ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第十三話 籠城

 強い海風のために、砦の上の旗がバタバタと鳴った。その音にクゥクゥ、キュイキュイ、と細い鳴き声がいくつも重なって聞こえた。
 緑の鱗に覆われた長い爪のある手が、大きな籠の中から鳴き声の主をそっとつかみあげた。
「よしよし。おまえはティグ島だな」
 鳴いていたのは白い毛皮におおわれた小さな生き物だった。羽のある子犬のようなその動物に、緑の鱗の竜人は首輪をはめ、喉にあたるところに金属の筒を取り付けていた。
――あのチビはウルフドラゴンか。
 リカントのラノはまだふらふらする頭でその光景を眺めていた。誰もいない部屋で目覚め、音のする方へたどってきてみたらこの場所にでくわしたのだ。どうやら周りを海に囲まれた石造りの砦の屋上のようだった。
 ラノは、どうして自分がここにいるのかわからなかった。巨大海蛇のいる黒い海に橋の上から落ちたのは覚えていた。死ぬと思った瞬間、大きな手でつかみ上げられた、ような気がする。しかしその記憶とこの場所がなんとも噛み合わなかった。
「アイスコンドル……。グタダノ村か。まだ住民が生き残っているかどうかわからんが、手紙を出してみるか」
 次に取り上げたのは、青い皮膚の翼竜のひなだった。指で何か餌をつまんでくちばしに運んでやると、幼いアイスコンドルはいそいそと呑み込んだ。その間にまた筒の付いた首輪がはめられた。手紙はその筒に入っているらしかった。
 あたりにいるのは、すべて緑の鱗の竜人だった。
 オーシャンクローだ、とラノは考えた。好んで海に生きる、直立歩行型の竜族だった。その名の由来となった武器は両手に装備した鉄爪だった。
 体格はたくましく、腰布一枚を巻くのみで鎧は装備しない。竜をかたどった兜、両腕の爪、そして、戦闘用のブーツを身につけていた。
 強い風のふく石造りの砦の上、オーシャンクローたちは伝書ドラゴンを次々と飛ばしていた。
 聞き覚えのある声がした。
「まだ間に合うか?」
 砦の屋上に、鎧を装備した大柄なリザードマンが姿を現したのだった。ラノは目を見張った。
――クロコダイン!どうしてここにいる?
 伝書ドラゴンを飛ばす戦士に、クロコダインは金属の筒を差し出した。
「戦士殿か。おぬしの知り人がこの魔界にいるのか」
「地上からいっしょに来た仲間がいる」
とクロコダインは答えた。
「彼らは竜の谷というところへ向かっているはずだ。この手紙がうまくそこへ届けば、助けに来るかもしれん」
「竜の谷か。魔界にいくつかあるドラゴンの営巣地だな」
 筒を受け取るとオーシャンクローの戦士は籠から別の伝書ドラゴンを取り上げた。まだ幼いベビーニュートだった。
「こいつはよそから預かった伝書ドラゴンではなく、この砦の生まれだ。寄る辺の無いドラゴンは、ドラゴンの営巣地へ向かうかもしれん」
 首輪と手紙の入った筒を取り付けながら、戦士は首を振った。
「ただし、このチビが海の上をどこまで飛べるかわからん。おぬしの仲間に手紙がとどくかどうか。そして、万にひとつ手紙が届いたとして、我らの救援に間に合うとは限らんのだ」
「それでもいい、飛ばしてくれ」
 竜人は立ち上がり、両手にベビーニュートをつかんで高く放り上げた。空中で青い小さな竜の仔は翼を広げ、せいいっぱい羽ばたいて海面から離れ、やがて見えなくなった。
 隣にいたオーシャンクローの戦士がしみじみ答えた。
「もともとこの期に及んで助けを求めるのは、無駄なあがきかもしれません」
 背後から足音がした。
「それでもいい。納得のいくまであがこうぞ」
 族長が、一族の長老たちを率いて城壁の上まで上がってきたのだった。
 オーシャンクローの族長は朱色の長上着に黒い帯を締め、かぶとには長い朱色の仮髪をつけていた。
「クロコダイン殿、われらの戦に力添えをくださるとはまことか」
 クロコダインはうなずいた。
「いかにも、トラン殿。オーシャンクローご一統には漂流から助けられた恩義があり、海蛇どもには意趣があり、オレ自身には武人としての規矩がある。微力を尽くそう」
