捜神アレフガルド 9.魔法使いムツヘタ

 ゴーレムは両腕を落とされ、その場にうずくまり、動かなくなった。メルキドの城壁から歓声が沸き上がった。
「兵士長、ゴーレムを引き取りますぞ。人数を出してくだされ」
はっと敬礼して兵士たちが降りていった。ムツヘタは魔法使いを呼び集め、ゆっくり地階へ降りた。
 門のあたりでは市民と兵士がへっぴり腰でゴーレムを取り巻いていた。
「もう、動かねえよ」
草色の上着の若者がそう言い捨てて、民衆のなかを通り抜けて町へ入ってきた。
「あんたたちがやったのか」
感嘆して兵士の一人がそう言った。革の鎧をまとった斧使いの男が振り向いた。
「壊して悪かったな。この町の人が困ってるって聞いたもんで」
兵士長があわてて敬礼した。
「いや、すまん。うちのゴーレムが狂いだして出入りができなくなり、市民が困窮していたのだ。感謝する」
 ムツヘタは進み出た。
「わしからも御礼申し上げる。ゴーレムはわしらの管理の下にあったのだが、いきなり狂いだして困っていた。わしらが引き取って、どこがいけなかったか調べてみよう」
革の鎧の戦士はその場に立ち止まり、複雑な表情になった。
 ふとムツヘタは、その男に見覚えがあると思った。
「主席魔法使い、ムツヘタさんだろ?」
と彼は言った。歴戦の戦士の落ち着きを身につけていたが、若者はどうかすると十代かもしれない若さだった。
「いかにも。ああ、ラダトームでお目にかかった方かな?わしと同じ名前の魔法使いを探しておられた」
若者は寂しげなほほえみを浮かべた。
「いや、その、訪ね人はもういいんだ」
「おやおや。今は新しいお仲間がいるようだな」
黄色い上着に赤いバンダナの槍使いも、変わった形のサークレットをつけた草色の上着の剣士も、それほどの年ではない。後から来た紫のマントの男はそれよりやや年上に見えた。彼によく似た十ばかりの少年とは親子だろうとムツヘタは思った。
「あなたがたは?」
紫のマントの男が答えた。
「勇者アレフと仲間たちです」
「ほう」
とムツヘタは言った。革の鎧の戦士はちょっと首を振ったが何も言わなかった。
「メルキドへは、何のご用かな?お礼と言ってはなんだが、わしでお役に立てることがあればおうかがいしよう。なにはともあれ、休まれては如何。門が開いたので食料もふんだんに使えますぞ」
戦士たちは互いに視線を交わした。
「ご厚意に感謝する」
と革の鎧の戦士が言った。

 魔法使いたちはメルキドの町の中央に、立派なギルドハウスを持っている。ムツヘタはその中に自分の研究室と自宅を構えていた。
「こんなに大勢でおじゃまして大丈夫でしょうか」
とエイトが言った。
「主席魔法使いのゲストルームはけっこう広いよ」
アレフが答えると、ムツヘタがこほんと言った。
「各地から魔法使いの卵がこの地を訪れますのでな。どうぞ、こちらへ」
階段をあがりきると、長い廊下へ出た。
「お荷物はおありかな?この奥の方に大きめの部屋がいくつかありますぞ。ベッドは三つづつじゃ。よろしければ旅の荷を解いてくだされ。終わりましたら研究室へどうぞ」
ムツヘタの研究室は、いかにも魔法使いの部屋らしい雑多な品物であふれていた。長い楕円形をした部屋で、四方の壁はすべて書棚だった。部屋の主の多様な興味のありかを示していて、以前訪れたときとまったく変わっていない。アレフは思わずほほえんだ。
「ちらかしておりますが、まずはお座りなされ」
中央にやはり楕円形の大きなテーブルがあった。作業台をかねているテーブルの上のフラスコやガラス瓶、水晶玉、天体図、羊皮紙の巻物と言った品を片端へ避けて、ムツヘタは一行を座らせてくれた。
