ペルポイの癒しの歌 8.アンナの謎

 サリューはしみじみとあたりを見回した。
「たぶん、それが原因だね。ペルポイの“古い人”たちはかつてどんどん坑道を掘り進んだ。ミスリルや光る石、魔石もたっぷり手に入れた。でも、ここでブルーメタルの地層に出くわしてどうにもできなくて、これ以上進めなくなったんだ」
ちくしょうめ、とラゴスはつぶやいた。
「これがオチかい。これだけネタを仕入れてしのびこんだのによ」
ほこらの前にすわりこんであぐらをかき、ラゴスは肩を落とし両肘をモモに乗せて腕をだらしなく垂らした。よく見ると寝不足のせいか目が赤くなり、あごに無精ひげが残っている。なんとかしてブルーメタルを手に入れようと知恵を絞って、寝ることも食べることも忘れてしまったのだろう。ラゴスの悪い癖だとケトゥは思った。
「こんな地の底まで降りてきて、あんたらもずいぶんと骨折り損だったな、え、王子様」
精魂尽き果てたという顔でラゴスは皮肉な笑顔を作った。が、サリューは天真爛漫に笑った。
「そんなことないよ。ぼく、おもしろいもんいっぱい見たし」
「はっ、金持ちは言うことが違うねぇ。おれはてっきりアンナの宝があると思ったんだがな」
「アンナを知ってるの?」
ああ?とラゴスは言った。
「あんたら、調べがついてなかったのか?これがアンナだ」
ラゴスが指差したのは、祠の内壁に描かれた女だった。
「“アンナ”ってのは一人の女じゃない。ペルポイの先住民族を司る代々の巫女の呼び名だ。アンナは代々、地の底の宝を守っていたそうだ」
サリューの目が輝いた。
「でも、今のペルポイの人の話じゃ、20年くらい前までアンナは実際にペルポイにいたんだよね?」
「先住民族の最後の一人だ。町の人間たちから虐められることもなく、むしろ大事にされていたらしい。が、最後のアンナは後継ぎなしに死んじまったみたいだな」
見な、とラゴスは祠の方を指差した。
「アンナの碑だよ」
祠の内部、正面中央に土台が据えられ、一枚の板石が建てられていた。その前に、まるでお供え物のように何か置いてあった。
 スープ入れほどの大きさの丸い椀と、それを支える三本脚の台だった。どちらも乳白色の水晶らしい物質でできている。壁画の女の一人が捧げていたのと同じものだろうとケトゥは思った。三本の支柱の間の床には明らかに何か燃やした跡があった。
「なんだろう、これ」
サリューは碑とその前の椀を見比べた。
「板石のほうは、表面に何か書いてあるんだが、意味が通らねえ。それさえわかりゃブルーメタルを切り出せると思ったんだが、見込み違いだったか」
アンナの碑には細かい字の列がいくつか塊になって彫りこまれている。
「人間の力じゃブルーメタルはどうしようもねえっていうんなら、アンナの宝はブルーメタルとは別物だな。じゃあ、何なんだ?」
ケトゥが言うと、ラゴスは首を振った。
「わからねえ。すっかりお手上げだ」
「ラゴス、てめぇ、何気の弱いこと言ってんだ!ブルーメタルじゃなくたって、アンナのお宝が手に入ればペルポイの仕事はおれら勝ち組じゃねえか」
ケトゥはずいと前へ出た。
「この碑にきっと手掛かりがあるはずだ」
何が書いてあるのかとケトゥは顔を寄せた。最初の一行からして、意味が不明だった。
「『赤で入れる』。なんのことだ?」
「離れろ!」
 太い男の声が大声で命令した。ケトゥはぎょっとして跳び離れた。祠の後ろからわらわらと灰色ケープの男たちが走り出てきた。あわてて後ろを見ると、ケトゥたちが来た方角からも同じ制服の兵士たちが集まってくるのがわかった。
「しまった!」
 兵士たちの間から何かが飛び出した。
「おい、気をつけろ!」
 ロイが叫んだ。ロイたちは敏捷に跳びのき、ケトゥも間一髪でのがれた。座っていたラゴスは、とっさに逃げ切れなかったのだろう。灰色にちらちら光る繊維で編んだ網の下で、ラゴスは呆然としていた。
