ロトシリーズ20のお題 18.しかし、何も起こらなかった!

 ラダトーム城は由緒正しき王城だった。アレフガルド多島海を支配しその地に暮らす人々を守る、ただひとつの王家の居城である。
 国を挙げて竜王率いるモンスターの群に攻め寄せられている現在も、王へ寄せる民の信頼は厚かった。
「開門!」
城の門をくぐって入ってきた旅人に、兵士たちは訓練の通り槍を向けて誰何した。
「姓名と用向きを述べられたし」
旅人は、ほこりにまみれたマントを肩からはねのけた。金の縁取りのある美々しい青い鎧が現れた。
「勇者アレフが、ラルス十六世陛下へお目通りを願っているとお伝えください」
すぐに槍を引いて、兵士は答えた。
「どうぞお通りください、勇者殿」
フェイスガードに精霊女神のエンブレムを帯びた兜を腕に抱え、勇者アレフはラダトーム城へ入っていった。
 臨戦態勢にあるラダトーム城は、兵士と同じくらい奥向きの者にも規律は行き届いている。アレフが城を訪れたことはすぐに王の間へ伝わった。名君ラルス王は、廷臣に命じて玉座の前を広く開けさせた。
「また、南のようすを聞くことができましょうかな」
「勇者殿がメルキドのありさまを伝えてくれたのは望外の幸運でした」
「もう王国の政事はアレフ殿たよりですよ」
大臣たちも、否やはなかった。あの頼りない見習い僧侶だった少年は、驚くほど成長し、強く頼もしくなっていたのだった。
 光の玉が持ち去られ、ローラ王女が連れさられ、王国がバラバラだった日々にくらべ、勇者アレフが存在する今は、廷臣のようすもまったくちがっていた。何より、顔が明るく、そしてしぶとくなっている。勇者はこの悲哀と諦観に彩られた国に、かすかではあれ、希望をもたらしたのだった。
「誰か、わしの隣にローラの席を整えてくれ」
とラルス王は女官に言った。
「ローラはなにをしている?」
ほかならぬ勇者の手によって竜王から救い出された愛嬢の名を、ラルス王は愛しげに口にした。古くから宮廷にいる者たちは、そのようすに表情を和ませた。
「ローラ様も勇者殿を憎からず思っておられるごようす」
一人が冗談めかして言い出した。
「お気の毒に陛下は、やはり姫を失う定めのようでございますな」
「なに、娘を持つ父親が千年前から悩んできたことです」
「互いに思い合い、しかも相手が三国一の婿殿とあれば、いたしかたございますまい」
 そのとき、年輩の女官が王に近寄って何事か言上した。
「なに、客?」
「姫様はお部屋でおもてなしのご用意をしていらっしゃいます。勇者様にも御相席を願い、ごいっしょに粗茶を差し上げたいとおっしゃいました」
「勇者殿の出迎えができぬほど大切な客か?まあよい。では、勇者殿をさっさとこのじじいどもから解放して、奥へ行かれるようにしてやろう」
宮廷の老臣たちから和やかな笑いがもれた。

 強力なモンスターが跋扈するダンジョンよりもまだ緊張したようすで、アレフはぎくしゃくとラダトーム城を歩いていた。
「お茶のお相伴って」
姫の居室への道を教えてくれた女官はあっさりそう言ったのだが、アレフはびくびくしている。見習い僧侶だったころも、旅人として荒野を歩いていたころも、宮廷の奥向きのお茶会などというものに出ることを、夢想したことさえなかった。
 ラダトーム城のなかでも初めて入る棟にアレフは足を踏み入れた。柱が細めになり、どことなく女性的な曲線を描いている。その柱と柱の間に、お仕着せを着た女官たちが並び、そろって宮廷式のお辞儀をした。
「いらせられませ、アレフ様」
そこはラルス王家の大奥であるらしい。ラルス王は后を早くに失っているので、この棟の女主人はローラ姫一人のはずだった。
 女官たちはアレフガルドのいずれも素性の確かな家柄の、気だても容姿も優れ、しかもローラ姫とだいたい同じ年頃の者から選ばれた娘たちだった。中でも一番年長らしい落ち着いた雰囲気の女官が、片手をさしのべた。
「本日はお天気もよろしいので、姫のお茶会はテラスにてお支度いたしました」
「はあ」
アレフは間の抜けた返事をした。
「どうぞ、こちらへ」
先に立って歩く女官についていくしかなかった。
 姫の居室らしい部屋を横切って女官はガラスの大きな扉を開いた。屋外はまぶしいような日差しだった。少し離れた海岸から気持ちのいい風が吹き渡ってくる。
