ペルポイの癒しの歌 10.アムのリサイタル

 板石の前に備えてあった水晶の椀を、サリューは足付きの台からいきなりつかみあげた。
「誰か、これに湖の水を汲んでください!」
将軍が兵士たちにうなずいた。一人の若い兵士がさっと椀を抱え湖へ走った。
「それと、何か火をつけるもの持ってないですかっ?っていうか、ペルポイじゃどんな燃料を使ってるの?薪なんて取れないでしょ?」
 最初にケトゥたちを逮捕しにきた隊長が答えた。
「私らには木々はあまりないが、燃える石がある」
部下の兵士が両手に黒い塊を乗せてサリューに差し出した。
「ずっとこれですか?つまり、アンナの時代からっていうことですけど」
「そうだ。これが一番簡単に手に入るのでね」
「よしっ。燃える石を持ってる人はここへ出してください」
サリューの目がきらきら輝いていた。
「あんた、楽しそうだな、王子様。これからどうする気だ?」
サリューは燃える石を受け取って祠の床に小さな山をつくった。
「これをね、足付きの台の下で燃やすんだ。それでお椀を乗っけるの」
「ふん、水を入れた椀を火にかける、と。それでどうなる?」
サリューは祠の内壁の絵を指差した。
「えっ、それが答えか?『赤で入れる』の」
何を思ったかラゴスが目を見開いた。
「うん!」
「なんてこった」
サリューとラゴスが同時に板石に彫られた意味のわからない文章へ視線を向けた。
「なあラゴスよぅ、これが、何なんだ?」
ケトゥが話しかけても、ラゴスは振り向きもしなかった。
「ま、黙って王子様のやることを見てな」
隊長の部下が火打石を打って枯れた草の塊に火を付け、サリューのところへ運んできた。種火を慎重に燃える石で囲み、火が燃え上がるのをケトゥたちは見守った。
 椀一杯の水が届けられた。足付きの台の上にこぼれないように水晶の椀が乗せられた。
「ロイ、こっち来て」
「俺?」
サリューはベルトにつけた小物入れの中から、薬草の束を取り出して従兄弟に手渡した。
「僕が合図したら、それを一枚づつそのお椀へ入れてくれる?」
「わかった」
「アム、お願いがあるんだ」
「なあに?」
いつものように優雅に歩いてきた従姉に真顔でサリューは頼んだ。
「この歌を歌ってよ」
「はあ?!」
ちょっと、本気なの?とアムは言った。
「本気だってば。メロディはあれだよ。る、るる、るるるる……」
ペルポイの人々が、アンナの名前が出た時に必ず口ずさむ旋律、アンナの歌だった。
「なんでいったい」
「たぶんアンナはこの歌で、薬をつくるための時間を計っていたからさ」
「ええっ?」
さきほどから驚かされてばかりなのだろう。いつも超然としてるアムがあっけにとられている。
「見て。この碑に彫ってある歌詞、ところどころに赤い顔料がくっついてる。たぶん、できたての時は、いくつかのフレーズが赤く塗ってあったんだ」
サリューの指が、文字のくぼみを指差した。そこにはいまだに色合いを残している顔料がこびりついていた。
「でも、なんであたしなのよ」
「アンナだって女の人だったし。それにぼく、アムが歌うの聞くのが好きなんだ。ね、お願いだよ、アム?」
やや子供っぽいくらいサリューは熱心だった。拝み倒されてアムがためいきをついた。
「しかたないわね。いいわよ。そんなに上手じゃないけど。あの湖の水を加熱して、あたしが歌って、それで?」
「『赤で入れる』んだ。字が赤くなっているところに来たら、ロイがお椀に薬草を入れてくれる」
にっこりとサリューは笑った。
「上手に歌ってね?」
 そういや、この美人が歌を歌うのを聞くのは初めてだ、とケトゥは思った。ペルポイの兵士たちも期待をこめて祠のまわりに集まってきた。隊長も将軍もいる。アンナの秘薬がかかっているためもあるだろうが、二人ともじっとアムを見つめていた。
 熱心な聴衆に取り巻かれて、アムは居心地の悪そうな顔になった。
 ちらっとアンナの歌を彫りつけた板石に視線を走らせた。歌詞を読んでいるらしい。最初まじめに文章を追っていたのだが、だんだんと顔が赤くなってきた。
「この歌詞、ちょっと、その、気恥ずかしいかも」
ちらっとサリューの方を見るが、サリューは絶対に譲らないという顔だった。ロイはにやにやしながら見守っていた。
 アムのなめらかなほほがぽっと染まり、整いすぎているくらいの顔立ちが困り切った表情になっている。
「用意、いい?」
サリューに言われてアムは憤然とした。
「わかったわよ、やるわよ!」
こほんと咳ばらいをした。
「いい?歌うからね?」
誰からともなく拍手が起こった。アムはいよいよ赤くなったが、覚悟を決めたようすで前に進み出た。
「じゃ、いくよ?せーのっ」
顔を上気させたアムが、ややヤケ気味に歌い始めた。

