捜神アレフガルド 1.勇者レックス

 王都ラダトームの片隅にある小さな居酒屋は、そろそろ閉店時間になっていた。店の中は閑散としていた。調理場の奥で料理人があくびをして、女給仕たちは手持無沙汰に皿を拭いたり床を掃除したりしていた。
 さきほどまで不安を酒に紛らわせようと不自然に騒いでいた一団がいたのだが、それも虚しくなったのか出て行ってしまった。店の中は急にさびしくなった。この店に配給される酒も、どんどん量が減らされている。食糧も届かないので客は干し肉を肴に飲む始末だった。
 ラダトームの市民は最近あまり夜更かしをしない。誰もが戦の気配を感じ取っている。仲間とにぎやかに居酒屋で遊ぼうという客は少なかった。
「お客さん、そろそろ店じまいです」
そう言われて数名が勘定を済ませて出て行った。
 一人だけ、背の高い黒髪の若者が残った。連れはなく、頭を抱えるようにして座り込み、夕刻からぐいぐいと酒をあおっていたのだった。
「すいませんね。お城からのお達しで、あまり遅くまで店を開けていられないんでさ」
ラダトーム城がモンスターの軍団に襲われ、手もなく守りを突破され、ローラ王女までさらわれたあの大失態は城の兵士たちの記憶に新しい。
「ええ、お勘定を」
酔っぱらいは懐から金貨を取り出してタンブラーの横に積んだ。
「こりゃ、多すぎますよ」
「とっとけ」
それだけつぶやいて若者は立ち上がり、ふらふらした足取りで店を出ていった。
「お客さん、悪いことは言わないから、早く宿を決めたほうがいいよ。外は竜王のモンスターでいっぱいだし、街の中もみんな気が立ってるからね」
 夜風はひんやりしていた。たいていの旅人は厚地の服の上にマントをつけているが、その若者は薄手の布の服だけだった。そのかっこうで若者はラダトームの街門へ近づき、正門の脇の潜り戸を通り抜けた。
 街も城も背後に残し、夜のラダトーム平原を若者は行く。なんのつもりか、途中から口笛を吹き始めた。もの悲しい旋律が夜風に漂った。やがて周辺から不穏な物音が聞こえてきた。
「どうした、来いよ」
口笛をやめ、まわりに向かって若者はあざ笑うような声をあげた。
「今なら身の守りは低いぞ。布の服だけだからな。おい、どうした」
シュウシュウと漏れる奇妙な息の音。ガチリと牙をならす音。重いものが地を踏みしめる音。不穏な気配は若者を中心に集まってきた。
「アレフガルドの勇者はもういないんだとよ。だから、終わりにしてくれ。おれを、殺せ」
 そう言った瞬間だった。月よりも白く輝く球体がぽっと夜空に灯り、地面へ向かって降りてきた。
 モンスターの群れは動きをとめた。息を殺してそれを見守っていた。
「なんだ、これは」
真珠のように輝く球体は思ったよりも大きかった。高度が下がるにつれて中身が見えてきた。球体の中に子供がひとり眠っていた。あどけない顔立ちの八歳前後の男の子だった。ふとまぶたが動き、子どもは目を開けた。
 寝起きのぼんやりした表情であたりを見回している。手首のあたりで目をこすり、上体を起こそうとした。
「おい、おまえ」
逃げろと言っても逃げようがない。球体はまっすぐ若者のところへ、つまり待ちかまえるモンスターの中心へ落ちてくる。
「ちっ」
死のうとしていた若者は激しく舌打ちした。あたりを見回し、街道に放置された破れ馬車を見つけると駆け寄って物色した。手に入ったのは古い竹が一本だけだった。先端が斜めに切られて先がとがっていた。
 その竹槍をひっさげて若者はモンスターのど真ん中へ駆け戻り、不思議な球体を背に庇った。
 周囲の気配が一変した。殺気が若者に向かって荒々しく吹き付けた。巨大なドラゴン族のモンスターが爪を煌めかせて襲いかかってきた。
 武器は竹槍一本。その先端が真一文字に空間をなぎ払った。まるで水しぶきのように硬い鱗が飛び散った。長い首をくねらせてドラゴンはどっと体液を噴き、その場に倒れた。
 仲間の死骸を蹴散らしてモンスターの群れは襲いかかってきた。雄牛の角を持つ二足歩行の巨体、有翼の大猿、狂犬さながらの狼男。