「先ほど使っておられたのは聖雷呪文とお見受けした。理論上の存在だった珍しい呪文の使い手が三人も揃うとは驚き入ったることじゃ。どのような術式を使われるかお聞きしてもよろしいかな?」
その、とつぶやいてアレフはフォースたちを見た。
「それ、アウトな。企業秘密なんで」
ぼそっとフォースが言った。
「あんたも魔法使いのはしくれなら、人の作った呪文の出来上がりだけよこせっての、NGだろ?」
ムツヘタはうなずいた。
「その通り。まことに失礼した。年寄りはせっかちで申し訳ない」
「ムツヘタさん、僕たち、別の世界から来ました」
とエイトは言った。
「ぼくらの世界では、デイン系呪文は現役です。使い手は限られてますけどね」
ムツヘタがうなった。
「異世界からの客人か。なるほど」
ムツヘタはきらきらと目を輝かせた。年齢にしてはたいそう好奇心が強く、むしろ彼の意識は少年に近い、とアレフは知っていた。メルキドの主席魔法使いの座を放り出してアレフのパーティに加わってしまったぐらいなのだ。
「そのみなさんが、メルキドへはどういうご用で、とはうかがってもよろしいかな?」
「竜を探しています」
とフィフスが言った。
「世界の転変に立ち会った特別の竜を、ぼくたちは探し出さなくては」
「それは、また」
ムツヘタが絶句した。
「種類はおわかりか?」
「全身を紫の鱗に包んだ大きめの威厳のある竜で、目つきは険しいですが賢そうな顔立ちをしています」
大まじめにフィフスは説明した。
「メルキドの周りはドラゴンの生息地じゃなかったか」
「緑の鱗のドラゴンは時々見かけますがな……このあたりのドラゴンに紫のはあまりいないようじゃ」
フィフスの言う"人相"は、悩みの種だった。ダースドラゴンでもキースドラゴンでもない。そんな竜がいるだろうか。
 突然、お、とムツヘタが言った。
「そういえば、このあいだこちらへ回ってきた旅人からドラゴンの噂を聞きましたぞ」
「旅人?誰ですか?」
「実を言えば、兵士です。ラダトームへ行っていた部隊がメルキドへ戻りまして、そのときに耳にはさみました。ラダトームの東にある沼地の洞窟の中で、紫のドラゴンを見た、と」
アレフたちは顔を見合わせた。
「そこなら、ついこの間通ったが、そんなやつがいたら気がつくと思うんだが」
とアレフが答えた。
あの、と言ったのはレックスだった。
「どうした?」
「あのときあなたは、一本道だって言ってましたよね」
「ああ。トンネルはふつう、一本道だろ?」
レックスは首を振った。
「アレフ、あなたが灯してくれた魔法の明かりの中に、ぼくは分かれ道が見えました」
フォースが顔を上げた。
「そういや、俺も見た」
「ほんとか?だが」
「転変したんでしょ、世界は?」
エイトが言った。
「一本道だったトンネルに分岐ができたのかもしれませんよ」
エイトはムツヘタに聞いた。
「"沼地の洞窟"なんですね、"沼地のトンネル"じゃなくて?」
「その通り」
とムツヘタは言った。
「その兵士は、やはりトンネルの中で道が分かれているなんておかしいと思ったそうです。そちらの方へ進んでいくと、荒い鼻息や牙の鳴る音が聞こえた、のぞきこむと壁の隙間の奥の方に何かいた、と申しておりました」
「何かって」
「恐ろしくてまじまじと眺めたわけではないが、松明の明かりでちらっと見えたのはドラゴンではないか、と」
アレフは呆然としていた。
「"沼地の洞窟"、すなわちダンジョンなら、道が枝分かれしているのがふつうです。アレフ、行ってみましょう」
わずかだが可能性はある。アレフは胸の中で希望が生まれたのを感じた。
「よし、マイラまで戻るか」
「まあまあ、せっかちな方々じゃ」
とムツヘタは言った。
「せめて一晩泊まっていってくだされ。おや、茶がはいったようですぞ」
