月と海神の王国 4.水門を開く

  テパへはルーラできない。そのことがわかったのはテパをでた直後だった。そのこともサリューにとっては、ちょっとしたいらだちの種だった。
「ルーラは魔法として完全なものではないの」
落ち着いてアムはそう言った。
「ムーンブルグにはルーラを改善するための研究を専門にやっている魔法使いがいたわ。彼の話だと、たまにルーラの目的地になれない町もあるのだそうよ」
「そんなもんなの?」
サマルトリアじゃ聞いたことないんだけどな、とサリューはつぶやいたが、綺麗にスルーされた。
 なにはともあれ、パーティは再度船で廃墟の近くの川岸まで送ってもらい、そこからぐるりと歩いてテパへ向かった。
 テパの入り口に近づくと村の若者が数人たむろしているのが見えた。中の一人がさっと身を翻して村の中へ走っていった。
「あいつらが来た!ってとこかな」
ぶすっとサリューがつぶやいた。
 案の定、教会のそばの橋のこちら側にドン・モハメ以下村人総出で三人を待ちかまえていた。
「鍵はあったのか!」
イリヤが叫んだ。
「おいおい、お久しぶりですとか、お帰りなさい、って言葉を知らないのか?」
とあきれた顔でロイが言った。
「ふざけるな!こっちは真剣なんだ」
イリヤも、隣にいるジーナも、村の大人たちも、険しい目つきでロイたちを見ていた。
「ほれ」
ロイは服の隠しから水門の鍵をつまみだし、高く掲げた。テパの住人たちが声を上げた。
「やったぞ!」
「本物か?」
「たぶん。見覚えがある」
「水門を開けようぜ」
「これで、月のかけらが手に入る!」
 イリヤがまっさきに飛び出してきた。
「みんな、ここはおれに行かせてくれ」
イリヤがこちらへ来る。すぐ後ろにジーナがついてきた。イリヤも興奮しているようだが、ジーナはむしろうわずっていた。
「ちょっとお見せ!」
ロイの手から鍵をひったくるようにした。
「これだよ、あんた!」
イリヤが手の中をのぞき込んだ。
「ああ、本物だ。おい、これ、どこで見つけたんだ?」
サリューはちらっとジーナの方を見た。
「どこって、ラゴスにもらったんだよ?」
「やつはどうした?」
「相棒と一緒に逃げちゃった」
ジーナは、また妙に押し殺した声で言った。
「あんたら、あいつにあたしのことを話しちゃいないだろうね」
「別に言う必要なかったから、何も言ってないよ?」
「そんならいいけど、あいつ、あんたたちに何か話したかい?」
ジーナが何を知りたがっているのかサリューにはわからなかった。
「ラゴスは鍵を盗んだだけだよ。それも、ほんとに欲しいものが見つからないから残念賞でその鍵をいただいたんだってさ」
その瞬間、ジーナの形相が変わった。ぎりぎりと歯を鳴らし、目をつり上げた。
「おい、おまえ」
イリヤが声をかけた。
 ああ、とジーナはうなるように返事をした。
「坊や、ラゴスのことをこの村でしゃべるんじゃないよ、いいねっ?!」
 ずいとアムが前にでた。
「ふざけないでちょうだい。その鍵、返してもらうわ。あたしたちが手に入れたんですからね」
おお、とサリューは思った。なんだ、いつものアムだ。
 イリヤはばつの悪そうな顔になった。
「いや、待ってくれ。なにも女房は、その」
「奥様には口のききかたに気をつけていただきましょうか」
視線で殺し合っているようなにらみ合いの後、やはりジーナが視線をそらした。
 ふんっと小さくつぶやいて、アムはドン・モハメに向かっていった。
「鍵は持ってきたわ。水門を開けます。通していただくわ」
やれー、やっちゃえー、と従兄弟二人は後ろから腕を振り上げて応援した。村人たちはざわめいた。が、ドン・モハメが手で制した。
「仕方あるまい」
ドン・モハメの背後の村人たちが、じりじり後退して、橋は通れるだけのスペースができた。
「行くわよ?」
鍵を持ったままのイリヤにそう声をかけると、アムはずかずかとテパへの橋をわたり始めた。
「わっ、おいてかないで」
サリューとロイがあわてて後を追った。
「久しぶりに女王様全開だねえ」
