マァムはインナーの上に武闘着を身につけ、荷物を背負った。旅支度はこれから魔界へいくためのものだった。
「みんな大丈夫かしら」
ダイの決意とゲートキーパーとの交渉は、マァムにも伝えられていた。そのためにマァムはブロキーナの元を訪れて、武神流武術に磨きをかけていた。
「古代より伝わる闘気技に、魔闘演武というものがあっての」
とブロキーナは説明してくれた。
「一人の演者が闘気を高め、もう一人の演者に渡す。渡された方はさらにその闘気を練り、相手に打ち返す。それを繰り返して練り上げた闘気の塊を敵にぶつけるんじゃ」
マァムは目を見張る思いだった。
「そんなことができるなんて……老師は体得されているのですか?」
意外にもブロキーナは首を横に振った。
「すまん。ワシも話に聞いただけなんじゃ。というのも、魔闘演武は同等の力を持った二人の演者が闘気をやり取りして練り上げる必要があるからの」
マァムには想像がついた。武術の神と称えられるブロキーナには、自分と同等の力を持った演者などいなかったのだろう。
「いつか、私が老師の相手役を務められる日が来るかしら」
そうつぶやいて、マァムは歩き出した。
その場所はパプニカ王国の城の前だった。そこから徒歩でヴィオホルン山の天幕まで行くつもりだった。スタート地点の王都は戦火の跡もなくきれいに整えられ、足元には石畳が敷かれていた。
石畳の上を馬車が走る音がした。誰かに名前を呼ばれてマァムは振り向いた。
「よかった、マァム、あなたに会いたかったの」
レオナがそこにいた。
背後には扉にパプニカ王家の紋章を描いた贅沢な馬車があり、そこから降りてきたようだった。いつもそばについている賢者たちは姿を見せなかったが、侍女や護衛兵などが脇に控えていて、レオナはどこから見てもお姫様だった。
「ダイ君に聞いたわ。パプニカのナイフ、渡してくれたのね。ありがとう!」
レオナの表情が明るかった。カールの庭園で泣いていたレオナの顔を思い出してマァムはホッとする気持ちになった。
「役に立ってよかったわ。ダイにはもう会った?声を聞いただけ?かっこよくなったわよ、レオナより背が高くなったんじゃないかな」
ふふ、とお姫様は笑った。
「早く会いたいわ。でもその前にすることを思い出したの。マァム、あなたにお礼がしたいわ。お茶とお菓子につきあってもらえないかしら」
「お礼なんて気にしないで」
レオナは首を振った。
「ナイフの件は、あたしにとってすごく大事なことだったの。お礼をさせてちょうだい。それほどお手間は取らせないから、お願い」
眼を潤ませ、白い手を握り合わせてレオナがそう言った。すかさず侍女たちが馬車の扉をうやうやしく開いた。白絹張りのぜいたくな内装が見えた。
「わかった。じゃあ、少しだけ」
レオナはぱっと笑顔になった。お先にどうぞ、という仕草を見て、マァムはおそるおそる馬車に足をかけ、乗り込んだ。クッション入りのシートは柔らかく、快適だった。
軽やかな音をたてて馬車の扉が閉まった。
「レオナ?」
同じ馬車で行くのじゃないのかしら、と思った瞬間、声が聞こえた。
「捕ったわ!すぐに城内へ向かうわよ!」
馬車が急発進した。
「プロジェクトチームを全員集合させて!大仕事よ!」
どう聞いてもそれは、仲良しの女の子にお茶をふるまう話ではなさそうだった。
「ちょっと、レオナ!?」
クレームをつけたいのはやまやまだったのだが、そのあとは言葉にならない。スピード狂王女の運転では、舌を噛みそうだった。
●
レオナのチームは半数が女王のアトリエに集合していた。
「こちらなどは、いかがでしょうか」
レオナの前に広げられているのは、大人二人が左右から支えるほど大きなイーゼルに架けられたデザイン画だった。