 古い竹槍を頭上に掲げたまま若者は跳んだ。大人の身長以上に飛躍し、足を縮めて真下の獲物にねらいを定めた。凶暴な笑みを浮かべ、怪物の急所へ正確に竹槍をたたきこむ。筋力と位置エネルギーがとどめを刺した。
 がっ、ギギッとわめき、吠え、モンスターは追いすがった。スパン、と小気味よい音をたてて竹槍がしなり、空中へはね上がった。背後から襲ってきた一頭が喉笛を切り裂かれて絶命した。
「悪いな、おまえら」
返り血を浴びてまだらになった顔で若者は凄惨な笑みを浮かべた。
「俺が死ぬつもりで呼び寄せたのに。けど、子供に手を出させるわけにはいかねえんだ」
モンスターの大群は若者を遠巻きにして見守った。その中央、光る球体の前、背筋を伸ばしてすらりと若者は立った。手にした竹槍をいっそ優雅なほどの仕草でゆっくりと掲げ、左手を添えた。
「これでも一度は勇者アレフと名乗った身なんでな」
一歩踏み込んで低く槍をかまえ、アレフは威嚇した。
「どうした、来い!」
勇者の挑発の前にモンスターの群れは萎縮したように後ずさり、ラダトーム平原の闇に溶けて消えてしまった。
 しばらくアレフは、緊張を保ったまま闇を透かし見ていた。が、ふん、と自嘲のつぶやきをもらして体勢を戻し、からんと音を立てて竹槍を捨てた。
「何やってんだ、おれは」
布の上着の腰に巻いた帯の端を引っ張ってアレフは顔の返り血を拭った。
「おい、坊主」
球体の中で男の子は座り込んで内側の壁を手で探っていた。
「なんだ?」
白く輝いていた球体はだんだん色が深まっていた。子供は灰色になった部分を片手で押さえ、片手で拳をつくり、思い切りよく殴りつけた。ぱり、と音を立てて球体の壁が割れた。割れた部分をアレフが両手でつかんでむしり取った。
「ああ」
吐息をついて子供が球体の中から出てきた。
「よかった。ありがとうございます、アレフさん?」
「アレフ、でいいよ」
と彼は言った。
「おまえ、どっから来た?なんでそんなもんの中に入ってたんだ?」
男の子は、地味だが清潔な水色のチュニックと濃紺のマントを身につけていた。外に出てきた少年は両手でマントを引っ張ってなおしている。マントの裾は長すぎるらしく、ひとくくりに結んでいた。そしてその小さな身体には不釣り合いなほど大きな剣を剣帯で背負っている。鞘から突き出た剣の柄は不思議な金属で、月明かりで緑色に輝いて見えた。アレフはちょっと目を見張った。それは、明らかにドラゴンの形をしていた。
「ぼくはグランバニアから来ました」
顔立ちは繊細で、話し方や態度からこの子の受けた躾、与えられた教育がかいま見えた。
「グランバニアのフィフスの子、レックス」
誇りを込めて少年はそう名乗り、長めの黒髪を額で抑えるサークレットに片手で触れた。それは一見、位を示すただの被り物に見えたが、ドラゴンの翼を模した金属の羽が両側に取り付けられていた。
「この天空の兜を装備する三人目の勇者です」
 アレフは息を呑んだ。
「勇者、だと」
はい、とレックスは言った。
「神聖な鳳の導きによって、ぼくは卵に入れられてここまで運ばれました」
「ラダトーム平原へか?」
「いいえ、あなたのところへです、勇者アレフ」
かっとアレフは血が上った。
「よせ、俺はもう勇者じゃない!」
「どうして?」
まっすぐな目でレックスは見上げた。
「どうしてだと?」
とアレフは言った。
「剣も鎧も、それどころかパーティの仲間をすべて失い、国王に会えない勇者がどこにいる!」
「仲間を失ったって、戦闘不能ですか?」
「よく見ろ。棺桶さえ持ってねえ。みんな生きてるよ。でも、俺のことを覚えていない。少なくともそう見せかけている。口裏をあわせてるのかもしれないが」
「パーティ以外にも知り合いはいるでしょ?」
「いるさ!いや、いたさ……知り合いだと思ってたのに、誰もおれのことを知らないらしい」
その驚きと悔しさが身の内にあふれ、もう一度たぎりたった。
--あんた、誰?
