犬と鏡とムーンペタ 5.犬殺し

 突然、サリューが立ち止まった。
「ねえ」
「なんだ?」
「正義感の強い熱血王女が、もしこの町にいるとして、それで人間に戻りたくないとしたら、何でだと思う?」
「何を言ってるんだ、おまえ?」
「だからさ。ぼくたち、ここ数日ですっかり有名になったじゃない」
「ああ、誰かのおかげでな!」
「だから、もし王女が人間に戻りたいなら、絶対向こうから来ると思うんだ。犬にいちいち、王女様、って話しかける二人の旅人のところへさ」
「言われりゃ、そうかもな。けど、なぜだ?犬のままでいたい、だなんて。ムーンペタ全体、いや、王国全土が、彼女の戻ってくるのを待ってるんだぜ?」
サリューは羊皮紙に目を落としたまま小さく言った。
「責任の重さに耐えかねて、王女が逃げた、とは思わないんだね?」
「あたりまえだ!女の身とはいえ、おれたちと同じく大誓約を負う家系の娘だ。しかも生まれてからずっと女王教育を施されてきたはずだぞ」
ふ~ん、とサリューはつぶやき、顔を上げた。
「王女が犬のままでいるメリットは?」
「そうだな、体が小さい。どこへでも入れる」
「じゃ、どこへ入れる?」
「普通じゃ忍び込めないところかな」
ロイは自分の言ったことに驚いた。
「そうか。町のどこかに、ムーンペタに害を成すやからがいるのだ!その企てを阻止すべく、王女は犬のままで」
サリューはくすくす笑い出した。
「いつものことだけど、ロイの話し方はお年寄りみたいだね」
「うるせぇな。教育係のじじいの口癖がうつったんだよ」
「まあ、いいや。で、そのやからって、誰?」
ロイはにやっとした。
「自警団、とやら。ちがうか?」
「ぼくもそう思う。あいつら、変だ。将軍がこの町を出たとたんにあらわれて、町に居座った。東部で王女発見、ていうのもあいつらの流したガセだよ、きっと」
「おう。で、町をのっとって寄付と称してあちこちから法外なみかじめ料をふんだくっている。未来の女王としてはこの町を食い物にする悪者をのさばらせておくわけがないな」
「さすがに熱血どうしだねぇ。よくわかってるや」
「なんか言ったか?」
「なんも。とにかく宿へ戻ろうよ」
 近道だったので、二人はまたあの広場を横切っていくことにした。なにやら騒がしかった。誰かが怒鳴っている。見ると自警団の男たちを中心に、人だかりがしていた。
「王子方!」
二人を呼んだのは、あの犬好きの老人だった。
「どうしたんだ?」
「自警団の連中がテント村の住民に食べ物を高い値段で売ったのだそうです。ところが……」
そばにいた、肥った婦人が憤然として言った。
「ちゃんとした肉じゃなかったんですって」
「なんて、あくどいことを!」
そばにいた市民たちが口々に言った。
「困っている人たちに、なんてことをするのかしら」
サリューはきっとした。
「ひどい。あいつら、やりたい放題じゃないか」
「ああ。ほっておけるか、これが」
「あら、あなた、ローレシアの」
横から声をかけたのは、このあいだサリューと話していた女性だった。
「あの、興奮しないでね?」
「おれが、なにか?」
女性は、声をひそめた。
「自警団は、野良犬を殺してその肉を売りつけたんですって」
ロイは叫んだ。
「なんだとーっ!」
目の前が真っ白になる。その野良犬がまんいち、王女だったら……
 ロイは自警団の男たちのほうへ走った。
「てめえら、なんてことをしやがる!」
サリューが追いかけてきた。
「ひどいよ、このひとでなしっ」
目に涙さえ浮かんでいる。
 後ろのほうで、先ほどの女性がつぶやいた。
「まあ、血相変えちゃって。生類憐みの令のところは、反応がちがうわぁ」
自警団は、うるさそうにロイたちを見た。
「あ~、おまえらか」
「めんどうなのが来たぜ」
「待て」
ロイは、手近な男の胸倉をつかんだ。
「本当に犬を殺したのか!どんな犬だった、ええ?答えろっ」
ぐぇ、と、男は苦しそうにうめいた。
「おれ、そんなに悪いことをしたか?」
横からサリューが、拳を握り締めて騒いでいる。
「決まってるじゃないかっ。罪もないのに食べちゃうだなんて!」
「苦しい、放してくれ」
ロイは、手に力を入れた。
「さあ、吐け!どんな犬だったんだっ」
ぐぐぅと男ののどが鳴った。
「ただの、薄汚れた雄だ……おいぼれの、駄犬……」
「雄?」
ロイは、緊張が一気にほぐれて、立ちくらみを感じた。
「おい、サマ」
「たぶん、ちがうよ、それ」
サリューも胸をなでおろしていた。
「よかった~」
ロイは男を放した。
「この町の犬に手を出すな。いいな?」
自警団の者たちは、せせら笑った。
「どうかな。犬肉はよく売れるんだ。“生類憐みの令”とか言っていても、食い物がなくなりゃ、人間なんでもやるもんだぜ?そのうちおまえらにも売ってやるよ。格安でな」
「外道が!」
ロイは吐き捨てた。その腕をそっとサリューが抑えた。
「行こう。なにがなんでも、彼女を早く見つけないと」

 宿の一室で、ロイとサリューは考え込んでいた。すでに夕刻だった。午後いっぱいを使って、二人は飼い犬のアリバイを調べていたのである。
「これ以上は、ちょっと調べようがないよ」
とサリューは言った。
「かなり聞いてまわったけど、飼い犬はまだいるかもしれない。室内だけで飼われている小型犬、とかね」
「飼い犬でも町に出て広場に来れば、あのじいさんがおぼえてるんだけどなぁ。閉じ込められた犬じゃな」
サリューは、急に目を見開いた。
「そうだ、ねえ、自警団なんだけど」
「なんだ、いきなり?」
「犬肉はよく売れる、って言ってたでしょ?もしかしたら、屠殺する前の犬が、どこかにたくさん閉じ込められているんじゃない?」
「あいつら、そうか、あたってるかもしれないな。王女がおれたちのところへ来ることができないのは、閉じ込められているから、か!」
「ぼく、心配になってきたよ。今にも王女の命が……」
ロイは立ち上がった。
「よし、行ってみようぜ」