ダイの大冒険二次・捏造魔界編 第十六話 海の魔族

 ベビーニュートは、小さなかぎ爪のある足で船倉の床板をつかみ、よたよたとやってきた。
 帆布らしい大きな布をたたんでつくった粗末な寝床に、ダイがいた。ベビーニュートは鼻づらをダイの顔に近づけ、きゅう、と鳴いた。
「ダイは寝ているだけだ。心配するな」
 ヒュンケルが声をかけた。
 ダイは眠り続けていた。自分がかつて知っていた少年のダイと同じ、あどけない寝顔だった。そして紋章は見えなくなり、体の形状も竜魔人からヒトに戻っていた。
「回復役がいないのはきついな」
 自分自身を含め、回復技を使える者が今のパーティにはいない。ダイをできるだけ安静に寝かせ、ただじっと回復を待つしか方法がなかった。
 ざぶん、と音がして、部屋がゆらいだ。その部屋はとある船の船倉だった。扉をノックする音がした。
 ベビーニュートはあわてたようにダイのそばから離れ、木箱の上に登った。そこには布でまいた小さな卵がある。ベビーニュートはその、うずらの卵大の小さな白い卵を守るように抱えこみ、じっとしていた。
 ヒュンケルは立って船倉の扉を開けた。クロコダインだった。
「ダイのようすは?」
「変わりない」
 ふうむ、とクロコダインはうなった。
「実は、この船の衆が、ダイを引き渡せと言っている」
 なに、とヒュンケルはつぶやいた。
「まあ、待て。今、オーシャンクローの戦士が船まで来て、話し合っている。タァンニという男だ。タァンニによると、この船の魔族とは旧知の間柄で、交易などのつきあいもあったそうだ」
「なぜ、この海域に?」
 偶然にしてはできすぎだとヒュンケルは考えていた。
「オーシャンクローが移住の前に助けを求める手紙を伝書ドラゴンで送った。それを見てやってきたそうだ」
「わざわざこの危険な海に船を出してか?」
「タァンニによると、この船の魔族は大船団を作って海上生活をする一族だとか」
「そうか。しかしそんな魔族が、なぜダイを?」
 クロコダインは首を振った。
「わからん。とにかく頑固で、ダイの身柄を渡してほしいと主張している」
「オーシャンクローにも理由がわからないのか?」
「うむ。タァンニは首をかしげていた」
 メドーサボール戦のあと、ダイが水没し、助けようとしたヒュンケルたちも溺れかけた。魔界の黒い海でも自由に泳ぎ回れるクロコダインがいてくれたのは不幸中の幸いだった。クロコダインはヒュンケルとラーハルトを先に助け、ダイも見つけてくれたのだった。そのときたまたま通りがかった船に収容され、それからダイはずっと眠っていた。
 うっと声がした。ダイが目を覚まして起きようともがいていた。
「ダイ、無理するな。まだ寝ているといい」
「あのメドーサボールは」
 帆布の上に座ると、しゃがれた声でダイが聞いた。
 ヒュンケルは陶器のマグをダイの口元にあてがって水を飲ませてやった。
「やつは、逃げた」
「ここは?」
 クロコダインがダイの前にかがみこんだ。
「ここはオーシャンクローの移住地の沖だ。あたりには海蛇もメドーサボールもいなくなった」
「正確には船の上だ。オレたちは浮いているところを助けられた」
 そして、クロコダインと視線を合わせた。クロコダインが言い出した。
「ダイ、船の衆が、おまえに会いたいと言っている」
 ダイの目に気力が戻ってきた。
「わかった。おれ、行くよ。助けてもらったお礼も言いたいし」
 船倉は樽や木箱がたくさんあって狭苦しかった。そしてこの船はかなり古い、とヒュンケルは思った。ていねいに手入れをしてあったが、使用感は否めなかった。
 狭くて急な階段を上っていくと、甲板の上に出た。海は魔界にしては穏やかなようすだった。空が暗く空気が重いことに変わりはないが、暴風雨はなく、雷雲も遠ざかったらしい。近くにオーシャンクローの移住地の島が見えた。
――船は、これだけか。
 大船団は姿を見せなかった。だが、魔族の男たちが甲板にそろっていた。ほとんどが長身で、筋骨たくましく、険しい表情をしていた。その手前にオーシャンクローの戦士とラーハルトがいるのが見えた。
