オウム返しの使い魔 5.パパスの冒険

 巨大な樹の根がからまりあい、縦穴の内壁をかたちづくっている。穴は深く、内部は暗かった。樹の根にはところどころに苔が生え、それが青緑色に光っていた。
「そっと、そっとだ!」
 穴の中を、ロープにすがって誰かが下りていく。背には赤い柄の剣を背負っているのが見えた。剣士のつかむロープは、キリキリという滑車の音に合わせて穴のほぼ中央を降下していった。
 真下に何かある。光る苔が集まって、明るい円盤のように見える場所だった。それが穴の底なのだろうか、中央に異物があった。
 たっと音を立てて剣士が降り立った。むきだしの腕で異物を探った。長い年月、土ぼこりに覆われて黒っぽくなっていたが、それは宝箱だった。
 指で蓋をこじ開け、箱の前縁に片膝を乗せ、剣士は重い蓋を持ちあげた。箱は盛大にきしみをあげ、蓋からゴミや土砂が流れ落ちた。剣士は中をのぞきこんだ。
「やっと、これが!」
 思わず笑顔になった剣士は、すぐに表情を引き締めた。
 穴の内部の暗がりに、突然巨大な目が三つ開いた。さっと剣士は振り向いた。
「ぐふ……うぅ!」
 黄色く光る眼は、明らかに悪意をたたえていた。
「まずい!」
 剣士は箱の蓋を締めて脇に抱き込み、飛び上がって頭上のロープをつかんだ。
「上げてくれ!」
 すぐさまロープは上へ引き上げられた。
 ロープを片手でつかみ、片手に宝箱を抱え、剣士は緊迫した顔で上をにらみ、下をうかがった。
「うお……」
 下から青い肌の一つ目巨人が、穴の壁をさぐって登ってくる。巨大な掌が剣士を捕らえようとバシバシ動く。つかまらないように剣士は足をバタバタさせた。
 まわりが明るくなってきた。
 穴の上では誰かがロープを引いていた。行きよりも早いキリキリという滑車の音が響いた。
「おい、急いだほうがよいのではないか?」
「わかってます!」
 ロープが引かれきって剣士が姿を現した。体を大きく振り、反動をつけてロープを手放し、着地した。その穴からサイクロプスが巨大な頭をつきだし、掌で地面を抑え、身を乗り出した。
 滑車を操作していたのは小太りの従者だった。従者はあわてた顔で巨人を仰ぎ見た。
「坊ちゃま、こいつ、出てきますぞ!」
 剣士は着地するや否や、走り出した。
「逃げるぞ、走れ!殿下もだ!」
「言われなくとも!」
 旅人にしてはしゃれた身なりの“殿下”と呼ばれた若者、小太りの従者、そして宝箱をわきに抱えた剣士の三人は一目散に出口へ向かった。
 発光苔がまだらに生えた樹の根が尽き、アーチ型に明るくなった場所が見えた。そこが出口のようで、外は野山だった。
「早く!」
 野山へ走り出ても、背後から地響きを上げてサイクロプスが追ってきた。
「う、うわあああぁぁぁ!」
 従者がつまずき、背中に負った荷物が投げ出された。
「しまった!」
 従者は荷物をかき集めようとした。
「荷物にかまうな、走れ、サンチョ!」
「ですが、坊ちゃま!」
 剣士は飛び出した。その場に宝箱をどすんと置き、背中の剣を引き抜いて巨人に対峙した。棍棒を両手で握り、サイクロプスはまっすぐに振り下ろした。
「うおおおぉぉぉっ!」
 その手首が片方、体液を噴き上げて宙に舞った。
「があぁっ!」
 サイクロプスは棍棒を取り落とし、残った手で手首を抑えてその場に転げまわった。悲鳴を上げながらもサイクロプスは片手で棍棒を探り取ろうとした。
「おっと」
 いつのまにか殿下が長剣を構えて巨人の鼻先につきつけていた。
「まだやるか、ん?」
 冷静に剣士が尋ねた。くやしそうに顔をゆがめ、這って後ずさりし、サイクロプスは元の洞くつへ逃げこんだ。
 ふう、と息を吐いて剣士は剣を鞘へ納めた。
「とどめを刺さなくてよかったのか?」
と殿下が言った。剣士は軽く首を振った。
「盗み出した非はこちらにある。番人の命を取りたくはない。さあ、帰ろう。宝箱を取ってくれ」
「余はスプーンより重い物は持ったことがないというのに。ほら、宝を返すぞ、坊ちゃま」
 剣士は殿下から真顔で宝箱を受け取った。
「今、剣を持っていたじゃないか。それから坊ちゃま呼ばわりはやめろ」
 殿下はニヤニヤした顔で尋ねた。
「では、どう呼べばいいのだ?」
「私にはパパスという名がある」
 そう言うと、剣士パパスは従者を振り向いた。
「大事ないか、サンチョ?」
「坊ちゃま~」
 サンチョは地面にへたりこんでいた。
「おまえもそろそろ坊ちゃまと呼ぶのはしまいにしてくれ」
「で、では、若殿」
「まあ、そんなところか」
 そう言ってパパスは笑顔になった。
