月と海神の王国 3.月のかけら

 

 サリューはひそかに神父に期待していた。この村の奇妙な応対について説明してもらえるのではないかと思ったのだ。
「あの、神父様」
そう言い掛けたとき教会の奥の住居区間から誰か出てきた。
「先客がいたのか」
神父はロイにむかってうなずいた。
「こちら、商用でテパへ見えたムスティさん。こちらは今村に着いた方々です。ええと」
「俺はロイ。彼女はいとこのアム、そっちはサマだ」
「ぼくは”サリュー”だよ」
と思わずサリューは抗議した。
 ムスティという男は、しっかりした旅ごしらえの壮年の男だった。商売で来たというより、まるで用心棒か旅の兵士に見えた。
「どうも……まさかみなさん、水の羽衣を買いに来たなんてことじゃないでしょうね」
「なんだそりゃ?」
「そんなものをこの村で売ってるんですか?」
「ご存知ない?ああ、すいません、商売敵じゃないかとつい疑っちまって」
ムスティは照れ笑いを浮かべた。
「実はさっき教会の中から見てたんですが、先頭にいたのはドン・モハメさんでしょう。あの人はテアマト水郷でも一、二を争う織物職人だった人です。特にドン・モハメと言えば羽衣、羽衣と言えばドン・モハメ」
「羽衣って」
とアムがつぶやいた。
「まだ作れる人がいるってことが驚きだわ。伝説のアイテムに近いでしょう?」
「そうなんです。羽衣というのは、非常に細い繊維に特殊な織りをかけてできる生地と、それを使った衣装のことです。まずそんな繊維を手に入れるのが難しいし、特殊な織り機がないと加工できません。しかも今では名人ドン・モハメにしか作れない。伝説にもなろうというものじゃないですか」
「その羽衣を、あんたが買うのか」
ムスティはにやっとした。
「私は代理です。こういう難しい商売の仲立ちをするのが仕事でね。最初から商家の大旦那が大金抱えてこんな辺境までやってきやしませんよ、おっと失礼神父様」
「いやいや」
神父はおだやかにそう言った。
「お話はわかりますが、ドン・モハメはもう、引退したとおっしゃってましたよ」
「だめですかねえ。私のクライアントは、ドン・モハメの腕前を心から惜しんでいるんですよ」
「かつてテアマト水郷のあちこちの町にいくつも工房を持って、手広く注文を受けていた天才肌の職人頭が、着の身着のままでこのテパへ逃げ込んできたんです。ご家族も仕事仲間も何もかも失って。ドン・モハメの心境を、どうか察してあげてください」
あのう、とサリューは声をかけた。
「神父様、テパのみなさんは、元から住んでたんじゃないんですか?」
「旅の方々、途中まで、海から水路で来られたのでは?もしそうなら、廃墟を御覧になりませんでしたか」
と神父は言った。
「見ました。モンスターに襲われたって聞きましたけど」
「その通りです。十年前、突然ヒババンゴやくびかり族が大挙して町を襲ってきたそうです。住民も戦いましたがとても手に負えなかったとか。そうして壊滅した町の生き残りがテパへ集まってきて、今の町をつくったんです」
「十年か」
とロイが言った。
「町へ帰りたいやつはいないのか?」
「それはもう、帰りたいでしょう。でも、町があのありさまでは」
「私たちが見た町は森の中に埋もれそうになっていましたわ」
とアムが言った。
「あれは本物の樹のほかに、人面樹もいるんですよ。というか、ふつうの樹木の幹に顔が生まれて、人面樹になって歩き出すらしいのです。これもロンダルキアが近いせいですか。いやなことですよ」
「う~ん、そうなんだ。確かに変な感じの森だったけど」
とサリューは言った。
「ただの避難民にしては、この村の人たち、おかしくないですか?」
こほ、と神父は咳払いをした。
「申し訳ないのだが、夜半に勤行がありますのでな。早めに失礼いたします。厨房はあちら、井戸は外。薪も食材も好きなようにお使いください」
「ご厚意、感謝します」
泊まり客たちがそういうと、神父は丁寧に一礼して自分の部屋へ引き取った。 食事を終えて部屋に引き取ったとき、サリューは批判めいたことを口にせずにはいられなかった。
「何だろう、この村。それと、ここの人たち」
ああ?とロイが言った。神父は客たちに三部屋を用意してくれていた。ひとつはムスティ、ひとつはアム、もうひとつは、ロイとサリューの二人用だった。部屋は清潔にしてあったが、あきらかに長いこと使われていないようだった。寝台の上にすわりこんでサリューはぼやいた。
「みんな何か隠してるんだよ?神父様は話をはぐらかすし。変じゃない?」
「んー、田舎だしなあ」
とロイは言った。
「ローレシアも田舎の方へ行くと、やっぱり余所者には冷たい村もあるからな」
「そういうのと、ちょっと違うよ」
