ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第二十三話 隠れ浜のマトリフ

 厚い雲で覆われた魔界の空の片隅で、不思議な光源がやや黄色味がかった光を放っている。そのためか、魔界の空はどこか日没の気配があった。
 その光が照らすのは、魔族たちが隠れ家にしている島の浜辺だった。
「ここらでどうだ」
とマトリフはつぶやいた。弟子の諾否を待たず、老魔道士は魔力の集中を始めた。砂浜を離れてマトリフの体が浮き上がる。空中に見えない椅子があるかのように座り、片膝を立て、片足は垂らしている。腕を組んでややうつむいて背を丸め、精神を集中しているが、常識外れ、規格外の天才と称えられた老魔法使いの貫禄と無頼が、その姿を輝かせていた。
「よし」
 ポップはそうつぶやいて自らも空中に浮いた。きっちりと結跏趺坐、両手のひらを重ねた法界定印、背筋を伸ばした姿は、若さからくる一本気の具現でもあった。
「限界までいくぜ」
「わかった!」
 ず、ず、ず、と音を立てて砂浜の砂が吸い上げられた。浜の周りの海水も異様に波立っている。しだいに師弟の姿はうす青い光の粒子に取り巻かれ、粒子は二人を中心に回転し始めた。
 耳鳴りのような高い音が空気を震わせている。マトリフの眉根がぴくぴく動き、ポップの顎から汗が滴った。
「ここまで!」
 突然魔力集中が終わった。
 ぶはっと息を吐いてポップが砂の上におち、寝っ転がってぼやいた。
「あ~、しんど~」
 マトリフはよたよたと浜を歩いて、自分用に確保したロッキングチェアに腰かけた。
「若ぇくせに泣き言か、情けねえ!船を飛ばす呪文にトベルーラの応用を使う以上、膨大な魔法力が要るってのはわかりきってんだろうが」
「でもよ~、師匠~」
 言いながらポップは体を起こした。
「こんだけの魔法力をつぎこめば、船を楽に旅の扉まで飛ばせるんじゃねえか?」
 マトリフは首を振った。
「一隻じゃねえそうだぜ、船は」
 えっとポップが言った。
「ダイのやつ『魔界の住民全員』って言ったもんなあ。そうかぁ、もっと力いるよな」
 マトリフは長い煙管を取り出し、煙草を詰めて小さく炎を放った。すぐに煙が立ちのぼった。
「それだけじゃねえぞ。おまえらの言うバケモノじみたメドーサボール、あれが船を妨害してくる可能性がある」
「それは……」
 ポップは腰のあたりから砂を払って師匠のロッキングチェアに近寄った。
「おれも考えてた。そいつは竜魔人になったダイを一度退けたらしい」
 マトリフは煙を吐き出した。
「しかもそうとう執念深いらしいじゃねえか。ありとあらゆる生命を憎む、とかなんとか」
「ああ、なんとかしねえと。でも、おれの魔法力は船の操作で手一杯だ。むしろ足りないかもしれねえ」
 ふん、とマトリフは鼻を鳴らした。
「おまえは “ダブルキャスト”だろうが」
 ポップが目を丸くした。
「だぶるきゃすとって?」
「たいていの魔法使い、スペルキャスターは、手を使うにしろ杖を媒介にするにしろ、一度に一種類の呪文しか放てない。それが“シングルキャスト”だ。だが、オレは一度に二種類の呪文を扱う“ダブルキャスト”で、お前もそうだ」
「おれ?」
 ポップはきょとんとしていた。
「大魔王戦で一回やったことあるだけだけど」
「バカ言え、メドローアがそもそもダブルキャストを前提にした呪文なんだよ」
「あ、そっか。おれはどさくさでできちゃったけど、ダブルキャストって難しいのか?」
 こともなげにマトリフは答えた。
「いんや?右手で三角を、左手で四角をいっぺんに書けるような魔法使いなら、ちょいと修行すりゃあできるぞ」
「じゃ、なんでやらねえんだろ」
「そりゃおめえ、ダブルキャストをしたらそれぞれの呪文の威力がだだ下がりするからよ」
