ナイトプライド 5.何がどうしてそうなった!

 プチャラオ村は勾配のきつい土地に築かれた村だった。村の中央に階段がつくられている。その一番上に上がると、古代王国の遺跡を見下ろす高台となっている。イレブンとグレイグがそこまで登っていったとき、派手な背追羽根の背の高い人物が立っているのを見つけた。
 常日頃身にまとっている芸人らしい気取りをシルビアは放棄していた。彼が眺めているのは目の前の風景ではなく、どこかにある遠いところ、そんな表情だった。
「話し合わなくちゃ、伝わらない……か」
 シルビアは振り向いた。
「イレブンちゃん?」
「捜しに来たよ。急にいなくなるから……」
シルビアは微笑んだ。
「……あの親子、再会できてホントによかったわね」
シルビアは視線を上の方へさまよわせた。
「だけど魔王のせいで亡くなった人々や破壊された町はもう戻らない」
どこかせつない表情だった。
「ねえイレブンちゃん。ウルノーガは世界を滅亡させるほどの強大なチカラを持っていたわ。あのチカラを目の当たりにしてなお、ウルノーガと戦うつもりなの?」
 イレブンは緊張した。シルビアの口調は軽かったが、その質問はイレブンの覚悟のほどを問うていた。
 シルビアを見つめ、力を込めて、イレブンは短く答えた。
「戦うよ」
「……やっぱりイレブンちゃんは、勇者ね」
シルビアは真顔になった。が、その顔を隠すようにまた崖の方を向いた。
「世界に笑顔を取りもどす!なんて言ってみんなが笑って元気になれるような世助けパレードをしてたけど……魔王を倒さなくちゃ笑顔は取り戻せない。ずっと忘れてたわ、そんな、当たり前のことを」
シルビアが振り向いて、掌を喉の下に当てた。
「だからアタシ、もう一度イレブンちゃんの旅についていくことにするわ!」
イレブンは胸をつかれた。いつも見せる満面の笑顔ではない薄い微笑みが、シルビアの本気を示していた。
「お前、本気か?」
グレイグは腕組みをしてシルビアを見ていた。
「もともとお前がイレブンの仲間だったことは聞いた。しかし、本当に魔王と戦うつもりなのか?」
シルビアは腹を立てるでもなく、笑い飛ばすのでもなく、静かに目を上げた。
「いけないかしら?それとも、アタシじゃ戦力として不足?」
グレイグは大きな掌で自分の腕をたたいてしばらく考えこんだ。
「……いや。不足はない」
シルビアはおかしそうに目を見開いた。
「アラ、驚いた。アナタの騎士道は守備力重視なんでしょ?てっきり文句をつけるかと思ったのに」
「たしかに俺は守りの盾だが、お前の剣はまるで、針の穴を穿つほど速く、巧みだ」
シルビアは奇妙に懐かしそうな表情をした。
「ああ、フールフール戦のときね。そう……じゃ、何がいけないの?」
「お前は自分より他人をいたわりすぎる。そのような戦い方をしていると、死ぬぞ」
反論しようとしてシルビアは口を開いたが、珍しいことに言葉は出てこなかった。
「大丈夫だよ、そういうときは、ぼくがシルビアを守るから」
とイレブンは言った。シルビアが微笑みかけた。
「ありがとう。……でもパーティへ戻る前にひとつだけお願いがあるの」
シルビアの表情は柔らかかった。男の人だということはわかっているが、なぜかイレブンは“聖母”という言葉を思い浮かべた。
「アタシはウルノーガと戦って命を落としたってかまわないわ。けれどパレードのみんなは巻き込めない」
シルビアはまっすぐイレブンを見た。
「だからパレードのみんなを信頼できる人の所に預けたいんだけど……じつはひとりだけ当てがあるの」
いきなりシルビアは両手を祈りの形に組んだ。
「でもその人ホンットにおっかなくって、ひとりで会うのは心細いの。だからお願い!イレブンちゃんついてきてくれない?」
おっかなさを強調するつもりか、シルビアは一度目をぎゅっとつむった。
 まさか魔王より怖いということもないよね、とイレブンは思った。
「わかった。ぼくも行くよ」

 シルビアよりも早くランスは石段を踏んでプチャラオ村の方へ降りて行った。
「ランスちゃん?どこ行ってたのよ、もー」
パレードボーイズの中ではイッテツに次ぐ年長者のイソムが話しかけてきた。
「いらっしゃいよ。今夜はボンサックちゃんの奥様が、パレードのみんなにおふるまいですって。豪勢な夕ご飯になりそうよ?」
「みんなもうお宿にいるの?」
