月と海神の王国 6.サリューの賭け

 テパの入り口にある教会の前で、イリヤをはじめ数名の村人がパーティを待ち受けていた。
「こっちへ来てくれ」
全員でパーティを囲むようにして、彼らはサリューたちを護送していく。さすがに物珍しさは失せたのか、村人総出で見に来ることはもうなかった。
 ちょっと田舎だが、川があり民家があり、表通りには商店、宿屋がある。普通の町なのに、とあらためてサリューは思った。
 イリヤは、一軒家の前でパーティを止めた。
「ここだ」
「村長の家か?」
とロイが言った。周りと比べるとやや家が大きめだが、特別豪華という感じはしなかった。
「ドン・モハメの仮宅だ」
ぽつりとイリヤは言った。
 鍵のかかっていない扉を半ばひらいて、イリヤは内部へ呼びかけた。
「親方、雨露の糸が来ました!」
 サリューはちょっと意地悪がしたくなった。
「ほんとは見つからなかったって言ったら、どうするの?」
イリヤは歯をむき出して笑った。
「そうしたら月のかけらは貸せないし、水の羽衣もお預けだ」
ちぇっとサリューはつぶやいた。
「ほら、糸巻き」
ドラゴンの角の北塔で苦労して採ってきた雨露の糸をサリューは差し出した。
「どれどれ」
足音がして、ドン・モハメがドアの隙間から顔を出した。
「ふむ。まさにこれじゃ」
イリヤはドン・モハメにうやうやしく糸巻きを渡した。
「こんなもんで間に合うかしら?」
とアムが言った。
「ま、一人分ならこんなもんじゃろ」
「なら、あと十日でできるってわけね」
ロイが両腕を空に向かってつきあげた。
「う~ん、長かったな!やっとこれで」
「やっと、何かな?」
 絶対、喜んでる、とサリューは思った。ドン・モハメは妙に目がきらきらしていた。
「ドン・モハメ」
とアムが言った。できればサリューもロイも聞きたくない感じの、嵐を秘めた口調だった。
「あなたちょっとやりすぎじゃないのかしら?」
ドン・モハメは、真顔になった。
「確かに雨露の糸は受け取った。だが、それだけでは水の羽衣はできん」
「今度は何だ!?」
ロイが吼えた。
「機織りの機械じゃよ。聖なる織り機と言ってな。それなしではこんな繊細な糸の加工は」
き、さ、ま、とロイの唇がひとつひとつ音を漏らした。
「上等じゃねえか。どこにあるんだ」
「テアマト水郷で使っていた織り機は、十年前に町を退散するときに人に預けた」
「どこのどいつだ?」
「水郷の人間だが、織り機を抱えて落ち延びていった。行ったさきまでは知らんが、聖なる織り機はその性質上、保存には聖域が必要なのだ。どこかの神域におさまっているのではないかと思うが」
 三人はそれ以上何も言わなかった。ただ黙ってドン・モハメの家を出た。あわてたようすでテパの男たちが追いかけてきた。
「どこへ行く気だ」
肩に伸ばしてきた指をロイは片手ではらいのけた。
「決まってるだろう。村からでる」
大股に歩き橋をわたって、パーティは無言でテパの村からでた。腹の中は煮えくり返っていた。
 足並みをそろえて降りたばかりの船に、三人は歩みを向けた。帆柱の向こうに夕陽が落ち掛かっていた。
「はい、みなさん、ご一緒に」
ぶすっとした口調でサリューは言った。
「ドン・モハメのバカヤロー!」
一呼吸遅れて、どすの効いたテノールとテンションの高いアルトのハーモニーが来た。
「バッカヤロー!!」
唱和の声は、むなしく夕陽に吸い込まれていった。

 強い海流に乗って船は順調に航海を続けていた。テパとドン・モハメに関わり合うようになってから、三人が船を使う頻度がぐっとあがっていた。水夫や船員は精力的に動いてくれているが、パーティにはあまり近寄ってこない。
