砂州には再びワカメゾンビの群れが押し寄せていた。クロコダインはまわりに声をかけた。
「おれが遠距離からやつらを吹き飛ばす。散り散りになれば各個撃破が可能だ。用意はいいか」
あたりから雄叫びがあがった。
悲壮な顔をしていたオーシャンクローの戦士たちが生気を取り戻した。この勢いにのって少しは敵を減らしておきたい。そう思い、クロコダインは借り物の武器の柄を握り直した。
クロコダインがオーシャンクローの砦の蔵で見つけたのは、かなり古いが重くて頑丈な戦斧だった。新しく柄を作り直してもらい、その斧をひっさげてクロコダインは殿軍を務めている。
砂州の周囲の海は魔界によくある紫がかった海水だが、浅瀬の向こうの沖は墨を流したような黒一色だった。
沖の波間には銀の鱗に覆われた海蛇の太い胴が絶え間なくうねり、浅瀬の周りを壁のように取り巻いていた。銀鱗の山が波に乗って大きくうねった。そのうねりに合わせてワカメゾンビが上陸してくるのはわかっていた。
「まだだ」
クロコダインはつぶやいた。やつらが押し寄せ、集団で間合いに入るのをオーシャンクロー側はじっと待った。
ぐっとクロコダインは腕に力を込めた。大量の闘気を腕に通じ、その力を武器に伝える。片足を前に出してタイミングを計った。
四本の爪が砂をとらえてギシギシとめりこむ。
命のエネルギーそのものが深々と斧の分厚い刃に吸収されていく。
静寂ではなく、緊張をはらんだ沈黙の時がじりじりと過ぎた。
敵がついに間合いのラインを越えた。
「ハアッ!!」
気合とともにクロコダインは虚空を戦斧で切り裂いた。
最初の攻撃が突風なら、それは竜巻だった。最前列のアンデッドたちは形のない暴力に巻き込まれ、一二度踊るように動いたかと思うと体幹からねじ切れて飛び散った。
後列は大混乱に陥った。
「やつらを狩れ!」
戦士タァンニの号令で竜人たちが走り出した。剽悍な動作で男も女もためらいなく敵にとびかかっていく。鉄の爪が腐った肉片を盛大にえぐり上げた。
「足を壊して動きを止めろ!」
「戦えなくなった敵は海へほうり込め!」
オーシャンクローたちは砂州のあちらこちらで鉄爪をふるっていた。
だが、しだいにオーシャンクローたちはいらだってきた。
「こいつら、しぶとい!」
痛みを感じないアンデッドは、しつこく戦士たちに食い下がった。一体の敵を戦闘不能にするために味方は数人がかりで思ったより時間がかかる。オーシャンクローの動作に疲労が見えてきた。
ふたたび海蛇の胴がうねった。若い戦士がつぶやいた。
「また来るのか」
うんざりした口調だが、怯えが混じっていた。
クロコダインは声を張った。
「援軍が来る前にあきらめるな!ここが正念場だっ」
おうっ、と仲間が叫び返す声もとぎれとぎれだった。
ぴく、とクロコダインの顔がひきつった。強い闘気を感じた。
首無し騎士が戻って来たか、と思い、クロコダインはぞくりとした。あの首無しでなくても、この戦の敵の中に暗黒闘気の使い手がいるのか。絶望が視界を黒く塗りつぶそうとしていた。
――いや、これは、まさか、光の闘気かっ?!