「♪並んで歩く夏の帰り道
初めてつないだ手のひらと」

 出だしのところでちょっとだけ声が震えたがすぐに声は安定した。意外にきれいに音が響いていく。すぐそばに広大な水面があるのだ、とケトゥはやっと思い出した。
 このメロディをよく知っているはずのペルポイ人たちが身を乗り出してきた。すっかりひきつけられているようだった。

「♪ときめく心、キラキラの風
目を閉じれば、いつでも、私思い出せる」

ときどきサリューが碑文を見ながら合図をして、ロイが薬草を投じ始めた。水を煮ているこの椀は、水晶に見えるがたやすく熱を通す性質があるらしい。水面に気泡が沸き上がり、薬草特有の香りが立ち始めた。

「♪あの頃と、同じように
暗い迷路もきみと
いっしょに
ずっと歩いていける」

その香りのせいかどうかはわからないが、気がつくとアムはすっかり興が乗っているようだった。語尾が思い切りよく切り上がり、歌のリズムに合わせて軽く身体を左右にゆすっている。思い入れたっぷりに片手を前に差しのべた。

「♪あの頃と、同じように
薔薇が舞い、光射す、約束の、あの場所へ
手を取って、いきましょう」

 ケトゥの周りのペルポイ人たちが、いつのまにか手をたたいたり足音をたてたりして、リズムをつけている。若い兵士の中には、口笛を吹く者もいた。

「♪ここから、きみと」

「ひーめーっ」
間奏の間に誰かが声をかけた。歌姫になりきってしまっているアムがにっこり微笑んで手を振る。ものすごく楽しそうだった。
「知らなかったぜ」
ケトゥはつぶやいた。
「このお姉さん、実はのりがいいな」
 歌いきったアムは確かに輝いていた。ケトゥが、そしてペルポイ人たちが歓声を上げ拍手を浴びせてほめたたえた。
 ぱちぱちぱち、とケトゥの横で誰かが拍手をしている。サリューだった。
「かっこいいよ、アム」
「もう、やめてよ」
 言いながら、まんざらでもなさそうな表情だった。その顔でちらっとサリューの横にすわっていたロイを見た。ロイは何も言わなかった。ただぼうっとした顔で美しい従姉を見上げていた。
「とちゅうからロイの手がとまっちゃいそうになってね。ラゴス君が助けてくれたんだよ。さあ、みなさん」
とサリューは言った。
「こっちも成功したみたいです。アンナの宝を、どうぞ」
彼の手には、マントの端でくるんだ水晶の椀が捧げられている。その中の液体は薄い緑色に変化していた。