 トランというらしい族長は誇り高い頭を下げた。
「お志、ありがたくお受けする。一族を上げての逃避行には、一人でも味方が欲しいでな」
 若いオーシャンクローが、悲痛な口調で尋ねた。
「やはり、逃げるしか手はありませんか」
 トラン族長はじめ、年長の戦士たちは首を振った。
「黒い海の海底から襲ってくる海蛇に勝てる者などおらん。この島は幸い浅瀬に囲まれているために巨大な海蛇が泳ぐだけの深みがなく、やつらが直接襲ってくることはこれまでなかった。代わりにやつらは補給路を断つ作戦に出た。これまでよく持ったほうだが、砦に蓄えた食糧や水がもうすぐ、尽きる。その前に、なんとしても一族をあげて隣の島へ撤退する」
 クロコダインが声をかけた。
「トラン殿、ひとつ聞かせてくれ。なにゆえあの海蛇どもはこの砦を目の敵にしているのか?」
 トランはためいきをついた。
「あやつらが何を求めているのかわからんのだ。ただひたすらにやつらの領域たる黒い海を広げたい、としか思えん」
「魔界の中に、やつらに従って事なきを得る者はいないのか」
「わしらの知る限り、いない。味方どころか、まだ黒い海の範囲が今ほどではなかったころ、鐘を吊るしている港は真っ先に襲われたということがあった」
「鐘?」
「港にはさまざまな知らせのために鐘楼を置き、鐘を鳴らす。その鐘を鳴らすと、海蛇どもが狂ったように押し寄せてきて港と町を壊し、そこから新たな黒い海を広げていった」
 トランは首を振った。
「竜族の王ヴェルザーさま、魔界の神バーンさま、どちらもあの海蛇を
 味方につけるか、さもなければ叩き潰そうとされたようだが、いずれもかなわなかったようだ。あやつらの憎悪に耐えられる種族はもうなかろう」
 哀し気なつぶやきがおこった。
「オーシャンクローが海を捨てるとは」
「しかたあるまい。我らの知る海はもうないも同じだ。やつらの支配する黒い海に覆われてしまったのだ。年ごとに水位も上がっている。ここでこの島に粘っても、水が深くなればやつらは容易にこの砦を襲えるようになる。そうなってからでは何もかも遅いのだ。クロコダイン殿」
 トランは砦の上から海の上を指した。
「次の大潮のとき、あの場所に砂州が現れる。その砂州を渡れば我ら一族、隣の島へ逃げ込むことができるのだ」
 自然とラノも砦の上からそちらの方角をながめた。
「大潮でできる砂州はあの方角へ一直線に伸びる。我らは女子供を守って一列で進むだろう。そのときが最も危険だ。一族の戦士を二手にわけ、先駆けと殿軍(しんがり)にあてる」
 うむ、とクロコダインはうなずいた。
「殿軍は、オレが引き受ける」
 なに、とトランはつぶやいた。
「クロコダイン殿、戦の時は、全体の後ろを守る殿軍がもっとも危険となるぞ。敵が常に背中から襲ってくるのだからな」
 クロコダインはにやりとした。
「仰せの通り。用心棒には似合いの仕事だ。ただ、オレの武器は漂流の際に失ってしまった。あいにく爪は不慣れだ。剣か、斧か、何か柄のついた武器を貸していただけないか」
「なるほど。あとで蔵をあらためて、使えそうなものがないか見ていただこう」
 若い戦士がひとり族長に耳打ちした。
「クロコダイン殿、おつれが目を覚ましたようだ」
 その場の視線が一斉にラノに集まり、ひっとラノは声を上げてしまった。

 ふっふっふ、とクロコダインは笑った。
「よく目を覚ましたな。いろいろと運のいいやつだ」
 ラノはためらったが、いちおう頭を下げた。
「あんたが助けてくれたんだろ。あ……ありがとう」
 ついにクロコダインは大口を開けて笑い出した。
「なんと!ずいぶんといい性根になったものだ」
「そう笑うことはねえだろう!」
「いやいや、運のよさも感謝の言葉をきちんと口に出せるのも、お前の才能だと思え」
 二人がいるのは、砦の四隅にある塔のひとつだった。塔の上階は海風が吹いて、うす暗い魔界でも居心地は悪くなかった。
「あんた、またとんでもねえことを引き受けたんだな」
