ナイトプライド 6.本気でそんな無茶をやる気か

 グレイグが気付いたとき、彼はキャンプにいた。
 世助けパレードはソルティコを目指している。今朝プチャラオ村郊外でシルビアが引退を宣言し、そのままソルティコへ行くことになったのは、グレイグも覚えていた。
 だが、そのあとの記憶がどうにもこうにも定かでない。まったくの空白だった。
「グレイグさん、大丈夫?」
イレブンが夕食の椀とパンのかたまりを手渡してくれた。ようやくグレイグの耳にもキャンプ地の賑わいが聞こえてきた。パレードボーイズは相変わらずキャッキャッとはしゃぎながらキャンプの準備をやっていた。
「あ、ああ。イレブンか。すまん」
目の前にはゆらめく焚き火があり、大鍋から料理の匂いも漂っている。今の今まで、グレイグの意識からそのあたりの現実がすべて消え去っていた。
「グレイグよ」
と背後からロウが声をかけた。
「何か食べた方がよいぞ?おぬし今日一日、完全に魂がぬけとった」
「まことに申し訳」
「謝るひまがあったら食べて体力をつけんかい。明日はソルティコで怒れる剣神と対面するんじゃ」
ロウは眉をひそめ、ふーと息を吐きだした。
「ちょっとした修羅場じゃろうて」
グレイグは身震いした。
「ちょっとしたどころか、人死に覚悟でしょう」
え?とイレブンがグレイグとロウの顔を見比べた。
「ジエーゴ殿の御子息ゴリアテが行方知れずとはずいぶん前から聞いておったが……。それがシルビアだったとはおどろいたわい。ゴリアテはジエーゴ殿と大ゲンカして家出したそうじゃが、いったい何があったんじゃろうなあ?」
ロウはぶるっと震えた。
「ジエーゴ殿は“怒れる剣神”の二つ名のある厳しいお人じゃ。今のシルビアを見たらどうなることか」
ロウはイレブンに視線を投げた。
「イレブンや、おぬし、蘇生魔法の心得はあったかの?ちょっと話がある。つきあってくれんか」
「はい、おじいさま」
そう言ってユグノア組はキャンプの炎を離れて暗い方へ行ってしまった。
 グレイグは木の匙で煮物をすくって口に運びながら、深いため息をついた。
「グレイグちゃん、ここ、いい?」
隣に来たのは、パレードのナカマの一人で、やや垂れ目ぎみの気さくな雰囲気の金髪の若者だった。
「おまえ……最初から全部知ってたな?」
つい恨みがましい口調になってグレイグは尋ねた。
「そうなんだろう、ミッシュ?」
ミッシュことミシェルはフンと笑った。
「やっとアタシのことも思い出してくれたの?そうよ、知ってたわ。でも、オネエさまが何も言わないのに、アタシがしゃべるわけにいかないじゃない?」
「……その話し方をなんとかしろ!」
えー?とミシェルは不服そうな声を出したが、少し口調が戻った。
「グレイグさんがソルティコを去ってから十八年たってるんです。ぼくは今二十六、大樹が堕ちたときは偶然メダチャット地方にいました。そのとき避難する道筋で坊ちゃ……シルビアさんが人の心を明るくしようとがんばっているのを見て、使命感にかられて同行したんです」
グレイグはふと尋ねた。
「聞くが、ひと目であいつがゴリアテだとわかったのか?」
「わかりましたとも。まあ、お化粧も濃くなかったですけど。坊ちゃまは自分だってケガをしてたのに、バラバラだった避難民を集めて、火を熾して、食べ物を集めて、モンスターを寄せ付けないようにして、ロープを操って谷を渡して、避難所まで連れて行って……大活躍でした。それも全部、絶望して自棄になった人たちをさりげなく励ましながらね」
なんとなくグレイグには、そのさまが想像できた。
「避難民がそれぞれの村や町に戻れたとき、自分は帰らない、シルビアさんについて行くって申し出た人たちが何人もいました。それが今のパレードの始まりです」
「おまえも?」
ミシェルはうなずいた。
「実はぼくは、アナタにはお家に待っているご家族がいるでしょ?って言われちゃいました」
「おまえをミシェルだとわかってたのか」
「ええ。だから改めて坊ちゃまに、いっしょに連れて行ってくださいとお願いしました。最後は泣き落としました」
グレイグは片手を額にあて、目を閉じた。
「あいつは昔からおまえには甘かったからな……結局わからなかったのは俺だけか。つくづく見る眼がないのだな、俺は」
 ミシェルが声をひそめた。
「そんなことより、目の前に大問題があるんですが」
「師匠のことか」
グレイグはため息をついた。
「師匠もゴリアテも頑固だからな」
「ほかにも似てるところはたくさんあると思いますけど」
「どこが?」
「一番よく似てるのは、弱い者を守りぬこうとする侠気でしょうね」
グレイグには返す言葉がなかった。
「あと、お館さまと坊ちゃまは、お顔もお姿も似てますよ?ねえ、グレイグさん、ぼく、実はお願いがあってきたんです」
「なんだと?」
ミシェルは真顔になった。
「明日は、シルビア一世一代の勝負です。心身ともに最高のコンディションで臨ませてあげたい。シルビアさんに余計なことを言わないでください」
「余計なこととは?」
「例えば、坊ちゃまの家出が悪いとか決めつけないでください」
「俺は、そんなことをする気はない。ただゴリアテがせめてあの派手な服を地味な、騎士らしいものに代えて、口調も男言葉に戻せば師匠も少しは」
せいいっぱいの皮肉を込めてミシェルはグレイグを眺めた。
「“シルビア”がそんなことすると思います?あのひとのこと、全然わかってないですね」
多少グレイグはむっとした。
「俺はあいつとは五年もいっしょに修行してきたんだぞ」
「五年間いっしょだったグレイグさんより、数か月同行したぼくらナカマたちのほうがずっとシルビアさんを理解してます!」
――アタシ、オネエさまを応援する!
