オウム返しの使い魔 12.マリナンの許し

 若者たちは自分たちのあげる気勢に乗って塔の出入り口へ殺到した。
「止まって」
 静かな声だった。男たちの怒号の中で、どうして聞こえたのか不思議なくらい細い、高い、綺麗な声だった。
 殺気立った男たちの足が、文字通り動かなくなった。
「戻ってください」
 男たちはとまどった顔をしたが、ゆっくり向きを変えた。
 フローラがそこにいた。
 彼女は不思議なしぐさをした。金鎖で首に掛けた白いメダルを外して、デボラに手渡したのだった。
「私たちのために怒ってくださって、ありがとうございます」
 その場の緊張が一瞬、ゆるんだ。
 フローラは繊細な両手を胸の上で重ねた。
「同じサラボナの皆さんの優しさが心に沁みます。姉だって、そんなことはわかっているのですわ」
 デボラはぷいと横を向いた。だが、それまで尖っていたその場の感情が少し丸みを帯びた。
「でも、考えてください。サラボナとグランバニアはここ十年ばかりでようやく貿易ができるようになりました。お互いに、お互い以外では買えない品物があります。ここでお別れしてしまっては双方が困るはずですわ」
 感情のすき間に、フローラの説得が浸み込んでいった。
「フローラさま」
 最初に興奮していた若者たちは、多少冷静になったようだった。
「私らは商人ですから、利があれば商売はします。でも、いくら利のためでも、バカにされてまで商いはしたくない」
「テルパドール、オラクルベリー、貿易の相手はいくらでもいます」
「ゴールドのやりとりは信用できる相手に限る、ってのは、商人の鉄則じゃないですか」
 デボラは鎖付きのメダルを無造作に護衛に渡し、片手を腰に当て、もう片方の手を広げて話し始めた。
「グランバニアがサラボナをバカにしている、グランバニアは信用できない、どうしてそう思ったの?」
 そりゃあ、と言いながら若者たちは互いの顔を眺めた。
「ご存知でしょう、最近もっぱらのうわさで」
 デボラの柳眉が逆立った。
「つまり、うわさをうのみにしたわけね?」
 それは質問ではなく断定だった。
「ですが!」
「ですが、何?!」
 じろりとデボラの視線が、若者たちの上を薙ぎ払った。
「グランバニアの取引相手が、納期を守らなかったことがあったの?不良品を送ってきたのかしら?それとも、できないのにできると言って契約不履行をしでかした?」
 しゅん、と若者たちはうなだれた。反論の声は上がらなかった。
「信用がないというのは、そういうこと。何の話し合いもせずにいきなり出入り禁止というのもそのひとつね」
「たしかに実際の行動は何もないですが」
 若者の一人が抗弁を試みた。
「でも、グランバニア側でサラボナ側を小馬鹿にしてるのは本当です。うちの店の取引相手がグランバニアで直に聞いて来たんですから」
 ようやく他の若者たちが声を上げた。
「俺のところもそうです。グランバニアの先代王と現王に仕えた重鎮と言う人が、そう言う意味のことを言いふらしているって」
「こちらから出禁を言い渡すのはたしかにやりすぎですけど、『謝らなければ今後の商売は難しい』ぐらいは言っていいんじゃないですか」
「信じない」
 明白にデボラは言った。
「その王の側近という人が、私の目の前で言うのでなければ信じないわ」
 若者たちはざわついた。
「あの」
とフローラが言った。
「私、その側近の方について、父を始めいろいろな人から聞いたことがあります。サンチョさんという方で、先代パパスさまの腹心でいらっしゃいました。武芸百般に秀でているほかに、料理の名人で赤ちゃんをあやすのがうまく、話し上手、気配り上手、と聞いています」
 フローラは、興奮している若者たちを見回した。
「でも、サンチョさんがグランバニアで貿易に携わっていると言った人は今までありませんでした。うわさから考えると、これはおかしなことではありませんか?」
