デルコンダルの黒い旗 4.ニナ

 ロイは従兄妹たちを連れて、店の外へ出た。後ろでは、まだヒステリックなののしり声が聞こえてくる。
「待ってぇ?」
 ロイは振り返った。店から、若い女が出てきた。客の相手をするのが仕事らしいが、なんとも幼い。12か13だった。
「あたし、ニナ。お姉さん、かっこよかった~。あいつら、いつも嫌ないたずらしかけるから、嫌われてるのよ」
アムは、ニナという少女にちょっと笑顔を向けた。
「だったら、よかったわ」
「さっきの、魔法でしょ?何で魔法が使えるの?」
「さあ、受け継いだ魔力もあるし、修行もしたわ」
「修行?たいへんでしょ?どうしてそんなことしたの?」
アムはちょっとのあいだ、黙っていた。
「ひとつは、父の敵を討ちたいから。もうひとつは、世界を救うために」
ニナは目を見張った。
「デルコンダルは疫病の前は平和だったみたいだけど、世界中で今たいへんなの。大神官ハーゴンがなにをしようとしているか、うわさくらい聞いてない?」
「破壊の神を呼び出して世界を滅ぼそうとしているって、ほんとなの?」
サリューは、微笑んだ。
「ほんとだけど、大丈夫。ここにいるお兄さんがきっと退治してくれるよ。彼は、勇者の末裔なんだ」
「すっご~ぃ」
「おいおい」
だが、ニナは憧れの目をロイに向けた。
「勇者様たち、今夜はあたしの部屋に泊まってってよ」
「残念だけど、おれたちあまり、のんびりしていられないんだ」
「でも今からじゃ、外にはいかれないよ?日が暮れると門がしまるの」
「そうか。あたりまえだよな」
「明日行けばいいじゃない。わあ、うれし~。自慢になるわ。部屋はちょうど、一緒に使ってた子たちが病気で死んじゃったから、広いよ」
三人は顔を見合わせた。
「やっだぁ、腐った空気の心配をしてるのね?大丈夫よ、壁には詰め物をしたし、ぼろだけどタペストリーもかけてあるの。毒の空気なんか入らないわ。ねえ、来てよ。こっち」
「どうする?」
ロイが聞くと、サリューは肩をすくめた。
「ルビス様のおかげで、ぼくたちだけは、病気にかからないんだけどね」
「この町なら、どこで寝ても病気に関しての危険は同じよ」
「それもそうだ」
ロイたちは、うれしそうなニナについて、外階段を上がっていった。階下の“月の港”では、またバカ騒ぎが始まったようだった。

 ニナは絶叫した。
 椅子に座っている。目の前のテーブルには、水を張った大皿が置いてある。かたわらには、粗末なくしと、髪を結うリボン。白い寝巻きのまま、起き抜けに水鏡を使って身じまいをしようとしたらしかった。
 両手でほほを覆い、口をすさまじく広げ、目を見開き、恐怖に引きつった顔でニナは叫んでいた。
「うそよぉぉぉぉっ」
「どうしたの!」
声を聞きつけてアムが飛び起きた。だが、ニナは叫び続けた。
「いやっ、いやっ、こんなのっ」
ロイとサリューもあわてて起きてきた。アムが叫ぶ少女の肩をつかんで顔を覗き込むと、パニックにとらわれた目でニナが見上げた。
「あたしの顔に……」
ニナは、顔の半ばを覆った手をそろそろとはずした。その下には、誰かが汚い指を押し当てたような、黒いしみがあった。
「これは、あの、しみなの?」
ニナはしゃくりあげた。
「何度も見たもん。友達も、おばあちゃんも、近所の人も、みんなこれができて、そしてすぐ死んじゃった。あたし、あたしも」
「さあ、落ち着いて、ニナ」
アムは、少女に寄り添い、そっと背中を叩いた。
「だいじょうぶよ、なんとかするから」
ニナはうつろな声で笑った。
「なんともならないわよ。あたしは知ってるんだから。黒いしみが広がって、わきの下が痛んできたら、長くないの。いつも、そう!悪いことなんかしてないのに」
「そうね、ニナは悪くないのよね」
「慰めようったって、だめよ!」
ニナはとつぜんアムを突き飛ばして立ち上がった。
 サリューがアムを助け起した。
「彼女、“不幸に浸ってる”状態だよ、アム。声をかけるほうが逆効果だ」
「でも、かわいそうで」
ニナは狂った声で笑った。
「かわいそうがってくれて、ありがとう!アムはいいじゃない。自分の国へ帰っちゃえばいいんだから。あたしらデルコンダルの者は、よほどのことがないと、他の土地へは行かれないのよ。あんたなんか、とっとと家へ帰れ!」
アムは、自分の表情が硬くなるのがわかった。
「家族は死んで、家は燃えたわ」
「だから、何なのよ!あたしのほうが、あたしなんて、死ぬのよ!何よ、何よっ」
ニナは、荒い息をしていた。目が嫌な光り方をして、アムをもっとも深く傷つける言葉を捜していた。
「勇者なんて」
ニナは勝ち誇ったように言った。
「つまり、“いけにえ”じゃない」
「なんだと」
ニナはロイのほうへ向き直った。
「なんか、違う?強いんでしょう、魔王って。そんなやつのとこへ、たった三人だけで行くんだもん、あんたたちは、世界のいけにえよ」
「おれたちは、勇者ロトの“大誓約”を守って」
言いかけて、ロイは口ごもった。ニナは言い募る。
「お約束だからちょっと戦うまねをして、それで殺される役割よ!」
ニナは舌なめずりをして言った。
「きっと、みんな、知ってるのよ。あんたたちがいけにえだってこと。世界中が思ってるのよ。“いけにえなら、とっとと死んでこい”って。“おまえらが死ねば、おれたちは助かるんだから”って」
突然、サリューが動いた。彼特有のすばやい動作で二ナの後ろへ回り、いきなり両肩をつかんだ。
「何すんのよ!」
「聖霊の慈悲にかけて」
サリューはそう言い、視線でアムを促した。サリューが何をしてほしいのか、アムにはわかった。心の狭いまねはすまい。その思いだけでアムはのろのろとニナに近づいた。両手を暴れるニナのへそ下あたりにあてた。
「同時にいくからね、いい?」
「いいわ」
「慈悲深き女神よ、救いたまえ、キアリー!」
淡い緑色の輝きが、ニナのわきの下と足の付け根から放たれた。輝きはするすると少女の全身をかけめぐり、ふいに、消えた。
「もう一回、水鏡をごらん」
おそるおそる顔を近づけて、ニナは、あっと言った。
「消えてる……」
ふう、とサリューはつぶやいた。
「宿を貸してくれたから、ぼくたちのお礼だよ。じゃあ、元気で」