パレードボーイズのリーダー、アルマンが放った言葉をグレイグは思い返した。
「……それほどか?」
ミシェルは微妙な表情になった。
「そのままお答えするとカドが立ちそうなので」
こほんとミシェルは咳払いをした。
「グレイグちゃんたら、だからそういうトコよ?オトメの意地にかけて旅芸人シルビアはあの麗しさのままで行きますからねっ。もうっ、アタシにこんなこと言わせないでちょうだいっ」
そう言って自分の料理の皿を持って立ち上がり、行ってしまった。
「……カドは十分立っていると思うが」
グレイグは力なくつぶやいた。

 キャンプは寝静まっていた。パレードを加えた一行は大所帯なので、テントはいくつも張っていた。自分のテントの中でグレイグは、寝ているイレブンとロウを起こさないようにそっと動いて起き上がった。寝る前からずっとグレイグの心は騒いでしかたがなかった。
 もちろん一番落ち着かないのはシルビアだろうと思った。幼かったゴリアテを、ジエーゴが息子として、弟子として、どれほど愛し、不器用にかわいがり、大切にしていたか、グレイグはよく覚えている。
 そのすべてを投げうってゴリアテは出奔した。どれほどジエーゴが怒り狂ったか、想像に余りある。ゴリアテ/シルビアがその怒りに耐えきれるか思うとグレイグはとても寝ていられなかった。
 テントの外は森だった。焚き火の燃えさしだけが鈍い赤に光って見えた。風はなく、キャンプの近くの水場、ささやかな小川のせせらぎが聞こえた。
 テントの入り口につるしたランプがキャンプ地のはしの草地へ光を投げかけている。丸い黄色い光の中にシルビアがいた。
 シルビアは、グレイグに背を向けて座っていた。片足の膝を折り、もう片方の足を真後ろへ長く伸ばしている。おもむろに両手を頭上へ上げ、手首を交差させ、そのままゆっくり前傾した。グレイグのいるところからは見えなかったが、おそらく鼻先が腿につくほど前屈しているらしい。そして双腕ごとゆっくり体を起こし背筋を伸ばした。
 やっとグレイグは、シルビアが何をしているかに気づいた。旅芸人らしく関節を伸ばし、身体のメンテナンスに努めているのだろう。
――やつは、三十三か。
最後に見たときの十代半ばの少年とは異なり、今のシルビアは成人の男の肉体を持っていた。こうして光の中で見ると、肩幅が広く上半身がみごとに発達している。どうかすると美女のように妖艶な顔立ちやしぐさにもかかわらず、肩の付け根は筋肉のために盛り上がっていた。
 頭上高くにあがっていたシルビアの腕がしなり、背中が反った。腕は白鳥がはばたくように背後で別れ、両側へ降りた。シルビアは目を閉じたまま大きくのけぞり、グレイグは天地逆さになった顔を眺めることができた。
 シルビアが目を開いた。
「アラ、そこで何をしてるの?」
大きめの口元がにっと笑った。
 眠れなくて、とグレイグは答えようとした。だが口を突いて出たのは別の言葉だった。
「おまえは美しいな」
男らしく筋肉をまとった身体は厚みを持つと同時にしなやかで、力強く、指先に至るまですべてのパーツが完璧なコントロールの下にある。
「ありがと」
照れるでも卑下するでもなく、あっさりとシルビアは答え、片手を草地についてひと呼吸で立ち上がった。
「起こしちゃったかしら?」
グレイグは燃えさしになった焚き火のそばの丸太に腰を下ろした。
「いや、もともと寝付けなかったのだ」
「そう。アタシも」
そう言ってシルビアはグレイグの隣に座った。
 どんな顔をしていいかわからずに、グレイグはただうつむいた。
「その……」
くすっとシルビアは笑った。
「なんでグレイグの方がどぎまぎするの?」
 不思議なことにゴリアテだとわかってしまうと、隣にいるのはかつての修行仲間ゴリアテ以外にありえない。奇抜な服装や言動は、人の警戒心をほぐす仕掛けであると同時に、身を守る鎧のようなものなのだろう。鎧の下の生身の身体は、気配、くせ、匂い、表情、どれをとってもゴリアテそのものだった。なぜ気づかなかった、とあらためてグレイグは思った。
