ペルポイの癒しの歌 1.金の鍵の扉

 広くて浅い盆地を皿にして、淡い黄色の花びらで満たしたならば、きっとこんな風景になるだろう。ケトゥはじっと見張りを続けながらそう思った。
 ペルポイという都があったといわれる盆地だった。もう土台石のかけらさえ残っていない。もしかしたら土くれの中にもぐっているのかもしれないが、大人の足のひざのあたりまで届く名も無い野草の群生が、すべてを覆い隠していた。
 風が吹く。まるで大波が沖から岸へと寄せるかのように、ざわざわと音を立てて一斉に野花が揺らいだ。淡黄色の花びらの海が波立っていく。波は間断なく押し寄せては消えていった。
 その日の前日もその前も、ケトゥはここでこうやって見張りを続けている。見張っているのは一人の男だった。
 花の海の孤島のように、男は坐っている。もう中年過ぎだとケトゥは思ったが、体つきはがっしりとしている。引退した戦士か何かかなとケトゥは思った。無気力な態度のせいで年老いて見えるだけかもしれなかった。
 その男の周辺だけ、地面は露出している。いつも焚き火をたいて、男はただじっとその火のゆらぐのを見つめているのだった。あまり元気のよくない老犬が一匹、いつも焚き火の傍で昼寝をしている。
 時分どきになると、男は何か取り出して焚き火であぶり始める。ほどなく老犬と男はその肉だかパンだかわからない食料を分け合って食べ、壺から何か飲み、そしてまた座り続けるのだった。
 男の背後には、扉があった。正確には、小屋ほどもある盛り土があり、その正面に金の縁取りのある扉が見えるのだった。
「あの野郎だって飯だの薪だのを無限に持ってるわけじゃない。このあたりで補給できる場所なんかないんだ」
ケトゥには自信があった。ケトゥは幻の町ペルポイを探してこの地方をさんざん歩き回っていた。この盆地こそ、大昔ペルポイという都があった場所にちがいない。だが、ある日を境にその住人は忽然と姿を消してしまった。あの扉があやしい、とケトゥは見当をつけていた。
「さあ、ペルポイへ戻れ!扉を開けやがれ」
男が扉を開けた瞬間を狙って自分もすばやく中へ入る。金の鍵を持たないケトゥには、もうそれ以外にペルポイへ入る方法はなかった。
 できればもう少し扉の近くでその瞬間を待ちたいのだが、あの老犬が意外に敏感で、今ケトゥの潜んでいる位置から少しでも前にすすむと頭を上げてじっとこちらをうかがうのである。ケトゥは真剣にあの犬だけ先にやっちまう方法はないか、と思案していた。毒餌でも投げてやるか?
「これじゃ駆け出しのこそ泥じゃねえか」
一人前の盗賊のやることじゃねえ、とケトゥはひっそりとぼやいた。
 今も犬はぴくりと動いた。ケトゥは息を潜めた。
 老犬はにごったような目を開いた。そろそろと頭を起こしあたりをきょろきょろする。焚き火の男が気づいたようだった。
「どうした」
犬は立ち上がって二三歩動いた。犬は盆地のずっと向こうをにらみ、わん、と鳴いた。ケトゥはちょっと息をついた。俺を見つけたんじゃないらしいと思った。何気なくその方向へ視線を向けた。
 淡黄色の花の海に膝までつかり、三人の旅人がこちらへやってくる。午後ももう遅い時間だった。三人は長い影を引きながら歩いてきた。
先頭は、青い衣の若者だった。背中に大きな剣を背負い、肩から荷物の入った袋をひっかけて大またに進んできた。
 まだ若いな、とケトゥは思った。外見は旅のほこりやよごれにまみれた旅行者そのものだが、堂々と胸を張った姿勢や強い目の輝きがどこか少年らしさを感じさせた。猫背になっていないのだ、とケトゥは気づいた。この近くに町らしい町はない。かなり長い距離を移動してきたにもかかわらず、この若者には疲れの色がなかった。もし今ケトゥが攻撃をしかけたとしても、おそらくこの若者は余裕を持って難なく対応するだろう。戦士独特の緊張感とあけっぴろげな好奇心を青い服の若者はあわせもっていた。
