捜神アレフガルド 6.国王ラルス16世

 助っ人の活躍の陰でロッコたち傭兵も避難民を守ろうと動き出した。
「あと、もう少しだな」
避難民の群れはほとんどリムルダールに収容された。橋は、だが、あがるのではなく、逆に兵士たちを吐き出した。ラダトームからリムルダールに派遣されている国王軍の正規兵だった。
「助かったぞ」
ロッコを含め傭兵たちは安堵した。
「この子を預かってくれ!避難民の中に母親がいるはずだ」
「わかった!」
 ロッコは振り向いた。アレフ初めかけつけた戦士たちは返り血を浴びていた。けして無傷ではなく、顔や手足、衣服などに細かい傷ができていた。が、敵を見据える目は鋭く、武器を操る動作は機敏だった。ゆだんなく身構え、時にふと、笑みをもらした。勝ちを確信したファイターの、余裕の笑いだった。
「手の空いたやつは来い!」
とロッコは叫んだ。
「掃討戦だ!」
雄叫びをあげて傭兵たちは戦線へ参加した。数で押すつもりのリカントが、押されそうになって動揺した。
「行ける!」
ロッコは前へ飛び出した。リカントは逃げ腰になった。心なしか、鋭い爪の輝きまで鈍って見えた。よし、と確信してロッコは剣を頭上からたたきつけた。が、踏み込みが足らなかった。
「ちっ」
--おまえいつも、一歩足らないよな。
誰かの声が唐突に耳の中でこだました。リカントは身を翻して逃げようとして、そしてその場にたたらを踏んだ。
「相変わらず、一歩だけ甘いな」
リカントの前に、斧を構えたアレフが立ちふさがっていた。その一瞬を捕らえてロッコは再び剣をふるった。爪で受けきれず、リカントは倒れた。
 ロッコは肩で息をしていた。
「なんでだ?」
とロッコは言った。
「おれ、本当にあんた……おまえといっしょに戦ったことがあるのか?まじか?」
コンビネーションを、覚えていた。ロッコの身体そのものが。
 アレフは複雑な表情をしていた。
「ああ。あるんだ。けど、もう、忘れてくれ」
かすかに目を細めるような表情でアレフはわずかに笑い、きびすを返した。掃討戦は終わり、アレフは自分の今の仲間のところへ戻っていく。
「あ、おい……」
思わずロッコはアレフの背中に向かって言った。
「よくわからんが、おまえ、がんばれよ」
アレフは振り向かなかった。一瞬だけ足を止め、視線も合わせずに背後へ向かって上げた片手が、彼の最後の挨拶だった。

 その夜一行はリムルダールで一泊した。リムルダールは町の周辺を深い濠で囲った独特の作りをしている。アレフたちが泊まった宿は濠の近くにあり、寝る間もさざ波の音が聞こえていた。
 翌日の朝宿を出たとき、宿の入り口に兵士たちがやってきた。昨日の襲撃の時遅ればせながら反撃に出たリムルダール守備隊だった。
「失礼ですが」
思ったよりも丁寧に兵士は訪ねた。
「アレフ殿でしょうか」
「おれはアレフだが」
壮年の兵士長は敬礼した。
「数日前に、ラダトームの王宮を訪ねてこられましたか?」
俺は勇者だ、と名乗って爆笑されたのは苦い記憶だった。アレフは渋々うなずいた。
「それは、おれだ」
なんだ、なんだ、と後ろからフォースたちがのぞきこんだ。場合によってはひと暴れしてやるか、とアレフはこっそり考えた。
「国王陛下が貴殿を捜しておいでです。ラダトームへお戻りください」
ごく事務的に兵士長は言った。
 アレフは虚を突かれた。
「しかし、あの時は、王はおれのことなど知らんということだったが」
「本官には事情はわかりませんが、王都より、貴殿の人相に一致する人物がリムルダールを訪問したら今の伝言を伝えるようにと命令がありましたので」
アレフは仲間たちの顔を見回した。
