ペルポイの癒しの歌  2.地底都市

 いきなり声がしてケトゥは我に返った。
「わ~っ、何これ!」
先頭を行く緑の若者の声だった。
「ロイ、アム、ここまで来て!凄いよこれ!」
ケトゥの前を行く娘が足を速めた。彼女がどうやらアムと呼ばれているらしかった。
「これ……」
アムが絶句する声が聞こえた。
「なんだ、なんだ、なんだ?」
後ろから追いついてきた戦士に押されるようにしてケトゥも前に出た。
 さきほどから何か音がしている、とはケトゥも思っていたのだった。それは、強い風の音だったらしい。
「ここ、トンネルの中じゃない。橋の上だ!」
 緑の若者が声を上げた場所には、地下通路の両側に大きな窓が切ってあった。地面の中とばかり思っていたそこから、通路の外が見える。空は見えない。底が見切れないほど壮大な空洞の上のほうに架けた通路の上にケトゥたちは立っているようだった。
「見て、あの壁、土じゃないよ。全部歯車だ」
ひゅうひゅうとうなりをあげる地底の気流の中から、がちゃん、ごっとん、ぎぃぎぃ、がらがら、と絶え間なく音がしている。窓から見える限りの地下空洞の壁面が歯車やレバー、振り子などで埋め尽くされているのだった。距離があるのにひとつひとつが大きく見える。歯車などは小さな家ほどもあるのだろう。しかもすべて、整然と動いていた。
「いったい、何のからくりだ」
思わずケトゥがつぶやいた。
「なんだろうね!」
 緑の若者の口調にケトゥは一瞬驚いた。まるで、ラゴスが話しているようだった。
「おもしろいじゃないか。こんな地面の底でこんな大仕掛けをするなんて!なんだろう。ね、ロイ?どんなからくりがあるのかなっ」
「何喜んでんだ、おまえは」
あきれたような顔で、ロイと呼ばれた戦士は答えた。言われたほうは意に介していない。
「だってさ、わくわくするじゃない。ねえ、ここ、なんでこんなに明るいの?お日様は入らないのに」
若者はトンネルの窓の一つに飛びついて、大きく身を乗り出した。
「うっそー!ほら、明るいのはあそこだよ」
「ちょっと、サリュー、危ないわよ。いくらあなただって、空は飛べないんだから」
アムがあわててとめた。だが、サリューというらしい若者はなかなか頭を引っ込めなかった。
「待って、アレ何だろ」
サリューはさっと窓から身体を引っ込め、次の窓へ向かって小走りに走っていった。
「あれレールかなっ。ねーねー、凄いもんがあるっ」
「レールって、船を造って初めて海へ押し出すときに使うあれか?」
「うん!でも地面じゃなくてこの空洞の空にあたるところにあるんだっ。何に使うんだろ?ああ、あのからくり、あのレールに沿って何か動かすためにあるのかなっ」
ロイはアムと顔を見合わせ、肩をすくめあった。
「ああなっちまうと、長いぞ」
「困ったわ」
アム眉をひそめた。
「サリュー、行くわよ?ここは風が強くてたまんないわ」
「ええっ、待ってよ!なんか来るんだ。ほらほら、あそこっ」
まるでガキだぜ、とロイがつぶやいた。サリューは、さきほど花の盆地に立っていたときの怜悧な視線はどこへやら、まるでおおはしゃぎの子供だった。ケトゥはちょっとぞくっとした。やたら頭の回転がいいくせにおもしろいものに目のない男……ケトゥ自身の相棒を思い出すのだった。
「きりがねえ。行くぞ」
なかば腰を抱えるようにしてロイはサリューをつかまえて進んでいった。
「あー、放してよっ」
通路の先のほうで誰かが手を振っている。
「あんたら、旅の人かーっ?」
強い風の音に負けないように、怒鳴るような話し方だった。
「そうだ。ここはペルポイかあ?」
「そーだーっ、早く入ってくれ。今日は風が強い」
ケトゥたちは小走りに通路の先へ走った。灰色の帽子とケープをつけた男たちが扉の中から手で招いている。そこへ飛び込むと、後ろで厚い木の扉がゆっくり閉まった。
「ペルポイへようこそ」
 事務的な口調でケープの男の一人が言った。よく町の入り口にいる警備の兵士のようだったが、兵士にしてはどことなく雰囲気が違う。僧侶か神官のような生真面目な感じがした。