 城内でも高いところにあるらしく眼下にラダトームの市街を見下ろし、海をはさんでイシュタル島とそこにそびえる竜王城を眺める、眺めのいい場所だった。
「アレフ様」
少女めいた声がアレフを呼んだ。
「お待ちしていましたわ!」
ふわふわとしたクリーム色のドレスのローラ姫がテラスの丸テーブルの前に立っていた。嬉しそうにほほを染めている。アレフの胸は、いきなりはねあがった。
「姫、こちらでしたか」
アレフはほっとしていた。案内の女官はついてこない。テーブルはどうみても少人数用。考えてみれば、宮廷で会うときはいつも姫の父王、貴族廷臣、城の兵士や女官たちの真ん中だったのだ。二人でこんなに親しく話ができる、というチャンスはなかなかない。
「あ、お、お招きありがとうございます」
口ごもりがちなアレフに向かって、花のようにローラ姫は笑った。
「今、お茶をご用意しますわ。お席へどうぞ」
そう言ってポットを取り上げた。侍女にやらせる気はないらしい。後ろ姿に見とれながらアレフは茶会用の丸テーブルへ寄り、ロトの兜をテーブルへ置いた。
 その瞬間、びくっとアレフは身を引いた。本能が右手を剣の柄に導いた。
「こんなところで何をしている!」
テーブルには先客がいた。大きな袖、裾の長いローブを身に付けた、壮年の男性だった。片手で頬杖をつき、大きな目でこちらを見ている。
 その眼球は竜族特有の金色、虹彩は縦に長く、漆黒だった。
「竜王!」
アレフガルドを危機に陥れているその本人が、ローラ姫のテラスでくつろいでいた。
「いいなづけを訪問したところだ。何か文句があるかね」
と、竜王は言った。
「のうのうと!」
城へ戻る前に城下で泊まってきたので、HP、MPともに満タンだった。
「いつぞやとは違う!姫に何かするつもりなら、あなたを許さない」
殺気を満々とたたえてアレフは詰め寄った。
 竜王は見下したような眼をした。
「貴婦人の茶会で刃物三昧は感心せんな」
うっとアレフはつまった。
 竜王は落ち着いていた。ゆったりしたローブのフードは背中へおろし、頭巾で頭髪ごと角を隠している。人間で言えば長い髪をすべて後ろにとかしつけたような姿だった。
 端正で貴族的な顔立ち、黛をひいたような柳眉、強いカリスマをもつ瞳があいまって、竜王はどこか紳士的な悪魔のように見えた。
 魔法使いのローブが優雅にあがり、丸テーブルの脇を指した。そこには竜王の杖が立てかけられていた。
「あなたの前で、剣を手放せというのか」
「さて、臆病者にはできぬだろうな」
アレフは歯を食いしばり、炎の剣を鞘ぐるみはずして、その傍らへ並べた。
「そう、それでよい」
あごを動かして席へつけ、と竜王は指図した。
 アレフは深呼吸をひとつして竜王と向かい合った。
「わかった。ローラ姫の前で血を流すのはたしかによくない。だが、もう一度聞きます。ここで何をしている」
 そのときだった。のんびりした声が響いた。
「お茶が入りましたわ」
赤い縁取りのあるふきんでバラの花もようの白いポットをつつむようにして、ローラ姫が二人に笑いかけていた。
「お砂糖はどうしましょう?」
そろいのバラ模様のカップに、琥珀色の液体がなみなみと注がれていく。
「砂糖は遠慮しよう。クリームをいただこうか」
「ぼくは、ひとつ、お願いします」
はい、とかわいらしく答え、姫はいそいそと砂糖入れの蓋を取った。
「大陸からガライ港へ今年の茶葉が入ったのですって。さきほどそれを厨房から届けさせましたの。お口にあいまして?」
「テパの早摘み……これは良い葉だ」
鼻先へカップを運び、香りを楽しむように竜王は目を閉じた。
「よく熟した古い酒があいそうだ。姫はよいご趣味をおもちだな」
口角をかすかにあげ、強い光の瞳で竜族の王はローラ姫を見上げた。姫はうれしそうに微笑んだ。
「まあ」
それはどう見ても、世間知らずの乙女がいかがわしい外国の紳士にたぶらかされるの図だった。
「わしの城へお迎えするのが待ち遠しい。姫、あなたの宮廷はたいそう趣味のいいものになるだろうな」
姫は困ったように微笑んだ。
「竜王様」
「何か、姫?」
渋みのきいたいい声で竜王が応じた。
「そのお話は、一度お断りしたはずですわ」
蚊帳の外へ出されて苦虫をかみつぶしていたアレフの心がいきなり舞いあがった。