左右に顔を振ってクロコダインは闘気のでどころを探した。この魔界で光の闘気をここまで高めることのできる戦士は、地上から来た仲間しかいない。
どん、と戦斧を足元に突き立て、クロコダインは片腕に全身の意識を集中した。光の闘気のチャージがみるみるうちに高まっていくのがわかった。
「ここだぁっ!」
虚空の一点に照準を合わせ、クロコダインは闘気を放った。
「獣王激烈掌!」
間髪入れずに光の闘気が放たれた。
「グランドクルス!」
海藻の化け物の大軍を吹き飛ばし、二か所からの攻撃が海蛇の長大な胴の一か所をねじ切り、吹き飛ばした。
オーシャンクローたちは両腕を天へつきあげ、大歓声をあげた。その中へ飛び込んでくる人影があった。
クロコダインは目を見張った。
「無事だったか、クロコダイン」
いつものように冷静にヒュンケルはそう言った。クロコダインのほうはとても冷静ではいられなかった。
「ヒュンケル、闘気技を使ったのか。使えるまでに回復したのか。おまえは」
孤高の戦士だった男はうなずいた。
「そうだ。二度と戦えないと言われた。だが、見ての通りだ。クロコダイン、よく合わせてくれた」
礼を言うならこちらのほうだ、とクロコダインは思ったが、笑いがあふれ出るのを止められなかった。目の大きな幼い少年の、こくりとうなずいた笑顔を思い出していた。
――おお、すまんな、ボウズ。
「長いつきあいだからな!」
ぶん、と音を立てて戦斧をとりあげ、かまえた。
「あれは敵の一部だ。まだ本隊が残っているぞ」
「心配するな」
くい、とヒュンケルは海の方へあごを振った。
「助っ人はまだいる」
クロコダインは目を凝らした。その方角は海蛇の胴をねじ切ったところだった。魔界の黒い海の上を小舟が進んできた。
舟は浅瀬の手前で止まった。そこから二人が飛び降りた。バシャバシャと波を蹴立ててこちらへ走ってきた。
「ラーハルトが来たのか」
半人半魔のラーハルトは愛用の鎧を装備して槍を携えていた。その姿はクロコダインもよく知っていた。もう一人は十代の若者で、種族はおそらく人間だと思われた。
クロコダインは首をひねった。全く見覚えがないというのに、この人間の若者はなぜかとても懐かしい雰囲気をもっていた。
「誰だ、あれは」
「誰だと思う」
ヒュンケルが満足そうに尋ねた。
答える前に、悲鳴が起こった。オーシャンクローたちが一方向を指して叫んでいた。
「砂州が、壊れる!」
トラン族長が血相を変えた。
「なんと、あの海蛇ども、浅瀬を砕いているぞ!」
うねうねと砦の周りをまわっていた銀鱗が一か所に集まっている。今のクロコダイン、ヒュンケルの同時攻撃の結果、ワカメゾンビにまかせておいては勝てないことを悟り、海蛇どもは実力行使に出たようだった。
「退避急げ!」
トランは声をからして一族を呼び集めた。オーシャンクローの戦士たちはいっせいに族長の元へ走り寄った。
あの人間の若者は一人その中から突出した。群衆とは反対に海へ向かって走りながら抜刀していた。
ラーハルトはその背後を守るように立ち、頭上で槍を無造作に回転させた。ハーケン・ディストールの一撃で、黒いアンデッドのほとんどが木っ端みじんに砕け散った。
そうしている間にも、若い剣士は走って海蛇に接近していた。たいていのヒトは足首が隠れるほどの水の中を走るのは苦手なはずだが、若者はものともせずに距離を詰めていく。
魔界の上空にたれこめる厚い雲の中に、稲妻が閃いた。
「あいつが呼んでいるのか」
剣士が右上段に剣を構えると、バチバチと音を立てて刀身に雷がまとわりついた。
大口を開けて海蛇は威嚇した。
剣士は浅瀬から、身長の数倍の高さを軽々と跳んだ。
空中で剣を頭上に振りかぶって激しく振り下ろした。
「ギガブレイク!」
稲妻が魔界の薄闇を裂いて白く煌めき、斬撃と共に轟音が鳴り響いた。
跳躍、振り切り、着地、どの動作も百戦錬磨の戦士の余裕をそなえ、力強くも華麗だった。
浅瀬に着地した剣士の向こうで、巨大な蛇体はほとんど頭部をつぶされ、ぐしゃりと砂州へ崩れ落ちた。そのまま自重に引かれて海中へ滑り落ちて消えた。
クロコダインは、うなった。その技の威力は身をもって知っている。バラン亡き今、ギガブレイクを使うことができるのは、その息子以外にありえなかった。
「ダイ」
ギガブレイクの剣士はふりむき、笑顔になった。
「クロコダイン!よかった!」
