ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第十一話 父の魂

 それはもともとドラゴンの巣穴だったらしい。谷の斜面に開いた大きな横穴で奥の方は乾燥していた。洞窟の中に簡単な炉をつくり、その夜はそこで休むことにした。
 ヒュンケルだけは洞窟の外に出て夜空を眺め、「王女の愛」を起動する時間を見計らっていた。ポップは炉に鍋をかけ、携帯食料を使ってスープを作っていた。マァムは持ってきた荷物を広げ、ダイに着られそうな服を探していた。
「マァム、味付け頼む。着替えならおれが代わるよ」
 マァムはこちらを見てうなずいた。
「じゃあ、お願い」
 すれちがうときの表情はまだ硬い。だが昼間の、めちゃくちゃにダイを疑う態度は影をひそめていた。
 ポップはお湯で絞ったタオルを持ってきてダイの背中を拭いてやった。
「おれの着替えしかないんだ。ちょっとぶかぶかだけど、勘弁してくれ」
「ポップ、どうしても着替えなきゃダメ?」
 情ない声でダイが尋ねた。
「この谷を出ると、強い風が吹いて雨も多いんだ。ポンチョ一枚じゃ風邪ひくぞ?」
 そのポンチョもぼろぼろだったので、ポップは予備のマントを渡した。
 服の上からマントをつけながら、ダイは言い返した。
「オレ、風邪なんてひいたことないや」
 くすくすとポップは笑った。
「地上で一緒に旅したときも、おまえ病気らしい病気してなかったもんな。ブラスのじいさんも同じこと言ってたっけ」
 ダイはその名を聞いても特に反応しなかった。
「おい、まさか覚えてるだろ?デルムリン島の鬼面道士でおまえの育ての親のじいさんのこと」
「ああ、うん、たぶん」
「たぶん?おいおい、しっかりしろ」
「……ブラスじいちゃんは元気なの?」
「モンスター仲間やヒムが棲みついて、寂しくはないらしい。チウもよく遊びにくるみたいだ。島に人口、じゃないモンスター口が増えて、たくさん家を建ててたぞ。ヒムが大はりきりだって」
 へぇっ、とダイは感心した。
「あいつがそんなこと得意なんて、思ってなかったよ」
「見かけによらないよなあ」
「オリハルコンなのにね」
 あははっと笑う顔は、昔と同じだった。
「ねえポップ、地上へはどうやってもどるの?」
「旅の扉、じゃなくて、キメラの翼……どっちにしてもおっさんを助けてからだ。海を渡るのがひと苦労なんだが、それさえうまくいけば」
 外からヒュンケルが入ってきた。
「ちょうど『王女の愛』で話ができる。ダイ、先生がお前の声を聞きたいそうだ」
そう言ってチェーンに下げた王女の愛を渡そうとした。
 ダイはしげしげとアクセサリを眺め、小声で断った。
「あ~、今は、ごめん」
「先生と話をしないのか?星のめぐりの関係で、次に地上と話をできるのはだいぶあとになるぞ」
 炉のそばにいるマァムがこちらを見ているのをポップは意識した。
「その、地上へ戻ったらちゃんと会ってあやまるよ。オレ、だいぶ勝手なことしちゃったから、今はなんだか、合わせる顔がないっていうか」
 ヒュンケルは小さくうなずいた。
「その気持ちは、わからないでもない」
そう言うとまた王女の愛を持って外へ戻ってしまった。
 キュウ、と鳴き声がした。ダイの膝の上に居ついたベビーニュートだった。
「よしよし、お腹すいたの?」
 炉のかたわらからマァムが呼んだ。
「みんな、スープができたわよ。あなたには、これ」
 マァムはベビーニュートに、干し肉の小さな塊を渡した。
「ありがとう!」
 天使のような笑顔でダイが答えた。マァムはちょっと赤くなった。
 何も気づかないようすでダイは幼竜のために干し肉を細かく裂いてやっている。
 小声でポップが言った。
「あいつ、優しいだろ?」
「ええ、ドラゴンにだけはね」
そうつぶやいてマァムは小さく首を振った。

 パーティは炉を囲んで携帯食料を食べ、明日に備えて眠ることにした。
 アバンの提案で、一行は港を探して船を手に入れることになった。黒い海が侵食しているこの魔界では、とにかく船がなくては何もできない。
 船、船、と考えながらポップは目がさえてしまっていた。
 傍らには、ダイがいた。この五年間必死で探し回ったダイが、すぐとなりで眠っていた。ダイは五年前の幼いままの姿だった。子供の体温は高く、すやすやと寝息さえ聞こえるようだった。
 探し続けたダイがそばにいるというのに、ポップは違和感をぬぐいきれないままだった。
――落ち着かねえ。
 寝付けなかったポップは、とうとう上体を起こしてその場に座り込んだ。
「昔のままの姿だから、かなぁ」
 そんなことは予想していた。もともと竜の騎士と人間の混血なのだから、ダイの成長の仕方がヒトと違うというのは納得がいった。
 それなのに、何かがおかしい。
――おまえ、ほんとにダイなのか?