「入国希望ですね?こちらに並んでください」
「なんだ、なんだ?」
「すいませんが、身体検査をさせてもらいます」
ロイはめんくらったようだった。
「やばいものなんか、持ち込んでねえよ」
「申し訳ありませんが規則ですので。身体検査を受けない場合はここから引き返してください」
灰色の服の役人は、はい手を上げて、と言うと、両手でぱんぱんとロイの服のあたりをたたいた。胸、背、腰の辺り、そして足まで、軽くたたいていったが、ポケットを探ったりするようなことはなかった。
「これでけっこうです」
ロイは妙な顔をしたが、何も言わずに先へすすんだ。サリューとケトゥ、アムも、このやけに簡単な身体検査を受け、入国してもいいといわれた。
「厳重なんだか、手抜きなんだか」
その声が聞こえたのか聞こえなかったのか、入国管理の役人たちは反対側のドアを指差した。
「あれがペルポイの入り口ですよ」
サリューがまっさきに立って行ってドアを開いた。
 うすぐらい、広い部屋だ、とケトゥは思った。地下なのだから暗いのはわかるとして、家一軒見当たらない。見えるのは向こう側が闇に呑まれてわからないほど広い天井である。それなのに、大勢の人々が広い場所に集まったとき特有のざわめきがひどく遠くから聞こえていた。
「何か来るよ」
サリューの視線は上を向いていた。
「あのレールだ」
ケトゥも上を向いて見回した。
「ほら、あの、明るくなったところ」
 言われたとおり、どことなく黄色みを帯びた光が天井の一画を照らしていた。入国管理室への橋の上で見たあのレールの続きらしい。大量のからくりがそのレールに吊るされたものをここまで運んできたのだろう。
「なんだ、あれは」
 光っているのは、その荷物だった。銀色に見えるレール二本の間に滑車がかかっている。そこから巨大な光源が吊り下げられているのだった。
「わかった……あれ、ペルポイ特産の光る石だよ、ほら、あれを砕いて溶かして鉄に混ぜて、光の剣を造るんだ」
うお、とケトゥの後ろで声が上がった。
「まじかよ。光の剣も安くないはずだぞ。あんなでっかい塊、ひと財産だろうな」
ロイだった。片手を目の上にかざし、光源を見上げている。光る巨石はレールに沿って這うようにじりじりと移動していた。
「あんたたち、まだこんなとこにいたのか?」
声を掛けられてケトゥたちはふりむいた。灰色のケープと帽子の役人がこちらを見ていた。
「もう、夜が明けるところだな。町に降りるといい」
「夜明け?」
さきほど夕日を見たばかりなのだ。日没の間違いだろう、とケトゥは思った。
 役人はあごで光る巨石をさした。
「あれが、ペルポイの太陽さ」
サリューはしげしげと光る石を見上げた。
「ああ、そうか!地上が昼の間は、あの“太陽”は地表に出てるんですね?そこで太陽光を吸収しておく」
「地上に夜が来るとからくりとレールがあの石を地下へ運び込む。で、ペルポイは“朝”になる」
と役人はこともなげに答えた。
「凄いからくりだっ。誰が考えたんですか?」
ほほを紅潮させて聞くサリューから、役人は眼を背けるようにしてそっけなく言った。
「昔の人さ。下へ降りる階段は向こうだ。まだ暗いから気をつけて」
あきらかに話したくないというそぶりだった。
 ロイがサリューの腕をつかんで歩き出した。
「あとでおいおい聞こう。町へ降りようぜ」
「あ、うん」
役人が指差したのは、黒い手すりでしきられた場所だった。ケトゥは少ない荷物を肩にかついで先に立った。
「階段て、これか」
手すりを抜けて一歩踏み出そうとして、今度はケトゥが動けなくなった。
「なんだ、これは」
 光る巨石はもうかなり明るさを増してこの巨大な“部屋”を照らしている。ケトゥが立っているのは、恐ろしく深い縦穴の縁だった。
 ケトゥは思わず手すりを強く握り締めた。ここは地面の底のはずだ、とケトゥは自分に言い聞かせた。それなのにものすごく高いところにいるような気がする。なにせ、足元に巨大な円筒状の穴が開いているのだから。
