オウム返しの使い魔 10.天空城

  天空城は雲の上にそそり立っていた。
 ルーラでここへ来るたびに、ルークは正面から城を見上げる。そのたびに天空城の潔癖と峻厳に圧倒されるような気がした。
 ルークは隣に立つヘンリーのようすをうかがった。足もとが雲なのだ、と説明した時、落っこちるんじゃないかと心配していた。
 ルーラで到着した今、ヘンリーは足もとのことなど忘れているようだった。蒼穹を背景にして純白の石材、濃紺の塗料、金の帯状装飾でできた見事に直線的な城の威容に完全に心を奪われていた。
「すげえな」
「すごいよね」
 少し嬉しくて、ルークはそうつぶやいた。
「さあ、入り口はこの上の上だよ」
 少し緊張した顔でヘンリーは階段を登り始めた。二人がいるのは、城の一番下にある基壇部分から雲海へ伸びる大階段だった。大階段の上の広場では左右二柱の石造りの女神が両手を広げて来訪者を祝福していた。広場に立つとひときわ冷涼な風が顔をかすめた。
 この広場から見上げると、真っ白な石を積み上げた天空城の天守が見える。ヘンリーは声もなくそのありさまを見上げていた。空に浮かぶこの巨大な城は、ラインハット城のてっぺんより遙かに高かった。
 基壇からさらに上、二基の角塔を持つ天守へは、別の階段を上がらなくてはならない。そこには金の紋様で飾った濃紺の大扉があり、扉を開けて奥へ進めば天なる竜、マスタードラゴンの玉座の間へ直結する。
 大扉を守るのは、天空人選りすぐりの兵士、ドラゴンガードたちだった。立派な体格に白銀の鎧兜をまとい、背にはオオハクチョウのような翼をたたんでいる。
 扉の左右のドラゴンガードは手にした槍を無言でかまえた。
「グランバニアのルーク。マスタードラゴンにお目にかかりたい」
とルークは告げた。
 ドラゴンガードは槍を持ち替えた。そのまま退くか、と思った時、彼らは互いの槍を交差させて大扉の前をX字型に封じてしまった。
「通してください」
 ドラゴンガードの一人が冷静に言った。
「グランバニアのルークさまだけならお通しします」
 はっとしてルークはヘンリーの方を見た。ヘンリーは顔をこわばらせていた。
「彼はぼくの友人です。怪しいものじゃない」
「あなたさまだけならお通しします」
 ドラゴンガードは頑固に繰り返した。
「なぜ地上の者をここへ連れてきたのです。天空城はそもそも天空人のもの。あなたの友人は、入城できません」
 杓子定規、四角四面、そんな言葉がルークの頭の中を巡った。
「マスタードラゴンに用があるんです、」
 即座にドラゴンガードが言い返した。
「マスタードラゴンは地上の者に用はありません」
 頭に血が上りそうだった。
 ルークは槍の片方を乱暴につかんだ。
「どけ!」
「待てよ」
 そう言ったのはヘンリーだった。
「落ち着け。槍から手を放せ。忘れたのか?俺は奴隷あがりだぞ。こんなもの、屈辱でもなんでもない」
「でも、がまんできないよ、こんな!」
 ヘンリーの手がルークの肩を抱いた。
「なあ、地上の人間が来ちゃいけないところへ、おまえというコネをつかって俺はやってきた。ずるいこと、してんだよ、もともと」
 そう、低くささやいた。
「でも、これじゃあせっかく来たかいがない」
「俺がマスタードラゴンにしたい頼みごとをお前が取り次いでくれ。俺はそれで十分だ」
 空の上の冷たい風がようやくルークの頭を冷やしてくれたようだった。
「わかったよ。あなたたちも、それでいいよね?」
 ドラゴンガードたちは無言、冷静、無表情だった。
 ルークはまだ少し、むっとしていた。
「ぼくとはヘンリーといっしょにここにいる。城の人を誰か呼んできてください。マスタードラゴンに伝言を頼みたい」
 やっとドラゴンガードがうなずいた。
「了解した。ここで待つように」
 大扉が細く開き、中で何か話し合っているようだった。天空城でよく見かける天空人が取り次ぎ役に決まった。
 どうやら女性らしい細身の天空人は、扉の内側から声をかけた。
「グランバニアのルークさま、伝言を承ります」
 あくまでヘンリーを無視するつもりらしかった。
 ルークは小声でヘンリーに尋ねた。
「それで、マスタードラゴンに何を頼むの?」
