ペルポイの癒しの歌 4.この空白にあったもの

 ペルポイの“太陽”はゆっくり動いていた。多層構造のこの町では、住居も商店もみな巨大な縦穴の壁際に沿って円形に並んでいる。太陽は橋の影を下のフロアへ落としながらじりじりと進み、ペルポイの朝はあきれるほどあたりまえに時が流れていた。
 男たち、女たち。若者、老人、子供。サリューがちょっと足を止めた。
「あれ、なんだろう。学校かな」
 そこは宿屋を出てすぐ前の橋を渡ろうとしたところだった。同じくらいの年齢の少年少女がかたまっている。引率らしい男女が声を張り上げて注意しても、子供たちは落ち着きなく動き、私語を繰り返していた。
「あー、ガキの集団ですか。俺は苦手だなあ」
「あたしも」
ケトゥは驚いてアムの顔を見た。
「あら、悪い?ひとりひとりはかわいくても、集まるとうるさいじゃないの」
「いや、そうじゃなくて」
残りはごにょごにょとごまかしてしまった。
 ロイが言った。
「俺は子供だけの集団生活ってのは経験ないからな。ああいうのはちょっと新鮮な気がする」
「ロイさん、あんた、田舎育ちですか?」
「まわりが大人ばっかりだったんだ。それと、田舎にはちがいないかもな」
サリューだけは何も言わずに子供たちを眺めていたが、ぼそっとつぶやいた。
「なんか、楽しそうって感じじゃないよ?」
サリューはじっと子供たちを見ていた。
「そっちにいるの、お父さんやお母さんだ、きっと。どうも妙な雰囲気だね」
 気がつくと町の人々がかなりかたまっている。どれも緊張の露わな顔で子供たちを見ているのだった。子供たちと目が合うらしく、ときどき無理に笑ってみせている。が、おたがいどうしではひそひそとささやきあっていた。
「毎年のことなんだけど、本当に必要あるのかい?」
「ああ、あんなに嫌がってる」
「しょうがないじゃないか、ペルポイに生まれたんだから!」
男が一人、怒ったようにつぶやいた。
「だからってなあ。大人になったら、ああだぞ」
ああだ、と言われたのは、むっとしたような顔で子供たちをしかりつけている男女を指しているようだった。その男女が、町の入り口にいた手抜きの警備兵と同じように、灰色のケープと帽子を身につけていることにケトゥは気付いた。
「普通の暮らしはできなくなるんだな」
心配そうな顔の主婦らしい女性が思いつめたような口調でつぶやいた。
「ねえ、あんた、あたしゃいやだよ、もし、うちの子が」
「言うな!しかたがないんだ」
夫らしい男に言われて彼女は両手に顔をうずめた。
「アンナさえいててくれればねえ」
「もうよせ。アンナは二十年以上前にいなくなったんだよ」
「あたしはあの人に世話になったんだ。それなのに、いまさらねえ」
不安に苦しんでいる妻の背を撫でてやりながら、夫はうなっている、と最初ケトゥは思った。が、すぐに低い声で鼻歌を歌っているのだとわかった。初めてペルポイへ入った時、“夜明け”に階段のところで出会った役人と同じメロディだった。
 ケトゥのすぐ隣で、サリューがつぶやいた。
「アンナ。またアンナだ。誰だろう」
 サリューは無造作に近くにいた女性に話しかけた。
「あの子達、何をするとこなんですか?」
女性は振り向いた。サリューたちを見て、ひと目で外国人だとわかったようだった。
「ペルポイの子供たちの行事ですよ。これから地上へ行くんです」
そう言って深くためいきをついた。
「地上って何もなかったよ?何をするんですか?」
「何って、地上へ行くとルビス様の祝福を受けたのがどの子かわかるんですよ」
「祝福なら、教会じゃダメなんですか?」
「教会でもだめです。本当はアンナがいるだけでいいのにねえ」
聞き返す間も与えずに、彼女は顔をそむけて歩いていってしまった。ふん、ふん、ふん、と、あの妙に明るいメロディを小さく口ずさんでいた。

 市場のあるフロアを人に聞いて、ケトゥたちの一行はそこまで階段を使って下りて行った。大階段にもフロアにも人が行き交い、人々は忙しそうにしていた。そのようすはほかの町とあまりかわりはない。光る石の塊は暑いほどの日差しをこの地下の町に浴びせている。フロアのはしの陰になっている方を歩くのが心地よいほどだった。
