デルコンダルの黒い旗 2.いけにえ選び

 赤の少女は、ぞくりと身体を振るわせた。彼女を守るように緑の少年が寄り添った。青の若者も、関節の色が変わるほどの力で剣の柄を握り締め、獣の凝視に耐えていた。
 僧の視線が、若者たちを身につけている紋章のうえにとまった。
「スプレッドラーミア……聖霊ルビスのエンブレムを帯びる者たちよ。名乗られよ」
「ローレシアのロイアル」
青の若者が言った。彼の目は、象徴の獣に釘付けになっていた。
「サマルトリアのサーリュージュ」
緑の少年が言った。彼の姿勢は徐々に緊張を解き、油断はしないものの、ゆったりと構えている。
「ムーンブルグのアマランス」
赤の少女が言った。氷の刃でできたような鋭い声音だった。
 僧は片手を胸に当て、バカにしたような丁寧さで一礼した。
「聖霊ルビス様が勇者の末裔方を当地へ導いてくださったとは、なんと光栄なことだ。愚僧はエルシノと申す。本来ならば城へおつれするところだが、わけあって城は外来者を堅く拒んでいるのだ。城下での滞在を楽しんでいただきたい」
僧エルシノは手を広げ、ネズミのうろつく、恐怖に覆われた町を示した。
「ときに、後ろにいる男をお引渡し願えまいか」
「理由を聞かせてもらおう」
エルシノの頭巾が小刻みにゆらいだ。笑ったらしい。
「実は今、このデルコンダルに少々たちの悪い病が流行り申す。王が祈ったところ、この“象徴の獣”があらわれた。同時に、この獣を倒すことができれば、病はなくなる、とお告げがござった」
ギリアムは叫んだ。
「普通の人間がどうしてそんなでっかい怪物を倒せるっていうんだよ!おれはいけにえにされるんだ。無理やりに刀を持たされて、王宮の中の闘技場に入れられて、2、3回、お定まりに刃を交わしてからあっというまに殺されちまうんだ」
アマランスは、エルシノをまっすぐに見た。
「本当ですか」
エルシノは肩をすくめた。
「やってみなくてはわかりますまい。倒せるかもしれませぬ。すべては神慮のうち」
「この人はいやがっています。それに、奥様と小さなお子もいる」
「この町の者は、誰でも死ねない事情を持っておる。それとも、姫、他の市民ならいけにえになってもよい、とおっしゃるか?」
アマランスは口を閉ざした。
「ご理解いただけたようで、光栄だ。さあ、後ろの男を」
「待て」
ロイアルがさえぎった。
「いけにえに選ばれた者は、その獣と戦うんだな?」
「さよう」
「ならば、この人に代わって、おれたちが志願する」
「なんと!」
市民たちはざわめいた。エルシノは疑い深そうに目を細め、それから“象徴の獣”に目をやった。獣はみつくちをゆがめ、めくりあげた。刃の輝きに似た牙が顔をのぞかせた。笑っているのだった。
「あいわかり申した。王子方のお志、デルコンダルはありがたくいただこう」
獣はうれしそうに三人の若者を眺めた。一人一人の顔を覗き込むようにしてから、巨体をめぐらせる。
「では、これより3度目の日の出を見たら、即刻王宮へお出ましを願いたい。それまでは、何とぞゆるりとすごされよ」
デルコンダルの夕日はついに落ちた。薄闇の中、エルシノの赤い目は、頭巾の下で輝くようだった。

 赤子は母親の胸に抱かれて寝息を立てていた。父親似のかわいい子どもだった。
「大丈夫ですか」
 サリューが母子を助け起すと、母親はやっと安堵した顔で、大丈夫だと答えた。線の細い、気弱そうな女だった。
「お礼の申しようもありません。夫を助けてくださって」
あたりは日没後の薄闇だった。デルコンダルの人々は、誰一人、ロイたちにもギリアム一家にも近づこうとはしなかった。彼らが存在しないかのように足早に立ち去る者、遠巻きにして、上目遣いに見やる者、いろいろである。
 一度自分たちの手で“いけにえ”にしかけた一家を、デルコンダルの市民はどうあつかっていいかわからないようだった。ロイたちに向ける視線には、“いけにえ”を逃れてほっとした気分と、うしろめたさと、ほのかな憎しみがまじっていた。
 突然、ギリアムが言った。
「シリル、やめろ」
「でも、あんた」
「そいつらは、自分からいけにえになりたいって言ったんだ。おれが頼んだわけじゃない」
「そんな、あんた、この人たちは」
「なんだよ、礼を言えっていうのか?おれが悪いんじゃないからな」
「礼は必要ない」
 ぶっきらぼうにロイが言った。ギリアムの複雑な気持ちはわからないではないが、つっかかるギリアムは不愉快だった。シリルは、ロイとギリアムを見比べておろおろしていた。サリューが話し掛けた。
「病気というのは、ひどいのですか、奥さん?」
シリルは顔を雲らせた。
「ええ、それはもう。黒いしみが身体にできたかと思うと、わきの下あたりがふくらんで痛くなって、それから弱って死んでしまうんです」
「弱るというと、どうなるのです?」
「黒いみみずばれが体中にできたり、痛みで身体をかきむしったり、血を吐いたり、喉が苦しくなって息が止まったり。病は、早いのですわ。朝はまだ元気だった人が、夜中には冷たくなっていることも珍しくなくて」
「薬は試したのでしょう?」
シリルは首を振った。
「薬草も毒消し草も、なかなか効かないんです。誰かが、“腐った空気に毒が混じっている”と言い出して、みんな家の中で香草を暖炉で燃やして香りをたてたり、匂い玉を持ち歩いたりしています」
「匂い、対策はそれだけですか?」
「ほかは、“笑い声や冗談、バカ騒ぎをしていると、この病にかからない”といううわさがあって」
「そんな、ばかな」
「でも王様は信じています。王様と貴族たちは、道化や踊り子、役者を連れてお城に閉じこもって、一日中呑めや唄えの騒ぎをしています。外からの人は誰も入れません。腐った空気を入れないようにしているみたいです」
「話にならないですね」
ギリアムがいらいらと声をかけた。
「もういいか?シリル、いくぞ」
「どこへいくの?」
「町を出るんだよ。なんとか港までたどり着けば船があるかもしれない」
「デルコンダルを出て行くの?」
「いや、おれたちのふるさとだ。病がおさまったらもどってくるさ。さあ、行くぞ」
「あ、はい」
シリルはもう一度三人の方を向いて、ていねいに一礼した。
「あの、ひとつだけ、奥様」
アムが言った。
「“いけにえ”のことですが、今まで王宮の闘技場へ行った人は、一人も戻らなかったの?みんな、死んだのかしら?」
「そうだと思いますけど」
「いや」
と、ギリアムが口をはさんだ。
「王宮の戦士で、あの獣が現れたときに一太刀だけ斬りつけた男がいる、といううわさだ」
「誰だ、それは?」
ロイアルが真顔で聞いた。が、ギリアムは首を振った。
「おれは名前までは知らない。が、そこの、“月の港”っていう居酒屋に出ていたときに、店の主人と客が話していたことだ。聞いてみな」
「わかった。感謝する」
ギリアムは、はっとしたようだった。が、また顔をそむけ、妻と子どもをつれて、そそくさと町の門の方へ歩き去った。