 ポップはしげしげとダイの寝顔を眺めた。あどけない顔立ち。ほほに十字型の傷。さきほど着替えさせてやったときに、デルムリン島のブラスとポップしか知らないほくろが体にあるのも確認した。人違いのはずはなかった。
 ポップはためいきをついた。うまくいきすぎて不安になっているだけ、慣れてしまえば大丈夫。そう自分に言い聞かせてみた。
――疑ってごめんな。
 心の中でそうつぶやいて、ポップはダイの前髪をそっと撫でた。
 ダイがみじろぎした。そのまま手をついて身を起こした。
「悪い、起こしちまったか?」
 ダイは向き直った。ポップは言葉に詰まった。
「おい……」
 心が眠っているのに体が動いているのだろうか。ダイの目は開いているが、瞳に光がなかった。
「魔法使いの……少年よ」
 ざわぁ、とポップの背筋に悪寒が走った。まちがいなくダイの声だった。が、話しているのは見知らぬ存在だった。
「この子を……助けて……やってくれ。ずっと守ってきたが、限界だ……。竜に……魂を……乗っ取られかけて……いる」
 人形のような無表情、夢遊病のような動作なのに、口調はどこか切迫していた。
「お前なに言ってんだ?乗っ取りって何のことだ?」
「このままでは」
 言いかけて、ダイはぴくりと動いた。
「む、竜が目覚める」
 もうまぶたがさがっている。再び眠りにおちようとしていた。たまらずにポップは叫んだ。
「おい、待てよ!おまえ、誰だ?!」
 睡魔に抗うようにのろのろとダイの両手が上がった。掌を前方へ突き出し、ポップの顔をはさむように動かした。
「なんだ?耳をふさぐつもりか?」
 いきなりダイが目を開いた。
「あれ?オレ、寝ぼけちゃった?」
 きょとんとした顔だった。それはポップのよく知っているダイそのものだった。
「あ、ああ。そうみたいだな」
 へへ、とダイは笑った。
「みんなに会えて、安心したからかな」
「しっかりしろよ、おまえ、変わってないな。ロモスの宿屋でそれやったときは、おねしょしてなかったか、たしか?」
 ダイは、昔と同じ表情でふくれた。
「そんなことまだ覚えてるの?やだなあ、忘れてよ」
「わかった、わかった。あー、眠いな。明日は早いぜ?寝ろ、寝ろ」
 うん、おやすみと眠そうにつぶやいてダイはころんとマントにくるまり、寝転がった。ポップもその傍らに身を横たえた。
――間違いない。こいつ、ダイじゃない。
 暗闇の中でポップは目を見開いていた。ロモスではおねしょなど、ダイはしていなかったのだ。指先が震えるのを、ぎゅっと握り締めてポップはこらえた。

 翌朝、野宿の後始末をしてからパーティは移動を開始した。先頭にヒュンケル、それからダイ、最後にポップとマァム。
「マァム、ちょっと話を聞いてくれないか?」
 ダイが振り向いた。
「ポップ、どうかした?」
 ポップはへらへらした表情をつくって手を振った。
「野暮なこと聞くなよ。好きな女の子とたまにはしっぽりと、ってね。ヒュンケルと先に行ってくれ」
「しょうがないなあ」
 ちょっと肩をすくめ、無邪気な笑顔を見せてダイは行ってしまった。
「ダイ、に見えるけどなあ」
とポップはつぶやいてその後姿を目で追った。
「ポップ?」
 マァムは不思議そうな顔だった。ポップは表情を引き締めた。
「先に謝っとく。昨日は悪かった。おめえの言う通りだ」
「ダイの違和感のことね?」
「ああ。夜中にあのダイと話をしたんだ。あれはダイじゃねえ。あ、つまり、体はダイの身体だけど、心が違うんだと思う」
 ポップは真夜中のできごとをマァムに話して聞かせた。
「竜に魂を乗っ取られる?どういう意味かしら」
「……心が別人、てとこ、全然驚かねえのな」
 ええ、とマァムは即答した。
「あの子、ダイらしくないの。本当のダイだったら言わないようなことを平気で言うでしょ?」
「だよなあ。考えてみたらあいつ、『王女の愛』でアバン先生と話をしなかった。本物のダイなら嫌がるはずがないのに」
「アバン先生、切れ者だから、そんな人と話をしたら偽物だとばれる危険があるわよね」
「たぶん、それだ。でも、偽物の正体がわからねえ」
「そういえば昨夜ダイの中からポップに話しかけてきた人、誰だったのかしら」
 う~ん、とポップはうなった。
「誰だ、って聞いたんだおれ。でも答える前にあのダイが目を覚ましちまった」
「ヒントもなし?」
「おれの耳をふさごうとした。それだけ」
 マァムはためいきをついた。
「わからないわ」
 二人はしばらく無言で歩いていた。
「私、ヒュンケルと代わるわ。今のこと、話してみて」
「そうだな。交代頼む。適当にダイを引き離してくれ」
「了解」