 ラーハルトが振り向いて、安堵の表情になった。
「ダイ様、目覚められたのですね」
「心配かけてごめんよ」
「この船の船長、ダリボル殿」
とラーハルトは一人の魔族を紹介した。
 ダイはダリボルに面と向かい、背筋を伸ばした。
「ええと、助けてくれてありがとう。おれは、ダイ。地上から来た」
 ダリボルは魔族の中でも年かさの男だった。ヒュンケルは、ふとハドラーを連想した。緑がかった肌と尖った耳、立派な体躯の持ち主だった。何よりも鋭い目とかたくなな表情が、かつての魔王を思わせた。
 じっとダリボルはダイを眺め、ふいに、言った。
「あなたは、竜の騎士か」
 切りつけるような聞き方だった。ラーハルトが身構えた。
「そちらには関係ない!」
 じろりとダリボルはラーハルトを見た。
「先ほどの戦いをこの船の上から見ていたのだ」
 半竜半人の姿、攻撃技、その威力。たしかに魔界の民ならひと目で竜の騎士とわかったことだろう。
「とう……父は竜の騎士、母は人間だった。おれは、ハーフかな」
 ダイは冷静に説明した。
「御父上はどちらに?」
「大魔王との闘いの中で戦死した」
「では、あなたが当代の竜の騎士なのだな?」
 魔族たちがざわめいた。そのざわめきを、ダリボルは手で鎮めた。
 やおら魔族の長は腰を沈め、甲板の上に片膝をついた。一族の者たちがいっせいにそれにならった。
「竜の騎士よ、我らをこの魔界から逃がしたまえ。我ら一族をあげて、かく願い上げる」
そう言うと、ダイの前に深々と頭を下げた。

 魔族たちは船の船室を開け放ち、ヒュンケルたちパーティを迎え入れた。
 そこはもともと船長らが使うための部屋だったようだが、そこにいたのは一族の子供と老人だった。魔族の陳情と話し合いのために、彼らは船室を明け渡して甲板へ出て行った。
「ひとつ尋ねるが」
と、ヒュンケルは話しかけた。
「あなた方は船で生活する一族だと聞いた。大船団があるなら、あのメドーサボールから逃げて他の海域で生きればいいのではないか?」
 魔族たちは、どこか疲れたような仕草で首を横に振った。
「大船団が存在したのはもう昔のことだ。我が一族に残されたのは今我々がいるこの一隻だけだ」
 オーシャンクローのタァンニも知らなかったらしく、息を呑んだ。ヒュンケルたちにはかける言葉がなく、船室は静まり返った。沈痛な表情でダリボルが言った。
「そして、あのメドーサボールの脅威から逃れられる海など、魔界にはもうない。黒い海は今現在も水位を上げ、魔界を侵食し続けている。このままでは我々は滅びていくだけだ」
 ようやくヒュンケルは気付いた。ダリボルはじめ魔族たちが疲れた顔をしている原因は、おそらく絶望と飢え。船倉に荷物がたくさんあったのは、一族の財産をすべて収容したからなのだろう。この船は、一族の生き残りを運ぶ難民船だった。
「死ぬ気でいるなら、戦った方がいい」
 ラーハルトだった。
「なぜ逃げることを先に考える?」
 哀しそうな顔をしていた魔族たちがいっせいに表情を変えた。
「戦えだと?あいつとか!」
「あんたは何もわかっていない」
「無理だ!勝てるわけがない」
 悲痛な訴えを無表情に聞いていたラーハルトが、ぽつりと尋ねた。
「なぜだ」
 ふたたび沸き上がるざわめきを抑え、ダリボルが答えた。
「古の神々の意志」
 いにしえの……とダイがつぶやいた。ダリボルは視線をダイに移した。
「神々が、精霊が、そう定めた」
「なんで、そんな!」
「竜の騎士よ、ひとつ、覚えたまえ。あの黒い海とメドーサボールを滅ぼすことができるのは、太陽の光だけなのだ」
 ダリボルの口調は苦々しいものだった。
「魔界に太陽を与えない、というのが神々の決定だった。魔界の住民のなかには不服を唱える者は昔から多かった。その旗頭ともいうべきお方が、大魔王バーン様だった」
――まもなく地上は消えて無くなる。そして我らが魔界に太陽が降り注ぐのだ。その時余は真に魔界の神となる。かつての神々が犯した愚行を余が償うのだッ!!!