「どこが」
サリューはどう説明しようかと悩んだ。
「最初の村の人、覚えてる?別に敵意がある感じじゃなかった」
「そうか?アムを見るなり、顔色変えたぞ」
「だから、あの人、アムの何を見てあんなに驚いたんだろうって。それにさ」
サリューは、大きなピローを膝に抱え、その中にあごをめりこませた。
「アムも変だよ。テパの人たちに協力して、ぼくたちを橋の向こうへ行かせないようにしてる」
「考えすぎじゃねえのか?」
「えー、そうかなあ」
 ふわあ、とロイはあくびをした。
「俺、もう寝る。なんだか疲れた」
珍しいことを言うと、ロイは自分のベッドへもぐりこんだ。
「ぼくも疲れたよ。この水郷はほんとになんか、空気が重いね」
「ん。早く寝ろ」
「そうする」
頭を枕に載せたとたん、眠気が襲ってきた。
「あれ……ぼく、こんな寝付きがよかったかな……まくら、変わったのに」
そう思ったのが意識の最後だった。

 ドン・モハメが教会を訪れたのは朝食のすぐあとのことだった。ドン・モハメは一人ではなかった。昨日橋の向こうからにらんでいた大柄な男と、あのとき一緒にいた、農婦にしてはかなり垢ぬけた年増の二人を従えていた。
「俺はイリヤ。こっちは女房のジーナだ」
と大男は言った。
「テパの村人を代表して、ドン・モハメに同行した」
 神父は気を利かせたのか、食堂を話し合いの場に提供して自分は席を外した。パーティとテパの三人はひとつテーブルを囲むことになった。
 イリヤはぱっと見、よくいる荒くれのように見えた。だが、大きな体に贅肉がなく、目つきが鋭い。体を使う職人か何かかなとサリューは思った。
「で?そちらがドン・モハメさんだよな?」
とロイは言った。
「昨日は俺たち、何であんたらの機嫌を損ねたのかよくわからねぇ。俺たちが目障りって言うんなら、安心してくれ。長々とこの村に邪魔をする気はないんだ。おれたちの望みは月のかけらだ。手に入ったら、すぐに退散する」
あのね、とジーナが口を出した。
「月のかけらはこの村の宝よ?」
ずうずうしい、と言わんばかりの口調だった。
「そうだったかしら」
とアムが言った。
「月のかけらをお借りする資格があると思いますけど、私には」
美女と美少女が視線をぶつけあった。先に目をそらせたのはジーナだった。
「ま、後で返してくれるなら、持って行ってもいいけど」
「あら、ありがとう」
皮肉たっぷりにそう言うとアムは視線をドン・モハメへ向けた。
「かまわないそうですわ。月のかけらを渡してくださいません?」
ドン・モハメはアムをじっと見た。
「実はあれは、今、この村にはない」
サリューはとっさに聞き返した。
「じゃ、どこにあるの?」
ドン・モハメは咳払いをした。
「月のかけらは大切なものでな。いつもは満月の塔に安置してある」
老人は教会の窓の方へあごをしゃくった。
「この村の南、丸い湖の真ん中の小島に満月の塔があるのだが、いつのまにかモンスターが住み着いて、人が近寄れんのだ」
「腕には覚えがある」
とロイが言った。
「俺たちが取ってきてやるよ」
「本当か」
とイリヤが言った。
「その紋章、伊達じゃないんだな?」
サリューはちらっとイリヤの顔を見た。やはり昨日橋の上でジーナが“見て”と言っていたのはロトの紋章だったらしい。
「こう見えて勇者の末裔だ。任せろ」
 イリヤがドン・モハメの方を見た。ドン・モハメが言い出した。
「実は、まだほかにも問題がある」
「なんだって?」
「満月の塔そのものに近寄ることができん。昔はこの村から塔のある小島まで船で通っていたんだが、水路が干上がってしまったんだ」
だって!とサリューは叫んだ。
「このあたり、川ばっかなのに。どこからか水を引けないんですか?」
「水はある」
きっぱりとモハメは言った。
「村の近くに貯水池があってな。そこの水門を開けば水路は水で満たされて船で行かれるようになるはずだ」
昨日三人が見つけた山の上の小さな湖のことらしかった。
「じゃ、開けてくれ。すぐに塔へ行ってくる」
ばん、とジーナがテーブルに平手をたたきつけた。
「それが、開かないのよ!」
「なんで」
「ふざけたバカ野郎が、水門の鍵を盗んでとんずらこきやがったのよ!」
イリヤが妻の肩をそっとたたいた。
「興奮すんな、おい。旅の人、ラゴスって名の盗賊を知ってるか」
サリューたちは顔を見合わせた。
「名前だけは聞いたことがある。あっちこっちで盗みを働く盗賊だろう」
「その鍵、金か何かでできてるんですか?」
ジーナは怒りに声をふるわせた。
「んな訳ないでしょうが!ただの鍵よ!それをあのバカ野郎!」
対照的に、ごく冷静にアムは言った。