「ふむ。オーシャンクローたちは爪を装備して接近戦をするのが得手だ。が、遠距離攻撃の方法がない。オレていどでも力になれるかと思ってな」
「せっかく拾った命だろ?信じられねえな」
「拾った命なら、どこで捨てるのもオレの勝手だ。ラノ、だったな。おまえはどうする」
 は?とラノは言った。
「砦から一族をあげての大脱走よ」
「そりゃわかってるが、え、俺があの海の化け蛇とやりあうのかよ。やなこった」
「ならば、オーシャンクローの中に混ぜてもらって砂州を通って逃げるがいい」
「そりゃいいや。そうさせてもらうぜ!」
とラノは答えた。

 大潮の日までにオーシャンクローたちは砦の始末と脱出の準備を進めていた。先祖代々築いてきたものを、歯を食いしばってあきらめ、あるいは自らの手で壊し、財産を選別した。そして大切なものだけ、しかも背負えるだけの分量の荷物を背負い、砂州のあらわれる時刻を、息を殺して待っていた。
 大潮の日は奇妙なほど穏やかだった。海の底からこちらをうかがう監視の目はゆるく、小競り合いもなかった。
 真夜中すぎ、潮が引いた。魔界の夜空に光はなく、ラノの目には何も見えなかった。タァンニという、オーシャンクローの中で自他共に認める最強の戦士が危険を承知で松明に火をともし、先頭に立った。
「行くぞ!俺に続け!」
 一族の移動が始まった。あたりは真の暗闇だった。一時的に強風がおさまり、タァンニの掲げる松明は揺らぎもしない。その灯火と黒い海に映る火影だけが目印だった。
 私語を禁じ、波音だけが耳についた。真っ暗な砂州の湿った砂の上を、いくつものブーツがザクザクと踏んでいった。
 このようすを遠目で見たら、行列は海面の上を歩いているように見えるかもな、とラノは思った。砂州の道は果てしないように思えた。
―結局助けは来なかったなぁ。
 あのとき大量に飛ばした伝書ドラゴンは無事に手紙を届けたのか。届いたとしても相手が援助をためらったのか。どちらにしてもオーシャンクローたちは一族のみで脱出していた。
 ようやく夜空の黒が薄くなってきた。ラノの目にもぼんやりと対岸の島の姿が見えてきた。
「急げ!大潮が終わるぞ!」
 オーシャンクローたちは口々に言って、一族の子供や老人をせかした。ラノもその集団の中にいた。
 引き潮が終わるってことは、このままじゃ水浸しかよ。そう思ってラノは足を早めたかったが、狭い砂州には走るだけのスペースがなかった。
 いらいらとラノは見回した。ふと海の一か所が光ったような気がした。銀色の光は、銀の鱗の反射だった。
「おいっ、あいつら来たぞっ!」
 ラノの大声にオーシャンクローたちは一斉に反応した。
 気付かれたと思ったのか、沖の波の中から銀鱗に包まれた蛇身がぐいとつきだし、また沈んだ。
「見ろ、あそこにも、あっちにも!」
 頭部が見えないことがさらに不気味だった。海のあちこちから蛇身の作る鱗のアーチが盛り上がる。アーチは見る間にこちらを取り囲んでしまった。
「まさかこのアーチが全部波の下でつながってるってことはねえよな」
「いや、これだけ集団で来るってのも怖い」
 族長が一喝した。
「この浅瀬までやつらが来ることはない!さあ、急げ、走れ!」
 走りはリカントの得意技だった。いざ、と身構えた時、先頭から悲鳴が聞こえた。
「待て、何か来るぞ!」
 ラノは目を凝らした。あたりは次第に明るくなってくる。そのぼんやりとした光の中、砂州に立ちはだかる化け物が見えた。
 馬に乗った騎士のシルエットだが、兜の部分がない。首無しの騎士だった。
 オーシャンクロー一族は、全員が足を止めた。魔界の住民らしく、敏感に殺気を感じ取ったのだ、とラノにはわかった。
 夜明け前の薄暗がりの中から、飛んでくるものがあった。オーシャンクローたちのざわめきを断ち切るように、それはうなりをあげて砂州を襲った。
「ひっ!」
 身軽で敏捷なオーシャンクローたちが一斉に飛びのいた。彼らの鼻先でトゲを一面に植え付けた巨大な鉄球が回転し、再び騎士の手元へ戻っていった。
「謀られたわ!」
トラン族長だった。
