ぼくのデボラは何でできてる?

 美しい草原の上を魔法のじゅうたんはすべるように飛んでいた。じゅうたんが飛ぶ高さはそれほど高くないので、その気になれば春の大地を埋め尽くす花々に触れることさえできた。
「もうすぐ森だよ。そしたら小川を越えるからねっ」
 じゅうたんの先頭にあぐらをかいて座り込んでいるのは、フィフスだった。
「お父さんたら」
と娘のタバサがつぶやいた。
「こないだみたいに落っこちたらダメよ?」
 先日フィフスはじゅうたんから腕だけ下へ伸ばして、水面に触ろうとして、そのまま見事に水中へ転がっていったのだ。
「落ちないよっ」
 愛嬌たっぷりに振り向いて、フィフスはそう断言した。
「今度は気を付けるから!」
「そう言う問題じゃないのっ」
 怒るタバサの後ろで、兄のレックスが冷静につぶやいた。
「お母さんに言おうか」
 フィフスの笑顔が凍り付いた。
「ええっ、そんなっ」
 父のフィフスは自由奔放、天真爛漫な性格だった。フィフスが石像から人間に戻ってから今日まで、タバサもレックスも何度あきれ返ったことか。
 眼を放すと城を抜け出し、モンスターたちのすき間にもぐりこんで野宿して、無精ひげもかまわずにそのまま宮廷に顔を出す。
 会議が苦手で必ず居眠りをはじめ、議論になるとあいまいな笑顔で切り抜けようとする。
 身なりを整え、まじめな顔をして黙って座っていれば、実の娘のタバサがどきっとするほどの美貌だし、優れた戦闘能力を持っているのだが、城内では生活無能力者の扱いだった。
「デボラは怒ると怖いんだからねっ」
 そのフィフスがなんとかグランバニア王としてやっていけるのは超の付くしっかり者の王妃デボラのおかげだということは、双子をはじめ衆目の一致するところだった。
「だったら、じゅうたんの上で遊ばないの。いい?」
 フィフスはしゅんとしてうなだれ、こくんとうなずいた。
「じゃあさ、タバサ、森のはずれに寄って、アルミカの花を摘んでもいい?デボラの髪飾りにちょうどいいと思うんだ」
 アルミカは春に薔薇に似た小さな花を咲かせる樹木だった。タバサは兄と視線を交わし、うなずきあった。
「それくらいならいいよね」
「よーし、行こ、いこ!」
 使用者の意志をくんで魔法のじゅうたんが速度をあげた。
「寄り道これでおしまいだよ、お父さん」
「わかってるって」
 器用にじゅうたんをホバリングさせて、フィフスは花盛りのアルミカをのぞきこんだ。
「どれにしようかなぁ~~ふぁ~~」
 いきなりレックスが叫んだ。
「タバサ父さん止めて!」
 だが不安定なじゅうたんの上でタバサが動けないでいる間に、事件の引き金は引かれてしまった。
「ふぁ~っっくしょいっ!!!」
 あたりにアルミカの花と花粉が飛び散った。
「しまった……」
 グランバニアの双子はどちらからともなく寄り添い、災厄が巨大化していくさまを、なすすべもなく見つめていた。

 グランバニア城の屋上にある庭園のわきに、しゅたっと音を立ててタバサが着陸した。グランバニアの兵士たちは慣れているので、別に驚きもせず敬礼を捧げた。
「お母さん!」
 王女はまっすぐにデボラ王妃を目指して駆けた。
 王妃は、ダークレッドに白で刺繡を入れたドレス、巻いた黒髪に花を飾るという華やかな姿だった。
「ここよ。何かあったの?あったのね。さては、あの小魚ね?」
 息を切らしたタバサはこくこくとうなずいて肯定した。
「いっしょ……来て……」
「今はどうなってるの?」
「おにいちゃ……、抑えてます」
「ったく、もう!まず城のパントリーよ。何かあったかしら」
とデボラは言い、足早に歩きだした。