「そのいきさつを知りたいのなら、バーン様のなさることを傍らで見ていた者に聞かれよ」
「誰に」
 ダリボルは不思議そうな顔になった。
「そのつもりで連れ歩いていると思っていた。そちらの連れだろう、冥竜王ヴェルザーは?」
「おれたちはそんな」
と否定しかけて、ダイは足元に気付いた。ベビーニュートが船倉からついてきたらしい。大事な卵は前足でしっかり抱えていた。
「きみの卵、それ、ヴェルザーなのか?」
 どことなく得意そうな顔で、ベビーニュートはくぅっ、と鳴いた。

 船での一日はようやく暮れ、時間は夜になっていた。
 船室での話し合いの後、クロコダインはオーシャンクローのトラン族長に現況を話してもらうようにタァンニに依頼していた。
「オレたちはしばらくこの船にいることになるだろう」
 タァンニは伝言を引き受けてくれたが、去り際に小声でこう言った。
「魔族と竜族は基本的に対立していた間柄です。我々と彼らは交易まではしていたわけですが、基本的に信頼はしていません。竜の騎士殿には、魔族に同情しすぎないようにとお伝えください」
「だが、彼らは伝書ドラゴンの手紙を見て助けに来たぞ?」
「援軍としてきたのか、火事場泥棒に来たのかまではわからんのですよ」
 そして器用に小舟を操って、移住地の島へ戻っていった。
 たしかに、それまでめぐってきた魔界の土地で魔族と竜族はけして仲が良くはなかった。魔族の頂点はバーン、竜族の王はヴェルザー。トップ同士が敵対していた以上、魔族と竜族が冷ややかな関係なのはしかたがないのだろう、とヒュンケルは思った。
 一行は船倉に戻っていた。
 船室での話し合いの後、扉をノックするようなリズムでベビーニュートは鼻先で卵を叩いた。卵の内側から返事のノックがあり、殻にひびが入って割れ、赤子が生まれてきた。
 生まれたてのドラゴンの鱗は若葉のような淡い色で、腹が白い。顔の両側にフリルのようなほほびれがあり、小さいながら竜の顔をしている。頭部に二本の角を持ち、そこから首、背、尾にかけてまだ柔らかい白い剣板が並んでいた。
「本物のドラゴンだ」
とラーハルトがつぶやいた。
 成長すれば、鉄よりも硬いと言われる緑の鱗に覆われ、強靭な体と無敵の炎を備えた陸棲ドラゴンとなると思われた。
 ベビーニュートはかいがいしく生まれたての赤子の全身をなめてやっていたが、赤子は産声をあげることもせず、餌を欲しがるようすも見せず、じっと警戒している。通常の幼竜と違うのは誰の目にも明らかだった。
「おまえはヴェルザーなのか」
と、ヒュンケルは聞いてみた。幼竜は無言でうずくまったままだった。
 ダイは腕を組んで考え込んでいた。あの時ラーハルトから受け取ったドラゴンファングは、アバンのしるしと重ねて、革紐を通してダイの首にかかっていた。
「ヒュンケル、ほんとにこの子、ヴェルザーだと思う?」
「おそらく。こいつはダイの身体から追い出されて魂だけになったとき、そばにあった竜の卵へもぐりこんだのだろう。たまたまその中にいたのは卵の中で成長の止まったドラゴンの赤子だった。ヴェルザーの魂はその空き家になった体にとり憑いて、今生まれ直したのだ」
「魂って、そんなふうにあちこちへとり憑けるものなの?」
「冥竜王ヴェルザーは不死身の魂を持つそうだ」
「そうか。ほんとにそうなら、魔界のことに詳しいよね」
 ダイは生まればかりのドラゴンに顔を近づけた。
「いろいろ知りたいことがあるんだ。教えてくれないかな」