 若者は立ち止まった。足を開いて立ち、片手を腰に当ててあたりを見回した。
「このへんのはずだよな」
 話しかけた相手は旅の道連れのようだった。緑の祭服の若者である。腰から剣帯で、青の戦士が装備しているものよりはやや細身の剣をさげていた。彼は奇妙なものを手のひらの上に乗せていた。大きな金色の卵と見えたそれは、どうやら笛の一種、オカリナのようだった。
 まるで接吻するようにオカリナの優雅な丸みを唇にそっと押し付け、緑の若者は盆地の上の空を見上げて考え込んだ。
「ここになくちゃならないはずだよね」
顔の半分はオカリナの陰になって見えない。だが、見えているほうの目は不思議と冷たい輝きを放っている。
「なんでないんだ?」
「ぼくにだってわかんないよ?」
言葉つきはかわいらしいが、緑の若者の目はあたりをくまなく調べている。こいつ、とんだカマトトだぜ、とケトゥは思った。
 緑の若者は足元の野花の群れに視線をうつした。
「何か知ってる?」
花に話しかけたような口調だった。
さくりと軽い音を立てて、くるぶしまでの短いブーツが動き、白いガウンが翻った。
「10年ぐらい前のロンダルキア台地の異変と関係があるのかしら」
ケトゥは思わず口笛を吹きそうになった。三人目の旅人は女だった。しかも、もしこれが花ならば、断じてこのへんの名もない野草などではないだろう。華麗な花びらを身にまとい誇り高く咲き誇る名花に違いない。実に豪華な女だった。
 彼女はガウンについているフードをずらせ、後ろへ下ろした。夕方の風が黄金の巻き毛を吹き乱した。片手で髪を押さえ、美女は眉をひそめてその風をやりすごした。そんな不興げな表情さえ美しい。ケトゥは視線を吸い寄せられていた。
「こんなとこへ、何しに来たんだね」
 いきなりだみ声がしてケトゥは驚いた。あの焚き火の男のことをすっかり忘れていたのだった。焚き火の男は警戒心も露わに三人を眺めていた。
「あんた、土地の人かい?」
屈託のない表情で青の戦士が聞いた。
「おれたちはペルポイっていう町を訪ねてきたんだ」
やっぱり、とケトゥは思った。
「ペルポイね」
焚き火の男はやれやれと首を振った。
「あったにはあったよ、ここいらにな。けど、いつのまにかみんないなくなっちまった」
緑の若者が軽く首をかしげた。
「人がみんな?家まで?」
「ずっと昔のことさ」
男はまた焚き火の前にもどった。
「一つおうかがいしますけど」
白いガウンの美女が、不思議そうにたずねた。
「こんなところであなたような殿方が何をしていらっしゃるの?」
「まあ、いろいろとな。お嬢さん」
「話したくないということかしら。では、あの扉は何か御存じ?」
焚き火の裏手にある盛り土の扉のことだった。
「ああ?」
焚き火の男はめんどくさそうに振り返った。
「それかい。開かずの扉だよ。何度も開けようとしたがだめだった」
「これ、金の鍵の扉ですね」
「知らないね」
男はにべもない。ただ火を見つめていた。
 太陽は急速に西の空へ傾いていく。三人の旅人は互いに視線だけで無言の会話を交わした。やがて青の若者が肩の荷物を降ろし、その中から何か取り出した。
「行くしかねえな」
「唯一の手がかりだもんね」
青の若者の手から、緑の若者がそれを受け取った。日没を反射してそれはきらりと輝いた。
 金の鍵だ!ケトゥは思わず身を乗り出した。
「満月の塔へ渡るには、水門の鍵が必要なんだからしょうがないわ。でも、本当にその盗賊が持ってるんでしょうね」
