ロトシリーズ20のお題 14.竜王のひ孫

 竜族の至聖所は不思議な光に満ちていた。太陽でも月でもない。そこは竜王城の地下、何層にもわたってつらなるダンジョンの、最下層だった。自然光はまったく入ってこないのだが、その場所は不思議なほど明るかった。
 ローレシアのロイアルは、手に持っていた松明を消した。
「驚いたな」
 広大な空間が広がっている。先が見通せないほどの奥行きがあった。天井ははるか頭上にあり、ところどころ巨大な柱が支えている。というよりも、天井から岩が垂れ下がって柱になっているようだった。
 足元は深い水面だった。どこから来て、どこへ行くのか、水は流れている。
「あっち、橋があるよ」
サマルトリアのサリューが指差した。彼らの立っているのは階段のある小島だった。彫刻を施した古い石のアーチ橋が、隣の島をつないでいる。彫刻のモチーフはもうはっきりと読み取れないほど磨耗していた。
「十分用心してね」
ムーンブルグのアマランスは、杖を軽くついて歩き出した。
 ざざ、と波が起こって小島の岸を洗った。この竜王の島の周囲の海とつながっているのだろうか。どこからともなく風を感じる。アマランスはふと立ち止まった。
「どうしたの、アム?」
「なんだか、寂しいの」
「なんで?竜族じゃないのに」
「ええ。そうなんだけど、でも、感じない?きっと最盛期には、ここに強くて立派なドラゴンがたくさんいたのよ。この場所がそのことを記憶しているんだわ。だから、寂しい」
 波はまた、小島に打ち寄せ、引いていった。誰もいない地底の空間で、波の音はまるですすり泣きのようにも聞こえた。
「行こうぜ」
リーダーのロイが言うと、アムはそうね、と言って歩き出した。
 いくつか橋を渡ると正面に大きな島が見えてきた。重厚な宮殿が立っている。その入り口には、ドラゴンの顔をデフォルメした図形が彫り込まれていた。
「竜王の玉座の間よ」
ロイは、ロトの剣の柄を握り締めた。
「誰もいないはずだよな」
「とにかく、ここまで来たんだもの。行ってみようよ」
先に立ってサリューが入っていった。
 内部はすぐに大広間になっていた。この地底の洞窟を満たす不思議な光が、天井がわりの網の目状の飾りを通して、大広間を明るく照らしていた。
 一番奥に、一段高くなった場所がある。すぐ後ろの壁は黒と金のタペストリーで覆われていた。その前に安置されているのは、人間用とはとても思えない、巨大な玉座だった。
 座面は大の大人でも3人は並んで腰掛けられるだろう。背もたれは人の身長の五倍くらいあった。
「誰かいる!」
サリューが低く叫んだ。3人はいっせいに緊張した。
 乳白色の地に杏色の筋をうっすらと見せたなめらかな材質は高価な大理石だろうか、玉座の広い座面のかたすみにうずくまる人影があった。
 きゃしゃな体にだぶだぶのローブをまとい、その上から袖と脇縫いのない祭服をかぶってベルトでとめている。祭服の金の縁取り以外は、黒尽くめだった。
「何者だ」
やや高めの、男の子の声が響いてきた。三人はその子に近寄った。
 アムたちよりやや幼く、12~13歳くらいに見える。おかっぱに切りそろえた髪は衣装と同じく神聖黒色だった。眼球の白目であるべき部分が明るい琥珀色、瞳は漆黒である。そしてさらさらした髪の間から、まだ小さな白い角が二本、顔を出していた。
「きみ、竜族?」
サリューが聞いた。
「いかにも。小竜王と申す」
少年は腕を組んだまま玉座に座りなおした。あぐらをかいているらしい。プライドの高そうなようすが全身に漂っていた。
「竜王の一族か!」