「つまり、月のかけらは満月の塔にあって、塔へ行くには水門を開ける必要があって、水門を開けるには鍵が必要で、鍵はラゴスという盗賊が持ってる。そういうことね?」
「その通りだ、お嬢さん」
とイリヤは言った。
「船以外の方法で塔へ行くことはできないの?」
「地形を見れば無理だとわかるさ。あるていど大型の船で小島へ近づかないと上陸できないだろうな」
 ロイは簡素な椅子に浅くかけ直し、腕を組んだ。
「どうする?」
 サリューは従兄弟の視線を受け止めた。
「とにかく、塔を見に行く必要があるね。それで入れそうになかったら、ラゴス探しだ」
「信用するもしないもあんたらの勝手だが」
とイリヤは言った。
「おれは嘘はついちゃいない。まあ、見てくるがいいさ」
言葉は投げやりな雰囲気だが、イリヤは妙に熱心だった。
「ふうん……じゃあ、さっそく出かけよう」
イリヤの顔がぱっと明るくなった。わかりやすい人だなあ、とサリューは思った。
「あっ、でもその前に、薬草が足らないんじゃない?この村に道具屋はありますか?ちょっとお買い物して」
 ちっと露骨にイリヤは舌打ちした。
「要るのは薬草?毒消し草か?ここへ届けさせよう」
ドン・モハメが申し出た。
「悪いが、そこまで世話になるのはちょっと」
「あら、いいじゃない」
とアムが口を挟んだ。
「ご厚意は素直にお受けしましょう。ありがたくちょうだいしますわ、ドン・モハメ」
おいおい、とロイが目を丸くしていた。
 あっさりと三人は教会を去っていった。アムは超然としたまま黙っている。サリューとロイは、”おまえ聞けよ”、”ぼく、やだよ”と目で会話しながらもじもじしていた。
 あっというまにジーナが戻ってきた。
「さあ、これで足りるでしょ!」
荷物に入りきるかどうかぎりぎりという量を彼女は持ってきたのだった。
「うわー、こんな優遇はじめて」
できるだけ棒読みに聞こえるようにサリューが言った。
「もしかして、武器と防具も買い換えたいっていったら、プレゼントしてくれたりしない?」
「甘く見んじゃないよ、坊や」
にべもなくジーナは言った。
「とっととラゴスを探しに行きな!」
「て言われてもね。世界のどこにいるのか、見当もつかないんだもん」
いらだちがジーナの顔をかすめてすぐに消えた。左右に視線を配ると、いきなりジーナは言った。
「ペルポイだ」
「え?」
「二度とは言わない。あとは自分で探しな」
「ちょっと待って!なんでジーナさんが盗賊の居場所なんて知ってるの?」
もう返事もせずに、さっさとジーナは行ってしまった。

 船はロンダルキア山脈の南端を視界の端に入れて、一路ベラヌールを目指し西進していた。航路はロンダルキアをすぎると、ベラヌールのある大きな島の南端を回り込んで沿岸沿いに北上する。とちゅう、島とテアマト水郷の間の海峡越しにくびかり族の跋扈する森林地帯が見えた。
「あの奥がテパだよね」
サリューはそうつぶやいた。
「今度は村へ入れてくれるかな」
そこは船の甲板だった。すぐ横で風に吹かれていたアムがなだめるようにほほえんだ。
「まあ、いいじゃない。ペルポイはなかなかおもしろかったわ」
「まあね」
とサリューは答えた。
「ラゴスって盗賊にしちゃ変わった人だったな」
荷物の中には、テパの水門の鍵が入っている。ひょんなことからパーティはペルポイの謎を解き明かし、その結果ラゴスから水門の鍵をもらい受けたのだった。
 サリューがほっとしたことに、テパを出てからアムは元のアムに戻った。テパで何かを見て、そしてそのことを相変わらず打ち明けてはくれないが、少なくとも今のアムにそれを言うのはやめようとサリューは思った。
「あとで聞けばいいや」
「何か、言った?」
「別に、っていうか、考えてたんだ。テパから満月の塔までほんのちょっとの距離なのにペルポイまでおつかいに行くなんて、ずいぶん遠回りさせられたよね」
「いいじゃないの。若い時の苦労はしておくものよ」
さらっと言い捨ててアムは行ってしまった。
「どうした?」
入れ替わりのようにロイが甲板へ顔を出した。
「アムにさ、ぼくたちモハメさんの使いっぱしりみたいだって言っただけ」
「アムは何て答えた?」
「いいじゃない、だって」
ロイはため息を付いた。
「妙にあのじいさまをひいきにするんだよなあ、姫が。いつもだったらあれ取ってこいのこれ持ってこいのて言われたらまっさきにドカンと爆発するアムさんがだぜ?」
「だよねえ」
「よくわかんねえけど、あんまりつっついて怒らせてもおっかないからな」
手刀を軽く自分の首にあてて勇者はそう言った。
「うー」
サリューはうなった。
「それより、ベラヌールで補給したらすぐにテパだ。準備してくれ」
「わかった!」