デルコンダルの黒い旗 11.デルコンダルの復活

 ロイは、急に後ろへ肩を引かれたような感触にふりかえった。誰もいない。もう一度、引かれた。アムが不思議そうに見た。
「何をしてるの?」
「誰かが、いや、こいつだ。盾だ」
ロイは肩から力の盾をおろした。円形の盾は、ふるふると振動していた。
「それ、あれでしょ?ロイがルビス様から直接授けられた」
「ああ。何なんだ、いまごろ?」
サリューが声をかけた。
「それを地面においてみて?」
「こうか?」
土の上に盾を置いたとたん、金属だった盾は、揺らぎ、広がり、溶けて、まるで小さな水たまりのようになった。中央の青い石だけが残っている。三人の目の前で、石の内部にきらめきが起こった。
 次の瞬間、青の魔石は急速に溶解して水たまり全体へ広がり、波うって回転し始めた。
「旅の扉じゃないか……」
「いいんだよ、それで」
サリューがそう言った。
「たぶん、精霊女神が、代戦士の役目からぼくたちを解放したんだ」
サリューの表情は落ち着いて、寂しげだった。
「ああ、そうか」
ロイは悟った。
「デルコンダルでの使命が、終わったのか」
三人は燃えるデルコンダルをもう一度見上げ、そして旅の扉へ入っていった。

