王兄殿下の秘密の楽しみ

 岩壁にもたれて目を閉じていたヘンリーが身じろぎした。
「目、さめた?」
 ラインハットのヘンリーは、ラリホーの眠りから浮上しようとしていた。
「なんで俺、こんなとこにいるんだ……」
 まだ眠そうな声でヘンリーが尋ねた。
「ぼくが君を、夜中にお城のベッドから拉致ってきたから」
 おい、と彼は言った。
「いったいなんでそんなことに、っていうか、ここ、どこだ?」
「すぐわかるよ」
「じゃあ、先に事情を話せ」
「事情?覚えてないの?ぼくが猫カフェに入りびたりだったとき、君ったらずいぶん非難してくれただろ?」
 それは、つい最近の不思議な冒険の話だった。マスタードラゴンの依頼によって、ルークは数百年後の未来へ冒険にでかけていた。
「当たり前だ」
とヘンリーが答えた。
「やることが他にあったのに、毛玉どもと遊んで時間を忘れるなんてもってのほかだ!」
「ふーん、これを見てもそんなこと言えるかな?」
 ようやく目が開いたらしく、ヘンリーはあたりを見回した。
「これって何だ?」
 うっふっふ、とルークは思わず笑った。
「ここはぼくが見つけた天然洞窟。今灯りをつけるね」
 壁に取り付けた松明に火が灯った。ルークはにやにやする顔を抑えて片手で洞窟の奥を指した。
 いぶかしげだったヘンリーの顔を、驚愕の表情が覆った。
「こ、これは!」

 夏のラインハットの空は晴れ渡り、爽快な風が吹いていた。その日はラインハットの友邦グランバニアから、王妃ビアンカが双子の王子王女を連れてマリア大公妃を訪問していた。
「コリンズくん!」
 ビアンカとマリアは大公妃のサロンでお茶とお菓子を楽しんでいる。双子の子供たちはそのままコリンズのところへ遊びにやってきた。
「よく来たなっ。今日はゆっくりできるのか?」
 うん、と王子にして少年勇者でもあるアイルがうなずいた。
「お母さんが、お話終わるまでぼくらは遊んでていいって!」
 双子の妹姫、カイは軽く首をかしげた。
「お母さん、マリア小母様に何かご説明することがあるみたいなの。ちょっと長くなるわって言ってた」
「じゃあ、秘密基地行こうぜっ」
 ビアンカとマリアは、それぞれの夫どうしのつきあいとは別に前から仲がよく、子供を連れて互いの城を訪問しあう仲だった。
 厨房でお菓子を調達して、子供たちは城の尖塔のてっぺんへ上がった。そこは湖を渡ってくる風のおかげで涼しくて気持ちの良い場所だった。最近あったことを話したり、すごろくをやったり、風船をつくったりして子供たちは楽しく過ごしていた。
 そう言えば、と前置きして、アイルが話し始めた。
「ヘンリー小父さん、このごろよくうちのお父さんと会ってるみたいだよ?」
「父上が?」
 コリンズはちょっと驚いた。
「忙しいとばっかり思ってた。会って何してるんだ?」
 アイルとカイはそろって首を振った。
「わからないの」
「でも確かだよ。お父さんたちはなんとなくこそこそした感じで森へ入ってくから」
「森に秘密基地を作ったのかしら」
 コリンズはうなった。
「気になるよな」
 双子はこくんとうなずいた。
「こっそり、見にいっちゃおうか?」