「やっとわかった。おまえの匂い」
シルビアは微笑みながら片手を自分の首筋に這わせた。
「こんなもの、よく覚えていたわね。オー・ド・ネレイスよ」
ソルティコの近郊に咲く花から抽出する化粧水だった。
「昔は不思議に思わなかったが、香水などよく師匠が許したな」
シルビアは焚き火を見つめた。
「パパはこの香りが好きだったのよ。これはもともとママが使っていたの。アタシが今髪に使っているのは、そのアレンジ」
シルビアの横顔をグレイグは見上げた。
「……怖くはないのか」
シルビアは肩をすくめた。
「怖いわ」
 ミシェルから言われたことは肝に銘じている。シルビアさんに余計なことを言わないでください……。
「お前はてっきり、騎士になるものと思っていた」
ああ、言ってしまった、とグレイグは思った。
 そうね、とシルビアがつぶやいた。
「知っての通りアタシは子供のころから騎士になるべく、徹底的に鍛え上げられた。だからアタシはずっとあの町で騎士として生きていくものだと思ってた」
グレイグに取ってソルティコは、十三の年から五年間、かけがえのない時代を過ごした町だった。青い海と白い家々の、太陽の光り輝くあの町。
「あの町はお前に似合っていたぞ。俺はずっとそう思っていた。だが、やはりお前は、外の世界へ出て行きたかったのか?」
シルビアは首を振った。
「そりゃ、外の世界を見たいと思ったことはあったわ。でも、パパがいたし、迷いなんて持っちゃいけないって思ってた。そんなときだったわ。サーカス団が来たのは」
シルビアは片手を喉へあてた。
「そのサーカスのショー、とにかく面白くって!不思議と体の中からチカラが湧いてくるの!アタシはサーカスのパワーに魅せられたの!」
喉に当てた片手を、シルビアは夜空へ向かって伸ばした。キラキラとシルビアの目が輝いている。グレイグは、その手を伸ばした先に幻のスポットライトを見たような気がした。
「そしてアタシは確信したわ。笑顔は人を強くする!アタシの騎士道はこれだ!ってね。毎日そのことばかり考えていたの。そうしたらパパに怒られたわ、ただでさえ軽い剣が迷いのせいでグダグダだって。ふふ、グレイグ、アナタを見習え、って言われちゃった」
グレイグは口を開きかけてまた閉じた。師匠のジエーゴ自身は攻撃も守りも超一流の剣士だった。ジエーゴからすれば、ゴリアテはやや軽量級に見えることはグレイグも知っていた。
「だからアタシ、いまの自分に必要なのは旅芸人の修行だってパパに打ち明けたら」
グレイグはぎょっとした。
「まさか、本当に師匠にそんなことを言ったのか?」
シルビアと目があった。シルビアは笑って肩をすくめた。
「ええ。見る見るうちにパパの形相が変わって、いきなり怒鳴られたわ、『この大馬鹿もんがーっ!!』って」
「当たり前だ。ったく、よりによってあのジエーゴさまに」
グレイグは身震いした。
「度胸がありすぎだぞ。なるほど、大ゲンカになるわけだ」
 グレイグの耳に、修行時代にさんざん聞いた師匠の雷のような大声がよみがえってきた。
――世界中を笑顔にするだと?世間様をなめくさりやがって、んなことができるもんけぇ!おめぇ、いつのまに頭ン中に甘ったるい砂糖菓子を詰め込んできやがった!いいかげんにしやがれ、このすっとこどっこいがっ!!
 シルビアは闇に向かって人さし指をつきつけた。
「そのとき言ってやったのよ。『世界中の人たちみんなを笑顔にできるような、アタシにしかできない騎士道を極めてやる!』」
――できるかできないか、やってみなきゃわからないじゃないか!パパのわからずや!剣を振るうだけが騎士道じゃない、少なくともぼくの目指す騎士道は違うよ!見てなよ、ぼくにしかできない騎士道を極めてやる!