敵意も露わにロイが言った。玉座はあまりにも大きいので、アムたちの立っているところが地べたなら、小竜王と名乗った少年は中二階にいるぐらいの高低さがある。小竜王は尊大なまなざしでロイを見下ろした。
「当城を根城とした竜王より数えて、4代目である。そなた、竜殺しの末裔か?」
「直系の子孫だ!おれはローレシアのロイアル」
小竜王は、ふん、とつぶやいた。
「先祖の遺恨、ここで晴らしてやりたいのはやまやまだが、私は今そなたにかまっているひまはないのだ。失せろ」
「なんだと、このガキ」
ロイは小竜王に指先をつきつけた。
「いっとくけどな。おまえ、小物モンスターをそそのかして、ラダトーム城にちょっかい出しただろ。おれたちが全部撃退してやったぜ。今度やってみろ。ここへ殴りこんでやるからな」
「おまえたちがラダトームを守っただと?よけいなまねをしおって」
「なんだよ、やる気か?おい、きさま、まずそこから、降りてこい」
「だめだよ、ロイ」
サリューだった。
「おれはアレフの直系の子孫だぞ?こんなやつ……」
「ちがうったら。小竜王くんね、降りたくても降りられないんだよ」
「あ?」
「なんですって?」
ロイとアムの視線を浴びて、小竜王はかっとほほに血の色をのぼらせた。おもむろに組んでいた腕を解き、片腕を差し出した。その手首に鎖がかけられていた。
「それ、どうしたの!」
思わずアムが叫んだ。小竜王は言葉を吐き捨てた。
「鎖につながれた竜王は、世にもまれな見ものであろう。とくと見るがよい」
白い華奢な手首は金属の輪にがっちりととらえられ、そこから鎖が伸びている。玉座の上のほうにつながっているらしかった。
 仮にも竜族なら、ただの鉄の鎖は簡単に溶かしてしまうだろう。この鎖はオリハルコンか何かでできているらしいとアムは思った。
 少年の手首は、硬い輪でこすれたらしい。赤くはれ上がり、皮膚が破れて血がにじんでいるところがあった。
 サリューが動いた。かなり高い玉座の座面に、飛び上がって指をかけ、そのまま小竜王の隣にあがりこんだ。
「これ、痛いでしょ。待ってて」
「よせ!」
自分より小柄な少年の手首をそっととらえ、サリューは回復呪文を唱えた。はれがひき、皮膚の破れたところが治っていく。
「同情もいたわりも要らぬ。どうせまた、傷つくのだ」
まるで屈辱をこらえているような表情で、小竜王が言った。
「誰がこんなことしたのさ」
「聞いてどうする」
「知りたいんだ。神様が君にこんなことをしたの?」
サリューは真剣な表情だった。小竜王の表情が、わずかにゆるんだ。
「精霊ルビスは」
と彼は言った。アレフガルドに棲むものに共通の、精霊を神聖視する言い方ではない。やや目上の親戚について話すような感じだった。
「元来、わが竜族とは敵対関係ではない。私を鎖で戒めたのは、ハーゴンとかいう輩だ」
アムは息を呑んだ。
「ハーゴン?大神官ハーゴンね?どうして、なんのためにあなたを閉じ込めたの?」
「私は、まがりなりにも竜の王族だからな」
少年は胸を張った。
「あやつの世界征服には、めざわりなのだろうよ。ある日突然、あやつが軍勢を率いてこの竜王の島へ現れた。私はこの玉座の間に必死で卵を隠した」
「卵?」
小竜王はかるく唇をゆがめたが、壁を覆うタペストリのほうへあごをしゃくった。
「裏側を見てみろ」
アムはタペストリに近寄り、そっと厚手のかけ布をめくった。
「まあ」
アムは目を見張った。卵だった。人の背丈ほどもある、やや縦長の卵が、かけ布の後ろの空間にびっしりと並んでいた。
「わが一族だ。私には彼らを守ってやる義務がある。あの中には、私の未来の花嫁もいるはずだ」
サリューは顔を輝かせ、感に堪えたようにつぶやいた。
「すごいや~。あの卵、みんなドラゴンになるの?きみ、えらいんだねっ」