 見下ろすと穴の内部の表面が星空のように点々と光っている。それがすべて町の明かり、家の灯火だと気付いてケトゥは息を呑んだ。ペルポイの夜景だった。この穴の内側がすべてペルポイの住人の居住区なのだった。
「この穴、まさか人間が掘って造ったのか?」
ケトゥたちの横を、灰色のケープの役人がさっと通っていこうとした。幅の広い大階段の目のくらむような高さも、慣れているのかものともせずに下っていく。
「ああ、ペルポイの人間が掘ったんだ」
無愛想な声で役人は返事をした。
「ペルポイの鉱山を掘り広げているうちにこんなになっちまったのさ」
「待って」
とサリューが言った。
「みんなこの広くて深い穴の中に暮らしてるの?」
「そうだよ」
「空気はどうやって換えるの?水はどこで汲むの?」
うるさそうな顔で役人は振り返った。
「詳しいことは知らんが、あのからくりをつくった昔の人たちがちゃんとしていってくれたんだ」
「さっきもそう言いましたよね。昔の人たちって、今のペルポイの人たちとはちがうの?」
「いや」
役人はためらい、初めて感情らしいものを顔に浮かべた。
「ああ、違うんだ。私らは昔のペルポイ人には足元にも及ばないのさ。けど、ちょっと前までは、なんとかやってたんだよ私らも」
その感情は、悲しみ、あるいはとまどい、不安とでもいうものだった。
「けどこれからはどうなるかわからんね」
「どうして?」
「アンナがいないからな!」
吐き捨てるように言うと、役人は急な階段を降りていってしまった。
「なんなんだ、いったい」
ケトゥはつぶやいた。降りて行く役人は、奇妙に明るいメロディを鼻歌で歌っていたのである。

 大階段は本当に広く、都の大通りほどの幅がある。そしてうんざりするほど長かった。階段を降りていくと、あたりが次第に明るくなった。地上では日没直後のはずだが、ここはまさに夜明けである。光る巨石の放つ光が深い縦穴の奥底へ吸収した太陽光を届けていく。闇の中から巨大都市の全景が浮かび上がり影を引いていくようすは、ぞくぞくするほど見事だった。
 明るくなるにつれて町の灯りが次第に薄くなり、消えていく。消えると同時に都市の細部が目に入ってきた。縦穴の断面はおおむね楕円形だった。ところどころに橋が作られている。橋と橋の交差点は一種の広場のようだった。
「あれ、何だろう!」
サリューが指差したのは、大きな鳥かごだった。鎖に吊り下げられて下へ向かっていく。じっと見ていると真下からもうひとつ鳥かごが上がってきてすれちがった。
「人が乗ってる!」
ケトゥ一行のいる位置からかなり下方にあるので、遠すぎて大きさの認識が狂ったらしい。それは一種の昇降機だった。
「まあ、階段の上り下りがしんどいやつだっているよな、この町にも。ひざが痛いとか」
ロイが言うと、サリューが性急にさえぎった。
「でも、誰かあの鳥かごを引っ張りあげている人の手が痛くなるはずだよ?」
「からくりでやってるんでしょ?あの大きな光る石みたいに」
アムが言うと、さっとサリューが振り向いた。
「動力はなんだと思う?人が引っ張ってるんじゃないなら、動物?でも、上には何もいなかったよ?」
ロイと同じようにこの少年めいた若者のからくり狂にうんざりしているらしい。アムはぶすっとして答えた。
「私に聞かないでちょうだい」
 時間が経つにつれて、人が増えてきた。人口の多い町でよくあるように、ペルポイの市民はケトゥたち旅人には無関心だった。昼と夜が逆転していることをのぞけば、町の暮らしはケトゥの知っている地上のそれとほとんど変わらない。ただ、多くの階層が上下に連なった町なので階層のひとつひとつは広くはなく、普通人々が集まる町の中心、大きな広場のようなものがなかった。
「あそこ、朝市やってる」
サリューが指差したのは、地下十数階のところに掛け渡された橋と橋の交差点だった。他の階より橋は幅広く出来ているので、交差点がちょうど市場ほどの広さになっていた。もちろん、地上の町にくらべるととても狭かった。だが、その“広場”の正面に見覚えのあるシンボルを飾った建物があった。
「教会があるよ、よかった」
「そうね。とりあえず全滅は免れそうだわ」