犬と鏡とムーンペタ 1.ムーンペタ自警団

 ムーンブルグ王国の北部を流れる大河には、しっかりした石造りの橋がかかっていた。幅も広く、橋の上で二台の馬車が苦もなくすれちがう。事実、最も近い都市ムーンペタに出入りする人々で橋の上は人通りが多かった。
「三日ばかり前、軍隊がこの橋を渡って東の方へ行ったよ」
近隣の農夫たちが、荷車に野菜を積んでゆっくり通っていく。
「また何かあったのかい?このあいだお城があんなことになったばかりだってのに」
別の男が不安そうに聞いた。
 お城、とは、王国の要、ムーンブルグ城のことだった。数ヶ月前、いきなり現れた異形の軍勢によって城は炎上、国王はじめ国の要人は皆殺しにあった。それ以来各地にはモンスターが徘徊するようになり、仰天した領主たちはそれぞれ自分の領土へたてこもり息を潜めている。
 ただしムーンペタは王国軍の一部が常駐し、今も北部地方を守ろうと動いている。軍を預かるコペルス将軍は信義に厚く節度ある老戦士として尊敬されていた。
「東部も、西のようになるのかね」
 魔の軍勢、ハーゴンと名乗る邪教の大神官率いる軍隊は、どのような魔法を用いたのか、王国西部全体を毒で汚し悪臭漂う死の領土へ変えてしまった。西部地方からは、難民と化した人々が続々と脱出している。
 その一部がこのムーンペタのあたりにもたどりついて、地獄と化した故郷のことを涙ながらに話したのだった。ムーンペタの人々は身を震わせた。
「いやいや!」
 旅の商人らしい男が、そのとき話に割って入った。
「将軍は、王女様をお迎えに行ったんだ」
「なんだって?」
「本当かね」
「よく生きておいでになった!」
商人は農夫たちのリアクションに気をよくしたようだった。
「お城が燃えたとき、お世継ぎのアマランス様だけはお体が見つからなかっただろう。誰かが王女をうまく地方へお落とししたらしい。それが、東の方で見つかったんだと」
農夫たちの顔は、みるみるうちに明るくなった。
「よかったべ。これでムーンブルグもなんとかなるべ」
「姫様は、最初から女王様になることになっていたんだ。きっと国をまとめ上げて、おれたちを助けてくださる」
「もうちっとの、辛抱だ。なあ?」
 そのとき、荷馬車のすぐ横を通りすぎていく若い旅人が、首を振ってつぶやいた。
「東部にいるのは、たぶん、王女じゃない」
「なんだと、若造、てめえ、どっから来た」
農夫はシャツをめくり、畑仕事で鍛えた腕に力瘤をつくった。旅人は足をとめたじろぎもせず農夫を見返した。
「南。水郷……四つの橋が見えるあたり」
 黒髪の、まだ本当に若い男だった。農夫はふと、若者の胸に斜めにかかる帯が、背中に大きな剣をくくりつけるためのものだと気付いた。その剣よりも何よりも、若者の、肝を据えたような視線に農夫は気圧された。
「ロイったらだめだよ、ケンカなんて」
最初の若者の連れらしい少年が、後ろから声をかけた。
「バカ言え、相手にもならん」
ロイと呼ばれた若者は、ぼそっと言った。農夫はまた、むかっとした。ロイはさっさときびすをかえし、後も見ずに歩いていく。
「大丈夫」
少年は農夫たちに、人なつこく笑いかけてきた。
「王女様は、まだ生きておいでです。早くお戻りになるといいですね?」
かわいいような笑顔である。だが、この少年も、腰に細身の剣を佩いていた。
「あ、ああ」
「サマ、置いていくぞ!」
「ぼくの名前はサリューだって言ったでしょ?待って、今行くから」
少年は、旅の荷物を背負いなおすと、連れを追いかけた。二人は人々を追い越して、ムーンペタのほうへ向かって歩きさった。

 ロイとサリューは、探し物のために水郷地帯へ出かけていて、この町へ戻ってくるのは、数日ぶりだった。大きな橋を渡り町へ近づいていき、そして思わず足をとめた。
 町の入り口である門が、ふさがれていた。廃材や土嚢を集めて門を通れないようにして、わずかに通用門の前だけ、細く入り口を開けている。目つきの悪い男たちが通用門の前に陣取って、まるで検問のようだった。
 ムーンペタ郊外から、町へ農作物を売りに来た人々が、戸惑ったような顔つきで、入り口の前に列を作っている。
「おい、なにかあったのか?」
列の最後尾にいたに男にロイが聞いた。背中に作物の入ったかごを背負った男は、あたりをうかがうような表情になり、小声で答えた。
「あんたたち、旅の人かい?三日ぐらい前からこうなんだよ。ムーンペタには自警団ができて、得体の知れない者は町に入れないとがんばってるよ」
おかげで市場にも入れやしない、と男はぼやいた。
「軍が常駐しているのに、自警団だ?。コペルス将軍は、一人残らず駐留軍を連れて行ったのか?」
人々は口々に言った。
「最近は物騒だからね」
「将軍は、義理堅い、昔かたぎの人なんだ。王国中がお帰りをお待ちしている王女様が見つかったってんで、大勢で行っちまったんだろう」
「将軍が町にいないと、なんだか不安だよ」
「ムーンペタだけは大丈夫だと思ってたのに」
通用門の前に立っている男が、いきなり怒鳴りつけた。
「静かにしろ!町に入れなくてもいいのか!」
ロイはその男が気に入らなかった。
 ムーンペタの自警団というなら、ふつう、市民の有志で作るものだろう。だが、こいつは市民というより、ごろつきだ、とロイは思った。
「何ガン飛ばしてんだ、そこの!」
自警団員の一人がわめいた。
「きさまは通行料、倍だ!」
人々はざわめいた。
「通行料だって?いままではそんなもん、なかったのに」
自警団員たちはせせら笑った。
「今日決まったんだよ。この町を守るには、金が要るんだ」
「誰が決めたんだよ、そんなこと!」
列に並んだ人々から、声があがった。
「コペルス将軍はそんなものとらなかったぞ」
「うるせぇっ。文句があるなら、将軍呼んでこいよ。呼べるものならな!」

 ムーンペタは、王国北部の中心都市である。水運の利を生かして、この町は王国全土に広がる流通網の要として機能してきた。北方のサマルトリアからこの町へ南下してきたとき、ロイは活気に満ちた町の様子に驚いたものだった。
 ロイたちが渡ってきたあの川から、町の中へ運河が引き込まれ、その両岸に巨大な倉庫が並び、商人たちが集まって荷を競っている。町の中にも商店が多く、通りは掃除が行き届いて家の前に花が植えられている。人々は顔色がよく、栄養も足りて衣服もさっぱりしている。総じて、豊かで平和な町と言えた。
「宿帳はけっこうですわ。このあいだもお泊りいただきましたから、わかっておりますし」
ムーンペタでも一、二の宿の女将は、そう言って、ふくよかな顔でにっこりした。