--やあ、見ない顔だな。ラダトームは初めてか?
--人違いしてない?
--初めまして。どちらからいらしたの?
「最初はからかわれてると思ったから、しつこいぞ、いい加減にしろ、とか言ったけどな。逆に切れられた。あとになるともう声をかけるのもつらかった……」
こちらを見ても、何の感情も浮かばない顔。商売上の丁寧さやよそゆきの笑顔。そんなものがアレフの胸をぐさぐさと刺し、おれを忘れたのかとさえ言えなかった。
「致命的なのは、城だった。兵士どもが、どんなに説明してもおれを城へ入れねえ」
とりあえず一人が上の方へ照会に行ってくれたのだが、あざ笑うような口振りで陛下は勇者など知らないと仰せになったと告げた。
「誰に聞いても勇者アレフどころか、勇者そのものを知らない。たった一晩でだぞ。こんなことがあるか!なぜ神はこんなことをお許しになるのか」
いきなりレックスがアレフの服の袖をつかんだ。
「そう、それだ、聞きたかったのは。あなたが祈る神は、誰ですか?」
レックスは真剣な顔をしていた。
「なんだと?」
このアレフガルドで神と言えば、決まっているではないか。アレフは、この子(その名乗りにもかかわらず、まだ勇者とは考えにくかった)がグランバニアとかいう外国からきたのだと思い出した。
「太陽神ラーレ。それが、俺を勇者にした御方の名だ」

 その夜は結局アレフはレックスをつれて平原を少し先まで進み、風を避けて砂地の中にある洞窟の入り口にうずくまって眠った。
 レックスは思ったより旅慣れていた。進みながら小枝を集め、洞窟の入り口にそれを積んで火打ち石で火を起こした。お城育ちの行儀の良さと野外生活のノウハウを彼は併せ持っていた。そのことを褒めると、レックスは照れくさそうな顔をした。
「七歳までは王子として城で育ちました。そのあとはずっと旅暮らしで、たき火のやり方はそのころ覚えました」
「そうか。おれと同じだな」
「アレフ、あなたも王族ですか?」
そうだ、と答えようとしてアレフは首を振った。
「言っただろう。国王がおれを覚えていないと。実の父親が」
たき火を眺めながらアレフはそう言った。
「国王陛下は、でもあなたに直接そうおっしゃったわけじゃないですよね」
「そりゃそうだが」
じっと見上げる少年の目は真摯で、アレフは視線をそらせた。
「パーティの人たちが忘れたのは、あなたのことだけなんですか?」
「たぶんな。なんで自分がここにいるのかわからないようすで、俺を置いて勝手にあっちこっちへ散っていったよ。けど、もしかしたら」
他のメンバーがいるところでは言えなくても、一対一ならもしかして何か話すかもしれない、とアレフは思った。なにせ、この一年寝食を共にしてずっといっしょに闘ってきた仲間なのだ。
「誰かつかまえてみるか」
ぱっとレックスの顔が明るくなった。
「そうしましょう。とにかくここでモンスターのえさになったりするよりましです」
「楽な旅じゃないぞ。どこへ散ったかわからねえんだから。でもまあ、ムツヘタはたぶん勤め先のメルキドへ戻ったんだろう。ロッコは、あいつは風来坊だからな。でも人の多いところで仕事を探すはずだ。あと心配なのは……」
アレフは頭を振った。
「まずはメルキドだ」
少年はこくんとうなずいた。
 一晩そこで眠り、朝になって焚き火の始末をした後、アレフは一度南西へ向かい、そして戸惑いを感じて立ち尽くした。
「なんてこった」
「どうしたんです?」
「道がなくなってる」
アレフは前方を指さした。
「北にあるあの山はアレフガルド内海の海岸に接しているだろう。あの海岸に細い道があったんだ。細いが、れっきとした街道で、ラダトーム地方とドムドーラ地方をつなぐ大事なルートだ。それが」
海岸は砂ではなくごつごつした岩だった。その岩を貫いて反対側へ出る細い道があったのだが、トンネルの入り口のあった場所は巨大な一枚岩に変わっていた。
