犬と鏡とムーンペタ 7.ブチ

 ロイはちょっと驚いた。
「王家の宝だったのか。ずっと持って歩いたんだが、そんなこと、誰も言わなかったぞ」
「めったに人目にふれるものではありませんから。国王ご一家、それに宮廷の限られた者しか、見たことはないでしょう。王子方、どうか一日も早くアマランス様をお助けください。お願いいたす、お願いいたす!」
そう言われても、とロイは思った。
 自警団の使っていた建物はすべて調べたが、犬はいなかった。
 また、将軍の名前で広場に高札を立て、犬を飼っている者をすべて出頭させて調査もした。だが、姫は見つからなかった。
「飼い犬ではない、野良犬でもない。王女犬は、何なんだ?」
あはは、とサリューが笑った。
「なんか、猫みたいだね、それ」
「どこが」
「ほら、猫って、えさをもらっていてもあまり飼われているって態度じゃないじゃない。妹の猫なんて、しょっちゅう家出してるよ」
「え、サマルトリアの王女様の飼い猫がか?家出の間はどうやって暮らしてるんだ?」
「けっこう、ネズミ取るの上手みたい」
「あっそう」
 うわさをすれば、野良猫が姿をあらわした。サリューの赤犬がぴくっと身を起こし、吼えながら追いかけていく。猫はいっさんに逃げ出した。
「あ、タマに何するんだ。こら~」
男の子がひとり、あわてて追いかけていった。
「なんか、気が抜けたよな」
「うん。季節もすぐ変わる気がする。ムーンブルグ城が燃えたのは、夏だったのにね。秋が近いよ、そろそろ」
先ほどの男の子が猫のタマを抱えて戻ってきた。生真面目な顔でサリューを見上げた。
「さっきの、あなたの犬ですか?ぼくのタマをいじめないように言ってください」
「ん。ごめんね。よく言っておくよ」
サリューが笑いかけると、男の子はやっと笑顔になった。
「ありがとう。タマは大事なの。最近テントの中は寒いから、夜は抱っこして寝るんだ」
「きみ、ムーンブルグから来たの?難民?たいへんだったね」
「うん。でも、うちはいいほう。家族がみんなそろってるから」
「そうか……」
少年は、うつむいた。
「隣のテントに息子さん夫婦とはぐれたおばあさんがいるんだよ。ときどき、夜、すすり泣きの声がするんだ。かわいそうだよ」
「食事はちゃんと、してる?」
「うん。将軍が戻ってから、配給もきちんとなったし。こないだまでは、ひどかったんだ」
「あいつらがいたからね」
「ブチがいなかったら、どうなってたかと思うよ」
「ブチって?」
「テント村の犬」
なに、とロイは聞き返した。
「それは、飼い犬か?」
「ううん、犬を飼う余裕なんて、誰にもないよ?でも、野良犬とも違うと思う。いつもテント村の中にいて、みんなを助けてくれようとしているみたいなんだ」
「それって」
ロイはサリューと、顔を見合わせた。
「どんなことするの、そのブチは」
「とにかく、ブチが大声で吼えたら、みんな行ってみるよ。このあいだはテント村の泥棒をつかまえたし、あやうく首をつりそうな人を見つけたことも会った。みんなで説得してやめさせたの。それと、ほら、犬肉騒ぎがあったでしょ。あれも、ブチが吼えたんで、みんな怪しいと思って調べたんだから」
少年は胸を張った。
「ブチは、テント村のお守り犬なんだ!」
「その、ブチに会いたいな。テント村にいるのか?」
少年は目をまるくした。
「犬に会いたい、って変なの。ああ、あなた、噂のローレシアの人だね?生類憐みの令の」
「そうだ。おれは旅先にいる犬全部に挨拶すると決めてるんだ。さあ、案内してくれ」
サリューは小さくつぶやいた。
「ロイ、なんか、のめりこんでるよ?」

 ロイはその犬に見覚えがあった。白い毛皮に黒いぶち模様があり、大き目の耳が顔にかかっている。だがその背中には顔料のしるしがついていなかった。
「この子、あれだよ!」
サリューが言った。
「いちばん最初にロイが目をつけた子だ。鏡の反射に驚いて逃げちゃったから試してないんだ」
「よ~し。試す価値はあるな!そうだ、逃げられる前に」
ブチは、びくりと身を震わせた。
 テントの前に座り込んだ老女が、ブチの頭をそっと撫でた。
「どうしたの、ブチ?」
ブチはじっとロイたちのほうを見ていた。
「サマ、捕まえろっ」
言うより早く、サリューが飛び掛った。ブチは間一髪でその手をすり抜けた。
「なんだよっ、ブチをいじめるなっ」
男の子が叫んだ。なんだ、なんだ、と声を上げて、難民たちが集まってくる。
 ブチは、こちらへ向かってくるブーツの林の前で一瞬立ちすくんだ。その瞬間サリューが押さえつけた。
「よし、その手を放すなよ!」
鏡の入った袋ひっさげて、ロイはサリューのところへ走った。
 そのときだった。難民の少年がサリューの腕に飛びついた。拘束の緩んだブチはサリューの胸を蹴ってとびだし、ロイの顔にぶつかった。
「うわっ」
あわててロイは腕をのばした。
「はねっかえりがっ。おとなしくしろっ」
がっちりとつかんだロイの腕に、ブチは思い切りくらいついた。
「いってぇ!」
思わず腕を振り回した。ブチはぱっと飛び降り、そのまま広場の方へ駆け抜けた。
「もう許さねえ、あのおてんば!絶対とっ捕まえてやる」