なんとなくサリューはうれしかった。
「このほうがしっくりくるよな」
とロイが小声で答えた。
「それにしても、これがテパ?」
とサリューはつぶやいた。
「なんか、普通だね」
 来る途中山で見た川は、テパの中心部に流れこんで池になっている。そこからふた筋の濠が出て、村を巡るように流れていた。やはり生活用水なのかもしれないとサリューは思った。あたりまえの形……三角屋根の民家が奥にあり、通りに沿って商店が少し。ちらっと目を走らせたが、なかなかよいものを売っているようだった。
「何を見てるんだ」
イリヤだった。後ろから追いかけてきたらしい。意外なことにジーナもついてきていた。
「いい町だなって思って。機織りはしてないの?」
「してない」
何が気に障ったのか、イリヤは短く答えた。
 村の奥には境界線らしいものがなかった。イリヤたちの案内で、パーティは村から少し離れた平地へ出た。
「あれが水門だ」
イリヤが指したのは、堅牢な小屋だった。
「水門?貯水池からずいぶんはなれてるね」
イリヤはテパの背後にある山を指した。
「貯水池はあの山の上にある。ここの水門を開ければ、山の下の水路を通って川まで水が届くはずだ」
 小屋の扉を開け、階段を下りると不思議な地下室があった。壁の三方は土壁だが、最後の一つは水晶のように透き通っている。水晶壁の向こうには広大な空間があった。
「おい、これ……水か!」
ロイはおそるおそる水晶壁に手をふれた。
「凄いや。僕たち、地面の中を透かして池の中を見てるんだ!」
「ペルポイでもいろいろすげぇもんを見たが、こんなのはなかったな!」
イリヤが得意そうに咳払いをした。
「もういいか。水門、開けるぞ」
「うん、開けて、開けて!」
「じゃあ、その、ちょっと下がっててくれ」
 水晶壁の隅にハンドルが取り付けてあった。イリヤはハンドルの脇の鍵穴に、ラゴスが盗んでいった鍵を差し込んで回した。意外に軽い、かち、という音がした。
「ううむっ」
ハンドルを握るとイリヤは力を込めた。ハンドルはきしみをあげたが、動かなかった。
「重いなら手伝うぞ」
ロイが言ったが、イリヤは首を振った。
「うるさい、そこにいろ!」
顔を真っ赤にして奮闘していたが、しばらくしてあきらめた。
「よし、俺が代わる」
腕まくりする勢いでロイがハンドルにとりついた。よく鍛えた筋肉が服の下で動いた。
「せぇのっ」
片手で押し下げる力にハンドルはついに屈した。がくんとロイの肩がさがった。ハンドルが半回転した。とたんにどこかから、轟音が響いてきた。
「見て!」
水晶壁の中の大量の水が動いていた。透明な天井が降りてくるように水面が下がっていく。床が鳴動している。急に水の匂いがたちのぼってきた。
「この部屋、水路の上にあるんだ」
やっぱり、凄い。サリューはあらためて水門を見回した。ペルポイを建設した人々と同じなのだろうかと思った。
 視界の隅でジーナが動いた。水晶壁に張り付いて、中をのぞき込んでいた。
「おまえさん」
不安そうな声だった。イリヤが妻に近寄っていった。
「ないよ」
「なんだと?」
 しばらくして、水はすべて水路へ抜けたらしく、部屋は静かになった。そういうからくりになっていたのか、貯水池が空になると水晶壁がゆっくり上から下がってきた。
 サリューは素通しになった空間から真上を見上げた。案の定、空が見えた。
「やっぱり、ないよ」
反対にジーナは水門の部屋の床にひざを突き、池の底を見ていた。
「泥に埋もれてねえか」
「ありゃ、わかるよ」
最初にあった頃の勢いをどこややったのかと思うほど、ジーナは気落ちしたようすだった。泣き出しそうなようすの妻をイリヤは自分にもたれさせた。
「悪いが、女房のぐあいが悪い。先に帰らせてくれ」
「え、ああ。大丈夫か」
ロイが言ったが、イリヤとジーナは返事もせずに階段を上がり、水門小屋を出て行った。
「あいつらいったい、何を探してたんだ?」
「月のかけらじゃないことは確かね」
とアムが答えた。