「盗賊ラゴスだな?今度は逃がさん。覚悟しろ」
「てめぇら!」
ケトゥはとっさにナイフを抜いて網に切りかかった。が、刃がまったく通らない。
「ペルポイの捕縛網はミスリル製だ。無駄な抵抗はやめろ」
最初に叫んだ男がケトゥの首に剣を突き付けていた。
「待ってください!」
サリューが叫んだ。
「ぼくたちは何も」
 隊長らしい男の両側に、珍しい女性兵士が二人立っていた。ものも言わずに杖を構え、サリューたちに向かって魔砲弾を飛ばした。
「おい!」
「ちょっと、いきなり!」
ロイとアムが魔砲弾の直撃を受けた。攻撃魔法ではなかったらしくダメージは受けていないが、二人とも顔をしかめている。
「ここでラゴスと逢っていたということは、脱獄の従犯と疑われても仕方がない状況だろう」
隊長は冷たく言い放った。
「今のはマホトーンとマヌーサだ。君たちにできることはもうない。ヘタなことは考えないでいっしょに来ていただこう。釈明によっては市内から追放もありうる」
くそう、と誰かがつぶやいた。網の下のラゴスだった。
「焼きが回ったか」
へこたれるということを知らない相棒の口から、初めて聞くセリフだった。
 兵士たちが網に巻かれたラゴスを無理に立たせ、後ろから背中をこづいて歩かせた。
「さあ、来い」
兵士の輪の外側から、ロイが声をかけた。妙にのんびりした声だった。
「ラゴス、おまえ、水門の鍵を持ってねえか?」
虚を突かれた顔でラゴスがロイを見た。
「なんつった、今?」
「テパって村の、水門の鍵だ。おれたちがペルポイへ来たのはお前を探して水門の鍵を手に入れたかったからだ。アンナの宝は関係ねえ」
へへへ、と力なくラゴスが笑った。
「持ってるが、ここにはねえな。残念」
「その網から出してやったら、鍵をくれるか?」
「ああ?そうだな、ひとつやってみてくれよ」
「そのセリフ、忘れんなよ」
ロイはにやりと笑った。
「ロイさん、もういいよ」
ケトゥは言った。
「あんた、マホトーンをかけられてるんだろ?無理しないでくれ。そうでなくたって、十分世話になってるんだから」
誰かがくすくすと笑った。サリューだった。彼も兵士たちに囲まれ、剣を突き付けられている。
「アムもいるから、心配しないで」
「あっちのお姉さんが強いのは見せてもらったけど、マヌーサだろう?やばいって」
「ロイもアムも、この間は実力の十分の一も見せてないんだよ」
少し離れたところでアムが苦笑した。
「バカな冗談を言うもんじゃないわね。すっかり真に受けられちゃったわ」
「ったくだ」
ロイが答えた。ロイ、サリュー、アムの三人は、お互いに視線を交わしあった。
「おい、つまらんことを考えると」
隊長が言い終わる前に、サリューが動いた。いきなり両肘を斜め上に突き上げたのだった。
「僧侶が悪あがきを」
言いかけた兵士に向かってサリューはつぶやいた。
「いつ僧侶だって言ったの?ぼくは魔法戦士だよ!」
その十指の間に真紅の光球が生まれる。
「はっ」
気合いと同時に両腕を左右へ突き出す。火球が水しぶきのように飛び散って乱舞した。兵士が動揺した。と同時にアムとロイが包囲を突いて走った。
「逃がさん!」
「逃げるもんですか」
数歩の間合いを取ってアムは振り向き、両手を額の前にかざした。見とれるような白い美しい指の間から、彼女は尊大な笑みを見せた。
「ちょっとお仕置きがいるわね」
顔を隠すように指をゆっくり交差させ、いきなり手のひらを見せて前へ突き出した。
 地底の空間に凶暴な竜巻が生まれた。つられて青い湖水が立ちあがり、いくつも水柱になる。きゃしゃなほこらがかわいそうなほど揺れた。
「ぎゃっ」
千本の針がつきささるような感覚に兵士たちがあわてて倒れ伏した。その姿を見下してアムは薄く微笑んだ。
「いきなりマホトーンてどういうこと?しつけがなってないのよ」
「なっ」
隊長は唇を震わせていた。
「この女、戦士のくせに魔法を使うぞ!」
