オウム返しの使い魔 8.君と二人旅

 三度ルークは、エルヘブンの四人の女長老たちの前に立っていた。一度目は小さな双子を連れて己の出生を知るために、二度目は時をさかのぼってまだ若い父と母の助けとなるために、そして今は、親友の頼みで古い記憶を探りにここへやってきた。
 エルヘブンへ来る前に、グランバニアでルークは事情を話した。サンチョは驚きながらも若い頃の旅のいきさつを話してくれた。
 ルークとヘンリーが口々に礼を言うと、サンチョは目じりにしわを寄せて笑った。
「坊ちゃんとヘンリーさんが並んでおいでになると、まるでパパスさまとエリオスさまが戻ってきたようです。あのころは、私も若かった」
 人生のほとんどをグランバニア王室に捧げて来た男は、目を細め、懐かしそうにそう言った。
「まず、エルヘブンへおいでなさい。エルヘブンの婆さま方はたいへんな年寄りで、物知りでした。きっと何か解決方法がありますよ」
 こうしてルークたちは、エルヘブンを訪れたのだった。
「なんということだろうか!」
 女長老たちの集う部屋で、キャリダスが慨嘆を吐きだした。
「ええ、なんということをしておくれだろう!」
 向かいにいたアネイタムがそう応じた。他の二人の長老も、ためいきをついて首を振った。
 傍らにいたヘンリーがささやいた。
「何か、まずいのか?」
「……らしいね。ぼくにもわからない」
 ルークはいつもと同じ白っぽいチュニックに紫のマントとターバンという、慣れたかっこうだった。ヘンリーは、ありふれた旅人の服とマント姿だった。
 ときどきルークは感心するのだが、ヘンリーは自分が身を置く環境に実に素早く順応する。逃亡奴隷から王子になった時もそうだった。そして今、大貴族から一介の旅人になったときも、ヘンリーは新しい身分にしっくりとなじんでいた。無造作な足の運びや時々指を前髪にいれてかくしぐさ、肩をすくめたり、片手で首の後ろを揉むクセが、旅慣れた剣士そのものに見える。
 長老キャリダスは咳払いをした。
「わからない、と?そうじゃろう、わしらにもわからぬ。こんなことが起きるとは!」
「こんなこと、というのは、エビルスピリッツの襲来のことですか?」
 ルークが尋ねると、女長老たちは一斉にこちらをにらみつけた。
「おお、あり得ぬことじゃ」
「わしらの予知に、一度も現れたことのない事象が起きたのじゃ」
「どの時間の分岐点にも何ひとつ前触れもなしに、これほどの重大事が!」
「あり得ぬ、あり得ぬ。まさしく時間の流れの中の奇穴」
 ルークとヘンリーは顔を見合わせた。
「つまり、お怒りの理由は、予知ができなかった、ということですか?」
 ふーっ、というような怒りに満ちた吐息を発して、女長老たちは一度沈黙した。説明のために口を開いたのは、アネイタムだった。
「わしらにも予知の出来ぬことはある。じゃが、そのほとんどは些末事じゃ。しかし人工使い魔がバケモノと化して城を襲うなどという重大事件を予知できぬとは、ゆゆしき事態」
 フィーレイが言った。
「これほど重い事件なら、前触れがあるもの。例えば、使い魔がマーサといっしょにグランバニアへ行かなかった時間線、教団の襲撃を逃れた時間線、邪悪な怪物に成長することなく消滅した時間線等々、分岐として時間の中に存在するはずなのに」
「そのような分岐一つなく、一直線にここまで事態が来ている。あり得ぬ、あり得ぬ」
 長老たちはまた、黙り込んだ。
「狼狽されるのはわかるが、俺たちにも時間がない」
とヘンリーは言った。
「俺はラインハットのエリオスの子、ヘンリー。国と城と弟をエビルスピリッツに食われた。あいつを封印したい。英明なる長老方、お力添えを願えないだろうか」
 そして旅の埃にまみれた一介の剣士になりきっているはずなのに、時々こうやって王子の責任感と凛々しさをかいま見せる。ルークは感心して眺めていた。
 こほん、とキャリダスが咳払いをした。
「なるほど、エリオス殿のお子か。よく似ておいでじゃ。が、エビルスピリッツを封印することは、わしらにもできぬ。名付け親のマーサ以外、誰にもできぬじゃろう」
 ルークはおそるおそる尋ねた。
「何か、抜け道はありませんか?」
 女長老たちは、顔を見合わせた。
「使い魔は、己の真の名を知る者、すなわち名付け親の命に従う。これが原則じゃ」
とキャリダスが言った。
「もしマーサが使い魔を封印しようと思ったら、丈夫な壺を用意したことじゃろう。大きさは問わぬ。使い魔はその身を伸び縮みするものだから。ただし、極めて頑丈でなくてはならぬ。特に怒っている使い魔を閉じ込めるためにはの」
と長老の一人、フィーレイが言った。
「そしてマーサは、使い魔の真の名を正確に発音し、明瞭に命じなくてはならぬ。まあ、マーサはもともと真名を知っておるわえ」
とアネイタムが言った。
「わしらが使い魔を封印しようと思ったら、名付け親の資格、丈夫な壺、真の名が必要なのじゃ」
 ヘンリーは真顔で考え込んでいた。
「俺の父は名付け親ではなかったが使い魔の真名を知るチャンスがあったはずだ」
とヘンリーが言った。
「そうそう、名づけの直前に、パパス殿とエリオス殿は、それぞれ考えた名前をいくつか石板に書きこんでマーサに渡していましたぞ」