クロコダインめがけて駆け寄りひとなつこく飛びつくと、ぐりぐりっと額をこすりつけて彼はそう言った。クロコダインは驚きのあまり息が止まりそうだった。
「待った、顔を見せてくれ」
ぱっと若者は顔を上げた。
記憶の中の丸みを帯びた幼な顔が、目の前の大人の顔に重なる。ほほにX字型の傷を見つけてクロコダインは一瞬鼻の奥がツンとなった。
「ダイ、本当に、ダイか!」
「うん、おれだよっ!」
あけっぴろげの笑顔は変わっていなかった。
「よく無事でいてくれた!なんと、バランによく似ている」
珍しいことにラーハルトが、くしゃ、と表情を崩した。
クロコダイン殿、と名を呼ばれて振り向いた。オーシャンクローの族長トランだった。
「お仲間は、人間だったのか。わしはまた、てっきり……」
獣人の援軍が来ると思っていたらしかった。
「トラン殿、言葉足らずで悪かった。が、こいつらは、強い。見ての通りだ」
ヒュンケルが声をかけた。
「あなたが族長か。海の中の大きな生命の反応が衰えていない。仲間がいるのか、本体が回復しているかだ。急いだほうがいい」
トランがうなずいた。
「了解した。礼はのちほどさせていただく。クロコダイン殿もお仲間と共に避難所までおいでくだされ」
あたりは、魔界にしては明るいと言えるくらいになっていた。再びオーシャンクローたちが移動を始めた。クロコダインたちはその最後尾についた。
「みんな、よく来てくれたな」
「礼は手紙を運んだベビーニュートに言ってくれ」
と、ヒュンケルが言った。
「そうしよう。あとであのベビーニュートにはうまい餌でも探してやらなくてはならんな」
「おれ、あの子とすっかり友達になっちゃった」
「幼いとはいえドラゴンですから。誰が庇護してくれるのかを理解しているのでしょう」
ダイとラーハルトは楽しそうに話していた。
「あの子が持ってる卵もドラゴンの卵なのかな?」
「卵だと?そんなもの、こちらを飛び立つ時は持っていなかったぞ」
クロコダインが尋ねるとダイはうなずいた。
「みんなと合流するまでいろいろあったんだけど、気が付いたらベビーニュートが卵を抱えてたんだ」
「まさか、産んだのか?」
「あの子、男の子だよ。でも卵の傍から離れたがらないし、誰にも渡さないんだ」
そう言えば、とクロコダインは言った。
「ダイ、魔界の影響はあるか?闘気や魔法力を削られる感じはあるか?」
正統の竜の騎士と人間の姫のハーフであるダイは、どちらの体質を継いでいる可能性もあった。
「最初はいやな感じがしたけど、おれ、今はかえって体が軽いかも」
「……そうか」
あははっと明るくダイは笑った。
「うん、おれ、人より魔にちかいみたい」
「それでよろしいのです」
とラーハルトが言った。
「魔に近くて悪いことなどないのです」
「そうだね。人も魔も、どっちもおれだもん」
ふっふとクロコダインは笑った。
「つくづく大人になったな」
えへ、と笑ってダイは首をすくめた。
「おれがぐずぐず悩んでたら、ポップに怒られちゃった」
「ポップたちはどうした?」
ヒュンケルが簡潔に説明した。
「魔界探索メンバーは四人まで。ダイとおまえがいるので、オレが残ってポップとマァムが地上へ戻り、ラーハルトが来た」
「よくポップが応じたな」
「七日の期限が来ていたからな。それにラーハルトが魔界へ行かせろと言ってきかなかった」
ラーハルトは肩をそびやかした。
「ダイ様が見つかった以上、真っ先にはせ参じるのはオレの役目だ!」
●
ヴィオホルン台地の天幕の中に、怒声が響き渡った。
「ダイ様が見つかっただと!なぜ早く知らせない!!」
交代役として天幕に待機していたヒムが飛び上がるほどの大声だった。
「なんだ、なんだ」
「魔界で勇者様が見つかったようです」
カール兵の一人が小声で教えてくれた。
「そいつぁよかったな。おいラーハルトさんよ、落ち着け」
天幕の中にあった「王女の愛」から、ポップの声が聞こえてきた。
「わめくなよ。ちょっと待ちな。声、聞かせてやっから。ダイ?ラーハルトが」
「ダイ様!そこにおられるのですかっ」
ヒムの言うことなど耳に入っていないらしかった。
「ラーハルトだね?おれ、ダイだよ。心配かけてごめん」
口調はダイのもの、だが子供の高い声ではなく、大人の男の声に近くなっていた。
「ダイさまっ」
こいつ泣き出すんじゃないかとヒムが心配したほどラーハルトは興奮していた。
「よくご無事で!すぐにお戻りください!」
「そうしたいんだけど、まだ魔界にクロコダインがいるんだ。クロコダインを助けたら地上へ帰るね」