「テパではそう言ってたよ」
「証言した村人の思い込みって可能性もあるわよ」
せえのっと声をかけて青の戦士が荷物の袋をかつぎあげた。
「本人を捕まえて聞いてみるのが早いんじゃねえ?」
どうやら青の戦士は、一行のリーダーのようだった。二人の仲間は小さくうなずいた。
「さ、ラゴスを探しに行くか」
 がばっと音を立ててケトゥはその場に立ち上がった。
「ラゴスって言ったか?!」
 焚き火の男がこっちをにらみつけた。老犬もさっと立ち上がった。逆に三人の旅人は、ほとんど驚いていない。
「言ったぜ。あんたもラゴスに何か盗まれたのか?」
がさがさと野草の群れをかきわけてケトゥは三人に近づいた。
「ラゴスはおれの兄弟分だ。あ、血はつながってねえけど、いっしょに育ったんだ。やつはペルポイへ行くって言って旅に出て、そのまま帰ってこなかった。俺はずっと探してるんだ」
白いガウンの娘は高飛車な態度でこちらを見ている。緑の若者は何かおもしろがっているような表情だった。青の若者はふん、ふん、とあいづちを打ちながら聞いていた。
「あんたらが持ってるの、金の鍵だろう?おれも連れてってくれよ」
「信用できないわ」
ぴしゃりと美女が言った。
「ラゴスは盗賊よ?その兄弟分ですって?」
うっとケトゥは言葉に詰まった。
「まあまあ」
緑の若者はくすくす笑っていた。
「いいじゃない、盗賊でも。この人おもしろそうだからいっしょに行こうよ。ね?」
う~ん、とまたリーダーはつぶやいたが、ひょいと肩をすくめた。
「あの扉がほんとにペルポイにつながってるかどうかわからねえけど、いいんだな?」
「このへんにはここ以外もう探すところはねえ。おれはずっと探し回ったんだ。絶対あれがペルポイの入り口だ」
ケトゥは早口に説明した。目の前の最高のチャンスを逃さないこと、今ケトゥが考えているのはそれだけだった。
「まあ、おれもそう思ってんだけどな。みんな、いいな?」
白いガウンの美女が肩をすくめた。
「勝手にするといいわ」
「やった!ありがとうございますっ」
「礼を言うのは早いかもしれないけどな」
緑の若者が進み出た。鍵穴に無造作に金の鍵を差込み、軽くまわして取っ手を握り、手前に引いた。
「開いたよ。なんか通路みたい。ゆるい下り坂だね。足元気をつけて」
そう言って先に立って入っていった。
「思ったより明るいわね」
美女が続いた。青の若者がこちらをふりむいた。
「あんた、入れよ。おれは最後に戸を閉める」
「じゃあ、お先に」
 扉をくぐる直前、ケトゥはちらっと花の盆地を見た。焚き火の男は次第に濃くなっていく夕闇の中、こちらに背を向けて火の前にすわりこんでいる。ケトゥと旅人たちとのやりとりが聞こえないわけはないのに、こちらを見もしなければ、止めもしない。
「なんのためにここにいるんだ?」
そう言いそうになったが、結局声をかけずに扉をくぐった。これがペルポイに通じているなら、どっちみに俺の勝ちだ、とケトゥは思った。
 扉の中の通路の向こうから、空洞に風の巻く音、そして何か奇妙に規則的な音が聞こえてきた。

 ラゴスと言う男はいろいろな意味で裏切り者だった。盗賊ギルドからすれば、仕事にギルド仲間をほとんどからめない、分け前をよこさないという時点で立派な裏切りである。もっともラゴスにはラゴスの言い分もあった。
「ひとのお宝あてにすんなよ~。なあ?」
と、あっけらかんとラゴスは言ったものだ。
 ちょっと見、ラゴスはへらへらしたお調子者に見える。事実、仕事で知らない町へ行くときなどラゴスは商人や遊び人に化けることが多かったし、それがよく似合った。それでいて、おそらくギルドがかつて抱えた中でもっとも稼ぎのいい盗賊だという点も、ラゴスの裏切りの一つだったろう。
