ナイトプライド 7.乙女の晴れ舞台だ

 ソルティコの町は、大樹の落ちる前とあまり変わっていないように見えた。運河や橋にも被害は出ていない。だが、やはり町に以前の活気はなく、空はどんよりとしていて、人々は不安そうだった。
 一行が町の入り口で待っていると、やがてにぎやかな音楽が聞こえてきた。案の定、シルビア率いる世助けパレードが華々しく町の入り口の大門を入ってきた。
 町の入り口からは町を一望し、水平線へ至る海を眺めることができる。
「……不思議なものね。この町には二度と来るまいと思ってたのに、まさかこんな風に帰ってくるなんて」
町を眺めてシルビアがそうつぶやいた。シルビアの視線が、町の中でもひときわ立派な屋敷に引き寄せられた。
 シルビアは振り向いた。気取った手つきで鎖骨にふれ、いつものように言い始めた。
「あれがパパのお屋敷よ。……だけどちょっと心の準備をしたいから、みんな先に行ってて」
だが、やはり緊張している。胸に当てた指先が少し震えていた。
「あの……」
少年勇者はとまどっているようだった。シルビアを置いていく気になれないのだろう。だがグレイグには、シルビアのためらいも理解できた。
「ソルティコの町、なつかしいな……」
わざと気付かないふりでグレイグはそう言った。
「この町は俺にとって特別な思い出がある。なんとかかつての活気を取り戻したいものだ。ゴリアテ……いやシルビアは先に屋敷に行ってくれと言っていたし、我々はジエーゴ師匠のもとへ行くとしよう」
海を眺めているシルビアをもう一度見て、イレブンはようやくうなずいた。
 ジエーゴ邸はあまり変わっていなかった。だが、グレイグの記憶にある限り大勢の門下生がいた修行場は、ほとんど人影がなかった。大樹の異変以来、地方特にデルカダールから来ていた門下生たちは故郷を心配して戻ったのだろう。
 ジエーゴ邸の門や正面を守る兵士たちは、それでもきちんと警備の仕事を務めているようだった。
 ジエーゴ邸は、すなわちソルティコの領主館だった。花壇のある庭を備えた立派な屋敷である。大きな扉の内部は、よく磨いた飾り石の床、淡いベージュにくすんだ金の花柄の壁のホールだった。奥の壁には美しい貴婦人の肖像画が飾られていた。
 ロウの顔は知られているようで、ロウが取次ぎを頼むとセザールが応対に出てきた。
「おお皆さまご無事でしたか」
銀髪に眼鏡の初老の執事セザールはグレイグの記憶にある姿とほとんど変わっていなかった。
「本日ご主人さまの体調がよろしいようでただいまお目覚めになっております。ご主人さまは二階の部屋におられますのでぜひともお会いになってくださいまし。きっとおよろこびになることでしょう」
セザールはロウにそう言い、グレイグにも小さく会釈した。
「……しかし外が騒がしいようですが、何かあったのでしょうか?」
その騒ぎはセザールの大事な坊ちゃまのナカマが巻き起こしているのだ、とはグレイグには言えなかった。
 赤とブラウン系を基調にした上品で贅沢な館の二階へ上がると、主人の部屋があった。メイドが控える部屋の中央にダークブラウンの大きな寝台の上がある。唐草模様の彫刻を入れたヘッドボードに頭をつけて、壮年の男性が横たわっていた。よく鍛えた身体の持ち主で、鼻の下に髭をたくわえている。そして頭部は包帯に覆われていた。
 ベッドから少し離れたところに、グレイグは片膝をつき、片手を胸に当てて頭を下げた。
「師匠、グレイグでございます。……ひさかたぶりです」
 ベッドの男性、ソルティコのジエーゴが身を起こした。鋭い目と高い鼻の持ち主だった。一瞬、不審そうな目をしたが、ようやく相手が誰なのかわかったようだった。