「くそっ」
アレフは踵を返した。
「ドムドーラへ行くつもりだったんですか?」
アレフは首を振った。
「いや、メルキドへ行くにはドムドーラ地方を通るからさ。仕方ない」
とアレフは言った。
「北のガライに、ロッコの生まれた家があったはずだ。遠回りだが北上して海岸に出てからガライ経由で南へ行くか」
「遠回りでもいいと思います。ぼく、寄り道は好きだな」
アレフは苦笑した。
「物好きだな。これからはモンスターが出るぞ」
夕べは手持ちの聖水を使って野宿をしていたため、最初の戦い以外はごく平穏だったのだ。
「ご心配なく」
レックスは両手を大きく広げ、呪文を唱えた。
「我が道を清めよ。トヘロス」
あたりからモンスターの気配が一斉に消えた。
「……どうも」
 実は路銀ならかなり持っていた。なぜか装備品、所持品が根こそぎなくなったとき、まるで盗んで売り払った犯人が代金を財布へ返しておいたかのように所持金額が増えていたのである。酒場その他でかなり無駄遣いしたのだが、使いきれなかった分が残っていた。それを確認してアレフは歩き出した。
 王都ラダトームから北西へと街道をたどり、北の海岸沿いに進むとガライの港だった。この港から船を出して北へ進んでも何もない。世界の果てへたどりつく、と言い伝えられていた。
 だが海は青々として広く、白い雲が広大な空を進んでいった。
「港だ」
わぁ、と声を上げてレックスは目を見張った。
 二人のいるところはラダトーム山塊のはしの高台で、そこから眼下の港へ帆を張った大きな船がいくつも出入りしているのが見えた。
「綺麗な街ですね!船がたくさん」
「アレフガルドは多島海だからな。船で荷物を運ぶほうが多いのさ」
「あの大きな建物は何ですか?」
街のはしにある、黒い方形の大きな建築物をレックスは指した。
「ああ、あれは」
高台から港へと下る道を先に立って歩きながらアレフは答えた。
「墓だよ。ガライの墓だ」

 ガライの街は、アレフの記憶と寸分変わらなかった。少なくとも商家の配置や街路のつながりは変わっていなかった。町で一番大きな広場はガライの墓の前にあった。黒い巨大な壁に見える墓所の前では、人々があちこちに集まり、素人歌手や演奏家を取り巻いてその芸を鑑賞していた。
「ここはお祭りですか?」
竜王の脅威にさらされているラダトームとは、ガライは雰囲気からして違っている。
「いや、ここはいつもこんなもんだ。ガライだからな」
不思議そうに見上げるレックスに、アレフは苦笑を返した。
「そうか。知らないよな。ガライの町を作ったのは、吟遊詩人ガライ。ラルス一世の時代の人間で、伝説的な歌い手、そして竪琴弾きだ」
「吟遊詩人なのに町をつくったの?」
「勝手にできた、と言うほうが正しいな。ガライが歌うとみんな歌を聴きに集まってきた。ガライが移動するといっしょについてまわり、ガライが自分の生まれた家に戻って来た時ついにまわりに町ができたそうだ」
 そろいの衣装の少女たちが踊りながら現れた。竪琴、笛、太鼓などを持った楽人たちがいっしょに来て、にぎやかな芸が始まった。見物人は一斉に一座のまわりに集まった。
「ガライはここで生まれ、ここで亡くなった。いつしかガライを目指して芸事を極めようとする者たちがここへ集まって芸を競うようになり、それを目当てに客が集まり、町と港が発展していったのさ」
少女たちの一座の向こうでは、対抗するように軽業師の一座が口上を述べ始めた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」
後ろでは派手な衣装の芸人たちが鮮やかなとんぼ返りを披露している。広場のあちこちに次々と新しい芸人が現れ、歓声や拍手は絶え間なくわき上がった。