  数日後、ラインハットで宰相としての仕事が終わった後、地味な服に着替えたヘンリーがキメラの翼を使うのを見届けて、コリンズもグランバニアへ飛んだ。
 双子の話では正確に三日に一度、ヘンリーは“秘密基地”へ向かうらしい。
「父上、来た?」
「ついさっき。プサンさんみたいな服着たお父さんといっしょに、森へ行ったよ」
「今あとをつければ間に合うわ!」
「よしっ」
 三人は足音を立てないように父親たちの後を追い、洞窟を発見した。息をひそめ、足音を忍ばせて、コリンズたちは洞窟の中を歩き出した。
 中は意外にも明るかった。本当の地下にいるのではなく、洞窟の天井を形作る部分が風雨にさらされて崩れ、光が差し込んでいる。
 近くの森の中に渓谷があるらしく、せせらぎの音がした。
 そのせせらぎに、別の音が混じった。
「よしよし、俺を待ってたのか?可愛い奴め」
(父上の声だ!)
 コリンズと双子は互いの顔を見合わせた。
(誰かいるのかな?)
 三人は岩の陰から内部をのぞきこんだ。
 洞窟と言うより、天然の岩場があり、その一部はほとんど池になっている。その池によく知っているようで見慣れない生物がたくさんいた。
「ほら、餌あるぞ~。見ろ、見ろ、羽根つきがよってきた!」
 池のほとりにしゃがみこんで、何か与えているのはヘンリーだった。
 池の奥の岩の上から、ぴょこんと飛んでくる生き物がいた。
「その子はスカイフロッグだよ」
 そう答えたのは、ルークだった。なぜか岩場の片隅にいる。そこには細長い岩があり、それをバーカウンターがわりにしてルークは飲み物や皿を並べていた。双子が“プサンさんみたい”と言ったのは、白いシャツに蝶ネクタイとサスペンダーという服のことらしかった。
「名前覚えたぞ。きれいな水色だなっ。あ、羽をぱたぱたしてやがる。かわいいじゃねえか」
 コリンズたちは茫然としていた。
「カエルだ……」
 その池を埋めているのはすべてカエル系モンスターだった。
「よしよし、ランドゲーロ、今日は一段と毒々しいな。いいことあったか?あ、こいつひっくり返ったぞ?」
 ランドゲーロはじんめんがえる系のモンスターで、表と裏に一つずつ顔を持っている。ヘンリーの投げた餌を背中側の凶悪な顔から舌が伸びて器用につかまえた。
「いい子だ~、上手になったなっ」
 ルーク、と嬉しそうにヘンリーが呼んだ。
「ついにあいつがなつきそうだ!もっと餌くれ!」
「あいつって、キャノンキングか。うん、大物だ。はい、餌」
 キャノンキングは人の身長ほどもある緑の体、オレンジ色の腹のカエルだった。なぜか両肩に二本ずつ筒状の器官を生やしている。どう見ても、大砲だった。
「三日とあけずに通い詰めて、やっとかー。可愛さもひとしおだな」
 がんばったねぇ、となぜかルークが目を潤ませていた。
「父上、父上」
 コリンズが呼ぶとヘンリーが振り向いた。
「見つかっちまったか。ここ、いいだろ」
 うん、とコリンズは大きくうなずいた。
「『世界のカエル大事典』に出てきたやつがいっぱいいる。すげーや」
「今飛んだアレな、フロッガーじゃなくてアマゾンキングだぞ」
「ほんと!激レアじゃん?!」
「ほんとだ。ほら、体の色が似てるけど、アマゾンキングは目が黒くて手足の先が赤い」
「うわ~、本物見ちゃった」
「おまえも餌やってみるか?」
「いいの?!」
 ヘンリーが振り向いた。嬉しそうなルークが待ち構えていた。
「餌はこちらへどうぞ」
 アイルとカイも、岩のカウンターにいた父に近寄った。
「お父さん、どうしたの、これ?」
 自信満々、史上最高のドヤ顔でルークは言った。
「あちこち回ってスカウトしてきた。ここはプライベートなカエルカフェだよ」
「あの、これ、うちの父上のために造ったんですか?」
 コリンズの問いに、うん、と笑顔でルークは言った。
「ヘンリーにこういうの見せたいと思って。集めるのけっこうたいへんだったんだよ。でも、正解だった。どういうわけか、カエル系に限ってモンスターがなじむんだよ、ヘンリーに」
「悪いか。こいつらみんな、可愛げがあるんだ」
 池の方を向いたまま、ヘンリーがそう言った。
「ね?だからぼくが猫カフェに夢中になった理由がわかるでしょ?」
「う~、まあ、な」
 不承不承ヘンリーが言うのを聞いて、ルークは嬉しそうな顔になった。
 ルークはお茶を淹れたティーカップをヘンリーに手渡した。
「素直でよろしい。はい、お茶」
 お茶を受け取ってヘンリーは肩をすくめた。
「おまえだって、カフェごっこやって喜んでるだろ」
 えへへ、とルークは照れ笑いをして蝶ネクタイの形を直した。
「当カフェはワンドリンク制となっております。コリンズ君たちは何にする?レモネードとリンゴジュースとお茶と、それからクッキーとチュロスがあるよ。あとカエルの餌も用意してあるからね」
 わーい、と子供たちは歓声をあげてお菓子をもらっていた。
「カエルカフェ、すげぇ楽しい。でも母上にはちゃんと説明した方がいいと思う」
「だよなあ。マリア、いやがるかなあ」
とヘンリーがためいきをついた。
「大丈夫、母上はわかってくれるさ」
 いかにも軽々とコリンズは答えた。

 ビアンカは片手で唇をそっと抑えた。
「この間説明に来てから半月くらいかしら。そろそろヘンリーさんが、話があるんだ、って言ってくるころよ?私は結婚して以来モンスターづけみたいなものだから慣れているんだけど、マリアさん、カエル大丈夫?」
 マリアはくすくす笑った。
「そうですね。少なくともおたまじゃくしには慣れました。コリンズがお城の濠から採ってくるんですもの」
「なるほど。でも、無理はしちゃだめ。嫌な時は嫌って言った方がいいわよ?」
「ええ、そうします。それでなんですけど、カエルカフェで出しているクッキーとチュロスは、ビアンカさんのお手製ではありませんか?」
「実はサンチョさんなの」
「あらまあ」
 マリアは目を見開いた。
「後学のためにお味見がしたいです」
「じゃ、今度行きましょうか、カエルカフェ」
 ふふふ、と二人は華やかな笑い声をあげた。

了(2022年8月10日twitter上のイベント「ラインハットの日」のために)