隊長の顔の前にいきなり大きな剣がつきつけられた。
「あれは冗談だって」
ロイだった。
「戦士は俺だよ」
 無防備に見えるロイの背中に向かって兵士たちが殺到した。二三人が同時に剣を振り下ろした。耳障りな金属音があたりに響き渡った。ロイはひと呼吸で剣を背中にまわし、刃をすべて受け止めたのだった。
「あのとき言ったことをもう一回言わせてもらうぜ」
軽々と剣をはねのけると、ロイは深く踏み込んで下から刃を摺りあげた。わっと悲鳴をあげて兵士たちが身体ごと吹き飛んだ。
「ペルポイの兵士は、ローレシアに比べると一枚も二枚も下がる!」
挑発された兵士たちが剣を構えてつっこんでくる。ロイはうす笑いさえ浮かべて彼らをあしらっていた。
「よせよせ、怪我するぞ?」
ケトゥはさきほどから目を見張っていた。灰色ケープを身に付けた一団が、まるっきり子供扱いだった。
「すげぇ」
思わずつぶやいていた。
「何してるの!」
いきなり叱咤されてケトゥは驚いた。
「ラゴスを解放するわよ、いらっしゃい!」
「へ、へいっ」
見ると燕の舞うような動作で細身の剣をふるい、ラゴスを抑えている兵士たちをサリューがあっさり倒している。ケトゥはアムといっしょにラゴスのもとへ走り寄った。もう網を切る必要はない。ケトゥは網をかきよせてラゴスを助け出した。
「ロイ!」
とサリューが呼んだ。
「ちょっとそっち、抑えてて。すぐに済むから」
「ごゆっくり」
笑い声を交えてロイがそう答えた。ケトゥはあわてた。
「逃げるんじゃないのかよっ」
サリューはまっすぐに祠へ走り寄り、アンナの碑をのぞきこんだ。
「知りたくないの、『アンナの宝』をさ」
ラゴスが目をむいた。
「おまえ、まじか」
ミスリルの捕縛網をケトゥに押し付けると、自分もサリューのところへ飛んで行った。
「読めるか、これ?いったいなんだと思う?縦読み、斜め読み、一字ぬかし、字母置き換え、おれは全部試してみたんだ。だが、意味がまるでとれねぇ」
「ブルーメタルとは関係ないはずなんだけど。まるっきり関係ないのなら、なんでこんなところにアンナは祠をつくったんだろう」
「な、やっぱ、何か、あるんじゃねえか?」
ケトゥがあっけにとられるほどの熱心さで二人は話しこんでいる。まるで、背後に自分たちを逮捕しに来た一団がいることをまるっきり忘れているようなようすだった。
「こいつら、強いぞ!」
隊長が叫んでいる。兵士たちは隊長を中心に寄り集まっていた。ロイの剣とアムの魔法に追い詰められているのだった。
「誰かっ、上へ行って将軍を呼んで来い!」
「さきほど、援軍呼びに行きましたっ」
「くそっ、それまで持ちこたえるぞ」
くすくすとアムが笑った。
「あらあら、必死ねえ」
大きな剣の刃を肩にかつぐようにして、ロイも苦笑いをした。
「熱くなるなよ。ラゴスを見逃してくれればおまえらには何もしねえから」
二人の言葉は隊長のプライドを傷つけたようだった。
「くそっ、将軍さえおいでになればおまえらなぞ」
それが登場の合図だったかのように、兵士の一人が叫んだ。
「隊長、援軍ですっ」
ケトゥたちが使ったのは別の出入り口から、灰色ケープを身に付けた兵士の一団が現れた。かなりの人数だった。そして、その先頭に、リーダーらしい男が立っている。そのすぐわきを、犬が一匹つき従っていた。
「あいつは!」
 あの花の咲くペルポイ盆地の焚火のそばにいた初老の男と犬だった。今はもう年寄りの擬態をやめ、堂々と背を伸ばし、大股に歩いてくる。犬さえも駄犬には見えなかった。
「何日あのツラを拝んだと思う。間違いねえ」
やはりペルポイの人間だったらしい。しかも、将軍と呼ばれているようだった。
ロイが軽く目を見張った。
「あんた、扉の前にいたよな。ペルポイの番人だったのか」
「その通り。だが、番人としては失格だ。諸君を通したのはまずかったな」
声も表情も、あの無気力な中年とは別物だった。ケトゥはぞくぞくした。