「なにをおっしゃる、わしは父君のゆるしもいただいたというのに」
「私、18になりましたの」
かわいらしい声だがきっぱりとローラは説明した。
「このアレフガルドでは、その年齢になった女は自分の結婚について父に意見することができますのよ」
そして、ちらっと視線をアレフの方へ送った。はにかんで赤くなった頬、雄弁な瞳。 アレフはくらくらするような幸せの中で、幻のレベルアップファンファーレを一度に 2,3レベル分聞いていた。
 こほん、と竜王のせきばらいがファンファーレを遮った。
「ならば、問題ない」
それぞれ四本の指のある竜王の手が、ローラの手をつつみこんだ。
「あらためてわしを選んでくださればよいのだ」
無邪気なほど自信たっぷりな宣言だった。
  アレフは思わず割り込んだ。
「手を放してください。我が国の王女殿下になれなれしくしてされては困ります」
「姫のいいなづけでも?」
「いいなづけではないと、姫ご自身がおっしゃいました」
竜王は蠅でも飛んだかのようにうるさそうな表情で姫の手を離し、短く聞いた。
「では君は何なのかね?」
「え、ぼくは」
 結婚の約束なんかしてはいない。
 ローラ姫から“想ってくださいますか”と聞かれてはいと答えた覚えはあるが、こちらからぼくを思ってくれますかなどと、恐れ多くてとても聞けない。
「恋人なのかな?」
ローラ姫を盗みみた。頬を染めてあふあふと唇を動かしているが、なんと言えばいいのかわからないようだった。が、同時にアレフがなんと答えるかをじっと注目していた。
「ラルス王家のご息女とはどのような関係かな?」
答えをためらっているのを承知の上で竜王はにやにや笑っていた。
「ぼくは姫の……騎士です」
恋人と言いきれないアレフの、それはせいいっぱいの矜持だった。
「姫がぼくをどんなふうに思っていらっしゃるかはわかりません。ただ、ローラ姫を守るために戦う覚悟はいつも、ある。相手がたとえ、あなたとでも!」
 何かすごくあたたかい、柔らかいものが、ぺたりと背中にはりついた。そしてその匂い。一度だけ間近で体験した、若い姫君の甘い香りだった。
 きゃしゃな両手が背後からアレフの胴にまわり、抱きしめた。
 首筋にかぐわしい息がかかった。
 そして、小さな声がささやいた。
「ローラは勇者様をお慕いしております」
「姫」
そのあと何と言えばいいのかわからなくて、アレフは鎧の手甲で覆った手を、小さな手に重ねた。
 ふうとため息が聞こえた。
「それが姫のお答えか?」
真っ赤になったローラ姫が答えた。
「そう思ってくださってけっこうですわ」
竜王は、それほど落胆した様子もなく、ひょうひょうと席から立ち上がった。ごく紳士的な態度でローラの傍らに立った。
「我々竜族は寿命も長ければ気も長い。姫のお気持ちが変わるのを待つことにしよう」
「お怒りになりませんの?」
不思議そうに聞くローラ姫に、竜王は一瞬眉をひそめ、何か言い掛けてためらった。
「傷つけ、奪い、支配するのが竜の本性。アレフガルドのみならず、いずれあなたの心も手に入れておみせしよう」
気障ったらしく言うと、さりげない仕草で姫の手を取り、その甲に唇をつけた。
 このっとアレフが思った瞬間、竜王は魔法で消え失せてしまった。
「大事ありませんか、姫」
ローラ姫は、テラスの対岸に見える竜王城をじっと見上げていた。
「私は大丈夫ですわ。でもあの方……」
「竜王?」
「御断りしたことできっとがっかりなさったでしょうに。本当は、優しい方なのですわ」
 そうじゃない、竜王が「婚約者」の心変わりを表向き咎めなかったのは、竜王がローラ姫をおそれているからだ、とアレフは知っていた。このアレフガルドで竜王がおそれを感じるただ一人の存在、と。
 何も言えずに乙女をそっと抱きしめながら、あらためてローラ姫の何が竜王を恐れさせているのだろうと考えていた。
「お茶が冷めますわ。いっしょにいただきましょう」
「先に、城の衛兵に話をした方がよくはないでしょうか。竜王がこの城に現れたのですから」
ローラ姫は、人差し指をたててアレフの唇に当てた。
「もう少し二人きりでいたいのです」
「しかし」
大きな目が近くから見上げていた。
「報告はしなくてよいの。だって、何も起こりませんでしたわ」