ペルポイの癒しの歌 5.ぺルポイ政庁

  眠りの中までその音は飛び込んできた。口笛だった。それも、盗賊どうしの合図の口笛だった。
 ケトゥは飛び起きた。
 ペルポイの宿屋の一室だった。同室のロイとサリューはぐっすり眠っている。 部屋は真っ暗だったが、ケトゥの目はすぐ闇に慣れた。
 窓の外からもう一度口笛が聞こえた。知らない者が聞いたらふくろうでも鳴いているのかと思うだろうが、ケトゥにはわかった。
 音を立てないように寝台を降りてドアを開け、ケトゥは外へ出た。裏口から宿の庭へ出て、同じ吹き方で口笛の合図を送った。
 ペルポイは真っ暗だった。つまり、外界は日中だということだ。あの光る石は今外で太陽の光を浴びているところなのだろう。ペルポイには人工太陽があるが、月も星もない。さびしい夜空だった。
 よく知っている気配が忍び寄ってきた。
「ラゴスか?」
小声で聞いた。真後ろから答えがきた。
「よお。ひさしぶり」
ケトゥはふりかえった。優男の盗賊がしれっとした顔つきでそこに立っていた。
「おまえ、何やってるんだ、こんなところで!」
声を抑えきれずに思わずケトゥはそう言った。
「どれだけ手間掛けてここまで来たと思ってんだよ。おまけに昼間のあの店はなんだ」
まあまあ、とラゴスはなれなれしいしぐさをした。
「あのでかいやつは、なんていうか、アルバイトだよ。この町にもぐりこんだその日にケンカふっかけてきやがったんで、その場でたたきのめしたんだ」
虫も殺さないような顔でラゴスはそう説明した。
「使える奴ならなんとか使うんだが、あいつはせいぜい店番さ」
にこっとラゴスは笑った。
「心配掛けたのは悪かったけどさ、おれ、ちゃんとペルポイへ行くって行ってから来たぞ?」
「そりゃあそうだが」
今までのケトゥの苦労が、このへらへら笑いで完全に水に流されてしまう。ケトゥはかるくあせった。
 ラゴスが言い出した。
「なあ、昼間のあれの、お前のほうな」
「な、なんだよ」
「おもしろいやつといっしょだったじゃん」
暗闇の中でラゴスの目がきらきらしていた。
「緑の服のおとなしそうなガキ。サリューって言ったか?」
「おいおい、おまえあのとき、いたのかよ!」
「はあ?お前がペルポイ入りしてからずっと見てるぞ」
「なんだって……」
ちょっとむっとしてケトゥが文句をつけようとしたとき、ラゴスがせかした。
「サリューってやつ、何者だ?いっしょにいた男と女は」
「あの三人は親戚で、従兄弟どうしらしい。男は魔法使いで、綺麗なお姉ちゃんはああ見えて戦士か武闘家だ。あいつら、おまえを探してるぞ。理由は知らないが」
「サリューは?」
やけに気にするな、とケトゥは思った。
「僧侶か何か。飾りかもしれないが、剣は持ってる」
「僧侶ねえ」
ラゴスは黙り込んだ。そして、ふと、使えるかもしれねえな、とつぶやいた。
「おまえ、この宿にずっと泊まるのか?」
「何の話だ?おまえ、迎えに来たんじゃないのか?今荷物取ってくるから、隠れ家へ行こうぜ」
「いや、おまえはここにいてくれ」
「おい!仕事はどうするんだ」
ラゴスは答えなかった。その代わり、じっと虚空を見つめていた。彼が頭をフル回転させている証拠だった。
「サリューってやつに伝言してほしい」
ラゴスの口調は真剣だった。
「『俺を見つけたやつに、ペルポイの凄ぇお宝のことを教えてやる』。あいつにそう言ってみろ」
「お宝って、お前が出発前に見せたあれのことか」
ラゴスはやっと視線を滑らせてケトゥを見た。その唇の端がくっとあがった。
「ああ。『アンナの宝』だ」
ケトゥは何も言えずに息を呑んだ。

 ペルポイの宿の女将は、食堂いっぱいに焼きたてのパンの香りを漂わせてくれた。ケトゥたちは喜んで朝食の席に着いた。丸いパンに焦げ目のついたソーセージをはさみロイはかぶりついた。
「今日はどうする?」