 無理もない、とサリューは思う。三人とも多少いらついている。聖なる織り機のある場所について、ヒントは聖域だろうという一点だけなのだ。
「俺んちの近所で聖域って言やぁ、まず勇者の泉だな」
「ぼくもそう思う。でも、勇者の泉を管理しているの、ぼくの母方のおじいさまなんだけど、そんなもののこと、聞いてないよ」
「第一、水郷から遠すぎるわ」
とアムが言った。
「一番近いのは」
そう言って彼女は口ごもった。
「心当たりがあるの?」
「えっ、いいえ」
妙に強い口調でアムは否定した。
「そうだ、アレフガルドの聖なるほこらは?」
「あの頑固じじぃのところか」
ロイが憮然とした。
「まあ、聖域の一種かな」
「ほかに行くとこ、ないじゃないの。聖なる織り機のあるところがハーゴン神殿だったらお手上げよ」
「あれは神殿だけど、聖域とちょっと違うよね」
 三人は今まで冒険してきた地域についていろいろ話し合って、名前の出てきた場所を順繰りに巡り、そしてすべてハズレを引いた。現在パーティは最後の候補地、ザハンへ向かっているところだった。
「これでダメならお告げ所でも行ってみるか」
「ぼく、ザハン、あんまり好きじゃない……」
「サリューがいやなら、神殿に近寄らなければいいわ。あたしたちで行ってくる」
「ううん、ぼくもいくよ」
 絶海の孤島にある漁師町ザハンは、彼らが覚えているのと変わっていなかった。漁船が沖に出かけ静かになった町のメインストリートをパーティはザハンの封印神殿へ向かって歩いていた。
 ゆるやかな坂道の上に、初老の巫女が立っているのが見えた。
「おひきかえしあそばせ!」
「言うと思った」
ロイはつかつかと近寄った。
「ローレシアのロイアルだ。ご無沙汰した」
巫女は目を見開いた。
「まあ……殿下」
ザハンは絶海の孤島だがローレシアとは旅の扉でつながり、巫女たちもローレシア城内の教会に所属している。
「聞きたいことがあってきた」
「何でしょうか」
「テパという町から人が逃げてきたことはなかったか?」
巫女は考え込んだ。
「ここは海流の関係で、よく船が漂着いたします。テパ、テパと……。聞いた覚えがありませんが」
じゃあ、とサリューは言った。
「何か預かったことはありませんか?その人は、聖なるアイテムを保管するために、聖域を探しているはずなんです」
「もしかしたら」
と巫女がつぶやいた。期待を込めて見守るパーティに向かって彼女は手招きした。
「こちらへ。ご自分の目で見ていただきましょう」
巫女はきびすを返して神殿へ向かった。見覚えのある道を三人は歩き始めた。
 ザハンの封印神殿は小さな島には不似合いなほど大きい。石造りの神殿の内部を歩くと同じ制服の巫女たちとすれちがった。どれもつつましく目を伏せ、タイルを敷き詰めた廊下に短い影を落とし、無言でしずしずと歩いていく。
 昼下がりのザハンは静かだった。自分たちの足音のほかは波の音しか聞こえない。円柱と円柱の間から熱い日差しが差し込むので、それ以外のところがしっとりした闇に覆われていた。
「こちらです」
巫女はつきあたりの扉を開けはなった。中は小部屋になっていた。中央にぽつんとひとつ、何か大きなものが置かれ、白い布をかけられていた。
「十年ほど前になりますか、この封印神殿の先代の責任者があれをこの部屋へ置かせたのです」
と初老の巫女は説明した。
「それ以来、中身を見た者はおりません」
「どうしてだ?」
そう聞いたロイに、アムが答えた。
「この床、バリアですもの」
青い炎のようなものが床一面から立ち上っている。うっかり踏み込めば命を削られるトラップだった。
「危なくて入れないでしょうね」
「ご説明する手間が省けました」
と巫女は言った。
「バリア床をご承知なら、立ち入りも持ち出しもご自由になさってください。それでは」