 笑ったり、人を笑わせたりするのが好きで、愛想がいい。ラゴスの仕事のやり方も頭脳犯罪が多かった。荒仕事はめったにやらない。詐欺もやったが、誰にも知られずに何か盗み出すのが快感らしく、窃盗のほうが多かった。
 こわもてのギルド仲間からはすっかりなめられてしょっちゅうケンカをふっかけられていたが、そのことごとくにラゴスは勝った。
「『盗みはすれども非道はせず』だと?」
とケトゥにたたきのめされた盗賊がぼやいたことがある。
「それだけ強くてか!ちくしょうめ」
アハハァ、とお気楽にラゴスは笑った。
「わりーねえ、才能独占しちゃって!」
 ラゴスには相棒とか仲間と呼べる人間はほとんどいなかった。ラゴスを仲間にしたいと望む盗賊は多かったのだが、ラゴスがうんと言わなかったのである。そんなわけでラゴスが幼馴染のケトゥを仕事仲間にした、と聞いたとき、裏切ったな!と叫んだ盗賊の頭が何人もいた。
 俺に言わせりゃあ別に相棒ってわけじゃねえけどな、とケトゥは思っている。どっちかというと仕事の取次ぎ人兼稼いだブツのさばき役である。自分勝手、というか、頭の回転のトロい人間に合わせる必要を感じないラゴスは、さっさと仕事にかかっていき、仕上げの段階でケトゥに連絡するのが常だった。
「ケトちゃん、いいお話があるよン」
ケトゥが最後にラゴスに会ったのは、そんなふうにして呼び出されたときのこと、場所は小さな町の宿の一室だった。ラゴスはさっそくケトゥにふところから何か取り出して見せた。
「なんだと思う?」
薄汚い布に大事そうにくるまれていたのは、得体の知れない青い粉だった。
「わからねえよ。どこから持ち出してきたんだ」
「こいつはな、とある河の底の泥をていねいに漉してやっと見つけたブツだ」
「はぁ?こんなゴミを?」
「ゴミじゃねーよ。よく見な。青い粒があるだろ?」
ラゴスは指の腹に青い砂粒を押し付けて持ち上げた。
「こいつは、物凄く貴重な金属なんだ。なんたって今まで採れた分で造れたのは、鎧一領、兜一具、盾一具。たったそれだけだ」
青い粒を見つめるラゴスの目が、珍しく真剣な光を宿していたのをケトゥはよく覚えている。
「こいつぁブルーメタルさ」
「ああ?」
「知らねえか?値段もつけられねえほど貴重なシロモノなんだ。こいつは川底に眠っていた。だとすりゃあ、上流にはもっとあるかもしれねえじゃねえか?」
あっけにとられているケトゥに向かってラゴスはにやっと笑いかけた。
「問題の河の源流は、ロンダルキア台地」
「えっ、やばいぜそりゃあ」
 ロンダルキアは魔の台地だった。その周辺でさえ、強いモンスターがうろうろしている。台地へ登ろうとしたら、どんなバケモノにでくわすかわからないのだ。
「心配すんなって。台地そのものじゃない、もうちょい下流に近いとこに町があってな。たぶん出どこはそこじゃねえかとにらんでるのよ」
「まじか!なんて町だ?」
「よくぞ聞いてくれました。それがペルポイだ」
「聞かねえ名だな」
「あーっ、そっから説明すんのかよ。ペルポイはロンダルキア台地のそばにあった古い町だ。いいか、ペルポイにゃ、お宝があるんだよ。『アンナの宝』って言うんだ」
「そんな話、おれは知らねえけどな」
「そっか?昔っから有名だぜ、ペルポイは。お宝界の“ギアガの大穴”ってな」
「“ギアガの大穴”?」
「ちょっかい出して、帰ってきたやつぁいねえとよ」
そう言って笑ったときのラゴスの表情は奇妙だった。怖さ半分、そして嬉しさも半分。まるで強敵に遭った戦士のようだった。
 そんな話をした翌日、ラゴスはペルポイへ向かって出発した。そして、今に至るまで帰って来ないのだった。