ボンサックの宿屋はなかなか広い食堂を持っていた。イソムと二人で入っていくと、奥の長テーブルにパレードのナカマが集まっているのが見えた。
「ほら。まだの子も、おっつけ来るでしょ」
「イソムちゃん、ちょうどいいわ。アタシ、みんなに話したいことがあるの」
こっちこっちー、と呼ぶ仲間に手を振り返しながら、ランスはちょっと緊張していた。
 イソムがイッテツを見つけて何か話している。イッテツがこちらを見てうなずいた。
「みんな、ちょっといい?ランスちゃんが、みんなにお話ししたいことがあるんですって。ご飯の前だけど、聞いてあげましょうよ?」
ランスは長テーブルの端の席に立ち、姿勢を正した。
「あの、今まではっきりとは言わなかったけど、みんな知ってるわよね、旅芸人になる前のオネエさまとアタシが、顔見知りだったって」
うなずく者もいれば、意外そうな顔になる者もいた。
「オネエさまの秘密をアタシがばらすわけにはいかないから、具体的なことは言えないの。それを踏まえて聞いてちょうだい。これは、昔々の物語」
宿の若女将がナカマのいるテーブルを衝立で遮ってくれたので、ランスの話を聞くのはナカマたちだけになった。
「ある国の王様が、国中にお触れを出しました。『わしは、世にも貴重な天空の兜を持っている。この兜が欲しければ、このワシを笑わせてみよ』。魔王と戦うために天空の兜を必要とした勇者とその一行が王様を笑わせようとしましたが、王様はにこりともしませんでした。もともと国中、世界中の人々が挑んでも、まったく笑わせることができなかったのです」
「やなヤツねえ!」
とパンチョがつぶやいた。
「人々はウワサしました。有名な旅芸人パノンなら、王様を笑わせることができるのじゃないか、と。それを聞いた勇者はパノンを探し出しました。
『なるほど。あなたがたの旅に必要な天空の兜をスタンシアラの王がもっていると……。でその兜を手に入れるには私の芸が必要と……。もしやあなたがたは天空の城へっ!?いやおっしゃらなくても けっこうです。わかりました!おともいたしましょう!』
こうしてパノンは勇者についてきてくれました」
「それで~?パノンはどんな芸をしたの?」
デニスが口をはさんだ。“最後まで聞こう?”とドテゴロがデニスを抑えてくれた。
「王様の前に出たパノンは、けれど、黙ったままでした。王様はじめ、見ていた人々はとまどいました。パノンでも、だめなのか。
 ざわめきのなか、パノンは言いました。
『私には王様を笑わせることなどできません』
人々が驚く中、パノンは勇者を指して言いました。
『ですが、私を連れてきたこの者たちなら、きっと笑わせることができるはず!どうか、この者たちに天空の兜をお与え下さい。この者たちは世界を救い、人々が心から笑える日を取り戻してくれるでしょう!』」
ランスが語り終わると、その場に沈黙が漂った。トンタオが、全員に代わってつぶやいた。
「なんだか、わかってきたわ。それがオネエさまの志なのね?」
ランスはうなずいた。
「今日明日にも、オネエさまからお話があるはずよ。アタシはどこまでもオネエさまを支持するつもり。みんな、お願い。わかってあげて」
深々とランスは頭を下げた。

 プチャラオ村は美しい朝を迎えていた。
グレイグとイレブンは、シルビアに言われた通り村の外へ向かっていた。
 フールフールに連れさられた村人たちが戻ってきた騒ぎが一段落して、プチャラオ村は平和で満ち足りたようすになっていた。
 村人たちは落ち着いて井戸水を汲んだり掃除をしたりしていた。母親の声が幸せそうに子供たちを呼び、すれちがう村人どうしはなごやかに朝の挨拶を交わしていた。
 それなのにどうも村の中に違和感がある、とグレイグは思った。
「イレブン、今朝はなんだか村がすっきりしすぎていないか?」
イレブンも辺りを見回した。
「パレードのみんながいないのでは?」
 その通り、ついこのあいだまで村中にいたパレードの若者たちが一人もいなかった。あのけばけばしいほどの衣装で歌い踊る集団がいない。すっきりしたと言えばその通りだが、不思議なことに寂しさが漂っていた。
 誰に聞いても、パレードボーイズはスッと出て行った、としかわからなかった。だが村人たちは、世話になった、愉快な人たち、元気づけられた、礼を言いたかった、と口々に言い、世助けパレードが良い印象を残しているのがわかった。
 石段の下まで降りると村の入り口にいつも置いてあった派手な神輿がなくなっていた。グレイグたちは村を出てプワチャット地方の草原へと出向いた。
