捜神アレフガルド 11.精霊ルビス

 アレフの体は自然に動いた。身を屈め、武器を足下に置いた。膝をついた姿勢のまま、アレフは頭を垂れた。
「ラダトームのアレフ、御前に」
背後で、こと、こと、と音が続いた。勇者たちがそれぞれの得物を置き、精霊女神に礼を尽くしているのだった。
「トロデーンのエイト、お招きを受けました」
「ブランカのフォース、参上」
「グランバニアのフィフスとレックス、お召しにより参りました」
かぐわしい芳香が広がった。女神が玉座を立ったのだとアレフは悟った。
「お立ちなさい、みな」
とルビスは言った。
「まず、礼を言わねばなりません。私の理(ことわり)の外にある者たちであるにもかかわらず、よく来てくれました」
ルビスは玉座を降り、アレフの目前までやってきた。
「そしてアレフよ、あなたには詫びを言わねば。あなたには何の責任もないことに巻き込んでしまいました」
「俺は」
とアレフは言ったきり、うまく続けられなかった。
 わかっています、という仕草でルビスは手を軽く上げた。
「太陽女神ラーレには、何も含むところはありません。ただ、神々の決定が下った以上、アレフガルドの現在と未来に責任を持つのはこのルビスです。彼女を、下さなくてはなりません」
そよ風のように優しいが、同時に厳然としている。女神の女神たる所以だった。
「ラーレ様のしたことが許されるべきだ、とは思っていません」
重い口をアレフはなんとか開いた。
「ですが、ラーレ様を下す前に、説得させてもらえませんか」
ルビスはじっとアレフを見つめた。
「何と言うつもりですか」
答えようとしてアレフは自分が、何も言うべきことを持っていないことに気づいた。
「申し訳ない。甘えだとわかっています。ラーレ様が俺の言うことなら聞いてくれるんじゃないか、なんて」
「あの方は」
とルビスが言った。
「女神であることに耐えられなかったのです」
男たちは、はっとしてルビスを見た。
「力に伴う責任を私たちは負う。でも神格を得る前に持っていた人格がどうしようもなく騒ぐ時がある」
かすかに自嘲を含んだ口調でそう言った。
「ラーレ様にあなたがしてあげられることは、女神の立場に戻して差し上げることです。けして、人格、太陽女神として祭られた少女に語りかけることではない」
あの、と言ったのはフォースだった。
「おれ、ひとつ聞いていいっすか」
美しいまなざしをむけてルビスはうなずいた。その顔をまぶしそうに見て、フォースは言った。
「ラーレ様ってアレフガルドをクビになったら、その後どうなるん?」
ルビスはため息をついた。
「裁きが行われるでしょう。償いの詳細はそのときに決まります」
気の強い少女のようなあの女神がどんな目に遭うのか、と思ったときアレフはせきこみそうになった。
「どんな……っ」
「外界から隔離しての幽閉ですが、その期間は決まっていません。有限か、無限か、も」
ひとたび神格を得た者に"死"はない。それにあたるものは忘却だった。もし無限に幽閉されるのなら、彼女は完全に忘れ去られることになる。
 ふわ、と衣を翻してルビスが動いた。
「今、ラーレ様は、怒りと悲しみのあまり、狂われておいでです。女神である自己を保てずに怒りの化身となっている。悪いことに、このアレフガルドの太陽はいまだに彼女の意のままです。怒り狂ったラーレ様は、むしゃくしゃするというだけの理由で太陽を握りつぶしかねないのです」
ルビスは目を閉じた。たまご型の色白の面に、薄紅色のまつげが二つ、ちいさな三日月のように影を落とした。紅の唇が開いた。
「そんな罪を重ねたら、どうなることか。ラーレ様のためにも、どうか、あの方を鎮めてください」
 仲間たちは黙ってアレフの決断を待っていた。アレフはうなずいた。
「俺がやります」
と、アレフは言った。
「おれは太陽女神に捧げられた勇者。総てのカタはこの手でつけます」
ルビスは目を開いた。
「辛い思いををさせることになりますね。せめて、これを」
薄物をまとう手が上がった。
 魔力だ、とアレフは実感した。波のように魔力が覆い被さってくる。息もできない、と思った瞬間、さなぎのようにそれは柔らかくまとわりつき、次いでぱりんと割れて砕け落ちた。