「師匠の呪文は下がってねえじゃん」
「そりゃ、オレだからだ」
 ポップは指先でほほをかるくかいた。
「あ~、そういうことか。それなら、右手で箱舟を飛ばして、左手で追いかけてくるやつに攻撃呪文を使えばいいんだな?」
「それで足りるか?」
 ポップは黙ったまま考えていた。
「いつか言っただろう、魔法使いはクールでいろ、と。いざってときにあわてることのねえように、あらゆる準備をしておくこった」
 やっとポップが顔を上げた。
「師匠、罠はどうかな」
 ん?とマトリフがつぶやいた。
「あらかじめ、箱舟の通る航行ルートを決めておくんだ。で、ルート上に罠を仕掛けて、万一ヤツが追いかけてきたら罠を発動する」
 マトリフはにやにやした。
「ヤツぁ空中を追ってくるんだろ?うまく罠にはめられるか?」
「罠によるよなあ……」
 そのままポップは口の中でぶつぶつ言いながら考え込んだ。マトリフが自分を呼んでいることに気付かないほどの集中だった。ついに老魔道士は煙管で弟子の頭をはたいた。
「あいてっ。なんだよ師匠」
「地上へ帰る前にこいつを渡しておく」
 ポップは託されたものを目の高さに持ち上げ、しげしげと眺めた。
「なんだ、これ。紙?」
 それは手のひらにおさまるような大きさのカードに見えた。
「白紙のカードだ。このあいだ、紙で作った舟をおとりにしただろう?これもあの紙舟と同じように、魔力をこめて使うためのもんだ」
「マァムの持ってた魔弾銃みたいなもんか?」
とポップはたずねた。
「似てはいるがな。魔力、呪文、魔法陣、術一式、たっぷりこめられる、呪文起動の手間はあるが。カードは三枚ある。ポップ、どんな罠をしかけるか、考えておけ」
「まあ、やってみらぁ。けど、師匠、地上へ戻っちゃうのか?まあ、トシがトシだし、魔界は辛いからな。無理させすぎたか」
 ためいきまじりにそう言った。とたんにマトリフの舌鋒が炸裂した。
「バッカ野郎、オレさまは男盛りだ!地上へ戻るってのはな、船を飛ばすためだ!」
「なんだって?」
 マトリフは真顔になった。
「魔闘演武って技を知ってるか?」

 魔族の若者イジフは、隠れ家の島の周辺にある隠れ浜まで出てきた。隠れ浜とは島の縁にある砂浜なのだが、上からトンネル状に岩がかぶさって外からあまり見えないようになっている場所だった。
――やっぱり、マトリフさんか。
 先ほど突然、巨大な魔力で島全体が鳴動した。おおかた竜の騎士の仲間の仕業だろうと魔族たちは考えたが、船長に言われてイジフはようすを見に浜までやってきた。
 隠れ家の立ち上げから、十日近くが経過している。人間の魔道士マトリフは簡単なロッキングチェアを浜において、今日も寝そべっていた。本人は、“これでお日様が差してきれいなお姉ちゃんたちがいれば文句なしなんだがな”とうそぶいていた。
 ただの日光浴気分、というだけではないのだろうとイジフは思っている。肉体の劣化が進んでいるため、魔界の環境は耐えられるぎりぎりなのだ。人間は魔族に比べて脆弱で寿命も短い。魔族にも珍しいほどの魔法力と知識、魔法技術も、あっというまに失われる。たった百歳でこれほど老化する生き物は不憫だと魔族たちは感じている。「夭折の天才」というものだろうとイジフは思っていた。
 ふと、ロッキングチェアのそばに誰かいるのに気付いた。
「冗談じゃねえよ!」
 竜の騎士の仲間、ポップという若者だった。
「いくらなんでも犠牲が大きすぎる!」
 低い声でマトリフが応じた。
「ほかに船を飛ばす手立てがあんのか」
 うなったままポップはしばらく答えなかった。
「……でも、そんなことしたら、師匠の命が危なくなるじゃねえかっ。おれはそんなの」
 マトリフはロッキングチェアの上に座り直した。かたわらから煙管を取り上げ、一服吸って煙を吐き出した。