クロコダインは魔界で敵に襲われて海へ流された、とヒムは聞いていた。
「ならばお手伝いいたします。すぐにそちらへ行きますから」
おいおい、とヒムは言った。
「次に魔界行くのはオレの番だぞ?」
ラーハルトはいきなり振り向き、嚙みつくように叫んだ。
「ダメだっ、今ばかりはダメなのだ。ダイ様のおそばに行かなくてはっ!頼む!」
誰かがヒムをつついた。
「ラーハルト君の希望を通してやりたまえ。彼にとっては特別な意味があるのだろう」
例によってチウであり、いつものように上から目線だった。
「特別?」
うむ、と言ってチウは腕を組んだ。
「彼にとってのダイ君は、ヒムちゃんにとってのハドラーのようなものだ」
ヒムは長い髪を通して頭をかいた。
「ま、そう言われちゃ、むげにもできねえな。ここは隊長さんの顔をたてるぜ」
ポップの声がした。
「おーい?ヒムでもラーハルトでもいいんだけどさ、こっちへ来るときに持ってきてほしいもんがあるんだ」
かぶせるようにラーハルトが叫んだ。
「なんだ?早く言えっ」
「ダイの剣をあの岬から抜いてこられるか?」
「抜いてやる。何が何でも引っこ抜く!」
「それと、聖水をたくさん用意してくれ。あとアバン先生に頼んで、あるだけのシルバーフェザーをもらってきてくれ」
たしかシルバーフェザーとは優れた魔法力回復アイテムだったはず、とヒムは思った。
ラーハルトはいぶかしげだった。
「何に使う?」
「生きてるだけでそれだけ必要だ。ヤバイ土地だからな、魔界は」
まざりけなしの人間のくせにわかったようなことを、とラーハルトはぼやいた。
「要るものはそれだけか?」
あ~、とポップの声が聞こえてきた。
「おまえ、アレが手に入らないか?あったらダイの役に立つと思うんだが」
ポップの注文を聞いて、ラーハルトが言葉を失った。
●
オーシャンクローたちは新しい島で忙しく作業をしていた。島のもともとの住人たちは退去したのか、それとも絶滅したのか、集落は廃墟となっていた。
オーシャンクローの大人たちは協力して集落の周りに簡単なバリケードを築いていた。これから廃墟を住めるように整え、新しい拠点とする作業を続けるのだろう。
ヒュンケルたちはトラン族長はじめ一族の長老たちともに、集落に近い入り江にいた。その入江は浅瀬の続きらしく、紫色の海で透明度も高かった。
「トラン殿、この島も危険の度合いは沖の砦と変わらんようだ。もっと内陸へ移る気はないのか?」
クロコダインの問いに、トランは首を振った。
「それができない理由がござってな」
トランは紫色の海に視線を投げた。その海で何かが動いた。
「あれは、トサカか?」
長老が答えるよりも早く、海面からトサカの主が顔を出した。長い首を持った海竜だった。
その向こうに巨大な魚がぬっとあらわれ、また潜っていく。全身を甲冑めいた外骨格で覆った古代魚だった。
クロコダインは入り江をのぞきこんだ。
長いせびれのある水竜、前足のあるサメ、翼のような大きなひれを付けた海蛇などが、湾内にひしめいていた。
「ヘルダイバー、デイコング、オーシャンナーガ、ガメゴン、シャークマジュ……」
オーシャンクローの長老は一体ずつ指さして教えた。
「かつて魔界の海を支配した水棲ドラゴンの生き残りたちです」
「生き残り、ということは、他の個体は全滅したのか」
「残念ながら、その通りです」
と長老は言った。
「昔は魔界のごく一部だった黒い海がここまで拡大した結果、一番被害を受けたのがマーマンや我々オーシャンクローなど海に棲む種族でした。魔界の海は水棲竜族の住処であり餌場だったのですが、それがすべてあの巨大海蛇の支配領域に入ってしまいました。水棲竜族は、そもそも黒い海をひどく嫌うのです。ドラゴンたちはやつらの入れない浅瀬に集まり、我々オーシャンクローの一族が守っていました」
「そしてご一統と共にこちらへ逃亡した、ということか」
とクロコダインがつぶやいた。
トランはうなずいた。
「逃げる途中でだいぶ数が減っています」
長老たちはうつむき、お互いに嘆きあった。
「そもそも、今の魔界でどれだけの生き物が残っているやら」
「我々は亡びを待つしかないのか」
「どうしてこのようなことに!」
キーイィィィィ、と長く音を引いて首長竜が鳴いた。滅びの運命を嘆くかのように、哀切な響きだった。
それにつられたようにボォウ、ボォウと音が沸き上がった。
あっという間に水竜の入り江は不穏な騒音に満ちた。