 パーティ全体がその波に呑まれたようだった。全員がとまどって自分の腕や体を確認していた。ルビスは装備に魔法をかけたらしい。もともと武器はともかく防具はほとんど使っていなかったメンバーが、全員新しい鎧を身につけていた。
「おれも?」
 気がつくとアレフは全身に重みがかかっていた。やはり、鎧だった。ついさきほどまで装備していた革の鎧がなくなり、金属のプレートアーマーに覆われていた。目の覚めるような美しい青い鎧で、胸にルビス神殿の床の装飾タイルと同じ金の鳥の紋章が描かれていた。
 同じデザインで統一された兜、盾が付属になっている。そして、背中に背負っていた鉄の斧は両手持ちの大剣と化していた。
 くっくっく、と声を立てて誰かが笑った。
「おまえの紋章をつけた鎧を着せて勇者をラーレの目の前に突き出すか。なるほど女の嫌がらせは陰湿なものだな」
黒いローブを身につけた背の高い魔法使いが立っていた。金の眼球、黒の縦長の虹彩、ローブのフードで覆った頭は中の角のためにハート型にふくらんでいる。ヒト型をとった竜王だった。竜形だった時の貴族的な雰囲気はそのまま、なぜか邪悪さと華やかさが増しているようにアレフには見えた。
 ルビスは竜王に視線を投げ、きびすを返して玉座へ戻った。
「自分がするからといって、他人まで同じだと思われては困ります」
華奢な乙女の外見にかかわらず、ルビスは竜王のいいがかりを受けとめて投げ返した。
 漆黒のローブを翻して竜王はルビスに近寄った。
「正直に言うがいい。あの女が目障りだろうが」
にやにやした表情、なれなれしい態度で玉座の背もたれに手をかけ、竜王は精霊の顔を近々とのぞきこんだ。
 空気を裂くような音を立てて、アレフは剣の切っ先を竜王の目の前につきだした。
「下がれ」
ほんの一瞬、竜王は殺気に反応して身をこわばらせた。
「ほう、ナイト気取りか」
竜王の視線がアレフと、その背後でじっと見守っている仲間たちを探った。
 玉座から手を離し、竜王は壇を降りてきた。
「おまえとはやがて戦うことになるだろう。そのツラ、おぼえておこう」
尊大にそう宣言すると、ふっと竜王は消え失せた。
 さあ、と気を取り直すようにルビスは言った。
「ラーレ様はアレフガルド内海の孤島、イシュタル島にいます。私の力でそこへ送りましょう。準備はよいでしょうか?」
アレフは仲間たちを見た。彼らは気合いのこもった視線を返してくれた。
「十分です、ルビス様」
再び女神の力が解放された。

 戦闘用のブーツがいくつもダンジョンの床を蹴る。走る靴音は壁や天井に反響した。アレフは抜刀して先頭に立っていた。
 先ほどからレミーラを連発して一行はまっすぐにイシュタル島の地下最深部を目指していた。ダンジョンを守るモンスター、すなわちスターキメラ、ダースドラゴン、悪魔の騎士らは近寄ってくると同時に一行が切り捨てて進んでいた。
「お急ぎなさい」
と最後にルビスは言ったのだった。
「アレフと仲間たちが、このルビスと接触したことはおそらくラーレ様の知るところとなったでしょう。怒りに火を注いでしまったとしたら、今にもアレフガルド全土は太陽の炎で灼かれるかもしれないのです」
「みんな、頼みがある」
とダンジョンを走り抜けながらアレフは言った。
「ラーレ様は、HPを削られたらある質問をするはずだ。質問を聞いたら手を止めて、俺に任せて欲しい」
「何か策があるのですか?」
とエイトが聞いた。
「あると言えばある、ないと言えばない。俺の勘なんだ。頼む」
わかった、了解、とパーティは口々に承知してくれた。
 ダンジョンを走り抜けたとき、パーティは最後の戦いが来たのを知った。
 最深部は地の底なのに不思議なほど明るく美しいフロアで、水の豊かな庭園になっていた。水路に架かっている橋を渡り、大きめの島にたどりつく。
「あれだな」
アレフは無言でうなずいた。
 さざ波の音がする光まぶしい庭園であるというのに、パーティはぴりぴりした緊張感に包まれていた。
 水上庭園の先の神殿のような建物に近づくと、物音が聞こえてきた。子供の泣き声だった。わめきたてているのではなく、しゃくり声で泣き、つぶやいている。