小竜王はあごをあげてうそぶいた。
「高貴なる者の義務だ」
アムは、話しかけた。
「それで、ハーゴンは、あの男はどうしたの?」
「この城を荒らし、生き残りのドラゴンたちを殺戮した。ハーゴンの軍勢は私も殺そうとしたのだ」
小竜王は沈黙した。アムは殺戮の光景を、いやというほどくっきりと思い描くことができた。
「それから、どうしたの」
「どうもこうもない。私も小竜王だ。一矢報いてから死んでやろうと思い変化したのだが、鎖に絡めとられてしまった。ただ、あやつらの使う刃物でも、ハーゴンの魔法でも、鱗に覆われたわが身に傷をつけることはできなかったのよ」
 アムは、父を一瞬で焼き滅ぼした業火を思い出した。あの魔法を身に浴びて無事でいるのだ、この少年は。確かに竜の王族の血をひいているらしい、とアムは思った。
「それでやつらは、私をただ縛り付け、去っていった」
ぎゅ、とサリューは小竜王を抱きしめた。
「かわいそうに、つらかったよね?」
小竜王は、あっけにとられた表情でサリューの腕の中から彼を見上げた。
「放せ」
居心地悪そうに少年は言った。ほほが少し染まっている。
「同情など、いらぬわ」
サリューは笑い、そっと手を引いた。
「おまえたちが邪魔をしなければ、私はラダトームを手に入れていたはずだったのに」
「おまえ、動けねえじゃねえか」
ロイが言うと、小竜王はふん、と言った。
「別に住まうつもりはないからな。竜にとって、この地底の空洞ほど心地よい場所はないのだから。私はただ、ラダトームになら光の玉があるのではないかと思っただけだ」
アムは思わず従兄弟たちと顔を見合わせた。
「光の玉に用があるの?」
小竜王はいらだたしげに片手の鎖を振って見せた。
「これをはずすのに!必要なのだ」
アムはしばらく迷ってから言った。
「光の玉は、ずっとムーンブルグ王家が秘蔵していたわ。でも、ハーゴンが滅ぼしてしまった。たぶん、光の玉も持っていってしまったのだと思うの」
「なに!」
竜族としてはまだ幼いのだろう。少年は一瞬、泣き出しそうに顔をゆがめた。
「ぬかりはないということか」
「小竜王くん……」
くっと小竜王はあごをふりあげた。
「かまわぬ!ハーゴンがどれほどの魔物か知らぬが、私は竜族の王だ。寿命は天地にも斉しい。いつか、曽祖父様(竜王)よりも強く、大きくなって、この鎖をひきちぎってくれる!」
「おい」
ロイが下から声をかけた。
「なに一人で盛り上がってんだよ」
「うるさい」
「けっ、勝手にしろ。だが、おれたちはこれからロンダルキアを目指す。目的は大神官ハーゴンを征伐することだ。もし光の玉が出てきたらおまえにも貸してやる」
アムは袖口で笑いを隠した。ローレシアのロイアルという男は、どうしても素直に、“心配するな、おれたちが助けてやる”と言えない性格なのだ。
「ロンダルキアだと?」
小竜王は、ロイの言っていることの意味に気がついたらしく、ちょっと黙っていた。こちらも素直じゃないことは、ロイとためをはる。
「そうか。ハーゴンなど小物よ。私がじきじきに出向くまでもない。おまえたちにまかせる」
「けっ」
とても素直なサリューが、にこにこしていた。
「よかったね、小竜王くん。ここで待っててね?ぼくたち、急ぐから。ね、ロイ?」
音程のちがう“ふん!”が二つ、帰ってきた。
「じゃあ、ぼくたち、行くけど」
サリューはそっと、小竜王の絹のような髪に触れた。小さな角以外は、おかっぱ頭はサリューが撫でてやるにはちょうどよい形をしていた。
「その前に何か、ぼくたちにできること、ないかな?」
ぷい、と少年は、一度顔を背けた。が、急に正面からサリューの顔を見据えた。
「そなた、人間だろう?」
「うん」