「おうおう、グレイグじゃねえか!てめえが修行を終えて町を旅立ってからもう十数年か。近くに来てカオを見せろよ」
伝法な口調でそう言ったが、ジエーゴは機嫌よさそうに目を細めた。
「……てめえの活躍はさんざん聞いてるぜ。図体デカイだけが取り柄だったてめえがいまやデルカダールの英雄さまだ!ハハッ!」
ジエーゴは胸を反らせて笑った。グレイグは照れくさくて頭を振った。
「思ったよりお元気そうで何よりです。師匠のもとで騎士道を教わっていなければ今の私はありえなかったでしょう」
グレイグは真顔になった。
「……ここを旅立って多くのことがありました。十六年前のユグノアの悲劇に始まり、先日の大樹の落下。そして今や魔王が……」
グレイグは言葉を切ってあたりを見回した。
「そういえばシルビアはどうしたのだ。イレブン、私は師匠と話しているからちょっとようすを見てきてくれないか」
こくりとうなずいてイレブンが部屋を出て行った。
 ジエーゴが真顔になった。
「グレイグ、今出て行った若ぇのは、何者だ?」
「彼はイシの村の出身で、名はイレブン。手に勇者の紋章を持つ十六歳の若者です」
グレイグはちらっとロウを見た。ロウは、ジエーゴから見えないあたりに立って人さし指を唇に当てた。ソルティコではロウはただの旅人で通している、とグレイグは聞いたことがあった。ユグノア王家にまつわる件を省いて、グレイグは続けた。
「師匠、噂は本当なのです。魔王が現れて、命の大樹を落としました。イレブンはその魔王に対抗する唯一の希望です。私はデルカダール王の許しを得て、イレブンが勇者としての使命を全うできるよう、彼を守るために同行しています」
ほう、とジエーゴはつぶやいた。
「このご時世にゃ珍しく肝の据わったいい面構えだと思ったら、そういうわけかよ。そうか、確かに大樹を落とすなど、魔王でもなけりゃ……。グレイグ、デルカダールはどんな具合だ」
「良い、とは申せません。デルカダール城も町も大樹墜落の際ひどい被害がでました。幸い、城に巣食った魔物は勇者イレブンと私で駆除できましたが、復興まではかなり時間がかかりそうです」
「王はご無事か?」
「は。地方の砦に動座されました。生き残った民や兵士もそこへ集まっています」
そうか、とジエーゴはつぶやいた。
「ソルティコは命の大樹とは距離があったからな。被害はデルカダールほどじゃねえが、海も陸もモンスターがやっかいになりやがってしかたねえ。このあたりも、生き残ったもんはできるだけソルティコへ集めているがな」
どうやらジエーゴは、自らが傷ついていてもずっと領地領民の心配をしていたようだった。
「親を失くした子供なんてのがごろごろいる。目の前で泣かれてみな、こたえるぜ」
「プチャラオ村を通った時、私もそのような状況をだいぶ見てきました」
「おう、あのあたりはどうなった?」
「プチャラオ村周辺には燃える岩石がかなり降ったようです。村そのものにも魔王の手下が悪事を行っていたようですが、そちらも討伐しています」
ジエーゴは感心したようだった。
「ずいぶんと手際がいいじゃねえか」
 師匠、とグレイグは言った。
「……お聞きにならないのですか」
「何を」
グレイグは咳払いをした。
「ロトゼタシア全土でこれだけの被害が出ているのです。ご心配ではないですか、たった一人の御家族のことが」
そう言った瞬間、ジエーゴが顔色を変えた。
「おめぇ、何か知ってんのか、あいつのことを!まさか、やつはもう」
グレイグの襟をつかみかねない勢いにグレイグは驚かされた。
「いえ、生死にかかわるようなことは聞いていません」