「女盗賊スタイルでございます。使用する布はこちらを」
レオナのデスクの上に、さまざまな材質の黒い布が広げられた。
「悪くないわ。あの子には絶対似合うと思う。動きやすそうだから戦いの邪魔にもならないし。でも」
職人たちが緊張した。
「これは却下します」
ですが!と女盗賊を推す職人が抗議した。
「法術で編み上げたこの布は物理防御、魔法防御共に高い優れものです!」
ぴしゃりとレオナが言った。
「ダメよ。だって、黒一色じゃつまらないじゃない」
そこか!とつぶやいて職人が下がった。次の職人が別のデザインを持ち込んだ。
「自信作でございます。戦姫スタイル。身体に沿ったミニマムなスタイルに長く優雅なオーバースカート。ただし前身ごろはスカートがないので、蹴り技のし放題です」
「そうねえ」
口元に手を当てて、レオナは考え込んだ。
「これはすてき。でも何かが足りないの」
次の職人が自分のデザインを持ち出した。
「ビスチェスタイルはいかがでしょう。天使のビスチェは背中に羽をあしらいますが、これをリボンに変更しまして……」
使用する布地の性能やデザインのポイントなどを職人は長々と話し出した。
「待って。ビスチェは以前からあるスタイルだわ。新味がないのよね」
「新味がなくとも根強い支持のあるスタイルと言えるのでは」
レオナが答えようとしたとき、部屋の入り口で騒ぎが起こった。
「レオナ!」
ぶかぶかのバスローブ一枚に素足、そして頭から湯気をたてたマァムが立っていた。
「あらマァム、ごきげんいかが?」
レオナは悪びれない笑顔を見せた。マァムはバスローブを身体の前でかきよせた。
「……悪いわよ。こ、こんな目に合わせるなんて、恨みでもあるのっ!?」
レオナはデスクに頬杖をついた。
「こんなって?」
「お城へ連れ込まれて、奥へ連行されて、ふ、服を、全部……」
真っ赤な顔のまま口ごもるマァムの後を、レオナが続けた。
「ひっぺがされて、お風呂へたたきこまれて、磨き上げられて、サイズ測られて?」
「そ、そうよ、いったい何を」
にっこりとレオナは微笑んだ。
「服を作るの、あなたの」
ふ、という形の口のまま、マァムはかたまった。
パンパン、と手を叩くと、最後の職人がデザイン画を披露しにきた。
「神竜スタイル。伝統的な武闘家のテイストです」
マァムはぽかんとして、レオナは得意げに、そのデザインを見上げた。
袖の無い、チャイナカラーで打ち合わせるスリムなシルエットのドレスで、その丈は足のすねに達する長さがあった。その裾から太ももまで長いスリットが入っているので、着用すると太ももまでほとんど丸見えになる。ただしむき出しの足は膝下のブーツ、腕は肘までの手甲で覆われていた。
マァムは声もなくそのデザイン画に見入っている。言葉は控えめに、だが自信に満ちた笑顔で、職人は生地見本を差し出した。
「身頃に使うのはこちらです。瑠璃紺の生地は我がパプニカ法術の秘儀を駆使した魔法防御特化の特殊布、そこに白と藤色で竜の刺繍を入れます。同系統の布をストールにして腰骨にかかるように巻いて結び、アクセントに。さらに防具として肩当と心臓の上の胸当て……」
職人の話を聞きながら、レオナはマァムのようすもうかがっていた。
「……以上となります」
「ありがとう。総経費はどのくらいかしら」
職人は年配の男だったが、半笑いを浮かべた。
「完成したら国宝クラスです。経費などとても算出できませんが、強いて言うなら一億ゴールド以上でしょうか」
うっとりと見とれていたマァムの表情に電撃が走った。
「そんな、えっ?ちょっ、ちょっと待って」
レオナは微笑んだ。
「いいわ。このデザインで取り掛かってちょうだい」
両手のひらをレオナのデスクにばんと乗せて、マァムが叫んだ。
「待ってレオナ、私、そんな高価な物いただけないわっ!」