 ねえねえダイ、私、聞きたいことがあるんだけど……わざと大きな声で言いながらマァムが前を行く二人に近づいた。
「この五年間、ずっとあの谷にいたの?一人で?」
「一人じゃないよ。ドラゴンがいっぱいいたから」
「でもそれじゃあ、あ、ヒュンケル、ポップが呼んでたわ?相談があるんですって」
 しばらくすると、ヒュンケルがやってきた。
「オレに相談とはなんだ?」
 いつものように冷静な口調だった。まわりくどく言うのはヒュンケルには効果がない。ずばりとポップは言い始めた。
「あのダイは偽物だ。正体を暴くのを手伝ってくれ」
 ヒュンケルはわずかに眉を動かしただけだった。
「断定できるのか」
「できる。というか、タレコミがあった」
 ポップはダイの夢遊病とそのあとの会話をヒュンケルに向かって語り直した。
「……というわけさ。どう思う?」
「まず、竜とは?」
「勘だけど、“最後の知恵ある竜”こと、冥竜王ヴェルザー」
「なぜそう思う」
「あのダイは記憶にぬけがあるだろ?覚えてないのはマァム、ヒュンケル、クロコダインで、覚えてるのはラーハルト、アバン先生、ヒム」
「それで?」
「前の三人は、大魔王戦のラストバトルで“瞳”になっていたメンツだ。だから、上からのぞき見に来たヴェルザーは、顔を確認できなかった」
 しばらく考えてからヒュンケルはうなずいた。
「では、あのダイの体の中に、ダイ本人の魂とヴェルザーの魂が同居しているのか」
「そういうことだ、おっと、もうひとり、夜中におれに話しかけてきたヤツも同居だ」
「誰なのだ?」
「マァムにも聞かれたけど、わからねえ。ヒントは、誰だ、と尋ねたときにこう、両手をあげておれの顔をはさむ、っていうか、耳をふさぐみたいな手つきをして」
 ポップは言葉を切った。ヒュンケルの顔色が変わっていた。
「おい、待て。こうか?」
 ヒュンケルはわざわざ手を出して、自分でポップの両耳の上に左右の手を添えた。
「ああ、こんな感じだ。なんだよ、心当たりがあんのか?」
 ヒュンケルは低い声でつぶやいた。
「……メガンテだ」
 は?とポップは変な声をたててしまった。
「そいつは耳をふさごうとしたわけじゃない。指をこめかみにつきたてようとしたんだ」
 自己犠牲呪文メガンテをポップが放ったのは、一度しかない。五年以上昔テランにて、ダイが記憶を奪われ、本人の身柄も竜騎将にさらわれようとしていた時、非力な魔法使いにできる唯一の方法として実行した。
 ヒュンケルがうなずいた。
「マァムにわからなくても無理はない。彼女はあのとき、テランにいなかった。“おまえは誰だ”という問いの答えがメガンテ。ということは」
「バラン!」
 正統のドラゴンの騎士であり、竜騎将でもあったバラン。彼はダイの実の父親だった。
「今もダイん中にいるのか、あの人は」
 ダイの口を借りて訴えたのは、ダイの中に今も健在のバランの魂。
「そうだ。だからバランが『この子』というのは、ダイのことだろう」
 バランは、彼独特の不器用で内向的でわかりにくいやり方ではあったが、一人息子のダイを心から愛し、ダイを守って命を落とした。大魔王戦のさなかの壮絶なその死はポップの記憶に鮮烈に残っている。
「親父(おやっ)さん、魂だけなのに、無理したんだな」
そうつぶやくと、無言でヒュンケルがうなずいた。その目を見て、ポップは自分と同じ気持ちなのだと確信した。
「やっとわかった。メルルが言ってたの、これだな。ダイを狙う邪悪な影がヴェルザーで、その影からダイを守る光がバランだ」
「今だから話すが」
と、ヒュンケルは言った。
「アバンは『どうして五年もたってダイの輝聖石が見つかったのか』について疑念を持っていた。おそらくヴェルザーは五年前にダイの身体を乗っ取ろうとしたが、バランが抵抗した。ヴェルザーが攻め続けて、やっとダイの体を動かせるようになったのだろう。それで青の輝聖石を地上へ放って、迎えを待っていた」
「なるほどな。ってことは、先生が造ったダイの羅針盤は壊れたんじゃなかったんだ。ダイがそこにいるのにダイじゃないもんで、ぐるぐる回ってたわけか」
「ラーハルトが正しかった」
 ぽつりとヒュンケルはそう言った。
「結局『ダイはいなかった』わけだから」
「あ~、う~、そうか。そうだな」
 ポップは一度咳払いをした。
「なあ、ダイの親父さんの頼み、おれたちで引き受けようぜ。竜とやらを、ダイからひっぺがそう!」
「協力する」
 即座に言って、またヒュンケルが尋ねた。
「手段は?」
 にや、とポップは笑った。
「こんなこともあろうかとアバン先生から授かってきた、とっておきの秘法があってね。まかしとけよ!」