研究室の扉が開いた。ローブを着た女が大きなポットと人数分のカップの乗った盆を捧げて入ってきた。魔法使いの弟子らしい。もっさりした動作、猫背、ぼさぼさの髪にもかかわらず、その女はまだ若いようだった。
 楕円テーブルのはしに盆をおくと、女は黙々と湯気の立つ茶を注ぎ始めた。
「……どうぞ」
視線を合わせない態度、口の中で小さくつぶやく、しかも短い言葉。彼女にはどことなく、鬱な印象があった。
「ありがとう!」
フィフスが言って、カップを受け取った。
 上に超のつく天然のフィフスは面と向かう者の心を軟化させ、笑顔を引き出す力がある。相手は人間、モンスターを問わない。だが、その女は下を向いてぼそぼそと何か言うだけだった。
 ムツヘタはねぎらうように女に声をかけた。
「ああ、ありがとうよ。人前は苦手だったな。あとはわしがやろう。ご苦労さん、ヒフミ」
がたっと音を立ててアレフは立ち上がった。
「ヒフミ!ヒフミなのか!」
女はびくっとして後ずさった。
「おや、知り合いかな?」
とムツヘタが言った。
「あ、いや」
ムツヘタに、ヒフミと知り合いかと聞かれるとは。なんと答えればいいか、アレフは迷った。ヒフミは正視できないようすで持ってきたトレイを両手で抱え、その陰に顔を隠した。
「この子とはラダトームで知り合いになりました」
とムツヘタが言った。
「どんな目にあったのか、自分のことは名前以外何も覚えていなかったのです。だが、どういうわけかわしのことだけは気に入ってくれたようで、わしから離れなくなりました。そんないきさつで弟子としてメルキドへ連れてきた次第」
「……ヒフミという名の女僧侶を、昔知っていた」
「ほう。確かに僧侶かもしれん。意外なほど理解が早いのですよ。今は回復魔法などは使えないようだが」
マイラ出身のひたむきで明るい少女だったヒフミを、アレフは思い出した。回復魔法には天性の才能があり、努力も怠らない娘だった。
 ほほがこけて見えるほど痩せ、きれいに梳いていた髪もばらけ、目の下が黒ずみ、おびえたようすのヒフミを、アレフは呆然と眺めた。
「ラーレ様の"爪"は、たぶん、ヒフミの心を壊してしまったのでしょう」
エイトがそっと言った。
「今は、関わらない方がいい」
アレフは、ヒフミに向かってのばしかけた手を停め、そのままゆっくりおろした。
「ごめんな、ヒフミ」
アレフは自分の手をきつく握りこんで目を閉じた。
「あのとき、おれがもっとちゃんとおまえの話を聞いてやっていたら」
ドムドーラの後家に嫉妬したラーレが、アレフのパーティのただ一人の女に妬かないわけがない。おそらくドムドーラ事件が起こる前にもラーレはヒフミを憎み、冷たく扱っていたのでは、いや、むしろ苛めていたのではないだろうか。アレフは拳をふるわせながら自分の鈍感を呪った。
 ラーレ。アレフが心中してやれば、素直に神の座を譲るだろうか。いっそ……。
 いきなり何かがアレフの背に触れた。
 はっとアレフは目を見開いた。
 ヒフミだった。
 いつのまにかアレフの後ろに回り、背に抱きついていたのだった。
「……」
聞こえにくい声だった。
「ヒフミ?」
……だめ。そう聞こえた。
「だめだよ」
「何が」
前に回したヒフミの、老婆のように皺だらけになった細い指の手をアレフは握り、聞き返した。
「しんじゃ、だめ」
アレフは息をのんだ。
「あなたは、いきて」
背が、湿り気を帯び、やがて一カ所だけ濡れてきた。ヒフミの涙だった。ヒフミの手を握ったままアレフは立ち尽くした。
「ごめん、ヒフミ」
勇者として戦ってきた日々を通じて、これほど己の無力を実感したことはなかった。
「おれは世界を救うことはできなかった。けどおまえだけは、おれがなんとかする」
それが、一度でも勇者と名乗った者のつとめだ、とアレフは思った。