うれしそうに呑みこんだあと、ロイが訊ねた。
「昨日行かなかったから、役所には行こうと思うんだ」
サリューは女将の手から濃い目の茶を入れたマグを受け取って、そう答えた。
「お役所って、おれはちょっと苦手なんですが」
とケトゥは言った。アムはフォークで焼きたての卵のてっぺんに切れ目を入れたところだった。いかにもうまそうな黄身がとろりと流れ出した。
「宿にいたらいいわ」
「あ、そうですよね。はあ」
 どうやら、夕べラゴスがやってきたことを、三人はまったく気付いていないらしい。ケトゥはちらちらと食事をする三人の顔を観察した。大食いのロイ、計画をすすめるサリュー、超然としているアム。ケトゥはためいきをついた。ラゴスの伝言をどうやって伝えようか、朝起きてからずっとケトゥはそのことを考えていた。
「食った、食った~」
ロイが満足げに言った。アムは膝に置いたふきんで口元をそっとぬぐった。
「すぐに行くの?」
「早く行きたいんだ。お役所がこまないうちに」
「それもそうね。でもちょっと時間をちょうだい。着替えるわ」
ケトゥはへっと笑った。これだから女は、という表情でロイたちの顔を見回した。たいていの同性は、同じ表情を返すのだが、二人は違った。
「そのほうがいいか。あ~、めんどくせえなあ」
「それでいくつかことがうまく運ぶならそうしようよ。アム、ぼくらも着替えてくる。フロントで待ってるね」
えっ、とケトゥは思った。
 “着替え”を終わらせたのは意外なことにアムが一番先だった。
 ケトゥはめんくらった。最初に見たときから豪勢な美人だと思ってはいたのだが、めかしこむと一段と女ぶりがあがった。身につけているのは明るい緑色の衣だった。ドレスと呼ぶほど裾は長くないが、胸のまわりにつけたケープに魔石らしい光りものをいくつもつけている。階段をおりるにしたがってすそがひらひらと脚にまとわりついていた。
 アムは肩越しに視線を後ろへ投げた。
「行くわよ?」
待って、と言いながら、サリューがやってきた。金の縁取りのある明るい水色の金属の鎧を身につけている。腰から下の部分は、銅色の小札をつらねたようなデザインだった。プレートアーマーというには軽いタイプの鎧だったが、その鎧と、日除けのマントのおかげで、サリューのイメージは一新していた。
「あんた、あの」
ケトゥが思わずつぶやくと、サリューはこちらを見て照れくさそうな顔になった。
「これは魔法の鎧。街中じゃあ、あまり着ないんだけどね」
そういう口調さえ、昨日と比べるとりりしく高貴に聞こえる。どう見てもサリューはどこかの若様で、正規の訓練を受けた剣士に見えた。
「ロイのは、ガイアの鎧っていうんだよ」
 それは銀の地金に赤い縁取りのある、ぐっと重厚な鎧だった。が、ロイはその重さをまったく苦にしていないようだった。彼の肩から、背に負った大きな剣の柄がはみだして見えた。
「ほら、忘れもん。これがあったほうがいいだろ?」
片手に持ったものをロイはひょいとサリューに渡した。
「うん、装備してく」
 ケトゥは声も立てられなかった。サリューが受け取ったものは、一枚の盾だった。その地色は輝くような青、縁取りは金色。そして中央には精霊ルビスの紋章が描かれていた。
「じゃ、おれも」
 もう片方の手に持ったものをロイは頭上に掲げた。金色の角がついた戦士用の青いヘルメットだった。戦士の顔面を守るためのフェイスガードに、盾と同じ紋章が描かれていた。
 こいつは物凄く貴重な金属なんだ、とケトゥの相棒は確か、そう言った。なんたって今まで採れた分で造れたのは、鎧一領、兜一具、盾一具。彼の言葉が耳の中でこだまする。
 ブルーメタルの盾、ブルーメタルの兜。そして、ロトの紋章。
「あんたら、いったい」
言いかけてケトゥは言葉を呑みこんだ。サリューがふりむいた。
「ぼくたちはみんな、この紋章の一族の末裔なんです。そう思っててください」