 サンチョはようやく荷物をまとめあげた。
「さあ、用が済みましたらここを離れましょう。あの番人が戻ってきても困ります」
「そうだな」
と言ってパパスも歩き出した。
「余を置いていく気か」
 ようやく殿下も動き出した。
「今夜はキャンプに戻り、明日の朝船出しよう。明日中にはエルヘブンへ帰れるだろう」
 殿下が肩をすくめた。
「ふむ、そろそろ美女と美食に満ちた宮廷が恋しくなってきた」
 ははは、とパパスは笑った。
「グランバニアのことか?最初、ラインハットに比べればこんな田舎城、とさんざんにくさしてくれたような気がするのだがな」
 そうそう、とサンチョが言った。
「そのとき、『きちんと敬称をつけて呼んでいただこう!』とかだいぶ鼻息が荒かったような覚えがございますなあ、ラインハット王子エリオス殿下?」
 殿下ことエリオスは渋面をつくった。
「余の揚げ足を取るでない。あの時は、むかついていたのだ。『王位を継ぐにあたって友好国へ顔出ししてこい』と言われて故国を追い出されたのだぞ。めとったばかりの新妻がいるというのに」
 ひと月ほど前、ラインハットから表敬訪問の名目でエリオスはグランバニアを訪れていた。そして、パパスとエリオス、二人の王子は顔を合わせた瞬間から互いにそりが合わないことを確信したほど相性が悪かった。パパスにとってエリオスは軟弱で無責任な女好きであり、エリオスにとってパパスは尊大で不愛想な石頭だった。
 おやおや、とサンチョが言った。
「奥さまがおありだったので?それなのにグランバニアの城じゅうのご婦人を口説きまくったのですか?なんと無節操な。おまけにエルヘブンでも妙齢の女性と見ればコナかけて」
「黙れ、朴念仁」
 エリオスはサンチョの非難を歯牙にもかけなかった。
「美女を前にして声もかけぬとは、ラインハット男子にあるまじき怠惰だ。据え膳食わぬは男の恥、見敵必墜、鎧袖一触」
「まったく調子のいい男だな」
 笑いながらパパスはつぶやいた。決定的にタイプが異なるにもかかわらず、パパスは不思議とエリオスを憎みきれない。
「それほど宮廷が好きなら、どうして私の冒険についてきたのだ?」
「それは、ううむ」
 珍しくエリオスが言葉に詰まった。
「そのう、たまには気分を変えるかと思ったのだ」
 パパスはこのクエストにエリオスを誘った覚えはない。エリオスのほうが密航に近い形で勝手についてきた。だが、旅の間にエリオスは何度もパパスとサンチョを驚かせてくれた。彼がかなり魔法に通じていることも、実はラインハット流剣術の名手だということも、旅の間にわかったことだった。
 そして先ほどのように強い敵が現れたとき、敵をパパスにまかせて後ろに隠れていたことは一度もない。
「ほう。気分は変わったか?」
「まあな。まったく女性のいない環境というのも、いろいろと新鮮であった」
と言った後、脇を向いて、小声で付け加えた。
「楽しかったぞ」
 一瞬パパスは目を丸くした。が、何も言わず、片手でエリオスの肩を軽くたたいた。サンチョだけがにやにやしていた。
「色男には色男の苦労があるもんですなあ。さあ、エルヘブンへ戻りましょう!あのお方に戦果をお見せしなくては」
 パパスは思わず咳払いをした。が、エリオスは乗り気になった。
「よくぞ申した、サンチョ、従者の鑑だ。いざゆかん、美女のもとへ」
 パパスはあわてた。
「おい、やめろ。あの方はエルヘブンの大巫女だ。我々が馴れ馴れしくしては、あの方のご迷惑になる」
「はいはい、わかっておりますよ。ですが、今回の冒険はマーサさま直々のご依頼ですよ?宝物をマーサさまにも早くお目にかけたいではないですか」
 パパスたちがエルヘブンへ流れ着いたのは偶然だった。それは同時にエルヘブンのうら若い巫女姫マーサとの出会いでもあった。エルヘブンの長老たちの願いを、大巫女マーサからの依頼という形で受けた時、パパスはわずかな手がかりを頼りに宝の眠る謎の島を目指した。
「この宝箱に、お求めの品物が入っているとよいのだが」
 エリオスが浮かれ出した。
「お見せしなくてはわからないではないかっ。さっさと行くぞ」
 サンチョが珍しくエリオスに賛同した。
「命短し、恋せよ乙女と申しますからな」
 お?とエリオスが言った。
「そなたなら“大事な若様に素性の知れぬおなごなど近づけませぬ”とかなんとか言いそうだと思ったのだが」
 サンチョは胸を張った。
「このサンチョを見くびっていただいては困ります。生え抜きのパパスさま派ですぞ。パパスさまが憎からずお思いになったご婦人なら、品性卑しからぬ才色兼備の女君に決まっておるのです」
