デルコンダルの黒い旗 5.勇者の盾

 デルコンダルの城は相変わらず傲慢なほど堂々とそびえ立っていた。その城下を、大またに歩いていく人影があった。
 赤い頭巾の下で、黄金の髪がゆれる。アムは、朝の町を足早に歩きすぎようとしていた。すれ違う市民の憂鬱そうでけだるい足取りに比べると、炎のような勢いである。今日も空は雲で覆われ、じめじめとして蒸し暑い一日になりそうだった。
「アム、ねえ、待ってよ。あの子はただ」
アムは息を吸い込んだ。
「何も言わないでよ、サリュー。いいの。ニナは事実を述べたまでだから」
ロイとサリューは顔を見合わせた。
「あたし、今まで世界があたしたちをどんな風に見ているかなんて、考えてもみなかった。そうよね。世界にとって、あたしたちはいけにえなんだわ。あたしたちを死なせて、自分たちだけは助かろうというわけね!」
「それは」
「あの子の言った通りだわ。あたしたちが通り過ぎてきた町で、扉の陰から町の人はあたしたちを見て、とっとと死んでこいと思って見ていたんでしょうよ。それとも哀れんでいたのかしら。どっちにしてもなんておめでたいの、あたしたち!」
アムは勢いよく天を仰いだ。
「“大誓約”!勇者ロトは、希代の英雄で、無類のお人よしだったのよ。おかげで子孫が大迷惑だわ」
サリューがアムの肩を抱きしめた。
「アム……」
サリューのやさしさはうれしかったが、アムは今、どうしても、他人を思いやる気持ちになれなかった。口調を抑えられずにアムは言った。
「サリュー、あたしはいけにえでもいいのよ。ハーゴンと刺し違えて、お父様のいる世界へ行く。上等じゃないの」
先ほどのニナと同じ事をしていると、自分でもわかっている。だが、いつもやさしく、ひとなつこく、男だがかわいいサリューに、妬みをぶつけずにはいられなかった。
「サリューは、家族がサマルトリアにいるんでしょう、あたしとちがって。あなたは帰りなさいよ。ご両親がやきもきして、大事なご長男を待っていらっしゃるわ」
サリューは困ったような笑みを浮かべた。
「それだけは、ないよ、アム」
「どうして?」
「サマルトリア王家は、いけにえの家系だからさ」
アムは息を呑んだ。
「ちょっと、サリュー」
「ぼく、知ってたよ。自分がいけにえだってこと」
サリューは、うふ、と笑った。ロイはサリューの肩をつかんで、振り向かせた。
「待てよ、おまえ、何を言ってるんだ」
「ローレシアでは、みんな忘れちゃったの?ぼくんちは、ロトの盾を預かってきたでしょ?王家の子は“勇者の盾”として死ぬのが本来の役割なんだ」
サリューは、水のように笑った。それは、アムが良く知っている、ちょっと子どもっぽい、のんびりやの少年の顔ではあったが、同時にまったくの別人だった。
「あのね、サマルトリア王の子は、代々、あの呪文を継承するために育てられてきたんだよ」
 あの呪文。
 自己犠牲呪文メガンテ。
 サリューにそれを使う資格があるのを、アムは知っていた。もうまもなく、それを使う能力も身に付くはずだった。が、絶対に見たくなかった。ましてやロイが彼に、メガンテを使え、と指示するなど、考えただけで嫌だった。
「ぼくの代にハーゴンが現れたとき、父上も母上も、ぼくのことはあきらめたと思うよ」
アムは、めちゃくちゃに腹が立っていた。こののんびりやのために、世界を敵に回してけんかしたい気分だった。わめきだしたい口元を手で抑えて、やっと言った。
「どうしてサリューは笑っていられるの?あたしたち、世界から、見捨てられたのよ」
「そんなに怒らないでよ、アム」
サリューは言った。
「ぼく、世界なんか、どうでもいいもん」
「おい!」
「ぼくも“大誓約”を負ってるのは確かだけどさ。小さい頃からずっと、ぼくと世界の間に、幕一枚引いてあるような感じだったよ。ぼくは、はみだしてた。何もかも、自分の命も、どうでもよかった」