ごくりとケトゥは息を呑んだ。三人の旅人が、正装を身につけて宿を出て行くのをケトゥは見送った。精霊ルビスの紋章が、この世でもっとも高貴な一族を示すものだとはさすがのケトゥも知っている。圧倒されたような気分だった。
「待ってください!」
ケトゥは叫んだ。もう苦手だのなんだのと言っていられなかった。
「おれも行きます!待って!」

 ペルポイの市政の中心は役所と呼ばれる建物だった。どことなくものものしい雰囲気のフロアに聳え立っている大きな石造りの建造物である。壁が分厚く窓が小さく、あまり居心地が良さそうには見えなかった。
「見て」
とサリューが言った。
 灰色のケープと帽子を身につけた者が数名、役所の正面玄関の左右をかためていた。
「あいつら、やっぱりこのペルポイの兵士なんだな」
とロイが言った。
「あんまりものわかりが良さそうな感じじゃないよね」
「とりあえず、正面からあたってみるか」
サリューたち三人は前に、ケトゥはそのうしろから役所へ向かった。
 そのとき、役所から誰かが出てきた。
 やはり灰色のケープを身につけた男女だった。彼らの後ろには子供たちが四五人ついてきた。どの子も、サイズは小さいが同じ色のケープを肩にかけている。どことなく複雑な表情だった。
「あれ、あの子たち、このあいだの」
とサリューが言いかけた。先日ペルポイの町の中で見かけた子供たちだ、とケトゥも気付いた。
「地上へ遠足に行った帰りじゃないんですか」
「じゃあ、あの子達が精霊ルビスの祝福を受けた子たちなのかな。それにしちゃあんまり嬉しそうじゃないね」
ロイとアムもそちらを眺めている。
「普通の暮らしができなくなるんだって言ってなかったか?」
「何のことかしら」
「親が来てないよな。つまり、家庭から引き離されるってことかな」
「学校に入るか、修行を始めるの?それなら時々帰れるでしょうに。どうもこの町の風習はわからないわ」
灰色のケープの大人が数人集まって何か話し合っている。子供たちは妙にしょんぼりした顔で固まって立っていた。
 ケトゥたちは役所へ入るためにそのそばを通った。
「おい、しけた顔だな」
ついケトゥは、子供の一人に話しかけた。子供は驚いたような顔になった。
「ぼくたち、これから寮へ入るんです」
「へー、そうかい」
ケトゥも相棒のラゴスも孤児の生まれで、街角の物乞いから人生を始めた。仲間のほとんどが、保護してくれる親など持っていなかった。寮がどうした、そんな気分でケトゥは顔を背けて通り過ぎた。
「あのさ」
ケトゥの後ろで、サリューが話しかけているのが聞こえた。
「アンナって、誰のこと?」
「アンナは、ペルポイの古い人です」
「古い?」
「私たちの前にペルポイに来て、ペルポイを作った古い人たちの最後の一人で歌を歌った人」
答えたのは少女だった。まじめな顔立ちで、豪華な鎧で武装した身分の高いらしい外国人に話しかけられて緊張しているようだった。少女はリズムを取るようにかかとを上げ下げし始めた。そしてもうおなじみになったメロディをハミングしていた。
「古い人たちって凄いよね」
優しくサリューが言った。
「空気の入れ替えや、水の流れはどうなってるんだろう。見当もつかないよ」
「空気は、遠いところから管を引いて大きな弁で取り入れてます」
秀才らしい少女が答えた。少し落ち着いてきたようだった。
「そうやってきれいな空気を入れて、別の管で使った空気を逃がします。ペルポイの古い人たちのつくった、そういうからくりがあるんです」
「水は?」
「ほとんど同じです。取り入れ口はずっと遠くだけど」
「町ひとつ分の空気、水、それに光も、からくりで手に入れてるんだね。どうやって動かしてるの?」
「魔石どうしがくっつく力を使っています。ペルポイのずっと下の方に魔石を動かすからくりの大元があります。私たち、大きくなったらそれを」