「それだ!その石板は残っていませんか」
 長老は首を振った。
「あの時マーサが持っていたのは、ごくありふれた石板じゃった。石板はチョークで書くものじゃ。すぐに字を拭き消して再利用する。無理じゃろう」
 サンチョの思い出話を聞いてひそかに期待していたルークたちは、そろってため息をついた。

 エルヘブンとは、神秘的な里であり、人々の集落であり、山の名であり、その山を囲む広い盆地の名でもあった。盆地の縁はすべて高い崖なので沿岸を航行する船からは盆地の中は見えないようになっていた。
 エルヘブンの村から船までの道のりは見晴らしのいい草原になっていた。ふりかえるとエルヘブンの山頂が見えた。
「まあ、こんなもんだな」
 ヘンリーは、歩きながらそうつぶやいた。
 海辺の修道院を旅立った朝、ヘンリーは上質の貴族の服を身に着けなかった。
「俺には必要ない」
 そう言って、修道院に寄付された古着の中から庶民の着る旅人の服をみつけ、さっさと袖を通した。贅沢な衣装一式を修道女たちに手渡し、売って難民の生活費の足しにしてほしいと言った。
 城からついてきた兵士や召使たちは驚いていたが、マリアは落ちついたものだった。
「そのお姿を見るのは久しぶりです」
 にこ、と微笑んだ。マリア自身も宮廷用のドレスではなく、何の飾りもない黒いシンプルなドレスと生成りのエプロンを着けていた。
「マリア、何を着てても、きみは世界一だ」
 そう言って妻の頬にキスすると、自分の指から印章付き指輪を外してマリアに渡した。
「これを持っててくれ」
 ラインハット王国で法律が効力を持つためには、国王の印章か、この宰相の印章を捺した公文書で発布されなくてはならない。今は王国で唯一無二の、王権を象徴する指輪だった。
「もし、俺が帰れなかったら、コリンズに渡してやってくれるか?」
 はっと息を呑み、マリアは黙って震えていた。顔を上げたときは、けなげに微笑んでいた。
「はい」
 聞いていたルークにも、ひと言の承諾に無限の思いが詰まっているのがわかった。
「どうした?」
 ルークは我に返った。
「ああ、ええと、石板の話だよね。残念だった」
「俺も期待してたんだが、まあ、なんとかなる」
 今のヘンリーは色のさめたチュニックを着てベルトで締め、その上からマントをつけている。ありふれた旅人のいでたちだが、ベルトには鞘を吊り、そこに使いこんだ剣を納めていた。
 ブーツは厚地で、すねまで靴ひもで締めあげるタイプの、旅行用のしっかりしたものだった。ヘンリーはやおら懐からバンダナを取りだした。バンダナの端をかるくくわえ、両手で後頭部の緑の髪を束ね、バンダナできっちりまとめた。
 盆地の中を風が吹きすぎた。草原を埋める草がいっせいに波打った。風はヘンリーとルークのマントもそよがせた。
 ルークはしみじみ空を見上げた。
「なんだか不思議だ。ずっときみと旅をしてきたような気がする」
 十代のころ共に旅して、肩を並べて戦った。そして一度は別れた。それぞれ結婚し、子供が生まれ、別々の道を歩いてきたはずなのに。
「だよなあ」
 あのころと変わらず空は青く、風に乗って雲のきれはしが動いていく。少し年をとった友だちは旅人の服を身にまとい、腕を組んだまま空を見上げ、目で鳥の群れを追っていた。
「あのエビルスピリッツ、本当に小アニマなのかな」
「おそらく」
 短く答えてヘンリーは、歩きながら腕を組んだ。
「やつがラインハットを襲った時、泣くような声で繰り返してたんだ、『マー、サー、マー、ザー』って。その時は意味がわからなかったが、あれはたぶん、マーサさまを探していたんだろうよ」
 そうか、とルークは答えた。
 盆地の中だとわかっているが、見上げる空は果てしなく広い。ひざ下まである草を踏み分け、二人は風の草原を歩き出した。
「使い魔の再封印は、条件が厳しいみたいだな」
「再封印ができるのは使い魔の名付け親だけっていうのが、ね」
「丈夫な壺、真の名、名付け親の資格か」
 草を踏む音、風の吹く音。ヘンリーは歩きながら考えていた。ラインハットを代表する大貴族の顔、何かにつけて親分風を吹かす悪ガキの顔の他に、ヘンリーはいくつか別の顔を持っている。脳を高速で回転させているときの表情もその一つだった。
 あの、とルークは言った。
「壺だけなら、ぼくに心あたりがあるよ」
「なんだ?」
「サラボナのルドマン氏の御先祖は、壺づくりの名人だったんだ。百五十年の間巨大モンスターを閉じ込めた封魔の壺というのがあってね。ルドマンさんに聞いてみたら封魔クラスの丈夫な壺が手に入るかも」
 言いかけて、ルークは肩をすくめた。
「他の二つがないのに、壺だけじゃダメだよね」
「そんなこたぁない!」
とヘンリーが断言した。
「名付け親の資格のことだが、俺に考えがあるんだ。エルヘブンで解決方法が見つからなかったら、プランBへ切り替えようと思ってた。まあ、プランBもおまえの助けが要るんだけど」
「ぼくは、何をすればいい?」
 片手で前髪を抑えてヘンリーは振り向いた。
「マスタードラゴンに会いたい。天空城へ渡りをつけてくれ」