 うわさを聞いた、と言った若者は抗った。
「しかし、グランバニアでもちきりのうわさなんです」
 フローラは首を振った。
「デボラお姉さん、しかたがありませんわ」
 デボラは肩をすくめた。
「そのようね。いい?」
 デボラは、サラボナの若旦那衆を見回した。
「私もフローラもグランバニアのルキウス王、ビアンカ王妃に含むところはないし、王も王妃もサラボナに対して悪い感情を持ってはいない。私はそのことを証明できるわ」
 若者たちから驚きの声があがった。ちらりとデボラは視線をくれた。
「取引相手がうわさを聞いていた、とあなたは言ったわね」
 そう主張した若者はびしっと姿勢を正した。
「は、はい」
「それは、サンチョさんが言ったと、グランバニアの人が言ったのを、あなたの取引相手が聞いた、つまりまた聞きよね?」
「それは、そうですが」
「そのまた聞きに対して、私は証人を出すわ」
 デボラは片手を長くのばし、鋭く指を鳴らした。
 デボラたちの背後を守っていたふたりの護衛のうちの一人が進み出た。
「デボラ嬢が言ったことは本当です。その理由は」
 おもむろに腕を上げ、マントのフードを背中に下した。涼し気な目、整った顔立ち。浅黒い肌と黒髪。商人たちとは明らかに異なる、戦士の体格の持ち主。
「ぼくが、グランバニアだからです」
 ルークこと、現グランバニア国王、ルキウス七世が証言した。
 ふぁっ、と言うような声があちこちから漏れた。
「な、なんで」
 ルークは、もう一人の護衛を手で招いた。
「俺の用件に、付き合ってもらったのさ」
 そう言って彼もフードを下した。
「ラインハットのヘンリー。よろしく」

 その日の夜、サラボナ一の豪邸ルドマン邸では、突如パーティが開かれた。
 見張りの塔へ現れたグランバニアの王とラインハットの大貴族をゲストに迎え、名だたる商会の主人たちを招き、サラボナの王女に等しいデボラ・フローラ姉妹が主人役を務めるとあって、市内は大騒ぎだった。
 ケータリングやエンターテイメントのサービスが次々とルドマン邸へ呼びこまれ、にぎやかな音楽に交じって屋敷の内部から歓声や笑い声が響いてくる。
 それまでのサラボナのギスギスした雰囲気は何だったのかと思うほど、そのパーティは楽しそうだった。
 ゲストの二人は、ルドマン商会の私兵の制服を貴公子の装いに代えてパーティに現れた。ルークがデボラの、ヘンリーがフローラの手を取ってエスコートしながらパーティ会場へ入ってくると、集まった客たちが見惚れるほどだった。
 ルドマン家の姉妹と、グランバニア、ラインハットのトップが顔をそろえた絵面は、はっきりとしたメッセージだった。
 すなわち、サラボナとグランバニアは信頼に値するビジネスパートナーどうしだということ、そして、最近のラインハットの異常事態について、グランバニア、サラボナ共に援助する意志があるということだった。
「殿下、お国がいささかたいへんなごようすで」
 耳ざといサラボナ商人が探りを入れに来ると、ヘンリーは王子様然としたスタイルに微笑みを交えて説明した。
「たしかにラインハットは事故で王都としては多少不調だ。なに、現王は城内に健在だし、宮廷はオラクルベリーに移ってきちんと機能している。それほど問題はないね」
「それはよろしゅうございました。復興もお早いことでしょう」
「ご心配ありがとう。今月の終わりには、何らかの結果を出せると思う」
 サラボナのアンディは、妻のフローラと共にパーティの会場にいた。フローラがルドマン一族の一人としてデボラのフォローを務めるのは昔からのことだった。
 清楚なドレス姿でデボラの傍らに立ち、客に笑顔を向けるフローラはごく自然で、それなのにお嬢様として育った日々の蓄積が会話やしぐさとなってあらわれ、とても綺麗でその場にしっくりしていた。
「あなた」
 客との対応が一時途切れ、フローラはアンディの所へやってきた。