 レックスは戸惑っているようだったが、エイトはうなずいた。
「アレフ、ラダトームへ戻りましょう」
「しかし、祠の賢者が正しいなら、誰も俺のことを覚えていないはずだが」
「でもこのあとメルキドへ魔法使いのムツヘタを探しに行くなら、ラダトームへ向かうしかない」
リムルダール島南端からメルキドへ渡れればよいのだが、アレフガルドの内海から外海へ出入りする海流は実に強くしかもランダムに変化するため、リムルダール島の北端、南端は橋もかけられず船でわたることもできない。メルキドへ行くには、遠回りが必要だった。
「しかたないな」
最初の目的だった金稼ぎも、目標額はクリアしていた。
「わかった。これからラダトームへ向かう」
そう答えると兵士長は、無事をお祈りしますとだけ言って帰って行った。連行する気はもとより、ついてくるつもりさえなさそうだった。
「ほんとに伝言だけだな」
「あなたがラダトームからどこへ行ったかわからなかったんでしょう。たぶん、全部の町の守備隊が同じ命令を受けているんじゃないでしょうか」
キメラの翼を使ってラダトームまで一行はあっさりと帰ってきた。仲間たちは、王の意図を推測しかねていた。
「とりあえず、俺はあのとき直接王に会ったわけじゃない」
「兵士たちが勝手にあなたを追い出したわけですね」
そのあと王が、勇者アレフと名乗る者が来たのを知って探させているというわけか。
「ま、あのときのムナクソ悪い兵士たちが叱責されたと思うと、ちょい溜飲はさがるな」
一泊したあとのルーラなので、HPMP満タンだった。一行はすぐに城を目指した。
 ラダトーム城は臨戦態勢だった。城門の開口部を狭くして、歩哨の数を増やしている。気楽なようすの者はほとんどおらず、どの兵士も警戒しているようだった。
「ラダトームの城へようこそ」
兵士の一人が、それでも来訪者に対してそう挨拶した。
「こないだ言って欲しかったんだがな」
やっと入れてもらえた城内は、アレフが生まれ育った城と見た目上、代わりはなかった。
「聞こうと思ってたんですけど」
「ああ?」
おそるおそるという感じでレックスは言った。
「さらわれたというローラ姫は、あなたの妹にあたるんですか?」
「それなんだが。俺は男兄弟の三人目で、姉も妹もいない」
「じゃ、これも転変ですか」
「たぶんな。一番上の兄は人望があって次期国王に決まっていた。二番目の兄は頭が良くて教会に入って学問をやってた。ゆくゆくは教会の長になると言われていたよ。で、おれは末っ子だった。あまり取り柄もなくて、将来は軍に入って食っていくつもりで剣だけは修行していた」
アレフはため息をついた。
「だから、うれしかったよ。女神ラーレがおれを勇者に選んでくれたときはな」
入城するときに来意を告げておいたので、アレフ一行はほとんど待つこともなく国王の謁見の間へ招き入れられた。
 広い謁見の間の奥の玉座には、威厳のある男性が座っていた。玉座の周辺に居る者がすべてラダトームの軍事関係者だとアレフにはわかった。軍の将軍たちはそれなりの家柄の貴族が多いのだが、派手に着飾った者はいない。王の前にアレフガルドの地図を示して、真剣に国防の計画をたてていたようだった。
 王はアレフたちがやってくると、周りにいた者を下がらせた。
「勇者アレフと三人のお仲間の方、御前へお進みください」
事務的な口調で兵士がそう言った。
王はじっとこちらを眺めていた。アレフはその前に進み出て片膝をついた。
「アレフよ」
と王は言った。
「パーティを変えたのか?」
驚いてアレフは顔を上げた。
「父上……ですか?」
「答えは是であり、非でもある」
と国王ラルス16世は言った。