 広くて浅い盆地を皿にして、淡い黄色の花びらで満たしたならば、きっとこんな風景になるだろう。ルビスの試しに立ち会いながら、ケトゥは再びそう思った。
 先日の“試し”で地上へ連れてこられたときは、確かに泣きながら苦しんだと記録に残っている少年二人、少女二人、そしてやはり地上へ出られない身体だった成人男女二名づつが、サリューの作った薬を呑んで再度地上へ挑んだのである。彼らは今、その花の盆地に立ち尽くして、夕方の風に吹かれていた。
「苦しく、ないです」
驚いたような顔で少年の一人が言った。
「このあいだみたいに、涙と鼻水でぐしゅぐしゅなんてこと、ないです!」
彼らの顔に、そして実験を見守っていた灰色ケープの役人たちの顔に、じわじわと笑顔が広がってきていた。
「……成功だ!」
少年はぱっと笑った。
「じゃあ、ぼくは、もうこの地上のどこでも行かれるんですね?」
「ああ、大丈夫だ」
「よかった!あの、ぼくの友達は、寮に入ることになってたんですけど」
役人は少年の前にかがみこんだ。
「その子が望むなら寮に入れるし、望まないなら君と一緒に学校へ通える」
「ですよね?やった、ほんとにそうですよね?」
仲のいい友達のことらしく、少年はうれしそうだった。そんな姿を、みんなほのぼのとした気持ちで見守っていた。
「よかったな」
ロイが言った。将軍はしわの深い顔に心からの笑みを浮かべていた。
「アンナの宝がよみがえった。あんたがたのおかげだ」
「おれはなんにもやってねえ。従弟に言ってくれ」
サリューは少し離れたところできれいな夕焼けを見上げていた。
「ぼくだって」
と言って彼は振り向いた。
「知らなければ通り過ぎちゃうところでした。ぼくたちは盗賊ラゴスを探しに来ただけだったんです。そのラゴス君が偶然にもアンナの宝の秘密を追っていて、ぼくたちも途中から、謎解きを手伝うことになった。不思議ですよね、そんな偶然」
「ルビス様の思し召しなのかしら」
サリューは足元から薄い黄色の花を一輪つみとり、アムにさしだした。
「そうかもしれないね。何の意味もなくルビス様がペルポイを苦しむままにしていらっしゃるとは思えないから」
将軍は厳粛な表情になった。
「信じてよいのだろうか、精霊の善き意志を?この世に魔力が薄れ、破壊の神が降臨しようとしている今日でさえ、ルビス様の御意志を頼みにしてもいいのだろうか」
「それは誰かに決めてもらうことじゃないんでしょう、きっと」
ひょうひょうとサリューは言った。
「おれは信じる。だから闘う。あんたらにもそうしろとは言わないが、女神さまはたぶん、怠け者はお嫌いだろうと思うね」
とロイが言った。
 茜色の空は次第に青味がかった紫色に変わってきた。天頂近くに華麗な金の星が現れた。
「ペルポイでは夜明けだな。実験は成功だ。さあ、私らの町へもどろうか」
灰色ケープの役人と兵士は整然とした足取りで、実験に志願した市民たちを守って金の扉へ向かった。後に残ったのは将軍と、盗賊をとらえている兵士数名だった。
「さて、ラゴス一味の処遇だが」
ケトゥとラゴスは、両腕を背中であわせてくくられていた。兵士が後ろからこづいて、前へ歩かせた。
「やっと出番だな」
ラゴスは落ち着き払っていた。
「さあ王子さん、取引の続きと行こう。テパの村の水門の鍵を渡すから、この手自由にしてくれよ」
堂々と要求する盗賊に将軍は苦い顔になった。
「ここでおまえたちを処刑しても、まったく問題ないのだぞ」
「おっおっ、そーゆーことするかい?ロトの末裔の目の前でか?よし、やってくれよ。そのかわり俺の魂がルビス様のところへ飛んでってあることないこと告げ口してもしょうがないとあきらめろよ?」
「あいかわらず口数の多い奴だ。ロイアル殿、どうしたものでしょうか」
ロイは肩をすくめた。
「地下の青い湖で、おれたちは約束をしたんだ。今さらなしにするわけには行かないし、水門の鍵もどうしても必要だ」
将軍はためいきをつき、部下に命じた。腕が自由になるとラゴスは大げさに手首をふって見せた。
「やれやれ」