そのときだった。灰色ケープの一人が大急ぎでこちらへ向かってきた。
「私語はやめなさい!」
少女は驚いたようだった。
「私は、ただ」
聞かれたことに答えて怒られたのは初めてだったらしい。灰色ケープの男は少女をにらみつけた。
「つまらないことを言いふらすんじゃない!」
「その子を怒らないでください」
とサリューが言った。
「ぼくが好奇心でいろいろお尋ねしたんですから」
さっと灰色ケープはこちらに向き直った。
「ペルポイの市民は緊張した状態にあります。刺激は困りますね」
 ケトゥはアムのほうを横目でうかがった。血の気の多い彼女がどう反応するかと思ったのだ。アムはじっと見ているだけだった。
「どうもすみません」
サリューはごく素直に詫びを入れていた。
「諸国の歴史に興味があるものですから、つい。気をつけます」
じろじろと灰色ケープはケトゥたちを眺めた。彼らが装備している武具についている紋章に気づいたようだった。
「くれぐれも言動に注意してください。そこのあなた」
指名されたのはロイだった。
「ペルポイの市内で魔法を使うことはご遠慮ください。場合によってはその場から市外へ強制退去になりますよ。そちらのお嬢さんも、女だてらに武器を振り回すのは感心しません。自重してください」
ロイとアムは一度視線をあわせただけで、ほぼ無言だった。
「ぼくたち気をつけます」
サリューがそう言うと灰色ケープはやっと納得したらしく、子供たちを引き連れて出ていった。
「今の聞いた?武器を振り回すなですって、このあたしに」
「おれは魔法禁止だってよ」
「こないだの騒ぎの時見てたってことだね、あの人か、じゃなきゃほかの灰色ケープの人がさ」
「おもしろいじゃないの」
アムが誰にともなくつぶやいた。唇が笑いの形になっていたが、目が真剣だった。

 ペルポイの行政をつかさどる役所というのは意外なほど質素な建物だった。ペルポイは領主のいない町のようだった。当然、どこの公家の保護も受けていない。
 そういう街はたいてい裕福な商人が何人か集まって町を運営する仕組みを作っていることが多く、町の一番いいところに豪華でぜいたくな市の会議場などが作られている。
 だがペルポイはどことなくそういった、無用なぜいたくさと無縁な雰囲気があった。灰色ケープの役人たちが謹厳な顔つきで書類を調べたり羽ペンで羊皮紙の巻物に熱心に書きこみをしているせいかもしれなかった。
「なんか教会っぽいね」
禁欲的、宗教的な空気が漂っている。ケトゥたちは大きな声さえ出すのをはばかっていた。
「すみません」
サリューが声をかけると灰色ケープの一人がこちらの方を見た。色白、細面だが、神経質そうに額をぴくぴくさせる癖のある若い男だった。
「外国の方々ですね。何か御用でしょうか?」
「ぼくたち、人を探しています」
じろ、と灰色ケープがこちらを見た。
「盗賊ラゴスがこの町にいるはずです。何か情報をお持ちではありませんか?」
「ラゴス」
と役人はつぶやいた。
「諸都市で犯行を繰り返してきた盗賊ですね。きわめて知能的で計画的。被害金額はわかっているだけで数十万ゴールドにのぼる。ほとんど仕事仲間を持たず、単独で犯行を行うこと、そして犯行そのものを楽しむかのような病的な性格を見せることなどが特徴」
多少見方が偏っているが、この役人が言うのは全部本当のことだった。内心ケトゥはちょっと気持ちがよかった。
「そのラゴスです。この町にいると僕たちが考える理由があります」
サリューが説明しようとした時、若い役人は咳ばらいをした。
「私たちにも、そう考える理由があります」
「え、何ですか?」
神官のようにストイックに見える若い役人が、そのときほんのちょっとだけ、誇らしげに胸を張ったようにケトゥには見えた。
「実際にラゴスがいるからですよ、この役場の中の牢屋に」