 パレードの集合場所はすぐにわかった。村の外の広い場所にきらびやかな神輿が鎮座して、そのまわりに世助けパレードのメンバーが集まっていた。
 ステージの上で羽扇を広げ、よく通る声でシルビアが言った。
「ハ~イ!みんな~聞いて~!」
一度思わせぶりに扇で面を隠してからさっと下し、シルビアは宣言した。
「……アタシ、パレードやめる!」
ええええええええっ!!という黄色い絶叫が響き渡った。シルビアは片目を閉じ、人さし指をあげた。
「だけど安心して!魔王ちゃんをやっつけるまでの間よ!倒したら絶対にみんなのもとに戻ってくるわ!」
えっ、えっ、どうしよう?とパレードの若者たちは戸惑っていた。
 無理もない、とグレイグは思う。彼らと出会った時から、パレード仲間たちはシルビアに全幅の信頼をおき、その指示に熱心に従っていた。ここで“シルビアに裏切られた”と思う者がいてもしかたないところだった。
 パレードボーイズのひとりで、確かランスという若者が両手を握りしめて叫んだ。
「……アタシ、オネエさまを応援する!みんなの笑顔を奪う魔王ちゃんなんて、絶対に許せないもの!」
まわりの若者たちがしんとした。その中から、また声があがった。ちょっと垂れ目気味の気さくな若者で、コブシと呼ばれていた。
「アタシも応援するわっ!オネエさまがパレードを離れるのは悲しいけど……魔王ちゃんをやっつけるなんてオネエさまにしかできないことだから!」
くりくりした目のパンチョと富士額のデニスが、泣きそうな顔なのに、うなずいた。片メガネのイッテツは腕組みをしてうむ、と唸り、最年少らしいメガネの少年、レンズは歯を食いしばり、トンタオ、モレオ、その他みな、辛そうではあったが、潔くシルビアの脱退を認めようとしていた。
 くねくねしていようが内股で走ろうが、思えば彼らは有能だった。プチャラオ村を明るく盛り上げ、人々の内ふところへ入り込んで情報を引きだし、魔王の手下の住処でさえもシルビアのあとに忠実についていった。そしてパレードを中断してでも、シルビアの意志を尊重し、熱く送り出そうとしていた。
 ステージの上のシルビアは一瞬脇を向き、片手で眼をぬぐった。こみあげる何かを一度肩をゆすっておさめ、無言でステージから跳び、着地すると、ナカマたち全員を抱きしめるかのように両手を広げ、雄弁な瞳でつかつかと歩いて来た。
「そう、世界に笑顔を取りもどすためよ!」
その姿は、ひな鳥たちを翼の下に守る母鳥のように見えた。不思議な男だ、とグレイグは何度目かにそう思った。
 すでに泣き顔のナカマたちに向かって、シルビアは明るく告げた。
「だからそれまでの間、アタシのパパがいるソルティコって町で待っててほしいの!」
パパ、と言った時、唇が笑いの形になった。
 グレイグは、意外な気がした。もちろん、シルビアにも家族はいるのだろう。彼の父親はソルティコにいるらしい。
 グレイグはつぶやいた。
「……パパ?……ソルティコ?」
 思い出の中の、とある顔に、シルビアの顔が重なった。
「グレイグさん?」
イレブンが不審そうに見ていたが、返事ができなかった。
 大股にグレイグはシルビアに近寄った。シルビアは一歩後ずさり、手にした扇を貴婦人のように広げて顔を隠そうとした。それをものともせずにグレイグはぐっと顔を近づけ、まじまじと眺めた。警戒したのか、シルビアの目がすっと細くなった。
「きっ貴様」
この顔を知っている……シルビアの顔がグレイグの記憶に重なる。鋭い目に鷲鼻の壮年の騎士……肖像画の貴婦人……それは断じて公演のチラシの挿絵などではなかった。
「まさかとは思うが」
記憶のフォーカスが合い、今、はっきりと像を結んだ。乙女のように唇の紅い、細い眉、大きな目の、若き天才剣士。
「……ゴリアテか?」
 シルビアは斜め下へうつむき、視線が流れた。だが、何を思ったか、再び顔を上げた。柳眉が見事な曲線を描き、色素の薄い眼は長いまつ毛に縁どられている。こいつは実に端正な男なのだとグレイグはあらためて思った。
 その瞬間シルビアは何かを吹っ切った。かすかに顎を引き、挑むような目になった。
 うふふ、とシルビアは笑った。
「やっと気づいたのね!いつ気づくか、ずっと待ってたのよ?」
キスをせがむように唇をとがらせ、わずかに顎を上げてシルビアはささやいた。
「……グ・レ・イ・グ♪」