みの形になった。
「王が留守なら、私が相手をするわ」
 ははぁ、と全宮廷がひれふした。

 子供部屋にいたレックス王子とタバサ王女は、その話を聞いて外出用の装備をしていた。
「それにしても王妃がモンスターと果し合いをするっていうときに、誰か一人くらい止めないかしら。『あぶのうございます』とかなんとか」
 ははは、とレックスは乾いた笑いをもらした。
「あの母上を?タバサなら止める?」
「ブラウニー相手なのに?冗談でしょ」
 双子は正午前に果し合いの場へ着いて、待機していた。
 やがて太陽が天頂へ達した。城の方角から豪華な馬車がやってきた。そのようすを、ブラウニーの群れが待ち構えていた。
 双子の父もこの種族を仲間にしていて、ブラウンと呼んで親しんでいる。黄色い身体に、頭の部分だけだいだい色の毛皮でおおっているので、まるで頭巾をかぶっているように見えるのだ。そして彼らは例外なく大きなハンマーをかついでいた。
 馬車が停まった。制服の召使がさっと降りてうやうやしく馬車の扉を開き、華奢な踏み台を置いた。
 真っ赤なつま先が現れた。踏み台を踏んで、優雅にデボラは降りてきた。赤いフリルで飾ったピンク色のミニワンピース、白い毛皮と、大きめの緑石で飾ったベルトを装備した姿だった。
 ブラウニーの中に、どよめきがおこった。
「待たせたわね。私が相手をするわ」
 静かにそう告げると、片手に持った巨大なハンマーを振り上げて肩に担ぎ上げた。ブン、と風鳴りの音がした。かつて破壊神が愛用したという、オリハルコンでできた魔神の金槌だった。
 ふたたびブラウニーたちはどよめき、興奮したのか口々に騒ぎ出した。
 デボラは手のひらを前につきだし、三指を軽く曲げて挑発した。
「かかってらっしゃい!」

 決闘の橋までは、ルーラでいく手段がない。フィフスは走っていた。
「急げ、急げ」
 片手には愛用の杖、もう片方の手には果たし状を握っている。
「いた!デボラ、デボラーっ」
 愛妃の姿は見間違えようがなかった。フィフスはその場へおどりこんだ。
「あら、魔界から帰ってたの?」
 振り向いて、あっさりとデボラはそう言った。
「魔界じゃなくて、オラクルベリーにいたんだ、ぼく。じゃなくてさ、これ、果たし状じゃないよ。むしろ、ラブレターだ」
 そう言って、やっとフィフスはあたりの状況に気付いた。
 あちこちにブラウニーが転がっていた。どれも、至福の表情を浮かべ、中には涙ぐんでいる者もいた。
 その中の一匹が、短い脚をバタバタさせて起き上がった。よたよたとデボラの足元へたどりつき、何かつぶやきながら奇妙な仕草を始めた。まるで土下座のようだった。
「何よ?」
「『惚れ直しました。弟子にしてください』だって。この手紙だけど、デボラを見かけて、ハンマーさばきに惚れ惚れしたんだって」
 あら、とデボラはつぶやいた。
 気が付くと、あちこちからブラウニーたちが集まって、小さな目をキラキラさせてデボラを見上げていた。
「こいつらに言ってやって」
 つん、と顎を上げてデボラは夫に言いつけた。
「弟子なんぞ、十年早いわ。召使から始めなさいってね」
「じゃあ、弟子入りでいいんじゃない?」
 デボラは背を向けたが、笑い交じりにつぶやいた。
「まあ、嫌いじゃないわ。短い脚がかわいいじゃないの」
 そう言うと、さっさと馬車に向かった。
 双子がそばで顔を見合わせた。
「母上に気に入られるなんて、いいなあ」
「なんか、意外だけどね」
 うふふっとフィフスは笑った。
「いいんだよ。デボラも可愛いから、お似合いだよねっ」
 突然馬車の中から声が飛んだ。
「当たり前のことを言ってどや顔してるんじゃないわよ!」
 は~い、と甘ったれた声で返事をして、フィフスは馬車へ乗り込んだのだった。

了(2024年3月8日X上のイベント「デボラの日」のために)