「どの店かわかる?」
市場はそれまで歩いてきたペルポイの他のフロアのどれよりも人が多く賑わっていた。壁面に沿ってたくさんの店が並んでいる。ケトゥはきょろきょろした。
「店がみんなでっかいな。あいつが好きなのは自分ひとりで切り盛りできるような小さい店なんだけど」
「あの道具屋は?」
その店は大きな店と店にはさまれたようなかっこうで間口も狭かった。
「あれかあ。どうかなあ」
間口いっぱいにカウンターがあり、その上に商品が並んでいる。アイテムはどれもほこりをかぶり、薬草は古くふちが茶色に変色していた。ラゴスが店主だったら、こんなことは絶対しないよな、とケトゥは思った。
「すいませ~ん」
店の奥へサリューが声をかけた。
「誰かいませんか?」
「うーい」
と太い声で返事があり、まもなく店主が現れた。がっしりした体つきの髭づらの大男で、妙に目つきが悪かった。
 うわ、とケトゥは思った。
「いや、すんません、人を探してるんですが、どうも、間違えたみたいで」
店主はケトゥ一行をにらみまわした。
「あんたたち、客かい、それとも、冷やかしかい」
「いや、その」
何か買え、ということらしい。ケトゥは冷や汗をかいた。
「ええと、その」
「売り物はそこに並んでるだけだね」
商人にしては珍しいほど無愛想な主人だった。ケトゥはなんとか断れないかときょろきょろした。荒くれめいた主人はふいと顔を背けた。
「買わねえなら帰んな。こっちも暇じゃねえんだ」
はい、帰ります、と言おうとした時、ずいとアムが前に出た。
「よっぽど忙しいらしいわね。商品の管理もできないなんて」
店主がふりむいた。
「おい、おじょうちゃん」
アムは売り物を並べた台に人差し指の先をつけ、くいっと横へ引いた。指先がほこりで真っ黒になった。アムは店の主をみらみつけたまま、ふっと息を吹きかけてほこりを飛ばした。
「さ、帰りましょう」
店主が太い声で叫んだ。
「このアマァ!」
に、とアムの唇がつりあがった。
 この女、とケトゥは思った。顔はかわいいのに、ケンカ売るのが趣味かよ!
「ちょっと待って!」
叫んだのはサリューだった。
「サリュー、軽く運動するだけよ」
「俺の店でふざけたまねしやがって!」
サリューはにらみあう二人の間に割って入った。
「頼むよ、もうっ」
サリューは自分よりふた周りくらい体の大きな店主に声を掛けた。
「あなたの店じゃないですよね、ここ?ほんとの持ち主から、何か預かってないですか?」
ラゴスのことか、とケトゥは思った。
「サリューさん?」
サリューはうなずいた。
「たぶんここだよ、あなたの相棒さんの店。そうでしょう?」
店主はさきほどからじっとこちらを見ていた。
「何の話ですかい」
「ほんとに買い物をしたいお客さんはたぶん両脇の大きな店のほうへ行くよね。ここへ来るとしたらわけ知りのお客、つまり同業者さんたちだ」
店の主は、警戒をあらわにした顔でサリューを見ていた。
「この店は、ほんとの持ち主が誰か友だちに何かを渡す、あるいは受け取るために作った中継所なんじゃないですか?」
「それがあたってるとして」
と目つきの悪い店主は言った。
「なんであっしがあんたらに何か渡さなきゃならないんですかい?」
ケトゥは咳払いをした。
「おれ、ケトゥっていうんですけど。あんた、ラゴスの仲間だろ?」
鈍そうな表情で店の主はケトゥを見た。
「どっちも知らねえ名前だ」
「そりゃないだろう!」
ケトゥは声を高くした。
「ラゴスからこの店をまかされたんなら、あいつのやれと言ったことは守ったほうがいいぞ。あいつ、逆らう奴には容赦しねえぞ」
大男は舌で自分の唇を舐めた。
「あのな、俺は確かにここのオーナーじゃねえよ。そいつから預かったものもある。けどあいつが名乗ったのは、ラゴスって名じゃなかった」
「偽名だってことだろ?でも多分、ラゴスだ、そいつは。俺は相棒のケトゥ。預かっているものを出してくれ」