 その土地はグランバニアの領土内だった。土地の兵士たちはレックスを見ると、命令に従ってくれた。
「住民は避難させました!」
「よしっ」
「攻撃しますか?」
 若い兵士たちは、恐怖のあまり槍をかまえる手が震えている。レックスは首を振った。
「いや、余計な刺激を与えて怒らせるとかえって対処が大変になる」
 レックスたちが遠巻きにしているのは、黒いうろこに覆われた巨大なドラゴンだった。幸い、暴れてはいないが、何かを探しているようなようすでいら立ちを隠さない。その目には狂気が見てとれた。
「ここは手を出さずに見守ってくれ」
「レックスさまでも……?」
 まだ子供だが、英明な世継ぎの王子レックスが天空の勇者だということは国の内外に知れ渡っている。
「この乾期で火でも吐かれたら、山火事の恐れがある」
 兵士たちは地元出身らしく、その危険を悟って青ざめた。
「今タバサが最終兵器を連れてくる。待つしかない」
 は、と兵士長は言って敬礼した。
 レックスは空を見上げた。
「タバサ、母上、早くきてください……」
 いつもへらへらしているダメ男の父フィフスは、なんでもないきっかけでいきなり黒竜へ変化するという悪癖がある。そうなったら人間の言葉など耳に入りはしない。最悪、全グランバニアを焦土と化すまで止まらないかもしれない。
 ドラゴラムをおこした父を人に戻すことができるのは、母のデボラだけだった。
「来た!」
 ルーラで到着したのは実に華やかな存在だった。
 赤いドレスの裾をつまみ、デボラが走ってくる、尖ったヒールで足元の花々を蹴散らし、ぎりぎりと紅唇をかみしめながら。
「レックス、タバサ!」
「はいっ」
「撤収準備!」
 デボラは簡潔に命じてレックスのいる戦列を抜け、最前線に躍り出た。
 黒竜が彼女に気付いた。ぐっと頭部を下げ、かっと巨大な口を開いて竜は威嚇した。
「デボラさま、危ないっ」
 兵士たちが青くなった。あのまま竜がブレスを吐けば、デボラは真っ向から燃え盛る炎を浴びてしまう。
「私をお食べ!」
 はっきりした声でそう言うと、デボラは右手を前に突き出し、左手で華やかな袖をむしり取った。乳色の腕があらわになった。炎はなかったが竜の吐く息がデボラの髪とドレスを噴き上げた。
 竜はそのままデボラに近寄った。しきりに匂いをかいだ。デボラは微動だにしなかった。緊張のあまり、兵士たちは槍を握り締めた。
 ようやく竜は探していたものを見つけたようだった。その場にうずくまり、舌を出して、デボラの腕をなめ始めた。美女の腕は、竜の牙の列に何度も隠れ、また現れた。竜は舌を使いながら陶然としていた。
 夢中でなめまわしていた竜が、変化を始めた。身体が縮まり、鱗が消え、それは人の形へ戻っていく。やがてドラゴラムの解けたフィフスがデボラの前に膝をついて白い腕を両手に取り、美味しそうになめていた。
「あれ?」
 目の前に妻を、その背後に子供たちを見つけて、フィフスの動作が止まった。そのままおずおずとその場に正座した。冷ややかな雰囲気を感じ取ったのか、体を覆うように紫のマントを引き回し、上目遣いにデボラを見上げた。
 デボラが微笑んだ。
「私に言う事があるわね?」
 静かにそう言って、デボラは仁王立ちのまま腕組みをした。袖は破れたまま、ルーラの着地で髪は乱れているが、まぎれもなく女王の風格だった。
 フィフスはちょっと首をかしげた。
「この甘いの、何?」
 もともと甘味が大好きなフィフスは、竜になってもそれだけは変わらない。だから人へ戻そうとするときは、デボラと双子はたいてい甘いものを用意した。
「蜂蜜。とっさに腕に塗ってきたわ」
とデボラは答えた。むきだしの二の腕が目にしみるほど白い。金の蜂蜜とドラゴンの唾液でべたべたのはずだが、デボラは毅然としていた。
 フィフスは輝くような笑顔になった。
「反対側の手もなめていいですか?」
 レックスはぎょっとした。
「お父さん、度胸ありすぎるよ」
 今にも鉄拳制裁がくだされるかと思ったとき、デボラがつんとよそをむいて咳払いをした。
「可愛くしてもダメっ」
 え?と双子は同時につぶやいた。デボラのうなじが赤く染まってはいないだろうか。
「いらっしゃいっ!城へ戻ります」
 赤くなったまま早足で歩くデボラが先頭、そのあとに浮き浮きとついていくフィフス、最後におっかなびっくりの双子が続いた。
 懲りずにフィフスは、せがんでいた。
「ぼくのデボラは何でできてる?」
と歌うようにフィフスが言った。
「甘い蜂蜜とぴりっとしたスパイス。それからいろいろ素敵なものいっぱいでできてる。だから、いいでしょう、ねえ?」 

了(2023年3月8日twitter上のイベント「デボラの日」のために)

★「ぼくのデボラは~」の台詞は、“What are little boys made of”で始まるマザーグースが元ネタです。
What are little boys made of?Frogs and snails And puppy-dogs' tails,That's what little boys made of.

↑のSSを読んでくださった方から、楽しい替え歌がとどきました。お許しを得て掲載します。

レックス「うちの おとーさんは なんで できてる?
タバサ「うちの おとーさんは なんで できてる?
レックス「スラリンとコドランと
タバサ「それとゲレゲレのしっぽ
レックス&タバサ「そんなもので できている〜
デボラ「そんな いいもんじゃないわ 小魚でじゅうぶんよ!
フィフス「ピチピチ! ぼく わるい こざかな じゃないよ

替え歌もさることながら、そのあとのデボラとフィフス/5主のやりとりがなんとも秀逸。ありがとうございました。とんぼ(2023年3月11日)