 この件に関しては、サンチョもすっかり前のめりだった。別にパパスは、巫女姫マーサに会いたくないわけではなかった。実を言うと、寝ても覚めてもマーサの顔が目の前にちらついている状態だったのだ。
「さてさて、この宝箱にアクセサリでも入っておりませんかな。ご依頼とは別に、よい贈り物になりますのに」
「なかなかの名案だ」
と言って、エリオスがのぞきこんだ。
「お宝を見てみたい。開けてくれ」
 サンチョが、またちょっとむかついた顔になった。
「これは若殿が命がけで持ち出された品ですぞ。それを我が物顔におっしゃいますなあ!」
 エリオスは肩をすくめた。
「もともと殿とて、中身を見たくて持ち出したのであろう?」
「そのとおりだな」
 パパスは宝箱を地に据え、その蓋を開けた。
 いわゆる宝石や金貨などの宝は、その中にはなかった。だが、明らかに尋常ではないオーラを放つ魔導書や宝剣、七色の霊布、真紅の妖金属などが詰め込まれていた。
 エリオスは嘆声をあげた。
「これは驚いた。ラインハットの宝物庫でもこれほどの品はないぞ」
 む、とパパスはつぶやき、一番上にあった書物に手を伸ばした。くすんだ赤い表紙の、大きな分厚い本だった。
「やはりあったか。天空城伝説の原本だ」
「ほう、マーサ殿はそれをお求めだったのか?」
とエリオスが尋ねた。
「あ、いや、別の本だ。だが私は昔からこの伝説に興味を持っているのだ。君は知らないか、空に浮かぶ城と、導きの勇者の物語だ」
「聞いたことはあるが、ただのおとぎ話であろう?」
「そんなことはない」
 自信満々にパパスは答えた。
「現に私の母の生国には、導きの勇者がかつて装備していた天空の兜が保存されているのだ」
 パパスはそっと本を開いた。
「空に高く存在せし城ありき。しかしその城、オーブを失い地に落ちる……」
 黄ばんだ紙面には彩色された城の図が描かれている。なぜかその城は雲の中にあり、宙に浮いているようだった。
「なんだ、つまらんな。どれどれ」
 エリオスは宝箱を手で探った。
「どれも難しそうだな。いや、これなら読めるか?」
 そう言って一冊の巻き物を取りだした。
「また勝手に!」
「見るだけだ、見るだけ」
 エリオスは止め紐をほどいて紙を広げた。
「なんだ、これは」
 その時だった。エリオスの手の上のいかにも古めかしい巻き物から銀の粒のようなものが一斉に湧き上がった。空気中のホコリというより細かい雪のようで、風もないのにエリオスの頭上まで舞い上がり、そのままふわふわと降りて体中に定着した。
 同時に巻物がぼろぼろになり、表紙も本紙も、それどころか軸や紐まで音もなく崩れ去った。
「エリオスさま!いったい何を」
「余は何もしていないぞ」
 戸惑った顔でエリオスはそう言った。
「驚いた」
とパパスが言った。
「それは技法書というものだろう。読んだ者が技法を習得すると、技法書そのものは消えてしまうと聞いている。この目で見たのは初めてだ」
 エリオスは自分の両手をしみじみと見下ろした。
「まいったな。技法か。余は、うっかり人工使い魔の作り方を覚えてしまったらしい」
 パパスとサンチョは顔を見合わせた。
「なんということだ。殿下が読んだそれが、マーサ殿の御所望の本だぞ」
 エリオスは片手で額を支えた。
「やらかしたか!むむ」
 そのまましばらく、悲劇的な表情でかたまっていた。
「坊ちゃ……殿、どういたしましょう」
「しかたがあるまい。殿下をエルヘブンに連れて行ってお望みの使い魔を長老方の目の前で造らせるしか、償う方法はなかろう」
 いきなりエリオスは片手を離し、にやりとした。
「おお、償うとも。婆様はともかく、巫女姫の手を取って跪き、幾重にも許しを請うのだ」
 おい、とパパスが言いかけた。
「ついでに殿をうんとアピールして、どうかグランバニアへ盗まれてやってくださいとお願いしておこう」
 パパスはむせかけた。ゲホゲホしているのを、後ろからサンチョが背をたたいてくれた。
「大丈夫ですか、若殿。エリオスさまが技法を手に入れてしまったのはとんだ事故でございますが、考えようによっては根性の曲がったどこかの魔導士あたりが技法を覚えるよりましでございましょう」
「その通りだ」
とエリオスは言った。
「それに人工使い魔とやら、上手く造れたら、なかなかおもしろそうだ」
 そう言ってエリオスは、くっくっと笑った。もし、パパスのまだ生まれていない息子がその笑顔を見たら、彼の長男の笑い方とそっくりだと言ったかもしれない。