そう答えるとジエーゴは赤くなり、寝台の上で腕を組み、そっぽを向いた。
「俺もいい歳なんだ、あんまり年寄りをおどかすんじゃねえ!こっちの方がぽっくりいくぞ」
「ゴリアテは」
ジエーゴは首を振った。
「大樹の墜落ていどであの可愛くねえ奴がどうにかなるもんけぇ!生きてやがるさ、しぶとくな」
「私の知っている範囲で」
「言うな、グレイグ。俺は聞かんぞ?いいか、話すなよ、絶対だぞ?」
部屋の隅からセザールがキラキラした目でこちらを見つめている。グレイグは迷ったが、寝台から離れた。
 ロウがにっと笑って、ジエーゴの寝室の扉のほうへちょっと頭をかしげてみせた。部屋の外で護衛の騎士と訪問者が何か話している。聞き覚えのある声だった。
 グレイグは心を決めた。ここからは彼に任せようと思った。
――おまえの晴れ舞台だ。がんばれ、……シルビア。

 ジエーゴの部屋の前には、先ほどセザールがいた場所に、別の男が立っていた。黄色の縁取りの緑のコートをつけている。この邸を守る他の兵士と同じ兵装で、おそらくソルティコ騎士団のひとりだと思われた。
 イレブンとシルビアが上がってくると、その男は警戒心も露わに遮った。
「お……おいっ、何者だ、そこのハネの男!さてはくせ者か……!今すぐにこの邸から立ち去るがよい!」
まあたしかに派手だ、とイレブンは思った。が、シルビアはパレードスタイルをやめるつもりはまったくないようだった。
「ぼくたちは」
とイレブンは言いかけた。シルビアが片手で制した。
 警備兵は、シルビアをうさんくさそうに眺めている。シルビアは華やかな身振りで両手を広げた。
「……久しぶりね、ゴンザレス」
悠々とシルビアは言った。
「おくびょう者のあなたが屋敷の護衛役なんて、ずいぶん出世したじゃない」
ゴンザレスというらしい兵士は、眼を剥いた。
「むむっ、貴様……どうして私の名前を???」
くす、とシルビアは笑った。
「相変わらずネズミは苦手なの?タワシと間違えてネズミをつかんだ時がいちばん傑作だったわね」
 ゴンザレスはえっとつぶやき、驚きに目を丸くし、それから震えだした。
「…………!そ、そんな、まさか……」
ふふっとシルビアは笑った。
「そうよ。おどろいた?」
ゴンザレスは泣きそうになった。
「ゴリアテさま!ま、まさかお帰りになる時が来るとは……。おなつかしゅうございます!」
ここは彼の生家なのだから、シルビアの知り合いがいても不思議はない。だが、ゴンザレスの表情は、そんな常識を乗り越えた何かがあった。うたがいもなくゴンザレスは、ずっと心に思い描いていた人を目の当たりにしたのだった。
「今まで屋敷を空けていてごめんね」
たぶん、ゴンザレスの方が年上だろう。だが、シルビアは聖母のように微笑み、真心のこもった言葉でゴンザレスを癒していた。
「……ねえゴンザレス。屋敷を見てまわってもいいわよね?」
泣き笑いをしながらゴンザレスがこくこくとうなずいた。
「もちろんです、ゴリアテさま!どうぞごゆっくりなさってください!」
ぐしゅっと鼻をすするゴンザレスをおいて、イレブンたちはジエーゴの部屋へ入っていった。
 ジエーゴは、ベッドの上に座っていた。元気になったとはいえ、まだ多少つらいようすだった。ベッドのそばにはメイドやセザール、それにグレイグがいた。赤いじゅうたんを踏んでイレブンはジエーゴの寝台に近づいた。ジエーゴが顔を上げた。
 なぜか部屋に入ったときから、シルビアはイレブンを前に歩かせた。シルビアの方が背が高いのでジエーゴから絶対見えているのだが、なんとかシルビアはイレブンの背中に隠れたいらしかった。イレブンが立ち止まると、シルビアはその横から顔を出し、手を上げて、ちょこっと振った。