「どうして……どうしてなの!」
勇者たちは互いに視線で油断するな、と言いあった。
 太い柱、高い天井のその神殿は、一番奥に豪華な玉座を備えていた。人間用にはとても見えない。大の男が三人はならんで座れそうな広い座面は、ふつうの家屋なら中二階ほどの高さにある。その玉座に、少女が一人座っていた。
「あたしだけが悪いの?ひどい、ひどいわ」
うっ、うっと泣きながら少女はつぶやき続けた。
 十四か十五くらいの年に見えた。長い金髪は二つに分け、頭の両側で高く結んでいる。しゃくりあげる表情はむしろ幼く、華奢な手足とあいまって、どうしても子供という印象だった。身につけているのは精霊ルビスの衣装に似た薄物のドレスだったが、裾は朱色、身頃と袖は白、ところどころに金の幅広のリボン飾りをつけてあった。
 アレフは進み出た。
「ラーレ様」
少女、太陽女神ラーレは、片手の甲で目を一気に拭った。
「遅いわ!なんでもっと早く迎えに来なかったの?」
気の強い妹が大好きな兄に甘えるような、独特の口調だった。
「お迎えにきたのではありません」
かっとラーレは頬を怒りに染めた。
「じゃあ、なによ!それにその鎧、なに?あの女の紋章じゃない!どういうこと!」
「"あの女"じゃない、アレフガルドの主神です」
「ひどい!」
噛みつくようにラーレは叫んだ。
「おまえまで私を裏切るの?あんなに目をかけてやったのに!」
ひどい、ひどいと連呼して、ラーレは巨大な玉座から飛び降りた。
ゆっくりアレフは剣を構えた。
「太陽女神ラーレ、願わくは、正道に立ち返りませ」
「私と、戦うの!?」
「やむを得ず」
きりきりきり、とラーレは歯噛みの音を立てた。罵倒しようにも言葉さえ思い浮かばないようだった。
「……こうしてやるっ」
ラーレの姿が爆発した。
「来るぞ!」
灼熱の炎がパーティをなぎはらった。鎧の防御力を頼りに、盾を構えてその背後で防御姿勢をとってパーティはその炎をしのいだ。
「効くなぁ」
「これがなかったら危ないところでした」
勇者たちが装備しているのはルビスに与えられた特別な鎧と盾だった。明るい緑色の鱗が装備品全体を覆っている。ドラゴンメイルとドラゴンの盾は、耐熱性能に特化した装備だった。
「ぐおおっ」
炎を防がれて、それは怒りの叫びを上げた。
 朱色の尾を持った白いドラゴンだった。大きな白い鱗は、まるで中で湯が沸騰しているように一枚一枚がぐつぐつとたぎっている。その目は金の眼球の中の真っ赤な縦長の虹彩だった。
 ドラゴン=ラーレは後ろ足で立ち上がり、巨大な頭を振り上げた。
「レックス君」
とエイトが言った。額は汗にまみれていた。
「これから4ターン、持たせられるかい?」
レックスはエイトの顔を見た。エイトの手には、不思議な楽器が握られていた。
「一人も死なせるな、ということですか?」
「お願いするよ。頼むぞ、タンバリン……うまく行けば、全員テンションマックスだ」
「わかりました!ベホマラー、出し惜しみしませんから」
アレフは残りのメンバーを見た。
「それまで炎系以外の魔法、技などテスト攻撃で。一番効果のあるものを見極めてくれ」
ん、とうなずいてフォースが言った。
「あんた、どうすんだ」
「殴る!」
「男らしーな、おい」
「相手は女の子だが、ドラゴンだ、しかたない」
「責めてるんじゃない、油断すんなっつってんだ」
アレフは踏ん切りをつけるために一度目を閉じた。
「参る」
ルビスの紋章で飾られた大剣を両手で握り、アレフは走って間合いを詰めた。
 怒り狂った太陽竜がこちらを認めて襲いかかってきた。その金の目の中に自分の姿をアレフは見た。
「はぁっ」
つかみかかってきた前足の爪を払い、一撃を与えた。ルビスの与えた剣は、ドラゴンの皮膚を易々と切り裂いた。
「ぐぁっ」
怒りと痛みで太陽竜が吠えた。その口が大きく開く。
「アレフ、下がって!」
レックスが叫んだ。アレフは盾を構えて後退した。
「これがぼくの魔法だって、知ってた?フバーハ!」
テンションアップ・フバーハがパーティを覆った。
「ありがとね、レックス」