「隠れるところもないこの砂州へわしらを誘い出す手に、まんまとはまった!かくなる上はオーシャンクローの誇りを見せてやろうず!」
 応!と叫びが上がった。一族の男たちは一斉に腕を上げ、鉄爪を天へ向けて身構えた。女たちは腕に抱いていた子供をおろし、背後にかばい、同じく戦闘態勢を取った。
 ラノは首無し騎士とオーシャンクローたちを見比べた。あの海蛇どもを相手にするよりはましかもしれないが、どう見てもチカラで押されている。
 俺、死んだかも、と思った瞬間だった。
 うおおおおっっっ、と雄叫びが聞こえた。
 一陣の突風が吹きすぎた。風は飛びのいたオーシャンクローたちの間を通り抜け、首無しの騎士に襲い掛かった。騎士は盾を掲げてその強風に耐えた。
「獣王見参!」
 クロコダインだった。ラノの目には、鎧とマントを装備した巨体と太い尾が見えている。その背がなんとも大きく、そして頼もしく見えた。
 首無しの掲げた盾から声がした。
「貴殿は種族が異なるようだが、なぜここにいる」
 盾に彫ったどくろの目に目玉が生まれ、こちらをじっと見ていた。ラノの背筋の毛が逆立った。なんとも気色の悪い眺めだった。
 クロコダインは斧を構えたまま生きどくろと向かい合った。
「用心棒だ」
 ほう、と重々しい声がつぶやいた。
「用心棒代がいかほどかは知らぬが、命には変えられまい。我は主君の命によってオーシャンクロー一族を滅ぼす。が、ここで手を引くなら我は用心棒まで追わぬぞ」
 族長以下オーシャンクローたちに動揺が走った。ラノは、俺も種族違いなんだけど逃げてもいいかな、と一瞬、思った。
 ふ、とクロコダインが笑みをもらした。
「オレの用心棒代か?一宿一飯の恩義だが」
 隻眼を光らせてクロコダインが宣言した。
「このクロコダイン、一度引き受けた戦を捨てたことはないっ!」
 ラノはその場で小躍りしかけた。体の奥から興奮が沸き上がる。できることなら首無し騎士に言ってやりたい、あんた知らねぇだろう、このクロコダインて男は、とんでもねえバカで、すげえ頼りになるんだぞ、と。
 首無し騎士の馬が一歩、前に出た。
「魔界には珍しい男よ」
 なんとなく、感心したような口調だ、とラノは思った。
――そんなに気に入ってくれてるんなら、おれたちのことも見逃してくれねえかな。
 おもむろに首無し騎士は鎖付きの鉄球を構えた。
「参る。モルゲンシュテルン、暗夜の型」
 モルゲンシュテルンというのは、鉄球型の武器のことらしい。手元には竿のような長い柄があり、そこから頑丈な鎖が伸びている。巨大な鉄球は鎖の先にあった。
 柄を最大限に高く掲げ、首無しは軽々と鉄球を空中に放った。薄闇の空から鉄球が落ちてきた。
 叩き潰される!守備力の低いオーシャンクローたちは敏捷に退避した。が、鋭い金属音をたてて、クロコダインの戦斧が鉄球を弾き返した。オーシャンクローたちの間から大歓声が上がった。
「やったぜ!」
 ラノも躍り上がった。
「パワーで勝てると思うなよぉ!クロコダインさんよ、いけそうじゃねえかっ」
 いや、とクロコダインは低くつぶやいた。
「この斧、長くは持たん。連続攻撃されたらまずい」
「そんな、じゃあ、どうすんだ!」
「いざとなったら、オレのこの体で受け止める!」
 無口な首無しが再度声を発した。
「モルゲンシュテルン、暁闇の型」
 大気を切り裂くような音を立てて鉄球が飛び出してきた。戦斧が迎え撃った。が、首無しは腕一本でモルゲンシュテルンをあやつり、阻まれても阻まれても鉄球をぶつけに来る。
 ガンッ、ガキンッと連続して音が響いた。古い戦斧がどこまでもつか。クロコダインは眉を顰め、口を引き結んでいる。ラノはぞっとしていた。
「良い腕前だ」
 ついに首無しが言った。クロコダインが答えた。
「オレも、おぬしほどの鎖使いには会ったことがない」
 騎士は盾をかかげ、軽く傾けてみせた。まるでどくろが会釈しているようだった。
「だが、さらに勢いをつけるとどうなるかな?」
 騎士の乗る骸骨馬が、前足のひづめで砂を蹴った。首無しはモルゲンシュテルンの鎖を手に取って、体側で鉄球を回転させ始めた。軍馬の突進する勢いに乗せて鉄球を放つ技、とラノでも見当がついた。