 幼竜はつんと顔をそむけた。
「ダイさまがおまえにおたずねのことがある。おとなしく答えろ」
と、ラーハルトが幼竜にむかって言った。
 ヴェルザーはその場にうずくまると、長い首を腹へ付けて目を閉じた。赤ん坊に似合わない、ふてくされた態度だった。
 いきなりラーハルトが幼竜の尾をつまんで持ち上げた。
「このまま黒い海へ落とすぞ」
 全員ぎょっとしてラーハルトを見たが、彼は真顔だった。ヴェルザーはあわてたようにバタバタ動いたが、ラーハルトから逃れられないのは明らかだった。
「おまえは不死身の魂を持っているそうだな?何度死んでも生まれ変われるわけか。だが、黒い海には生き物はほとんどいない。都合よく魂の無い空き家になった体など存在しない。おまえの不死身の魂は肉体なしでどれだけ持つだろうな?」
――くそっ、オレを放せ、この下郎がっ!
 その声は頭の中に直接聞こえた。
「ほう?」
 どこか楽しそうにラーハルトは言った。
「ひとを下郎呼ばわりしておいて、楽に死ねると思うなよ?第一おまえはバラン様の仇だ」
 まって、とダイが言った。
「父さんが勝ったんだから、『仇』はヘンだよ」
 竜騎将バランは若かりしころ魔界で冥竜王ヴェルザーと戦い辛勝した、とヒュンケルは聞いていた。
「それは、そうですが」
 ダイはラーハルトから幼竜を受け取り、両手のひらで支えて目の高さに上げた。
「きみが何も話したくないなら、ここでお別れだ。オーシャンクローに預かってもらえるか聞いてみる。オーシャンクローたちは魔族じゃなくて直立型の竜族だから、きみを大事にしてくれると思うよ」
 幼竜/ヴェルザーは、言いたいことがありそうな顔だった。なにやら葛藤しているらしいとヒュンケルは思った。
「不満かい?」
――オレを地上へ連れていけ!
 突然ヴェルザーの声が響いた。
「どうして」
――ここまで何を見てきた、竜の騎士の小せがれ!滅亡するのだ、魔界は!あの黒い海がやがてすべてを呑みこむだろう。
「ダイさま、そやつをお下げ渡しください」
 ラーハルトがてぐすね引いている。暴言にむかついているらしかった。
「ちょっと待って、ラーハルト」
――そもそもオレが五年がかりで進めていた計画を台無しにしたのはお前だろう!責任を取れ!
「計画って、おれの身体を乗っ取って、『ダイ』に成りすまして地上へ連れて帰ってもらうってやつだろ?」
 うっとつぶやいてヴェルザーは黙り込んだ。
「それもうダメになったよね。おれたちもあのメドーサボールの対処に困ってる。お互いにちゃんと話し合うときだよ」
 ヴェルザーはちっとつぶやいた。
――仕方がない、小せがれ、オレの知っていることを話してやる。ただし聞いた以上、オレを地上へ連れていけ。よいな?
「うわさのとおり、欲深なんだね」
――何を言うか!ニンゲンほど欲の深い生き物もおらんぞ!
「う~ん、そう言われたら、そうかも」
 ちら、とダイがこちらを見た。ヒュンケルはひそかに起動した「王女の愛」を掲げてみせた。これでヴェルザーの話は地上でも聞こえるはずだった。
 ダイは乾燥させた肉片をむしってつまみ、差し出した。
「地上行きは約束できないけど、はい、これ」
 ヴェルザーはぱくりと肉片を呑み込んだ。
――まあよい。おまえが知りたいのはあのメドーサボールの倒し方のことだろう。あやつ、一度成敗されかけたのよ。
「誰に?」
――おまえも知っていようが。魔界の神と名乗った男、バーンだ。