 そう、それと、イリヤとジーナは自分たちの捜し物をテパ市民にも知られたくなかったみたいとサリューは思った。

 干上がっていた水路は今やたっぷりの水で満たされていた。パーティの船はベラヌールから回航して、テパのすぐそばに錨を降ろしていた。
「よし、行くか!」
サリューたちは宿を提供してくれた教会を出た。村の出口の向こう、林の枝ごしに高い帆柱が見えていた。戦闘用の装備で三人が歩いていくと、川辺に人々が集まって、大型船を眺め興奮したようすで何か話していた。三人が近づくと、声は控えめになり、ちらちら視線を投げてくるようになった。
いまだにテパの人々の態度は、友好的とは言い難かった。村に入れたと言っても教会と水門小屋の間を往復するだけで、その間もずっとイリヤか他の村人がくっついてきていた。
「なんでロトの一族を警戒するんだろう、ここの人たち」
とサリューが言った。
「ハーゴンの邪宗を信じているのかな」
「それはねぇと思うぞ」
とロイが言った。
「俺が今朝、教会の庭で素振りをやってたら、村の連中がぞろぞろ教会へ入っていってルビス様の神像にお祈りしてたからな、やけに熱心に」
「へえー」
「ほら、こっちを見てるわりと若い女がいるだろ?見覚えがある。今朝のお祈りに絶対来てた」
テアマト水郷から避難してきたという人々が祈るとしたら、まずまっさきに元の町へ戻れますように、だろうとサリューは思う。
ねえねえ!と興奮した子供の声がした。
「つきのかけらがあったら、おうちへかえれるんでしょ?!よかったね、おかあさん!」
サリューは振り向いた。ロイが教会に来ていたと言った女性が、小さな子供の手を引いて立っている。目があってしまった。
子連れの女は、ね、静かにして、と娘をたしなめていたが、子供はぴょんぴょんはねそうなようすだった。
「てらびす?っていうんだよねっ。はやく帰れるといいねっ」
「ええ、そうね」
サリューは彼女に話しかけた。
「テラビスにいらしたんですか?」
子連れの女は、はっと顔をあげたが、誇らしげにうなずいた。
「え、ええ。そうです。テラビスから避難して来ました」
「まあ……」
とサリューの後ろでアムがささやいた。船で水郷を探索していたとき、三人はテラビスのあったとされる場所に何も残ってないのを見てしまっていた。
「昔のテラビスをご存じないでしょうけど」
と女は言った。
「とても大きな、立派な町だったのです。人がたくさんいてお店が建ち並んで、ムーンブルグのお城にも負けないって言われたこともあります」
まわりにいた村人がうんうんとうなずいていた。
「織物がとても盛んで、すばらしい生地が昼も夜も作り出されて、それを使った衣装が世界中に買い取られていったのよ」
女の連れた少女がうれしそうに笑った。
「だよねっ。お母さんがお日様のような金のドレスを織ったんだよね!」
そうよ、と女は娘に微笑みかけた。
「私、十年前はドン・モハメの工房で織り子をしていました。今はこんなところにいるけど、月のかけらさえ手に入れれば」
そのときだった。人々の中から、イリヤが飛び出してきた。
「よっ、ナンナ。いいとこで会った。うちのジーナのやつ、調子が悪いんだ。時間があったら、家を訪ねてみちゃくれないかい」
「ジーナ姐さんが?たいへんだわ。何かつくって持って行こうかしら」
「悪いな。男にはわからねえこともあってね」
ナンナと呼ばれた女が子供の手を引いて村へ戻ると、さて、とイリヤはパーティに向き直った。
「どうして追い返しちゃうんですか?ぼく、もっとお話ししたかったのに」
サリューの言うのに覆いかぶせるようにイリヤは早口で言った。
「月のかけらが満月の搭のどこにあるか、言ってなかったと思ってな」
「最上階でしょ?」
とサリューは言った。
「だいたいお宝は一番手間のかかるところにあるって相場が決まってるよ」
「ああ、まあ、そうだ」
イリヤはこほんと咳払いをした。
「船の支度ができたみたいだぞ。気をつけていけ。それと、月のかけらを見つけたら、必ずこの村へ一回持ってきてくれ」
はいはい、と生返事をして、サリューたちは船へ上がった。