「現実にはわしはローラ姫の父、アレフガルドの王、ラルスだと頭ではわかっている。だが、心にはどうしようもなく別の記憶が残っている。太陽女神ラーレに捧げた末息子の父親としてな」
アレフは呆然としていた。
「なぜ」
「なぜと聞くのか、おまえが。我が一族は記憶をつかさどり、冒険の書を管理する家系だと知らなんだか」
ごく冷静にラルス王は言った。
「我が家にはその管理のために特別な才が伝わっているのだ。特に、王位継承者はその才のある男子に限られる。おまえはそうではなかったが」
「では、上の兄上が」
「ああ。今はおまえの兄たちとも、親子の関係はないのだ。わしの甥たちということになった。次男が教会入りしているのは変わらない。長男は、ローラが婿を迎えなければやはりわしの跡継ぎとなるだろう」
は、と言い掛けてアレフは妙な笑いがこみあげてきた。
「くそっ、最初から会っていればリムルダールの南まで行かなくてもよかったのに」
「兵士たちを責めるな。あの者たちがおまえのことを記憶していられる可能性はなかったのだから」
「わかっています」
「もうひとつ言っておくと、聖なる祠の長老はおまえの大叔父にあたる方だ。あの方は、才がありながら王位を継がなかったのだ」
「でも長老殿は、女神ラーレが主神の座から追われる原因についてはご存じありませんでした」
「そのことなら、手助けできよう」
ラルスが視線を隅へ向けて合図すると、従僕がうやうやしくクッションに載せて大判の装丁の分厚い本を持ってきた。王は本を受け取ると従僕が壁際へ下がるまで待った。
「これはおまえの冒険の書だ。ここに書いてあることはすなわちおまえが知っていることだけだが、わしはムツヘタから話を聞き、余白へ書き記しておいた」
「ムツヘタが?いつ?」
「おまえたちが冒険の書を更新に来た直後だ。ムツヘタはおまえたちといっしょにやってきて、一人、残った。そして思い詰めた顔でわしに打ち明けたいことがあると言ってきた。
 わしは、その前からおまえのパーティの間にわだかまりがあることを感じていた。暗い表情や立ち位置の離れ方からして、おまえとロッコに対して、ムツヘタとヒフミが何か含みがあるような気がしてしかたがなかった。以前、侍従を通じてムツヘタにわしに話したいことがあるならいつでも聞くと言っておいたのだ。ここだ。"このごろの女神ラーレ様のなされようが解せませぬ"とムツヘタは言った」
王は大きな本の半ばを開いた。
「アレフよ、こんなことがあったのを覚えているか。フィールドから町に入ったとき、町の門のすぐそばで、借金取りの一団が若い未亡人を取り囲んでいたのだが」
ああ、とアレフは言った。
「夫を亡くした若い妻と、その母に当たる老婆と子供だったな。借金取りは、夫が生前つくった借金を若妻の身柄で払えと圧力をかけていた。女と老婆は平謝りだった。幼い子は泣いて母親にとりすがっていた」
「おまえたちはほっておけずに介入したのだな?」
「もともとムツヘタが、いくらの利率で何ゴールド借りたのか聞き出して、計算が違うと言い出した。俺もロッコもよくわからなかったが、ムツヘタには金貸しが借金を水増ししたのがわかったようだった」
「それからどうした?」
「俺らは、ムツヘタが元金から利子を計算し直して出した額を、やつらの目の前に積み上げてこう訊ねた。この金でチャラにして証文を返すか、それともここで成敗するか、と。借金取りは元締めを呼んできた。元締めの方が話がわかるみたいで、手下を一喝して金を受け取り、証文を目の前で焼いてくれた」
「おまえたちが金を立て替えたわけだな。借金持ちの親子は喜んだだろう」