巫女は元来た通路を戻っていった。また神殿の入り口で侵入者をとがめる仕事にもどるのかとサリューは思った。
「またハズレかもな」
とロイは言ったが、踏み込む気満々だった。
「ぼくに行かせてよ」
とサリューは言った。
「え?」
「ロイは回復できないでしょ?ね?」
一緒に行く、とロイが言い出すのを待たずにサリューはバリヤ床の上に足を踏み入れた。
「しょうがないわね。さっさと戻って来てちょうだい」
サリューは息を深く吸い込んで同時に一歩踏み出した。たちまちびりっとした刺激が脚をさした。
「きっつ~」
一歩、さらに一歩。痛みに耐えてサリューは歩いた。一人きりでこのバリヤ床に立つ。それは絶対に必要だった。
「ついた!」
HPはぎりぎり。さすがにつらくて、一度脚を開いて腰を落とし、両手を膝に、あごを胸につけた。
「おい、ホイミしろ!」
サリューは従兄姉たちに向かって何とか笑顔を見せた。今回復するわけにはいかなかった。
「それよりさ、これ、見てみようよ!」
サリューは体勢を直し、腕を伸ばして白布の端を握った。
「せぇのっ」
薄暗い小部屋の中に布が舞い上がった。布の下から現れたものは人の身長ほどもある機械だった。糸をかける大きな枠の上に、人魚の像が飾ってある。
「聖なる織り機よ!」
「やったな。あたりだ!」
サリューは、両手で聖なる織り機を抱えた。
「あ、そんなに重くないや」
「よーし、こっちへ押してこいよ。ひっぱってやるから」
サリューは笑った。今現在、HPひとけたである。聖なる織り機の前に立つと、ぐいぐいと壁の方へ押していった。
「何やってんだ?」
えへへへへーとサリューは振り向いて笑った。
「ぼく、あと一歩で死ぬよ」
ロイとアムの表情が変わった。
「ちょ、そこ動かないで。今行くから」
「来ないで!」
とサリューが叫んだ。
「バカ野郎、死ぬ気か!」
「先に話をさせてよ。その前に回復しようとしたりぼくを引きずりだそうとしたら、一歩だけぼくは動く」
「おい、やめろ」
ロイは青くなっていた。
「わかったわ。言ってご覧なさい」
ついにアムが言った。ずっと待っていたチャンスだった。バリヤ床が容赦なく体力を削っている。口が回らずにサリューは一度息を継いだ。
「こないだから、ヘンだよ、二人とも」
ロイとアムが、同時に視線をそらせた。
「アム、テパについて、何か知ってるよね?ドン・モハメとは前に合ったことあるでしょ。どうして何も言わないの?どうしてドン・モハメの味方をして、僕たちを村へ入れないようにしていたの?」
「あたしは……」
「言ってよ。ぼく、長くは持たないからね。ロイもロイだよ。満月の塔からこっち、なんかおかしい。くびかり族のこと、何か知ってるの?どうして殺さないの、ていうか、殺せないの?」
「おれは、その……」
ふん、とつぶやいてサリューは二人の顔を交互に見た。
「わかったよ。仲間だと思ってたのは、僕だけだったってわけか。もういいよ!これでさよならだ!」
「待って!」
アムが悲鳴をあげた。
「言う、言うから、やめて」
アムは両手を握りしめていた。
「ドン・モハメと合ったのは、10年くらい前よ。あたしはまだ子供だった」
「それで?」
いやな脂汗が額から流れて目に入る。だがサリューは、最大の自白を引き出そうと決心していた。
「ドン・モハメは、織物職人の親方で、同時に信徒たちの長老なの」
「信徒?まさか、ハーゴン?」
「とんでもない」
「じゃあ、ルビス様の?」
「ちがうわ」
と、ロトの末裔である王女は言った。
「海神アビス。それが、竜殺しのアレフが現れる前の、ムーンブルグの主祭神の名よ。ムーンブルグとテパは、月と海神の王国の一部だったの」