王宮のトランペット 第八話

 そのころ王宮では、着々と式典の準備が進んでいた。セレモニー直前につきものの、厳かで、同時にあわただしい雰囲気が城中に漂っている。式典を担当するタンズベール伯爵は、役人たちを従え、巻物を持って式典会場に詰めていた。部下の役人たちに次々と指示を下し、ヴィンダンと費用について話し合っている。
 式典会場は、ラインハット城のお濠の橋を渡り城内に入ってすぐの、壮大な玄関ホールと決定されていた。階上にある謁見の間よりも採光と通風がよく、長時間客を座らせておくには都合がよいのだった。
 見上げれば、湖の精霊を描いた美しい天井画もある。精霊の見下ろすホールには、従僕たちの手で仮の玉座がすえられ、壁に沿ってぐるりと客のための席が設けられていた。ホール中央には、コリンズ王子が宣誓を行うための舞台が築きあげられていた。
 伯爵の管轄は、式場設営、式典の儀典長役(司会)、そのあとの宴、飲食関係だった。警備担当はもちろん、トム隊長と王宮警備隊の仕事である。オレストは正規軍を率いて、まだラインハット市の出入りを厳重に見張っていた。
 そして、最も戦略的な仕事は、式典に招待する客を選び、ランクによって席を決め、ふさわしい接待をすること。それはデール王、アデル大后、そしてヘンリー大公夫妻の役目だった。
「客を入れるのは、昼からだ!」
早足で会場を横切りながら、ヘンリーがそう言った。
「それまでに会場を整えてくれ」
「かしこまりました!」
伯爵が答え、またせわしなくヴィンダンと話し合いにかかる。ヴィンダンは式典を含め、今回の精霊の祭全体の会計を担当していた。
「費用は潤沢ですぞ。もう少し座席に飾り付けをしてもよろしいかと。あと、宴の食材もよいものを使うことができそうです」
「そうですか!すぐに取り寄せてください」
二人の周りを、従僕や女官たちがひっきりなしに走り回っている。あれが足りない、それはこっちのだ、という、お定まりの騒ぎが延々と続いているのだった。
 城の内部では、身分の高い来賓、特にグランバニア国王一家のために設けられた貴賓室の清掃と飾り付けを、マリア大公妃が点検に来ていた。女官たちを従えたマリアは、潔癖な修道女と賢明な女主人の目で調べていく。
 床や調度品のよごれ、リネン類のしわ、生けた花のようす。見なくてはならないことはいくらでもあった。
「あと、お部屋はいくつだったかしら?」
頼りになる秘書のリルシィが羊皮紙を広げる。
「あとは、貴族の皆様の控え室がいくつか」
「わかりました。行きましょう」
女官の一人が聞いた。
「お料理の方は、どうなさいますか」
「メルダと相談してメニューを決めましたから、あとで仕上がりだけ見せてもらいましょう。さあみなさん、今日は忙しいです。がんばりましょう!」
 そのころ厨房では一心不乱にメルダとその娘で助手のクリスが腕をふるっていた。
「母さん、お客の追加みたいよ!」
「ああ、いくらでも来るといいさ」
頼もしくメルダは言った。
「グランバニア風のクリーム煮をメニューに入れたから、ちょっとやそっと増えても大丈夫」
「あたしはデザートの用意を増やしてくるわ」
「まかせたよっ」
 何人もの料理人や下働きが広い厨房いっぱいに動き回って、水洗いの音、せわしなく包丁を使う音が響いている。いくつもあるかまどからはもうおいしそうな匂いが漂ってきていた。
 意気揚々とメルダは言った。
「コリンズ様のおひろめだもの、腕によりをかけて、いっくらでも作ってやるからね」
 ちょうどそのころ、デール王は数名の従僕を従えて階上の私室から降りてきたところだった。従僕たちは、手に羊皮紙の巻物をかかえている。さかんに書き込んだり、線を引いて消したりしたあとがあった。
「国王陛下!」
伯爵がやってきた。
「式典のときの立ち位置のことでご相談したいのですが」