「おめえもまだ甘ちゃんだな。オレの命ひとつでことが成るなら、割り切って使い捨てろ」
「師匠!」
「味方を効率よく殺すことを覚えねえと、おめえ、詰むぞ」
 マトリフは冗談とも真面目ともつかない口調だった。
「あのな、オレはあの世に、世界一いい女を待たせてんだよ。あんまり遅くなっちゃあ可哀そうじゃねえか」
 ポップがわめきかけた。しっと言ってマトリフはイジフのいるほうを指した。
 イジフは振り向いた。竜の騎士ダイが隠れ浜までやってきたのだった。
「どうしたの?」
「あ、いえ」
 さきほどの不穏な会話は、ダイに聞かせてはいけないような気がした。
 ダイは砂浜を踏んでマトリフたちに近づいた。
「こんなとこにいたんだ。何してるの?」
 すぱぁ、とまた煙を吐きだすと、手にした煙管でマトリフは空を指した。
「あれだ。人工太陽だな、ありゃ」
 ダイはトンネル状の岩の向こうの、夕焼けのような空と光源を見上げた。
「あれか。気になってたんだ。やっぱりほんとのお日さまじゃないよね」
 おう、とマトリフは言った。
「魔力で作り上げたアイテムなんだろうぜ」
 ポップが驚いて声を上げた。
「アイテム!いくらなんでもでかすぎるだろう」
「不可能ってわけじゃねえ。立体魔法陣を用意して、そこに魔力を蓄える。魔法陣を発動させると呪文が魔法力を発揮する。同時に使った魔力を少し回収する。だから術者が死んでも、仕掛けが残っていれば魔力は繰り返し放たれる」
 すげ~、とポップはつぶやいた。
「誰がつくったんだ、いったい」
 さあなあ、とマトリフは言い、また煙管をくわえた。
「まあ、魔族だろう。しかも、信じられないほど莫大な魔力の持ち主だ。造ったのは、大昔だ。これほど古い、精密な魔法にお目にかかるとは思わなかったぜ」
「マトリフさんよりも?」
「たりめぇよ!何千年て単位の昔だ。それなのにいまだに人工太陽としての機能を保っている。こいつぁとんでもねえシロモンだ。けど、それもまあ、長かねえな。回収されるべき魔力がほとんど残ってねえ」
 頭上の光源はいかにも弱弱しく、黒い水平線の下へ落ちようとしていた。
「マトリフさん!あれを造り直せば、あいつの弱点にならないかな」
 ダイの言うあいつとは、黒い海の支配者メドーサボールのことだった。
 うんにゃ、とマトリフは言った。
「どこまでいってもありゃ模造品だ。生命エネルギーをもってねえんだ。地上のおてんとさまと比べてみねぇ。こう、緑をはぐくむチカラとか、包み込むようなあったかさとか、全然違うだろうよ」
「う~ん、だめか」
 急にマトリフは真顔になった。
「いや、待てよ。昔、本で読んだな、命のエネルギーを蓄えた疑似太陽のことをよ」
 大きな袖の両手を組んで、マトリフは考え込んだ。
「なんだよ、師匠?」
 あ、いや、と珍しくマトリフは口ごもった。
「ダイ、オレもそろそろ地上へ戻るかと思っていてな。おまえら、計画はどうなった?まず、箱舟は?」
「箱舟建造班は順調だぜ」
とポップが言った。
「ベンガーナから、半完成状態で部材が届いてる」
 にやりとマトリフは笑った。
「魔族の船大工の衆は、いやがりゃしなかったか?」
 くすくすとダイが笑った。
「最初は馬鹿にしてたよ。しょせんニンゲンの作るもの、って言って。でも魔法の筒からパーツがごろごろ出てきたら、目つきが変わっちゃった。親方なんぞ興奮して、これなら予定より早く造れそうだ、って」
 お、とマトリフが言った。
「そういやあ、箱舟はいくつか造るそうだな。この隠れ家は手狭じゃねえのか?」
 ダイがうなずいた。
「四隻造るんだって。たしかに、地底湖のドックだけじゃ狭いかもね」
「ポップ、おまえ、マホカトールを使えるはずだな?この島を中心に結界を張って黒い海を締め出して、あとはレムオルで偽装してみろ。ダイ、住民招集班はどうだ」