「よく考えると失礼だよね。持ち逃げすると思ってるわけ?」
「好意的に解釈しようぜ?危ないからおつかいに行ったら道草するな、と」
うんざりした口調でロイが言った。
「でもさ、テパの人たち、なんで月のかけらが欲しいんだろう」
と、サリューはゆっくり離岸する船の中で言った。
「ああ?まあ、村の宝なんだろう」
「あのナンナっていうテラビスの人も含めて、元の水郷へ戻りたいはずだよね」
「月のかけらをどこかへ売り払って、復興資金でもつくるんじゃねえかな」
「そのお金で強い傭兵を雇うっていうなら、まあ、ありか」
テパから満月の塔まではそれほど遠くなかった。船は風にも恵まれてすぐに満月の塔のある小島へ到着した。
「さあ、集中してこうぜ」
リーダーの言葉に、パーティはうなずいた。
「月のかけら、いただくわ!」

 金色の剛毛で覆われた毛皮の中へロイは光の剣をたたきこんだ。ゴールドオークは手にした槍を取り落とし、うめき声をあげて倒れた。
「よし!」
剣を引き抜き、盾をつかんだ手の甲でロイは額の汗をふいた。
「ロイったら、強くなったねー」
とサリューは言った。
「前は苦戦したのに」
「ああ、アレフガルドのころはな。今はレベルが違う」
思ったより、塔の中は楽にすすむことができた。ガーゴイルなどは、海の上でさんざん戦ってきた相手だった。
「あっ、あれっ」
アムが小声で叫んだ。指の先にあったものは、どう見ても床にこぼした水銀の水たまりだった。中央からぶくぶくと泡がのぼってくる。
「はぐれメタル!」
ふっふっふっと怪しい笑いがロイの口元に浮かんだ。
「今度は逃がさねえぞ。会心の一撃でねえかな」
「1ポイントでもいい。削ってやるわ」
「はやぶさの剣はひとあじ違うよ~」
ちゃき、と音をたてて三人は武器を構えなおした。
「うりゃーっ」
ロイが雄たけびをあげた瞬間、なめらかな銀色の表面に丸い目がぱちり、と開いた。びしっと武器がたたきこまれ、傷一つつけられず滑って流れた。はぐれメタルは銀の泡をぴゅっと吹き上げ、まだへらへらと笑いながら円形の外周を波うつように動かして、一目散に逃げ出した。
「待ちやがれっ」
三人はフロアを突進した。はぐれメタルはジグザグを描いて逃げていく。
「あっちは行き止まりのはずよ!」
「ラッキー!」
そう叫んだサリューが通路を曲がり込んでたたらを踏んだ。あとの二人がその背中にほとんどぶつかりそうになった。はぐれメタルは、姿が見えなかった。
「くそっ」
満月の塔は、ひとつのフロアが壁で仕切られている。そのあたりは壁に囲まれたいきどまりの薄暗がりになっていた。
「途中の壁に抜け穴でもあったのかな」
「なにそれ。ネズミみたい」
やれやれ、とサリューは首を振った。
「ま、いっか。そう何匹も続けてしとめられるわけないんだから」
「くやしい。魔法が効くなら何匹でもしとめてやるのに」
はぐれメタルの魔法耐性が、アムにはがまんできないらしかった。
「ロイ、行こうよ。階段はあっちだよ」
二人が話している間、ロイは黙っていた。通路のつきあたり、壁の部分を見上げている。
「何見てるの?」
ロイがちらっとこちらを見た。
「なあ、これ、俺らのご先祖様じゃねえ?」
つきあたりの壁には子供が描いたような絵があった。ひときわ目立つのは、中央のギザギザの頭に旅人の服らしきものを身につけた人物。手に剣と盾を持ちマントをつけていた。
「え……くびかり族じゃない?」
ロイが絵の脇の方を指した。
「くびかり族はこっちじゃないか?顔が黒くて、斧を持ってる」
勇者ロトらしき人物のまわりにやや小さく、ポーズを変えて何人も描き込まれているのが、たしかにもっとくびかり族らしく見えた。
あ、とサリューは思った。
「この真ん中の人、額にサークレットつけてる」
色のあせた赤で描かれた顔には額の所に太い線が加えられ、その中央に確かに青い点があった。
「なんで勇者ロトの絵がこんなとこにあるのかな」
ロイは放心の表情で尊敬している勇者の肖像を見上げた。
「わからねえ」
ぽつりと彼はつぶやいた。