デルコンダルの黒い旗 8.楽士ギリアム

 誰かがギターンを弾いていた。ものがなしいメロディだった。
「どこだ!」
 三人はメロディの主を求めて静寂のデルコンダルを走った。今、ニナの遺体は教会の祭壇の前に安置してある。城外へ囚人たちを探しに行ったが、死者から奪った装身具をたっぷり身につけたかっこうでみんな死んでいた。ギターンの主は、デルコンダル最後の人間にちがいなかった。
 三人がたどりついたのは絞首刑の台がいくつも立っている町の中央だった。半円形の壇の中央に一人の男が座り込み、ギターンを抱えて弾いていた。
「おまえ、ギリアムじゃないか!」
それはまちがいなく、シリルと子どもをつれて一昨日町の外へ逃れたはずの楽士だった。
「やあ、あんたたちか」
指を止めてギリアムは言った。
「なんでこんなところにいるんだ」
ギリアムは妙に明るく笑った。
「シリルと約束したんだ。おれがもっと売れるようになったら、デルコンダルの祭りの日に、この広場の真ん中でギターンを弾くって」
「シリルはどうした、赤ん坊は!」
「港へ行ったんじゃなかったの?」
ギリアムはうつろな笑顔でつぶやいた。
「二人とも、死んだよ。港は壊されていた。……あんたたち、この歌を聞いてくれ。シリルのために」
再びギリアムはギターンを弾きはじめた。風の吹きすぎるような、哀しい旋律だった。
 この世の苦しみのすべてを受け入れるような。
 そしてそれを、乾いた声で笑い飛ばすような。
 ぎりぎりのプライド。
 荒野を吹く風に散る涙。
 不死身の敵に挑む者たちが、仲間同士で交わす醒めた微笑み。
 ロイはその旋律の中にドルクスやデニス、ニナの声を聞いたような気がした。
“後悔はしておらん”。
“もう痛まないのだ、御使い殿”。“
“デルコンダルは、きれいな街だったのよ”。
 ギリアムは弾き続けた。それはデルコンダルの終焉をつげるワン・マン・ショーだった。
 広場へ通じる街路は、うずくまる死者であふれていた。街路樹で、また広場に大量に立てられた絞首台の上で、縛り首になってぶらさがった死者たちが、黙ってギリアムの弾く曲を聞いていた。周辺の家の窓から、生活を突然断ち切られた死者たちが耳を傾けていた。
 日中だが空は暗く、風はなまぬるい。広場の奥には、デルコンダル城の外壁がいかめしく空を塞いでいる。
 歌よ、とどけ、とロイは念じた。デルコンダルの王よ、ギリアムの弾く歌に現れた、人々の声を聞け。最後まで抗って、死に赴いた者たちの声を聞け、と。
 突然、ごぼり、と音を立てて、ギリアムが血を吐いた。ロイたちがかけよろうとしたとき、ギリアムは手で制止し、ふらつきながらもまっすぐ立って、大きく片手をまわした。演奏を終えた楽士の一礼だった。
 ロイはその場で手を顔の高さにあげ楽士ギリアムのために拍手をリードした。すぐ後からサリューとアムが、このデルコンダルの一天才への敬意を拍手に載せて送った。
 胸を血に染め、目を閉じて、ギリアムは笑っていた。勇者たちと、そしておびただしい死者たちが、万雷の拍手を贈るのを聞きながらギリアムはこの世を離れていった。

 教会の飾り窓は美しいステンド・グラスだった。ガラスを通して西日が教会の内陣に射し込んでくる。アムは死の町の夕日に見とれていた。デルコンダルへ来て三回目の日没だった。
 アムたち三人は、教会の古い木のベンチにすわり、黙ってその日の分の乾燥食料を食べた。
「もう、デルコンダルで生きているのは、あたしたちだけかしら」
「お城にいる王様や何かが、まだ生きているかもしれないよ」
「あんなの!」
アムは言い返した。
「臆病者よ!あたしは明日、あんなやつのために戦うんじゃないわ!」