「モルゲンシュテルン、黎明の型」
 ふふふ、とクロコダインがつぶやいた。
「夜明けの無いこの魔界で、『黎明』とはな」
 いきなり何かが視界を横切った。黒い鳥に見えた。カラスによく似ているが、明らかにゾンビと思われた。
 半分頭がつぶれ、臓物をはみ出したカラスは首無し騎士の肩に止まった。くちばしを開け閉めするようすから、何か伝えているように見えた。
 首無しの手が鉄球の回転を止めた。
「主の命により、ここは我が退く」
 突然、重々しい声でそう告げた。ラノも、周りのオーシャンクローたちも、安堵のあまり腰が抜けそうになった。
「悪く思うな。代わりに土左衛門どもがお相手つかまつる」
「なんだと?」
 クロコダインが問い返した。首無しは何も答えずに馬を後退させた。その姿が闇に呑まれると同時に、海から砂州へぞろぞろと上がってくるものたちがいた。
「なんだ、ありゃ?ワカメでできたミイラか」
 一種のアンデッドなのだろう、魔界の海で命を落とした生き物のなれの果てが全身に海藻をまといつかせ、よろよろとこちらへ向かってくる。一人や二人ではなく、砂州の前方を埋め尽くす数だった。
「わあっ」
 ラノは振り向いた。悲鳴は行列の背後からも聞こえていた。砂州の後ろにもワカメゾンビがむらがっていた。
「お相手ってこれか!冗談じゃねえよ」
 ラノは思わずぼやいた。
「なに、これなら何とかなる」
 え、と聞き返そうとしたとき、ブンと音を立ててクロコダインは斧を振りぬいた。
 ふたたび風が吹きすぎた。風は目の前のワカメゾンビの群れを真っ二つに裂いた。切り裂かれた海藻が黒い水しぶきのように飛び散った。
 クロコダインは隻眼を細めてにやりとした。
「道は開いた!子供らは先へ急げ!」
 トランが声を上げた。
「聞いたか、子供らは先へ!走れ、振り返るなっ!」
 再度ワカメゾンビが集まるまでの短い時間が勝負だった。オーシャンクローの子供たちは泣きながら砂州を走っていった。
「残った者は円陣を組め!さあ、生き残るぞ!」
 オーシャンクローたちの顔に生気がもどってきた。
「よし、やれるぞ!」
「思う存分暴れてやるっ」
 オーシャンクローたちは闘志満々だった。
 ふとクロコダインがこちらを見た。
「おまえ、いっしょに逃げなかったのか?」
「う、うるせえな、自分でもわけがわかんねえんだよっ」
 ラノは全身の毛が逆立っていた。尾が勝手に足の間にはさまってしまう。身体は怖いと訴えているのだが、頭ではなぜ自分が逃げなかったのかわからなかった。
「まあよかろう。できるだけ、死ぬな」
 魔界の空はしだいに明るい色になってきた。地上の夜明けのような爽快さはないが、暗闇が後退して見える範囲が少し広くなった。
「死なずに済むなら死なねえよ」
 ぼやきながら、この空も見納めか、と内心ラノはびくびくしていた。
「んん?あれは何だ」
 片手を額にかざしてクロコダインが空を見上げていた。明るさを増したと言っても、あいかわらずどんよりとした陰鬱な空だった。が、たれこめる暗雲のふちから何か飛び出した。
 高度を下げてくると、羽ばたいていることがわかった。
「なんだよ、伝書ドラゴンが一匹戻ってきただけじゃねえか」
 それは青みがかった皮膚に小さな角のある幼竜だった。
 ラノは振り向いた。クロコダインの身体が細かく震えていた。
「あんた、笑ってんのか」
 ふふふ、とクロコダインは笑みをもらした。いきなり身をそらせ、あたりに声を響かせた。
「援軍が来るぞっ」
 一斉にオーシャンクローたちが振り向いた。
「オレの仲間たちがここへ向かっている!あのベビーニュートはやつらの道案内だ。いま少し持ちこたえろ!もうすぐだっ」
 ラノはハラハラした。
「いいのかよ、そんなこと言っちまって」
 クロコダインはにやりとした。
「あのちびすけ、首輪をしていないのだ。誰かが首輪と筒を外した。つまり手紙は届いたのだろう」
「いや、偶然かもしれないぞ」
 クロコダインは戦斧を構えた。
「もうすぐわかる。助けは必ず来るぞ」