「チウが来たよ」
とダイが嬉しそうに言った。
「獣王遊撃隊のみんなもいっしょに。魔界出身の隊員もいるから、その案内で魔界中避難民を探すんだって」
 ほう、とマトリフはつぶやいた。
「大丈夫か?だいぶ、物騒だぞ」
 ポップが肩をすくめた。
「それが、ここ二三日、カラスと狼のゾンビが見当たらないらしい。あいつら、全然別の地域を探してんじゃねえかな。それに獣王遊撃隊はみんなモンスターだから、黒い海の影響は受けにくいってよ。第一チウには用心棒にヒムがついてる。あとはグリズリーにバピラスか」
「まあ、餅は餅屋の例えもあるな。てことは、ダイ、あとはおめえの剣か」
「それなら大丈夫。ノヴァがすごくがんばってくれてる。このあいだノヴァがわざわざ魔界まで来てくれたんだ」
 それ、あれだろ?とポップが言った。
「おめえの手を確かめるってやつだろ?」
「そっちのほうは、ロン・ベルクさんが覚えてるから大丈夫だって。ノヴァにはダイの剣を渡したよ」
「おめぇ、丸腰になっちまうじゃねえか!」
「うん、まあね。でも、身長も腕の長さも伸びたから、どうしても調整が必要なんだって。それより、今は竜騎衆をどうするか悩んでるんだ」
 マトリフが首をかしげた。
「一人は確保していたはずだな、たしか、ラーハルトって言ったか」
 うん、とダイはうなずいた。
「陸戦騎はラーハルトに頼むことにした。ラーハルトの話では、陸戦騎は陸棲ドラゴンを乗りこなす実力がないといけないんだって。海戦騎は海の、空戦騎はそれぞれ空の竜たちのドラゴンライダーだって」
 ほう、とマトリフは言った。
「それでね、この魔界で海のドラゴンたちはひどく被害を受けたらしいけど、クロコダインなら水棲ドラゴンたちをまとめてくれると思う」
 マトリフは何度かうなずいた。
「『海戦騎クロコダイン』か。いいじゃねえか。それで?空はどうする?」
「それが決まらないんだ。先代空戦騎ガルダンディーは自前の翼があって飛竜たちをまとめられたって言うんだけど、そんなことのできる仲間がなかなかいなくて」
 マトリフは煙管でポップを指した。
「こいつならできるんじゃねえか?」
 ポップは顔の前で片手をぱたぱた振った。
「この魔界でトベルーラは勘弁してくれ。それにおれ、空戦騎っていいイメージねえんだ」
 う~とダイがうなった。
「そうかぁ。ヒュンケルにも無理だって言われたし。なんとかしないと」
 あ、とダイは言った。
「ヒュンケルがこんなこと言ってたんだ。敵の陣営に首無しの騎士がいるんだって」
 ポップも驚いたようだった。
「なんだそりゃ?おれも初耳だぞ」
「このあいだまで監視役の屍カラスと狼ゾンビがいたよね?同じモンスターたちを引き連れた首無しの騎士に魔界で会ったことがあるんだって。かなり腕の立つ戦士で、あのメドーサボールのためにそいつは箱舟の妨害をしてくるかもしれない」
「お供が同じってだけじゃ、敵とは言い切れないだろ?」
「クロコダインは実際に戦ったそうだよ。得物は鎖につながった大きな鉄球で、パワーでクロコダインと互角だったって」
 ポップは真顔になった。
「おっさんと同じくらいって、そいつはやばくないか」
「やばいよね」
 うむ、とマトリフもうなずいた。
「ダイ、ポップに妨害対策用の仕掛けを渡してある。そいつを活用してくれ。確認しておくが、目的は討伐じゃなくて脱出、でいいんだな?」
「そうだよ。大魔王戦ではみんなが犠牲になっておれを進ませてくれた。こんどはおれがみんなを守って進むんだ」
「わかってるならそれでいい。あとは箱舟の推進力だな」
「それもポップに任せていい?」
 ポップは何か抗議しようとして口を開いた。ちら、とマトリフが視線を交わした。先ほどの不穏な会話のことを話すな、と目で言ったらしかった。
「ああ。まかせろ」
とだけ、ポップは答えた。