「それなのに……もう一度、私の角に触ってみてくれ」
「こう?」
サリューの手が、自分の妹にするようにいとしげに少年の髪を撫でた。
「やはりそうだ。おまえから竜族の力を感じる」
「ええっ?」
サリューは目を丸くした。
「ぼくんとこは、アレフとローラまではご先祖様全部人間だよ?」
「ならば、なぜ!」
アムは、思い当たることがあった。
「それ、もしかしたら竜王の祝福じゃないかしら」
「なんだそりゃ」
ロイさえも初耳のようだった。
「アレフは、勇者ロトと竜の女王の約束に基づいて、竜王から祝福を受けたことがあるって。ムーンブルグの古文書で読んだことがあるわ」
「それだ!」
小竜王が言った。
「おまえたちの血の中に、曽祖父様の祝福が残っているんだ」
サリューはしげしげと自分の手のひらを見つめた。
「血の中か……ね、それを君に返すには、どうしたらいいかな」
「返す?」
「うん。君に少しでも竜王の力が戻れば、鎖をとれるんじゃないかな」
「少しじゃないわ」
アムは叫んだ。
「三人分、戻るわよ」
小竜王はロトの末裔たちを見回した。
「おまえたち……」
小竜王は玉座の座面からふんわりと降りてきた。彼を繋いでいる鎖が伸びきった。
 なんとなく厳粛なおももちで、アムたちはひとりづつ自分の指を傷つけ、少年の唇が傷口に押し当てられるのを見守った。
「どう?」
小竜王は口元をぬぐった。
「熱い。さすがは曽祖父様の……あっ」
小竜王は両腕で自分の体を抱いた。
「だいじょうぶ?」
少年は、はぁはぁ、と荒い呼吸をしていたが、そろそろと鎖につながれた腕を差し出した。
「見よ」
小竜王は反対の手で鎖の一箇所をつかみ、手首に近いところをくわえた。
 左右の手の間で鎖は張りきっている。白い尖った歯が鎖の輪にあてがわれ、力が入った。アムは、少年の歯が、強力な金属に食い込んでいくのを、信じれらないような気持ちで見守った。
 金属的な音をたてて、鎖の輪が砕け散った。
「すげぇ」
 ロイがつぶやいた。素直に驚いたらしい。
 唇から鎖のかけらを吐き出して、少年は笑った。
「取れたぞ!」
「よかったね」
サリューは、かいがいしく手巾をとりだして、少年の口の辺りをぬぐってやった。
「手首のも取れるといいね」
「残念だが、今は無理のようだ。でも、光の玉があれば」
「じゃあ、必ず持ってくる」
少年は初めて、屈託なく笑った。案外、かわいい笑顔だった。
「待っているぞ。勇者の末裔よ、ハーゴンを倒してまいれ!」
「てめえ、えらそうに……」
ロイがつぶやいた。
「じゃ、とにかく、行くか!」
きびすを返したときだった。小竜王が、声をかけた。
「南へ行け」
ロイたちはふりかえった。
「なんだって?」
「メルキドの南の海に小さな島がある。そこへ行くがいい」
サリューはわざわざ彼のそばに引き返した。
「なんでそこへ行くといいの?」
顔をのぞきこんでたずねると、小竜王は、照れくさそうな顔でうつむいた。
「あれをおまえたちはなんと呼ぶのだろう。紋章、か」
「え?」
サリューが聞き返すと、小竜王はぱっとふりむいて駆け去り、タペストリを翻してその奥へ隠れてしまった。
「かわいいなあ」
アムは思わず言った。
「サリューより、年上かもしれないわよ?」
「うん、でも、かわいい」
ロイたちは竜王の間の出口を目指した。先祖の死闘の跡地を、アムは最後にもう一度ふりかえった。空になった巨大な玉座の後ろ、黒と金のタペストリの後ろから、おかっぱ頭の男の子がちょっと顔を出してこちらを見ていた。
「あ……」
不意をつかれたような顔で少年はほほを染め、きゅっとにらみつけるとまた隠れてしまった。
 たしかにかわいいかもしれない、とアムは思った。