「パパ……ただいま」
 ジエーゴは相手を眺め、不審そうに目を細めた。太い眉があがり、もともと鋭い眼光のために相手をにらみつけるような表情になった。
「誰だぁ、てめぇ……?」
次の瞬間、かっとジエーゴは目を見開いた。
「……っ!!」
病み上がりとは思えないほどの勢いで寝台の上に立ち上がり、高みから見下ろした。
「てめえは……わが息子ゴリアテっ!!どのツラさげて帰ってきやがった!!」
その怒声の大きさと勢いにイレブンは思わず固まった。シルビアが、グレイグが言った通り、ジエーゴはまさに雷親父だった。
「ひっ、ひいいいい、ご、ごめんなさい!!」
シルビアがイレブンの後ろへ身体をひっこめた。
 ジエーゴは腕組みをした。寝台の上の高みから、イレブンの背後で小さくなっているシルビアに話しかけた。
「ごめんなさいだと?……おい、ゴリアテ。てめえ何かカン違いしてねえか?」
独特の口調だった。シルビアはなんとかふるえる顔を父に向けた。
「てめえの騎士道ってやつで世界中を笑顔にできたのか?」
イレブンは、あっと思った。ジエーゴは確かに怒っていた。だが、シルビアが恐れていた怒りとは違う。イレブンは肩ごしにシルビアを見た。
 シルビアも、その違いを感じたようだった。
 肩から力が抜けていく。
 眼には力が入っていく。
 一度うつむいたシルビアは、眉根をかすかに寄せ、顔を上げてイレブンの陰から前に出た。そしてジエーゴと向き合った。
「……いいえ、まだです」
ジエーゴは腕組みを解き、右手を握りしめて脅すように眼前へ掲げた。
「だったら……なぜ帰ってきやがった!!」
雷親父の大音声にはちがいなかった。だがイレブンの耳には、違うものが聞こえていた。自分が望んでも、もう二度と得られないもの、父性愛だった。
 ジエーゴは右手を水平に振り払った。
「てめえは大口たたいて出ていった。なのに夢を果たさぬままよくもぬけぬけと!そんな風にてめえを育てた覚えはねえぞ!」
さらにガミガミ言おうとして、ジエーゴは左胸をつかみ、寝台の上にうずくまった。シルビアは驚いて両手をあげた。
「パ、パパ……」
ジエーゴはなんとか寝台の端に腰かけた。まだつらいのか、片手を膝にあててなんとか上体を起こしているようすだった。
「……ちくしょう。こんな身体でなけりゃ、てめえをぶん殴ってたところだ」
 シルビアは胸の前で両手の指を組み合わせた。
「ありがとう、パパ!」
シルビアの顔が輝いていた。
「ずっとアタシのこと、認めてくれてたのね!アタシ、たしかに夢半ばのまま帰ってきちゃったけど、それには理由があるの」
シルビアが視線をずらすと、逆にジエーゴはシルビアを見上げ、ぽつりと言った。
「……魔王か」
シルビアは腕を下し、自然な表情になった。
「そう。魔王がいる世界じゃ人は心の底から笑えないの」
シルビアの右手があがった。さきほどのジエーゴと同じように拳を握って胸の高さに掲げた。
「……だからアタシ、魔王を倒す。そして明るいセカイを取り戻して、今度こそ夢をかなえてみせるわ!」
力強くシルビアは言った。
 ジエーゴは上目遣いにその宣言を聞いていた。病み上がりの背が少し震えた。笑っているのだった。
 右手で自分の膝をたたき、ジエーゴは人さし指を息子につきつけた。
「ハッ!魔王を倒す、だと?てめえまたドデカイこと言いやがったな!おもしれえ、やってみやがれ!」
シルビアは背筋を伸ばした。宣誓するかのように右手のひらを胸に当て、シルビアは言い放った。
「ええ、必ず!騎士に二言はないわ!」