デスクにまた頬杖をついて、レオナはマァムを見上げた。
「言ってなかったかしら。パプニカの主要産業はね、テキスタイルなの」
はい?とマァムがつぶやいた。
「鋼鉄より守備力の高い布を、技術と魔法と法術で織り上げるのがうちの得意技なのよ」
チームにむかって軽く手を振ると、職人頭を残してみなが退出していった。
「王族の着る服はその集大成だから、高く売れるの」
「で、でも、私は王族じゃないし」
そうね、と答えてレオナは笑みを浮かべた。
「でもあたしは王族だから、考えたの。国も国立の工房も復興が進んでるし、そろそろパプニカの布を世界中に売り込むときが来たわって。そのためには実際に着てみせるのがいいと思うの。それには、最高のモデルが必要だわ。そうでしょ?」
しばらくぽかんとしてから、マァムはおそるおそる自分の鼻を指さした。
「私?」
レオナはにこやかにうなずいた。
「ずっと思ってたわ、マァムは最高のモデルになるって」
そう言うと両手で自分の頬をはさみ、じっくりマァムを眺めた。
「あとは脱毛とネイルと眉ね。それからもちろん、髪。スタイルは申し分ないわ」
さっとふりむいた。職人頭が寄ってきた。
「さきほどの神竜スタイル、色が違うわ。この娘が着るの。桃色の髪に合わせて薄紅はどうかしら」
職人頭はかくしゃくとした老女だった。あごに指をあて、じっくりとマァムを眺めた。
「パールでまいります」
有無を言わせないという口調だった。
「瑞雲を織り地にいれた光沢のあるパールグレーの生地に、刺繡は鳳凰で。チャイナボタン、パイピングにフューシャ、マゼンタ、オーキッドを、ストールにバイオレットとゴールドを使いましょう」
「それならアクセサリも真珠系がいいわ。髪飾りにピアスね。楽しみだわ」
そう言うとレオナはマァムに笑いかけた。
「さあ、ダイ君たちが魔界で待ってるんでしょ?物理防御、魔法防御、耐ブレス、耐状態異常を極限まで高く、素早さを活かすことができて、かつ戦いやすい服。工房に出した条件はこんな感じ。どうかしら」
マァムはただコクコクうなずいた。
「いいそうよ?さっそく始めて」
レオナ様、と職人頭が言った。
「プロジェクト全体の名称をまだおうかがいしておりませんが」
「ぷろじぇくと?」
魂の抜けたような声でマァムが繰り返した。
「プロジェクトですとも。国を挙げての大々的な売り出しなんですからね。そうだわ」
レオナは微笑んだ。
「タイトルは『武神絢爛』。これでいくわ」
「かしこまりました」
そう言って職人頭は頭を下げ、きびきびと退出していった。
「さー、長丁場になるわよ。『武神絢爛』が仕上がって、マァムが着て、絵姿を描き上げるまでね」
そう言って、にこ、と微笑んだ。
マァムはため息をついた。
「さっきのは何だったの?目がうるうるして“お手間は取らせないから”って言ったのは」
けらけらとレオナは笑い飛ばした。
「お手間は取らせないって言ったの、あれ、ウソなの。でもお茶とお菓子はほんとうよ。甘いものはいかが?」
レオナは背後のワゴンを指した。銀のティーポットと、大量の焼き菓子、チョコレート、クリームが見えた。
マァムはまたぽかんとして、それからレオナの対面にどかっと座り込んだ。控えていた侍女がワゴンを滑らせ、デスクにお茶と菓子を並べ始めた。マァムはバスローブの袖をめくりあげた。
「こうなったら遠慮なんてしませんからね。全部いただくわ。私を甘く見ないことね。おかわりを用意して!」
「いくらでもあるわ。そーよ、最初っから遠慮なんてしなけりゃいいのよ。あたしもお茶につきあうから、お話ししましょ。ねえ、マァムがあの『武神絢爛』を着たら、真っ先に見せたいのはどっちの彼なの?」
ぶほっと音を立ててマァムがお茶を噴いた。