アムは、ふと言ってみた。
「明日、闘いに行くの、やめない?あたしたちが勝っても喜んでくれる人はいないわ。デルコンダルによそから船がこない限り、エルシノもデルコンダルから外へ行かれないのよ。ほっときましょうよ」
サリューは少し考えていた。
「選択肢としてはありうるけどね。ルビス様がぼくたちに課した使命を果たさない限り、この島から出られないと思うよ」
「サリューのルーラでも?」
「ここへ戻ってくるだけじゃないかな」
「うまくできてるわねえ。もしかしたら」
苦い笑いがアムの唇に自然に浮かんできた。
「ハーゴンのときもそうなるのかしら。ロンダルキアとやらへ閉じ込められて、“いけにえの儀式”が完了するまで出られなくなるのよ、きっと」
「アム、おれは」
ロイが不器用につぶやいた。アムは、首を振った。
「言わないで。あたしは世界から切り捨てられた。今のあたしは世界なんて滅びたって痛くも痒くもないわ。ハーゴンとは刺し違えてやる。どうってことないわ」
サリューが後を続けた。
「ぼくもそれでいいよ。ぼくはただ、きみたちといっしょに進みたいんだ。最後まで行かれるといいな。魔王の前、ロイのすぐそば、戦いの中で死ぬのがぼくの望み、予定通りにね。君は?」
「“大誓約”を守るの?それだけ?」
「おれは、自分がいけにえかどうかなんて、知らん。けど、ガキのころ」
ロイは、レザーヘルメットを脱いで片手で頭をかいた。
「ガキのころ、悪さして親父に叱られたことがある。“そんなんで、勇者の末裔と言えるか”って、怒られたよ。おれは、“そんなつまんねぇもんに生まれついたのはおれのせいじゃないっ”って言い返した。親父のやつ、いつもえらそうなくせに、急にがくっとしやがって」
ロイは少し黙っていた。
「“損をしたと思うか“って、小さい声で聞きやがった。そうだと答えたら、親父のやつ、”人より損をするのが、そんなに嫌か?“だと。おれは返事が出来なかった」
ロイは腕を組んでアムのほうを向いた。
「アムはさっき、世界から切り捨てられた、って言っただろう?世界はアムにとってそんなに冷たいか?そりゃ、ひどい目にあってきたのは知ってる。ニンゲンは、時に残酷で、卑劣だ。あの子、ニナみたいに」
「ロイ」
言いかけたアムをロイはさえぎった。
「でも、同じ人間が、手も足も出ないほど巨大な敵に直面したとき、彼らは同じ行動を取った。おれたちに、すべてを託したんだ」
「ニナは」
言いかけてアムは口ごもった。ニナの最後の願いは、この町を清めてあげて、だった。
 そしてあの楽士、ギリアムも。あのとき妻と子どもをつれ、自分たちさえ助かれば、と港へ急いだ男も。
 サリューが、ふと言った。
「もしもこの世が、大神官ハーゴンと破壊の神に蹂躙され、ぼくたち三人だけが生き残ったとしたら、ロイ、君は戦いを続ける?」
ロイはしばらく考えていたが、やがてきっぱりと言った。
「たぶん、続ける。“これ以上、勝手にはさせない”っていう気持ちをあいつらに伝えるためだけでもいい」
「誰も喜んでくれないよ?」
「人を喜ばすためにやってんじゃないからな。これは、おれの戦いなんだ」
ロイは照れたようにぷいと横を向いた。
「守るべきものの生死にかかわらず続行、か」
サリューは、どこかまぶしそうにロイを見ていた。
「やっぱり、ロイは強いね。デニス神父もだ。ぼくは、だめだよ。“こんなことしたって、誰も喜ばない”、そう思った瞬間、なんかしらけてくるんだ。気力がなくなって、どうでもいいやって、なってくる」
ロイはしばらく黙っていたが、やおら言い出した。
「なあ、大誓約が出てくるところ、おぼえてるか、正確に?」