 天空城の大扉の前に立ち、その奥にいるマスタードラゴンを見透かすように視線を据えて、ヘンリーは言った。
「『ラインハットの先王エリオスが習得した人工使い魔の技法を、エリオスの子ヘンリーに相続させてほしい』。マスタードラゴンにはそう伝えてくれ」
 エルヘブンを後にしたとき、ルークとヘンリーはこれからの戦略を話し合った。どうやってあの異形のエビルスピリッツに対応するか。その答えの一つが、「別の使い魔を造り、そいつを戦わせる」という方法だった。
「もともと親父の造った人工使い魔だろ?同じ人工使い魔なら、エビルスピリッツの攻撃に耐えられる可能性がある」
とヘンリーは言った。
「のしかかって魂を吸いとる、っていう攻撃は、エビルスピリッツどうしなら効かないかもしれないね、たしかに。でも、どうやってそんな使い魔を仲間にする?」
 ちょっと首を傾けてヘンリーはにやっとした。
「おまえ、根っからのモンスター使いだな。仲間にするんじゃなくて、もう一体造って育てるんだ。問題のエビルスピリッツを打倒することはできなくても、弱らせれば、吸い込んだ魂を吐かせて壺へ封印できるんじゃないか?」
「どうやって使い魔をそんなふうに育てる?」
「育て方はエルヘブンの婆様たちを頼れるんじゃないかと思ってる。材料もエルヘブンにあるんだろ?」
「そりゃそうだけど、使い魔の造り方がわからなかったから、父さんたちは使い魔の技法を探したんだ。もう技法書はないんだし」
 小さくヘンリーは舌打ちした。
「しかもあのクソ親父、貴重な技法を誰にも伝えずに逝っちまった。俺が戻ってくるまで生きててくれれば」
 そのあとをヘンリーは口にしなかった。が、その願いはたぶん今までに何度も心中でつぶやいたのだろうとルークは思った。
「でも、使い魔の技法はたしかにあったんだ。それを手に入れさえすれば勝ち目が見えてくる」
 再び天空城の大扉が開いた。取り次ぎ役の天空人が戻ってきたようだった。
「マスタードラゴンのお返事を申し上げます。エリオス王の習得した使い魔の技法を、エリオスの子ヘンリーに相続させることはできません。以上です」
「まって」
 思わずルークは声を上げた。
「それだけですか?」
「はい、それだけです」
 取り次ぎ役は冷静にそう言った。
「そうじゃない!」
 ルークは歯ぎしりしたくなった。
「何のためにぼくたちがそんなことを頼んだのか、マスタードラゴンはわかっているのか?ラインハットを襲った異形のエビルスピリッツを何とかしたいからなんだ!マスタードラゴンが世界の守護者だと言うのなら、教えてほしい!どうしてあんなものが現れたんだ?」
 しばらく沈黙してから取り次ぎ役は尋ねた。
「そのようにマスタードラゴンにお伝えすればよいのでしょうか」
 何もわかってない。ルークは絶望しかけた。
「こう伝えてくれ」
 そう言ったのはヘンリーだった。
「悪意を持った、かつレベルの高いエビルスピリッツがラインハット城を襲った。この現象はマスタードラゴンの御目にも意外なものであるはず。なぜなら、エルヘブンの長老たちにさえ予測できなかったのだから」
 ルークは息を詰めてヘンリーを眺めていた。
「時の流れの中のあり得ざる分岐、時間の奇穴である。これをどのように処理なさるのか、お考えをうかがいたい。そうお伝えしてくれ」
「わかりました」
 何の感情も見せず、取り次ぎ役はそう言ってしずしずと引き返していった。
 ヘンリーはその場に足を開いて立ち、挑むように腕を組んだ。
「どんな答えが返ってくるかな」
「“そんなこと、知るか!”って言いたいだろうけど、言えないはずなんだ、すべてを見守る者の名にかけてな。エルヘブンの婆様たちもそうだったけど、竜の神はけっこううろたえてるんじゃないのか?」
 ルークは、あのプサンが自分の手で髪をかきむしっているようすを想像した。
 取り次ぎ役が帰ってきた。
「時の奇穴については、全力を挙げて解決策を探っている。他に付け加えるべきことはない。ただ、現在の時間線においてグランバニアのルークと勇者アイトヘル並びにその仲間が事態を収拾することは、これを認め、肯定する」
 ヘンリーが言い返した。