 陽気な拍手が広場いっぱいに響いていた。
「いいぞーっ、ギリアム!」
「シリルちゃ~ん」
 舞台の上では、二人組みの芸人が演奏を終えたところだった。ギリアムというのは、ギターンを抱えた男らしい。その横でこぼれるような笑顔を見せているのは、すらりとした歌姫だった。ファンが多いようだった。
 だが、シリルは、花束よりもプレゼントよりも、まっさきに赤ん坊を腕に抱き取った。わっち、わっちと拍手をしている。ギリアムに似た、かわいい子供だった。
「彼女、子持ちか!」
ロイが言うと、アムに横目でにらまれた。
「何を考えてたのよ」
「べ、べつに。若いのにと思っただけだ!」
アムはくすりと笑った。
「まあ、いいわ。今日は、この町はお祭りなのね」
後ろを見ると、サマががくぜんとした顔でつっ立っていた。
「なにやってんだ、おまえ?」
サマは、眼をぱちくりしていた。
「だって、ぼくたち、今まで広場にいたのに。全部、燃えて」
「だから、広場でいいんだろ?まっぴるまから何を寝ぼけてんだ」
「何にもおぼえてないの?」
「何って夕べはルプガナ泊まりで、それで、あれ、船で来たっけ、おれたち?」
「ちがうよ、夢の中でルビス様がぼくたちに、デルコンダルへ行けって、それで旅の扉が現れて、で、帰りもおんなじ扉が」
「おまえの見た夢なんか知るかよ」
サマはあわてたようにみまわした。
「アム、どこ?」
アムは、一つ先のみやげ物屋を珍しそうに覗き込んでいる。
「いらっしゃいませ!こちらなんか、いかがでしょう」
利発そうな売り子の少女が品物をすすめた。
「そうねえ。飾り物はいらないの。でも、その鏡はきれいね」
「野宿なら、お勧めですよ。水鏡よりずっとよく見えますから」
アムは手鏡をひとつとって、しげしげと眺めていた。奥から鏡職人らしい若い男が顔を出した。
「ニナちゃん、ちょっと休んでよ」
「あら、いいのに。あ、お客さん、ごゆっくり」
サマは、奥へ入っていくニナという娘の顔を穴の空くほど見つめていた。その娘は、顔を出した若者とうれしそうに何か話している。
 アムが話しかけた。
「サリュー、これ、買ってもいいと思う?」
「あ、うん。ねえ、いまの売り子さん」
「あの子がどうかした?」
「君まで……」
「なあに?」
「いや、なんでもないんだ」
 急に人々が一方向を向いた。誰かやってきたらしい。立派ないでたちの王宮戦士の一団だった。
 先頭に立つのは、堂々とした体格に礼装用の鎧がよく似合う戦士だった。できるぞ、こいつ、とロイは思った。戦士たちが人々に王の出御を触れて回り、広場の一番いい場所を空けさせた。
 まもなく豪華な輿に乗って行列を引き連れ、デルコンダルの王がやってきた。たいへん、かっぷくがいい。祭りの浮かれ気分に誘われて城を出てきたらしく、ひどく楽しそうだった。同じ輿に、かわいらしい王女も同席していた。
 デルコンダル人が陽気で庶民的だ、という噂は本当らしい。ロイの知る限り、行列に狩猟用の犬を何頭も連れてくる国王というのは珍しかった。
 王女まで膝の上にペットを抱えている。毛並みのきれいな小猿だった。王女がうれしそうに輿から身を乗り出したとき、王女の腕から興奮した小猿が逃げ出した。
「これ、あの小猿を捕まえた者に、金貨をやるぞ!」
王はよく響く声で叫び袋からゴールド金貨をつかみ出すとあたりへばらまいた。
祭りの人々は笑い出し、大騒ぎで小猿を追う。小猿は大きく跳んで、青い僧衣の人物に抱きついた。
 よし、よし、という仕草で神父は小猿の背を撫でた。優しい目をした、なかなかハンサムな青年である。
「神父様が捕まえたよ!」
「金貨は、デニス神父のだ」
「やった、やった!」
デニス神父は少し恥ずかしそうに笑っていた。あの王宮戦士が近寄っていく。どうやら、知り合いらしかった。
 戦士はデニスと二人で王のところへ歩いていった。しがみついて離れようとしない小猿に、デニス神父が何か言い聞かせると、小猿はおとなしく王女の腕にもどった。
「そら、まるごと持っていけ」
わっはっは、と豪快に笑って、王は金貨の袋を下賜した。
「ありがとうございます」
「よかったな、デニス。何かおごれよ」
そばで戦士が、杯を傾ける仕草をした。青年神父は微笑んで言い返した。
「教会の屋根を直して、まだ残りがあればな」
「ちっ」
 居酒屋の主人らしい男が王のもとへ、酒のたっぷり入ったゴブレットを持ってきて捧げた。従僕があわてて毒見をしようとしたが、王の太い腕が横からさらって、そのまま一気に杯を空ける。広場からやんやの喝采がおこった。
「楽しい祭りだ、みなの者!」
拍手と笑い声が広場に満ちる。
「明日はみな、闘技場へまいれ!恒例の試合を行おうぞ。今度の相手は、遠い国から連れてきたキラータイガーじゃ。腕におぼえのある者は、城へ来い。見事勝った者には、ほうびがあるぞ。たっぷりの金貨、それに先祖代々伝わる“大地の鎧”じゃ!」
「おもしろそうじゃないか!」
思わずロイが言うと、アムがためいきをついた。
「その顔じゃ、行くつもりね?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、勝ったら、金貨じゃなくて国宝をくれるように交渉してくれない?」
「国宝?」
「デルコンダルの王家には、月の紋章が伝わっているって聞いたわ」
「おう、まかせとけ。サマ、行くぞ。何か売っ払って、武器を買おうぜ」
サマは、少しはなれたところにいた。空を見上げて何かつぶやいている。
「お~い、まだぼけてんのか?」
「ひどいな。今行くよ」
いつものように、のんびりした笑顔でサマがやってきた。

 ルビス様。
 ロイとアムの記憶を消してくださったのですね。
 そのことについては、お礼申し上げます。これでぼくはまた、何も知らない顔をして、二人と一緒に旅を続けることができます。
 けれど残念なことに、ロイは忘れてしまったようです。
「お前が生き残ったら、おれが喜ぶ。おれと、アムもだ。世界中のみんなががっかりするとしても、おれたちだけは、おまえが生きていて、うれしいはずだ」
彼は確かにそう言ったのに。
 でも、ぼくは覚えています。だからメガンテを使う条件を少し変更することにしました。
 来るべきそのとき、強敵の前で、もし、ロイとアムの二人が先に死に、ぼくのリミッターがなくなってしまったら、そのときは……ぼくは自分で自分の命を砕くでしょう。それがぼくの役割です。