「ごめんなさい、アトリエでお仕事中だったんでしょう」
「細工仕事の納品は終わったから、今度はきみのケアがぼくの仕事だ」
 そう言って香りのいいお茶を渡した。
 まあ、とフローラはうれしそうに微笑んだ。
「デボラお姉さん、はりきっているの。お父さまがいない間に町をまとめてみせるわって」
「ここで見ててもわかるよ。義姉さん、生き生きしてるな」
「でしょう?」
 フローラは自慢そうに言った。フローラの視線の先には、サラボナ商人の一人をルークにひきあわせているデボラがいた。
「義姉さんは発想がユニークで、決断力があって、計算高い……これは悪口じゃないよ?」
「わかっていますわ。大きな商売を取り仕切るのは、デボラお姉さんの天職なの。お姉さんの口調は厳しいと言われるけれど、必要なら愛想よくできるし、自制心もあるわ」
「立派な商人になるね」
「なりますとも」
 パーティはやがてお開きになった。客を送り出したあと、ルドマン邸の広間には、まだどこか華やかな余韻が残っていた。
 ルークはヘンリーと二人して、つかれきって椅子にぐったりと座っていた。二人ともきちんと着こんでいた礼装の上着を脱ぎ、ブラウスの襟を広げて背もたれに体を預けている。
「パーティなんて、久々だ」
「こんなに疲れるものだったとはね」
 でも、とルークが言った。
「“マリナンの許し”の効果を実際に見られたのは儲けものだったよ」
「いきり立った群衆が一発で足を止めたほどのチカラがあるんだな。あれ、いいよな。天空城へ還さないとダメか?」
 あはは、とルークは笑った。
「きみやデボラさんなら、あんなものなくたって気迫で止められるんじゃないかい?」
「からかうなよ」
とヘンリーは言った。
「まあいいや。とりあえず名付け親の資格はクリアだ。ここで丈夫な壺が手に入れば、あとはヤツの真名だな。まあ、なんとかなる」
「聞いてもいいかい?なんとか、って?」
 ヘンリーは少し身を起こした。
「エルヘブンで、マーサさまが持っていたのはありふれた石板だった、って長老方が言ってただろう?普通の大きさの石板に名前を百も二百も書きこめるか?」
「そう言えば、そうだね」
「しかも、親父もパパスさんも、使い魔作成の技法を行う直前の短い間に思いついた名前を、書きこんだわけだ。せいぜい十、おそらく七個ぐらいだろう」
 七個の名前の中のひとつが必ず正解だとしても、どうやってその七個をつきとめるのか、とルークは思った。
「しかも七のうちの二つ、たぶん三つはもうわかっている」
「ほんとかい!?」
「親父の考えは、俺にも多少わかる」
 なあ、とヘンリーは言った。
「もし俺がラインハット王になっていたら、ヘンリー五世だったって、知ってるか?」
 ルークはめんくらった。
「え、そうなのかい?」
「俺の前に四人もヘンリー王がいたからな。“ヘンリー”と言う名の王が立った時代ラインハットは戦争に勝つことが多かったから、この名前は王子の名として人気があったんだ。逆に“ジョン”という名の王のときは失政があったから、この名前は嫌われて、ラインハットの歴史にはあまりジョン王はいない」
「ふうん、それで?」
「王子の名前の数は、絞られるって言ってんだ」
とヘンリーは言った。
「あっ、そうか。それが三つなのかい?」
「さすがにもっと多いぞ?だが、ラインハットとグランバニアの歴史書を調べていけば、王家の子供たちの名前はあるていどわかるはずだ。親父が、あるいはパパスさんが思いついた名前はおそらくその中にある」
 ルークは目の前が明るくなった気がした。
「両国の歴史書に出てくるメジャーな名前を十、たぶん七くらいに絞る、か。でもきみはその名前リストを上から試すつもり?その間、あいつがおとなしくしてるかな」
「俺には希代の魔物使いがついてるんだぜ?おまえがあいつを抑えてくれるだろ?」
 ん、とルークはうなった。