「おまえ、そんなこと、言わなかったじゃないか!」
くってかかるロイに、サリューは、彼独特の無邪気な笑顔を向けた。
「相手が、ロイだったから」
くすりとサリューは笑った。
「ロイは、とても熱心で、理想主義で。だから、言えなかったんだよ、ほんとはぼくたち、いけにえにされたんだよ、なんてね」
アムは自分でも泣きたいのか笑いたいのか、わからなかった。
「のんびりにもほどがあるわ、サリュー。そんなんじゃ、人は生きていかれないじゃないの」
無邪気にサリューは笑った。
「生きていかれるよ。アムがいるでしょう。ロイがいるでしょう。君たちがいっしょだと、ぼく、はみ出してないかなっていう気がする」
サリューはにっこりした。いつもと同じ、ゆったりとした表情だった。その屈託のない笑顔の下に、今までどんな思いが隠されていたのかと思い、アムは慄然とした。
「さあ、行こうよ。町の門が開いてる」

 デルコンダルの町は、城にまとわりついているように見える。
 強固な回廊に守られた要塞のようなデルコンダル城のまわりにちょろちょろと街路が作られ、町になっている。その外が町の外壁で門はひとつだけだった。
 門を出てまもなく、ロイは鼻の頭にしわを寄せた。
「なんだ、この臭い」
原因は探すまでもなかった。門を出てすぐの草地に、巨大な穴が掘り広げられていた。大きな屋敷が一軒すっぽり埋められるほどの穴は共同の墓穴だった。激しい腐臭はそこから漂ってきた。
 門の外には、外壁に沿って比較的新しい死体が積み上げられている。けして乱雑ではなく、きちんと積みあげてあった。
 先に逝く愛しい者、家族、兄弟、子ども、友達に、せいいっぱい死に化粧をほどこし、身なりを整えて、死者の山へ積み上げる。本来なら荘重な儀式を施し、愛着の有る品を棺に納めてやりたいものを、ただきちんと積み上げるだけの遺族の気持ちは、どんなだろうか。
 おそらく疫病の発生で墓地が満員になってしまったのだろう。いちいち死者と遺族のための儀式をする手間さえかけられないのだった。囚人服を着た男たちが、死体の山から一体づつ手押し車に乗せて、巨大な穴へ落としていた。曇り空の下、その光景は、閉じ込められた町、デルコンダルそのもののようだった。
「すげぇ」
一人が叫んで、自分の手押し車にかがみこんだ。ごそごそと手を動かすと、すぐに空へ手を突き上げた。その指に、宝石で飾った黄金の首飾りが握られていた。
「何万ゴールドもするぞ」
アムは、きっと顔を向けた。つかつかとその男のほうへ歩いていく。が、急に足を止めた。
「アム、どうした」
ロイが聞いたが、アムは震えていた。
 おどけてその男は首飾りをつけて、ポーズをとって見せていた。まわりの者がげらげら笑ってはやしたてる。
 だが、かれらは、一人の例外もなく、体のどこかに、黒いみみずばれを持っていた。
「おう、すげぇ、すげぇ。似合うぜぇ」
「ホトケさんには、いらないだろうしよ」
「そいつをもって、外の世界へでられりゃなあ!」
どっと男たちは笑った。何人か、つらそうな呼吸をしている者もいた。
「肺が、やられてる。長くないんだよ、あの人たち」
ぽつりとサリューが言った。アムは目をそむけた。
 そのとき、石壁の角を曲がって、背の高い男が現れた。
「何をやってるんだ」
がっしりした体つきの壮年である。その足運びを見て、ロイは思い当たることがあった。
「さっさとこなせ!今日もどんどん来るぞ」
へいへい、と返事をして、男たちは死体を運び始めた。どうやら、監督を務めているらしかった。
 ロイは監督のところへ歩み寄った。
「戦士ドルクスを探している。貴殿か」
監督は立ち止まった。