「それまで絶対に帰らない!……って屋敷が壊れるくらいパパと大ゲンカして、アタシは家を飛びだしたってわけ」
やれやれ、とシルビアは目を閉じて首を振った。
 沈黙が訪れた。グレイグは灰の中の燃えさしを見ながらつぶやいた。
「本当に、行く気か」
静かにシルビアが答えた。
「ええ。その時が来たの」
「今のままのおまえが?」
シルビアは神経質に両手を握り合わせ、人さし指の関節に前歯をたてた。だが、答えには迷いはなかった。
「ゴリアテが行くのではだめなの。シルビアでなけりゃ」
「この意地っ張りが」
ぼそっとグレイグはつぶやいた。
「しょうがないわ。親譲りですもん」
シルビアは薄く笑った。
「パパやアナタに認めてもらえないのは残念だけど、アタシはシルビア、それ以外の何者でもないの。それだけは譲れない」
待て、とグレイグは言った。
「俺はシルビアを評価しているぞ」
「アラ、騎士気取りの軟弱者じゃなかったの?」
どう説明しようかとグレイグは迷った。
「俺はここ数日“シルビア”とつきあって、戦友として尊敬できると思った。おまえの剣は針の穴を穿つほど速く巧みだ」
シルビアの口元がほころんだ。
「アナタ、初めて会ったころもそう言ったわね」
「そうだな。昔から変わらん」
「あのころのアタシは、パパに近づきたくて、でも追いつけなくて、キリキリしてたの。アナタがうらやましかったわ。力で劣っても技で勝つやり方を一生懸命探してた」
「キリキリしていたようには見えなかったな」
「見せやしないわよ」
ん、とシルビアはつぶやいた。
「アタシ、意地っ張りじゃなく見栄っ張りなのかもしれないわ」
やだわぁとシルビアは苦笑した。
 自分がこの場にいなければ、こいつは心おきなく泣きじゃくることができたのかもしれない、そう思った時、グレイグの心の中で何かがふつふつと沸き上ってきた。矢も楯もたまらず、グレイグは沸き上る思いを口に出した。
「ゴリアテ、いや、シルビア。おまえのナカマたちのことだが、最後の砦へ預けることを考えてみないか?」
グレイグがそう言うと、シルビアは目をみはった。
「最後の砦でなければドゥルダ郷はどうだ」
「待ってよ、グレイグ」
なんと説明していいかグレイグにもわからなかった。いつのまにかどっぷりとゴリアテ/シルビアに感情移入していることをグレイグはやっと自覚した。
「師匠が何とおっしゃるかおおかた見当がつく。俺は」
グレイグはようやく言葉を探しあてた。
「おまえがすべてを否定され、傷つくところを見たくない。見ていられる自信がない」
 ジエーゴは確かに一人息子を愛していた。同時にゴリアテも、父を慕い、追いつこうとあがき、愛情表現や肯定の言葉を強く求めていた。どちらの気持ちもわかる。だが、シルビアが傷つくどころか壊れていくのを予感して、グレイグは耐えられなかった。
 シルビアは両手でグレイグの頬をはさみ、自分の方へ顔を向けさせた。
「グレイグったら」
「頼む!おまえはずっとやせ我慢をつづけてきた。今もそうだ。ときには逃げることを考えてもいいのではないか」
シルビアは静かに首を振った。バンデルフォンから嫁いできた伝説の歌姫の顔でシルビアが微笑んでいた。その微笑みを見て、シルビアは本当にやるつもりだとグレイグは確信できた。
 説得できないとわかっても、グレイグは言わずにはいられなかった。
「昔ソルティコで会った老爺は言っていたぞ、『太陽だって、たまには雲で顔を隠して泣きたいときもあるんじゃないのかね』と」
「泣いてるのはアナタよ?」
グレイグは赤面した。
 グレイグの目尻からシルビアの指が一滴の涙をぬぐいとり、両腕を回してグレイグを抱きしめた。
「パパの前に胸を張って出られないのはわかってる。」
母親が乳児を寝かしつけるように、シルビアはグレイグの背をそっとたたいた。
「パパがアタシを受け入れてくれないことも覚悟してる。でも、これからの魔王との戦いに、パパの協力が必要なの。それを説明すれば理解してくれるって信じてる」
「そんなにうまくいくのか」
「説得してみせるわ」
「ほら、またカラ元気だ」
「カラ元気でもないよりましよ」
 自分の肩に回された腕がかすかに震えていることにグレイグは気付いた。
「おまえ、震えているぞ」
「そりゃ、怖いのは同じですもん」
シルビアの腕がグレイグにしがみついた。人の身体のぬくもりと、どこか海を思わせる香りにグレイグは包まれた。
「俺が手伝ってやれるものなら、何でもするのに」
「それなら祈って、グレイグ。アタシが勇気を出せるように」
――こんなときでもおまえは優しすぎる。