ロトシリーズ20のお題 7.竜王

 ラダトームの町でアレフが常宿にしているのは、“キメラ屋”という名の小さな宿屋だった。町から町へ旅して回る商人がよく使っている。そこそこの食事を出してもらえる上に、きれい好きの女将のおかげでシーツはいつも清潔だった。
 アレフがラダトームへ戻ってきたとき、城はもう正門を閉じていた。もちろん、アレフが言えば守衛たちは門を開けてくれるだろうが、今のアレフは、ラルス16世に会うのをできるだけ先延ばしにしたかった。
 明日は、きっと。
 だが、気が重いのは明日になっても変わらない。
「ローラ姫を発見いたしました」
と、アレフは王に言わなくてはならない。
「ですが、その前にがんばっているドラゴンが恐ろしくて、手も足も出せませんでした」、と。
もしもアレフがラルス16世だったらきっと、姫を絶対助け出してくれ、とわめくだろう。だが、初めてアレフが謁見の間に呼び出されたとき、王は冷静な口調でただ、“光の玉を取り戻してまいれ”と言っただけだった。
 自分で歩き回ってみて、アレフには王国の現状が手に取るようにわかった。ローラ姫救出のために裂ける軍勢など、ありはしないのだ。各地の拠点を守備するために、王国はもう、いっぱいいっぱいだった。
 キメラ屋に入ったとき、アレフはそんなことを考えていた。だから、最初、女将が何の話をしているのかわからなかった。
「今、なんて?」
「お客さんが来てる、って言ったんですよ」
アレフに家族は、ほとんどいない。アレフは孤児だった。教会に拾われて、そのまま僧侶として学び、そのうち教会をひとつまかせてもらえたらいい、と思っていた。王に呼び出されるまでは。
 僧侶養成学校のときの友達だろうか?
「どんな人ですか?」
「ようすのいい殿方でしたよ」
女将は、ぽっとほほを染めた。
「戦士とか将軍ていうガラじゃないみたい。もっと知的で、オトナで、教養のある感じ。賢者っていうのかしら」
アレフは首をひねった。どうも友人ではないらしい。
「いま、どちらに?」
「それが、お部屋で待つっていって、勝手にあがっていっちゃったんですよ。悪かったかしら」
いいも悪いも、それではしかたがなかった。アレフはいつも泊まる、二階のつきあたりの部屋へ向かった。
 木の扉を軽くノックしてみた。
「お入り」
 深みのある男性の声がそう言った。アレフはそっとドアを開いた。
 ラダトームの市街を見下ろす窓の前に、一人の男が立っていた。見事な上背は戦士のようだったが、確かに粗野な印象はない。魔法を使う者たちが好んで着る大きな袖のローブをまとい、手に太い握りの杖を持っていた。
 髪はフードの中に隠れているが、洗練された容貌はよくわかった。高い鼻と薄い唇、男にしてはやや高めなほお骨が貴族的な雰囲気をかもし出している。が、くっきりとして黒い瞳が、柔弱な印象を許さなかった。
 双眸は実に強烈な光を放っている。その眼に見つめられて、アレフは思わず足がすくんだ。
「どなたですか」
に、と男は笑った。ラダトームの町娘なら、いや、王宮の貴婦人でも、くらくらするかもしれない。男は、巨大な悪の華やぎと魅力にあふれていた。
 男は袖から長い指を出して胸飾りに触れた。大きな青い石をはめこんだ、ペンダントである。
「そなたがアレフか」
「はい」
直立不動になりそうになる。ラルス16世の前に呼び出されたときさえ、これほど緊張はしなかった。
「わしは、王の中の王、竜王」
男はそう名乗った。アレフは、全身の血の気が引く音を聞いた。

 竜王はフードをおろした。角がおさまっているのか、頭巾でおおった頭部はハート型にふくらんでいる。
 アイラインをひいたような大きな眼は、眼球がメタリックな金色だった。漆黒の瞳が、アレフの姿をとらえた。
「勇者ロトの末裔と聞いたが、先祖には似ておらんようだな」
そのまま興味もなさそうに後ろを向き、窓から外を見下ろした。
アレフは、口の中が乾ききって、何も言えなかった。なんと、大胆な!ラダトームは、王のお膝元なのだ。
「な、なんで、ここへ?」
やっとそれだけ、か細い声で聞いた。
「ん?」
尊大な表情で竜王はふりかえった。
「おう、少々そなたに、用がある」
アレフは、かっと血が頭に上るのを感じた。
「ならば、外へ。一対一の勝負なら、望むところです」
アレフの挑戦を竜王は鼻で笑った。
「無理をするな」
「竜王!」
「おやおや」
竜王は冷笑を浴びせた。
「戦いに来たのではないのだがな。警告をしに来たのだよ」