フィフスがささやいた。
「うん、でも、ごめんね。タバサが来てたらバイキルトもマヒャドもできたのに」
フィフスの手が、息子の頭をささっとなでた。
「アレフ!」
とフィフスが呼んだ。
「さすが神様だ、デイン系もバギ系も効きにくいよ」
「殴ったほう早ぇ」
とフォースが言った。アレフは心を決めた。
「全員、物理攻撃へ変更!」
おう!と答えて戦士たちはそれぞれの武器を構えた。
 神霊は荒れていた。怒りに我を忘れた太陽の竜は床に長く太い尾をうちつけるように暴れ、前足で、巨大な口で襲ってきた。
 守備力の高いアレフは、前面に立っていた。牙や爪を盾で防ぎ、隙を見て剣で切り裂く。太陽の竜がアレフに気を取られている間に仲間が攻撃を繰り返し、ドラゴンがそちらに意識を向けた瞬間にアレフが一撃を見舞った。
 再三、太陽の竜は炎を吐いた。ドラゴン系装備のおかげで致命傷にはならないが、レックスはベホマラーを連発するはめになった。
 うっと言ってエイトが膝をついた。斜め後ろにいたエイトを、太陽の竜が槍ごと尾で凪払い、エイトは後ろへ吹っ飛ばされて壁に激突したのだった。つい、アレフの視線がそちらへ飛んだ。
「おい、大丈夫か!」
とたんにアレフはざっくりと爪をたてられた。致命傷にならなかったのは鎧のおかげだった。
 ぐわ、と音を立てて太陽の竜は口を開いた。
「ブレスが来る、みんな、防御!」
ここで全体攻撃を受けて、HPが残るかどうか。嫌な予感がひしひしとアレフを見舞った。次のターン頭でベホマズン……それができるのはフォースだが、星降る腕輪をレックスに与えているので間に合うかどうかわからない。ひくっとのどが鳴った。
「前はできた技……今はどうかわからないが、やらないよりましだ!」
大防御のつもりでアレフは飛び出した。
「アレフ、少し下がって」
冷静な声がそう言った。フィフスだった。なぜか自分の武器、ドラゴンの杖を床に置いて、アレフを追い越して前に出た。
「危ない!」
「ぼくは、いいんです」
ふっとほほえんだ。フィフスは杖を置き、鎧をはずしていた。
「ちょっとHP削りにいきます。みなさん、気をつけてください……ぼくに!」
言い終わったとたんに変化は始まった。むきだしの肩に、背に、青黒い渦巻き模様が出現し、身体一面へと広がった。顔から表情が抜け、虹彩の形が細長く変化した。
 白熱の輝きはもう、太陽の竜の大きく開いた口のなかに見えていた。ひときわ大きく顎を開き、灼熱の焔が噴出した。その前に立つフィフスの後ろ姿はとても小さく、飲み込まれそうに見えた。
--あなたはドラゴンなんですか?
--はい、ときどき。
いきなり大きな影が立ち上がり、怒濤の火炎を遮った。
「ぐああああっ」
怒った白い竜が吠えた。
「うおおおおおっ」
黒い竜が答えた。
 それは黒に近い紫色の竜だった。大きさは太陽の竜とほとんど変わらない。
「フィフスなのか」
呆然とフォースがつぶやいた。アレフは声もなく見守っていた。
「今の内に回復取ってください。エイトさん、ベホマを」
レックスが指示している。冷静だった。
「何度も見たことあるのか?」
「ええ、まあ」
二頭の竜は威嚇しながら互いの周りを回っていた。黒竜が仕掛けた。相手に飛びかかって押し倒し、長い首にかみつこうとしている。それをいやがって白竜がふりほどき、解かれまいと黒竜が前足の爪をたてた。
「ああなっちゃうと、僕らの声なんて聞こえません。みんな、気をつけてください。巻き込まれたらダメージです」
「わかります」
とエイトが言った。
「凄いな」
体液が噴き上がり、鱗が飛び散る。黒白二頭の竜は互いの急所に歯をたてようとしつように絡み合い、爪を戦わせた。二つの巨体が上になり下になって転げ回る。暴れ回る竜の尾が建物の太い柱をたたいて折れそうなほどだった。
 が、次第に旗色がはっきりしてきた。白竜の鱗はそれ自体が高熱であるらしく、黒竜は長く相手の身体に触れていられない。黒竜は押され気味だった。白竜は輝く牙を黒竜の前足に突き立てた。黒い前足の爪が力なく白竜の鱗からぬけ、すべって落ちた。白竜の牙を避けて黒竜が下がった。ついに白竜は黒竜を退けたのだった。