「信用できねえ」
大男は頑固にそう繰り返した。
「わからねえやつだなあ!おまえ、あいつから“相棒にこれこれのもんを渡してくれ”って言われたんじゃないのか?」
「そうかもしれねえなあ、でも、あんたが嘘をついてるかもしれねえ」
荒くれ男は見かけの豪快さに似合わない、姑息な口調で話した。目が疑り深そうにケトゥたちを眺めていた。
「てめぇ、ラゴスが」
頭にきて言いかけたケトゥの肩を、ぱんぱんと誰かがたたいた。
「うるせぇっ」
と言い掛けてケトゥは口をつぐんだ。ロイが、妙に笑って後ろに立っていた。
「興奮するなよ。まあ、黙って見てりゃいい」
「けどこいつがあんまりわからねえことを言うから」
「大丈夫。サマがなんとかする。だろ?」
ロイがサリューのことをそう呼んでいるのはケトゥも知っていた。
「そうだねえ」
サリューはうふふ、と笑った。
 この顔だよな、とケトゥは思った。この少年めいた表情が、どうしてもラゴスを思い出させるのだった。
「ケトゥさん、あなたの相棒は、腕の立つ盗賊だったよね?」
「俺が知るなかじゃ一番のね」
「その人が相棒に渡すなら、何か凄いお宝なんじゃない?」
「そんなこともあったな」
盗品をさばくのがケトゥの仕事だった。
「それを今、この仮店主さんが持ってるわけか。渡したくないほどのお宝だったりしてね」
「なにっ」
思わず大声が出た。
「てめぇ、がめこもうってハラか!」
「待ってくれ」
大男の店主は急に弱気になった。
「ちくしょう、わかったよ。ラゴスとは名乗らなかったが、たしかに優男の盗賊からおれはこの店とブツの受け渡しを頼まれた」
「じゃあ、早くよこせ!」
「相棒は、受け取り方を知ってるはずだってやつは言ったぜ?」
「なんだと?」
「ちゃんとしたやり方があって、それを知ってる奴に預かりものを渡してくれって言われたんだ、おれは」
と店主は言い張った。
「あんたがやつの相棒なら、受け取り方をやってみせてくれ。そうしたら渡す」
「そうじゃなかったら横取りか」
店主は薄ら笑いを浮かべた。
「おれは預かってるだけだ。ちゃんとしたやり方じゃないなら渡せねえ」
「サリューさん、どうしますか、この野郎」
ちっとケトゥは舌打ちした。
「こいつ、がめるつもりでこんなこと言ってんですよ。やり方?おれは聞いてねえ」
「ほんとに知らないの?」
とサリューが言った。
「すいません、わからねえです」
「ふーん」
とサリューはつぶやいた。その間も視線は動いて、店内のあちこちを探っていた。
「つくづく、品揃えがよくないなあ」
「別に、売る気じゃないんで」
無愛想に店主は言った。
「薬草も毒消し草も、ずいぶん古いね」
店の売り台の上には、束にした薬草類がほこりをかぶっている。サリューはその隣に視線を移した。
「こっちはキメラの翼か。まだ魔力あるのかな?羽のとこがぼろぼろだよ」
「うるせえな」
サリューの目が急に何かを見つけた。くすくすと彼は笑いだした。
「これ、何かな」
ケトゥにはわからなかった。サリューの指は、売り台の上をさしていた。毒消し草とキメラの翼の間である。
「ここだけ空白だね。でも、何か置いてあったんだ。ほら、ここだけほこりがついてない」
「何?」
ロイがのぞきこんだ。
「本当だ。変な形だな。なんだこれ?ここに何を置いてたんだ?」
店主は答えなかった。に、とサリューが笑った。
「これを、ください」
「ああ?」
「この空白のところにあったものを買います。売ってください」
店主は目をむいてまじまじとサリューを見つめた。
「どうしたの?ここは店で、ぼくは客で、品物を買いたいんだ。何もおかしいことないでしょ」
店主の日焼けした顔がどす黒くなった。ケトゥはうれしくなった。
「おっ、図星みてぇだな。さあ、さっさと出しな」
くそっ、と店主はわめいた。いきなり奥へひっこむと、何かをつかみだして売り台の上へたたきつけた。ほこりが舞い上がった。
「持っていきやがれ!」
台にぶつかってそれは重い音をたてた。金属らしい。ケトゥはそれを手に取った。
 妙な形の大きめの鍵だった。