わざわざ、すわってもよいかな?と身振りで聞く。アレフが不承不承うなずくと、竜王は宿屋に備え付けの粗末ないすを引いて、優雅に腰をかけた。ただの木のいすが、玉座のように見えた。
「わしの婚約者の周りをうろうろするのはやめてもらいたいのだ」
「婚約者……」
それがローラ姫のことだと気がついて、アレフは真っ赤になった。
「あの方は」
「“わが妃にいただきたい”と、ラルス殿には、再三申し入れてある。もし拒むならアレフガルドがどうなるかも、お伝えした」
「ローラ様は、陛下のお一人子で世継ぎの姫様です。無理なことを」
竜王は、冷笑を浮かべた。
「ラルス殿の返事では、否やはないそうだ」
「バカな!」
「が、肝心のローラ姫がまだいとけないので、お待ちいただきたいとのことだった。時間稼ぎは好かぬのでな。しばらく姫をお預かりしているのだ」
「あんなところに、閉じ込めてもですか」
「姫にはちょうどよかろう」
「いいわけがない!ずっとお城育ちの、かよわいお姫様に」
竜王は眉を上げた。
「姫の正体に気づいておらんのか。そなた、本当に勇者の子孫か?」
「ぼくは……姫がなんだって?」
竜王は、人差し指で自分のあごを撫で、軽く目を細めてアレフを見た。
「勇者ロトは、精霊ルビスに見出され、竜の女王のめがねにかなったほどの男と聞いたが」
「だから、何なんですか!」
「よいか、アレフガルドでこの竜王が恐れを感じるのは、戦士を束ねる国王でもひよっこ勇者でもない、あの姫ただ一人よ。だからこそ、妃に、と望んだのだ」
アレフはめんくらっていた。
「いったい何者なんです、あの方は」
「知らぬなら、知らぬでかまわぬ。さて、と」
長い袖をさっと左右に開き、竜王は立ち上がった。アレフに、ゆっくり近寄ってくる。殺られる、とアレフは直感した。
「もうひとつの用は、勇者殿の実力のほどを確かめること」
竜王は手を、アレフの喉元に伸ばした。人間の手によく似ているが、指が4本しかない。そして、実に長い、鋭い爪が生えていた。竜の前足なのだ、とアレフは思い、冷や汗をかいた。
 アレフは、宿屋の壁に背中を押し付け、ふるえている。竜王の手が、首筋にかかった。皮膚を爪先が圧迫しているのを感じてしまう。それが喉へ食い込む瞬間を予想して、アレフは耐え切れずに眼をつむった。
 くす、と竜王は笑った。喉の圧迫が退いていく。アレフは驚いて眼を開けた。
「今のそなたでは、食い足りぬわ」
至近距離に、尊大な竜王の顔があった。
「くっ」
アレフはうめいた。手も足も出ないとは、このことだった。
「おっと、忘れていた。最後にもうひとつ」
 竜王は、息がかかるほど間近に顔を寄せた。アレフは硬直した。竜王の息とは、すなわち灼熱の炎ではないか。
 竜王はアレフのあごをとらえて固定すると、おもむろに自分の唇をアレフの首筋に押し付けた。
「あっ」
背筋が凍るほど冷たいのに、首の一箇所、唇の触れているところだけが、火のように熱い。アレフは震えた。
「今のは、竜王の祝福だ」
「なんだって?」
かすれる声でアレフは聞き返した。
「遠い昔、竜の女王は、勇者ロトに祝福を与えると約束しながら、果たさずに亡くなった。これはその約束の分だ」
アレフは、自分の目じりに涙がたまっているのを感じてあわててぬぐった。
「いささかなりとも、そなたの力、各種パラメータに変化が起きるはず」
「ぼくは!」
それでも虚勢を張って、アレフは言い返した。
「その力を使って、あなたのモンスターたちを倒します」
ふっふ、と竜王は笑った。
「負けん気だけは先祖譲りだな。ならば、わが城までの血路を開いてみよ。わが前に現れたときは、相手をしてやろう」
竜王が体を引いたので、やっとアレフは逃れることができた。一生懸命、竜王をにらみつける。
「僕は強くなって、必ずたどりつきますから」
「待っているぞ」
からかうように眉を上げ、そう言って杖を握りなおした、と思った瞬間、竜王の姿はかき消えていた。アレフは、膝から崩れ落ちた。
 心臓がばくばくしている。
「あんなに強いなんて」
そして、あんなに魅力的だなんて。
 捕らわれていてもなお美しいローラ姫が、さらにあでやかに装って、あの男の花嫁になる図が簡単に心に浮かぶ。アレフの思い描いた図の中で、ローラ姫はうっとりと花婿に見とれていた。
「ローラ姫……」
アレフは小さくつぶやいた。
「だめだ、そんなの、がまんできない」
まずは、扉の前に立ちはだかるあのドラゴンをどうしても殺さなくてはならないことを、アレフはようやく悟っていた。