「おれたちは何度も礼を言われた。その夜は一家にもてなされ、その家に泊まった。身売りを免れた未亡人は涙まじりだったし、幼い子もおれらになついてくれた。だが……」
アレフは言いよどんだ。王が言った。
「ムツヘタの話では、パーティが町を出発した翌日火事が起きたということだった」
アレフはうなずいた。
「原因はわからない。とにかく、俺たちが次に同じ町へ立ち寄ろうとしたら、町がなくなっていた」
「なくなった?」
思わず口に出してしまい、レックスが手で口元を抑えた。アレフと王はいっしょにレックスの方を見た。
「俺の今の仲間だ。グランバニアのレックス。それと、トロデーンのエイト、ブランカのフォース」
レックスは片手を胸に当てた。
「口を挟みましてすいませんでした、アレフ、そして国王陛下」
いや、と王は言った。
「レックス殿、せがれのパーティの一員にしてはずいぶんとお若いようだな」
「ぼくは八歳の時に旅立ちましたから、戦闘歴は1年ほどになります。アレフ、今の話ですが、その町に何があったのですか?」
「火事があったのは確かだな。おれたちはあの一家が生き残ってはいないかと、手分けして焼け跡を調べたが、だめだった」
「アレフよ」
と王は言った。
「火事には違いない。だが、過失の出火でも落雷でもない。町ごと焼かれたのだ、太陽によって」
アレフは目を見開いた。
「おまえたちが火事の後で町へ寄った時、ヒフミは僧侶として、おまえたちと離れてけが人の溜まりへ行って治癒につとめた」
そういうときにヒフミは病人けが人を前にじっとしていられない性分なのだ。何より、僧侶は普通、“そこに傷ついた人がいるかぎり癒す”という誓いをたてていた。
「ヒフミは負傷者の溜まりであの一家の老婆とめぐりあった。激しい火傷のためにまもなく老女は亡くなった。が、死の前にヒフミに打ち明けていたことがあった」
アレフは予感の前に唾を飲み込んだ。
「老女は火事の起きた夜のことを伝えた。美しい女神が激しい怒りの形相でその一家の若妻を寝床から引きずり出して宙づりにしたのだそうだ。『肥溜め臭い百姓女が、よくも勇者に色目を使いおって、ずうずうしい!』と激しくののしった。老婆と子供が驚いて騒ぐのを忌々しげに睨み、『こうしてくれる!』と叫んだかと思うと真夜中の空にいきなり太陽が出現し、ありえないほどの大きさとなった。あたりの気温は真夏の日中ほどにあがり、さらに上がり、ついには木造の家々が勝手に火を噴いて燃え始めた」
アレフは唾液を飲み込んだ。
「太陽の女神ラーレか……!」
王はうなずいた。
「女神の怒りの前に人間の町一つ、とうてい持ちこたえることはできなかった。真っ白な光の中にすべては炎を噴き、人々は逃げまどって髪を、皮膚を焼かれ、水を求めて井戸に群がったが、無駄だった。聞いたことの恐ろしさにヒフミは戸惑い、悩み、ムツヘタにだけは打ち明けていた」
「まさか、女神が」
エイトが背後でつぶやいた。フォースは首を振った。
「女神ラーレの罪はふたつ。怒りにまかせて人間の町をひとつ滅ぼしたこと、そして、女神の身でありながら、人間の勇者を独占しようとしたこと」
アレフは、自分のことかと言おうとして、手のひらで顔を覆った。あまりのことに言葉も出なかった。
 乾いた音がした。冒険の書が閉じられたのだった。
「女神の憎悪は激しく、その町は転変が起きたあとも命の気配は戻らなかった。やむなくそこは今も砂漠の中の廃墟となっている。町の名はドムドーラ。女神ラーレの嫉妬によって滅んだ町だ」
しばらくの間、誰も口を開かなかった。
「無理だ」
とアレフはつぶやいた。
「ラーレ様を主神の座に戻すのは、もう、むりだ」