ラゴスは片足で立ち、もう片方の足を優雅にあげた。さっと手が動いて盗賊用のブーツの底に触れた、と思った次の瞬間、ラゴスは古い大きなカギを手にしていた。将軍が目をむいた。
「そんなところに隠していたのか!」
「あんたらの身体検査は甘っちょろくてな」
ラゴスはロイに、水門の鍵を手渡した。
「ほら。こんなもの、なんで要るんだ?」
子供のように不思議そうな顔でラゴスが聞いた。そのラゴスにサリューが話しかけた。
「じゃあ、なんで盗ったの?」
「ああ?ほんとに欲しいものが手に入らなかったからさ」
「『残念賞』?」
「わかってるじゃねえか」
我が相棒ながらそんな理由で盗みをする盗賊がどこにいるんだ、とケトゥは思った。
「緑の王子さん、あんた、おもしろいやつだな。魔王征伐が終わったら、いっしょに仕事しねえか?」
ラゴスは真顔だった。
「生きて帰れたら考えるね」
あっさりとサリューが言った。
「ちょっと、サリュー!将軍閣下、本気にしないでくださいます?ラゴスとその仲間はペルポイ出入り禁止でけっこうですが、サマルトリアの後継ぎは除外してください」
「もちろんです、姫」
と将軍は言った。
「では、ここでお別れしましょう。ロトの末裔、勇者とのその一行に精霊の御加護のありますように」
将軍は丁寧なあいさつを、兵士たちは敬礼を捧げて、地下の都へと彼らは帰って行った。
もう空は暗くなり、夜風も冷たくなっていた。
「おまえら、どうする?」
とロイが言った。
「夜のフィールドはモンスターが多いぞ。どこかへ送ってやろうか?」
あはは、とラゴスが笑った。
「勇者に護衛してもらう盗賊っていうのもおもしろいけどな。過保護無用だよ、勇者様」
「そうだ、そうだ。盗賊なめるな」
ケトゥが尻馬に乗ると、アムから冷たい視線が飛んできた。
「盗賊ですって?ボランティアのまちがいでしょ?ペルポイじゃ儲けゼロGの、ほとんど持ち出しじゃないの」
 うっとケトゥは言葉に詰まった。
「お姫様、あんた、ほんとはいいやつでノリがよくてときどきすげぇかわいいんだから、そのツンツンしたものいいなんとかしろよ」
無言でアムが杖を握りなおした。目つきが変わっていた。
「いや、ちょっと待った」
ラゴスが言った。
「うちの相棒シメるのは勘弁してくれ。第一儲けはちゃんとあったんだ」
「見せてごらん」
冷たい声でアムが命じた。ラゴスは懐に手を入れると、ちらちらと光る大きな布を引きずり出した。
「これ、なーんだ?」
ああっとサリューが言った。
「ミスリルだ!これ、あれだよね。ペルポイ兵が捕縛用に持ってきたあの網だ」
ラゴスは顔中が口になったようなうれしそうな顔で笑った。
「大当たり。ブルーメタルは手に入らなかったが、これだけで儲けは十分だ。仕込んだ経費をよけてもな」
「ロイ、さっきの将軍呼んできてちょうだい!」
アハハァとラゴスが笑った。
「逃げるぞ相棒!」
「おい、待てよ!」
ミスリルの捕縛網をかかえて盗賊二人は逃げ出した。
 花の海の中をだいぶ走ってから振り向くと、三人はようやく動き出したところだった。
「おもしろいやつらだったな」
息を弾ませながらラゴスが言った。
「あれで勇者だってよ」
ケトゥが言うと、ラゴスはニヤッと笑った。
「あいつら、本気でロンダルキアへ行くのかな」
「本気なんだろ、勇者なんだから」
ラゴスは立ち止まった。
「……へんなやつら」
そのままラゴスは宵闇の下で立ち尽くしていた。ロトの末裔たちはゆっくり遠ざかっていく。もうどの人影がだれなのかわからないくらいだった。
 ふいに一人がふりかえった。なんとなく、サリューだという気がした。
「おーいっ」
いきなりラゴスがよばわった。
「死ぬなよーっ?」
いつもへらへらしているラゴスにしては妙に熱を込めて叫んだのだが、だいぶ距離があるので聞こえたかどうかわからない。だが、ふりかえった者は足をとめた。他の二人もちょっとだけこちらを見た。
 ラゴスは大きく手を振った。サリューらしい人影も、手を振り返した。そして、そのまま三人とも、夕闇の中を歩いていってしまった。器の大きな戦士、実はノリのいいお姫様、怜悧だが子供っぽい剣士の3人は、だが、最後は何となく笑顔だったよなと、あとからケトゥはそう思った。