「事態の収拾には、使い魔の技法が必須である。再度請う、エリオスの持っていた技法を、ヘンリーに相続せしめよ」
 独特の言い回しだった。ルークは、傍らに立つ旅人の姿をした旧友が実はラインハットの政界で十年以上のキャリアを積んだ政治家なのだとあらためて思った。
「相続は叶わぬ」
 取り次ぎ役=マスタードラゴンはばっさりと拒絶した。
「理由を問う」
 ヘンリーも退かなかった。
「現存するエリオスの子は、自分、ヘンリーただ一人。相続の権利がある」
 その求めに対し、取り次ぎ役は特に感情を乗せず、淡々と答えた。
「請求を却下する。なぜなら、現存するエリオスの子は、ヘンリーとデールの両名であるから、一名にのみ相続を許すことはできない」
 ひくっとヘンリーの喉が鳴った。
「本当か……?」
ヘンリーの心を覆う鎧が音を立てて砕け散るのをルークは感じ取った。信じたいのに、とうてい信じられない、そんな表情で呆然とヘンリーはつぶやいた。
「デールは生きてるのか?」
 何を思ったか、取り次ぎ役は再度城内へ姿を消し、また、戻ってきた。
「ラインハット王デールは生きていると言ってさしつかえない。その肉体はすべての代謝を凍結しており、彼の上で時は止まっている。その魂はエビルスピリッツに吸収されているが、エビルスピリッツの内部で一個人の魂として保たれている。生存という状態へ復帰することは十分に可能である」
 ふら、とヘンリーがよろめいた。その身体をとっさにルークは支えた。
「ヘンリー」
 支える腕を、ヘンリーの指が痛いほどにつかんだ。
「聞いたかよ!あいつ、生きてるんだ」
 青緑色の目に、うすく涙が浮いていた。
「よかったね」
 ルークがちょっと嫉妬するほど彼は嬉しそうだった。
「まだ生きてるなら、俺が絶対に助ける」
「もちろんさ」
 そう答えて、一度ぎゅっと彼を抱きしめた。
 ヘンリーは、取り次ぎ役に向き直った。
「了解した。相続の件は取り下げる。だが、エビルスピリッツ事態の収拾に、マスタードラゴンはいかなる力添えを下しおかれるのかをうかがいたい」
 そう言ってから、浮き浮きとつけくわえた。
「まさか、ここでトグロ巻いて見てるだけってこたぁねえよな?」
「それもお伝えいたしますか?」
 のうのうとヘンリーは言った。
「無論だ」
 取り次ぎ役を呑みこんだ天空城の大扉は、しばらくの間、開かなかった。ルークとヘンリーは黙ったまま待っていた。
 ルークは傍らの友人を横目で見ていた。先ほどまでとは違う。組んだ腕の上に指先が踊り、自分に納得したように何度もうなずいた。
「楽しそうだね?」
 視線を扉にあてたまま、口角を上げてヘンリーは答えた。
「ああ。たまらねえよ」
 ちょっと呆れて、だがうんと安心して、ルークはつぶやいた。
「そういうとこ、君は変わらないね」
 返事は、にやりとした笑顔だった。
 ようやく扉が開いた。二人の天空人が現れた。一人は取り次ぎ役、もう一人は別の、もっと年老いて見える天空人だった。
 二人の天空人はドラゴンガードの守る大扉を抜けてルークたちのところへ歩み寄った。
「マスタードラゴンのお考えでは、あの異形のエビルスピリッツは、他の時間線からの放浪者であろうということです」
 ヘンリーはいぶかしそうに眉をしかめた。が、ルークには心あたりが合った。世界を見守る者マスタードラゴンは、無数に分岐した時間の流れをすべて監視している。その分岐の中にはあらゆる可能性が含まれていた。
「あの災厄はぼくらの世界へうっかり迷い込んだのですか?」
 天空人の老人は沈黙した。
 そうか、とルークは悟った。うっかり、ではないのだろう。おそらくマスタードラゴンが時の流れに何らかの操作をして、その結果あのエビルスピリッツがこの世界へやってきた。つまり、マスタードラゴンの失策ということだった。
 こほん、と天空人は咳払いをした。
「あれを元の時の流れへ戻すことはほぼ不可能です。こちらの世界で始末するしかありません」
 何を他人事のように、とルークは思った。
「言われなくてもヤツの始末はつけてやる」
とヘンリーが言い出した。
「だがそのためには、三つのものが必要だ。丈夫な壺、名付け親の資格、あいつの真名」