「一回か二回はぼくが抑えるよ。“マリナンの許し”があるからもう少しがんばれると思う。でもあいつは普通のモンスターじゃない。あいつが最後までおとなしくしているとは思えないな」
「何か手立てが必要だな」
 そう言ってヘンリーは考え込んだ。
「何かで釣っておく……リスクはどうするか……」
 なんのことかと聞き返そうとしたとき、デボラが呼んだ。
「ルーク、どこ?」
 ルークは片手をあげた。
「ここです」
「あいかわらず小魚ね。いらっしゃい。見せたいものがあるの」
 ルドマン邸の執事がワゴンを慎重に押してやってきた。ワゴンの上には、かなり大きな木箱が載っていた。
「それ、何?」
「山奥の村へやった使いが、キメラの翼で帰ってきたのよ。父の返事をもってね」
 開けてちょうだい、とデボラは言った。
 目の前で木箱が開封され、中身が出て来た。大人が片手で持てるくらいの大きさの壺だった。
「ヘンリー!見て見て!壺だよ!丈夫な壺だ」
 がたっと音を立ててヘンリーが立ち上がった。
 執事は壺を暖炉の前のテーブルに載せた。
「これが当家の先祖、壺づくりのルドルフの最後の作品よ。父がルークに渡してくれと言ってきたわ」
 アンディはつくづくと壺に見入った。
「これがルドルフさまの壺ですか。形がいいなあ。釉薬はなんだろう。不思議な印象だ」
 おおらかな左右対称形で胴がふくらみ、口は広めだった。表面はなめらかで薄い灰青色だが、肌理が細かく、光線の加減でキラキラと輝いた。
 壺の反対側からルークとヘンリーが寄ってきた。二人とも、少年のように興味津々で顔をうんと近づけ、壺を眺めた。
「本物の、封魔の壺だ」
「ああ、手に入ったなっ」
 二人は顔を見合わせてどちらからともなく笑顔になった。
「これで解決へ一歩近づいたよ!」
「やったじゃないか、おい!」
 アンディは多少、めんくらった。さきほどまでのパーティの、いかにもやんごとない貴公子たちはどこへいったのだろう。ルークとヘンリーは互いの肩を抱き、やったやったと喜び、ほとんど飛び跳ねんばかりにはしゃいでいた。
「ちょっと、そこ!じゃれてんじゃないわよ!」
 デボラだった。
「まったく、いい年して何やってるの!?」
 ルークたちはまるで聞いていなかった。
「三つの条件のうち、これで二つがそろったぞ!」
 ばんばんと音を立てて互いの背をたたいている。
「あとひとつだーっ」
「おーっ」
 デボラは腕を組んだ。
「ほんっとにガキなんだから!ひとんちの居間でなに騒いでんのよ」
 くすくすとフローラが笑った。
「ヘンリー様は普段は抜け目のないやり手に見えるのに、ルークさまといると、まるでわんぱくな男の子ですね」
 アンディもくすっとした。
「それを言ったら義姉さんもだよ。頭のいい商売人だし、れっきとした大人の女性なのに、ルークさまといるとプンプン怒っている女の子みたいで」
「不思議ですわ」
 のんびりとフローラが言った。
「ルークさまはきっと、そういうタイプの人を惹きつけるのですわね」
 そうだねえ、とアンディは言った。
「デボラ義姉さんやヘンリーさんのような人は、ルークさんのことをほっておけないんじゃないかな」
くす、と笑ってフローラが答えた。
「昔、サラボナの町の入り口に突然不思議な瞳の旅人が現れたとき、私もそんな気がしましたもの。なんとなく、わかるような気がします」
 ルークとヘンリーがまだ浮き浮きした顔でフローラたちのほうへやってきた。
「君にも、ありがとう、フローラ」
「私は何もしていませんわ」
「そんなことないよ」
 アンディはちょっとルークに見惚れた。久しぶりに見るルークは、昔のルークと本質的に変わっていない。ただ、もっと堂々としていると思った。
 アンディ、とルークは言った。
「久しぶりだね。いきなりで悪いけど、ひとつ頼みたいことがあるんだ」
「ぼくに?」
 ルークの隣にいたヘンリーがうなずいた。
「そうだ。サラボナの若き芸術家にしかできないことを、お願いしたい」