 それはエルヘブンで得た情報だった。エビルスピリッツこと人工使い魔、かつての“小アニマ”封じ込めには丈夫な壺、名付け親の資格、そして真の名前を必要とする。壺については見当がついている。だがあとの二つはどうすればいいか、まったくわかっていなかった。
「そうだな、すべてを見守るマスタードラゴンには、あいつの真の名は見通せないのか?できるなら教えてほしい。それでずいぶんはかどるんだ」
 天空人の年寄りは、取り次ぎ役にむかってかすかにうなずいた。取り次ぎ役は城内へ引き返した。
 これで真名がわかるかもしれない。胸を躍らせてルークとヘンリーは返事を待った。
 取り次ぎ役が戻ってきた。相変わらずの無言、無表情だった。
「現在、小アニマなる人工使い魔の真の名は、不詳です」
 バカな、とルークは言った。
「そんなはずはない!マスタードラゴンの目を逃れる事象が、あるわけがない」
「真名は不詳です」
と取り次ぎ役は繰り返した。
「ずるはダメだ、そういうことですか?」
「真名は不詳です」
 くっくっとヘンリーが笑った。
「まさかあいつ、『不詳』って名前なんじゃないだろうな!」
 声を荒げかけたルークは、たたらを踏みそうになった。
「ヘンリー、まさか」
 二人とも同時に取り次ぎ役の顔を見た。
「『不詳』という名かもしれないし、そうでないかもしれません」
「答えになってない!」
 またルークはイラついた。
「待てよ」
 ぽん、とヘンリーはルークの肩をたたき、天空人たちと向かい合った。
「壺については俺たちに心あたりがある。真名はパス。じゃ、名付け親の資格は?」
 老いた天空人は、あっさりと言った。
「これをお持ちくだされ」
 老人は金縁の青いクッションを取りだした。その上にあるのは、メダルのような形をした白っぽいものだった。
「マスタードラゴンの予知に、これを持つあなたさまが映りました。事態の収拾に必要なものと思われます」
 老人は、明らかにヘンリーにそのメダルを差し出していた。ヘンリーは片手を伸ばして白のメダルを手に取った。
 ゴールド金貨とも“小さなメダル”とも異なるものらしい。大人の手のひらにすっぽり収まるような直径の真円で小指の先ほどの厚みがある。材質は金ではなく、光沢のある乳白色の素材、金属のようにも陶磁器のようにも見えた。表面に不思議な紋章があり、その下に古代文字で何か彫り込まれているようだった。
「これは?」
「“マリナンの許し”でございます」
 ヘンリーは首をかしげた。
「マリナンとは聞かない名だが」
「マリナンは、古代神のうちの一柱にして命名をつかさどる神におわします。“マリナンの許し”は名付け親の資格の代わりとなることでしょう」
 ルークはつぶやいた。
「一番難しいのが手に入ったんだね」
 天空人はつつましくクッションをさげた。
「礼は言っとくよ。けど、こっちもせっかく雲の上まで直談判に来たんだ。もうちょい、色をつけてくれないか?」
 親分を自称するこの親友が昔から暴走すれすれなのはルークも知っている。だが、よもや天空城を相手に値切りの交渉をするとは思っていなかった。
「色、になるかどうかはわかりませんが」
 しばらく沈黙してから天空人は言った。
「マスタードラゴンは、このアイテムに言霊をこめられました。このメダルを持つ者が発する言葉は、対峙する者にあるていどの強制力を持ちます」
「そりゃあいい」
 手のひらの上の白いメダルをヘンリーは親指で弾き上げた。くるくると表と裏を交互に見せてメダルは回転し、落ちて来た。真横からつかみとり、ヘンリーはにやりとした。
「神様にしちゃ、気が利くな!」
 この場もたぶんマスタードラゴンは見ているはずだった。おそらくイラっとしたことだろう。くすりとルークは笑った。
「ただし、問題のエビルスピリッツが嫌がるような命令を強制するには、このメダルに加えてやはりその者の真の名が必要であろうと竜の神はおっしゃいました」
「それに関しちゃ、こちらに考えがある。まあ見てなってことだ」
 この相棒がそう言う時、八割がたのプランができているということだと、付き合いの長いルークは知っていた。
「じゃあ、次、行こう。サラボナだ」
「おう!」
 青いマントがヘンリーの背で翻った。ふたりは雲の上を歩きだした。