デールは立ちどまった。
「ああ、今、行きます。このリストを兄に持っていってください。招待客の座る席を決めておきましたから」
伯爵は驚いた顔になった。
「ヘンリーさまは、ごいっしょだったのでは?」
「いいえ?」
「それは、それは……この忙しいのに、どこへおいでになったのやら」
伯爵はきょろきょろして、ヘンリーの私設秘書に声をかけた。
「ネビル君。ヘンリー様は、どちらにいらしたんだね」
ネビルは、手のひらを上にして軽く横へ出した。
「ただいまおいでになったようです」
ネビルの示した方向は、式典会場のホールの脇の出入り口だった。ドレスアップした貴公子、ヘンリーと、緑の地色に金のラインを入れた服の男が歩いてくるところだった。それは楽士のお仕着せだった。
「きみは、楽士長だね。兄上、何をしていらしたのです?」
楽士長は遠慮がちに目を伏せたが口元がニヤニヤ笑っている。ヘンリーは、軽く咳払いをした。
「ちょっと、楽士長に仕事を頼んでいたのさ。な、ジェローム?」
楽士長ジェロームは満面の笑顔を見せ、意味ありげに手にした楽器をそっとたたいた。
「確かに承りました」
「頼りにしてるからな」
「おまかせを」
楽士長は、大切そうに自分の楽器を撫でた。金色に輝くトランペットだった。

 ラインハットの市場に近い場所に、白塗りにメッキ金具の、きゃしゃな馬車が停まっている。市民はその馬車になじみがあった。
「コリンズ様がおいでなのか」
「ガラスの靴の乙女を探していらっしゃるらしい」
「今日は立太子式の当日だろうに、何をしておいでなのやら」
「あら、ロマン優先というのもコリンズ様らしいわよ」
気楽に話し合う声が馬車の中にいても聞こえてくる。
「冗談じゃないぜ。人一人の命がかかってるんだ」
ぶつぶつとコリンズがつぶやいた。いっしょに乗っていたアイルとカイがくすっと笑った。
「バカっぽく見せようとして、バカっぽく見えるんだから成功じゃない」
「そうだけど」
今、従僕のキリは馬車から降りて、この地域内の町役人と話をしているところだった。
「コリンズ様」
そのキリが馬車の扉を開けて言った。
「人の出入りはいちおう禁止になりました。あとは、オレスト様の部下がこの辺を封鎖してくれています。そろそろ始めますか」
「ああ、そうしよう。できれば昼前にイリスを探し出して、式に間に合うように城へ帰りたいんだ」
コリンズと双子は馬車から降りた。
 少し前の天変地異の日々が勇者の勝利で終わってからと言うもの、世界は美しい毎日が続いている、とコリンズには思えてしかたがない。今日も空は晴れてすがすがしく、湖は鏡のようになっていた。
 そのとき兵士が荒々しい声で誰かを制止した。ラインハット貴族らしい男が二人、兵士たちともみあっている。
「おい、どけっ、どかんか!」
すごいデブの大男が、手で武装した兵士をなぎ払うようにした。
「あれは、マクシミリアン殿です。もう一人は、テオドア殿」
キリがささやいた。
「父上のケンカ相手だな。マックスとテディか」
「はい」
ちっとコリンズは思わず舌打ちをした。騒いでいる二人に歩み寄ると、兵士たちにやめろ、と声をかけた。
「マックス、テディ、こんなとこまで、何しに来た?」
一瞬、暴れていたマックスたちが、動きを止めた。呆然とした顔でコリンズを見ている。
「なんだよ、おまえら」
アイルが口を挟んだ。
「コリンズ君のこと、ヘンリー小父さんかと思ったんだよ」
「バカ言え、おれはそんなに父上に似てやしないさ」
「コリンズ君……」
 マックスたちが気を取り直したようだった。
「コリンズ殿下こそ、こんなところで何をしていらっしゃるんですか?」
ずるそうな顔でテディが聞いた。
「人を探しに来ただけだ」
「へええ?」
テディは陰湿な目つきになった。
「人ですか。もしや、『風の帽子』をお探しなのでは?」
コリンズは肩をすくめた。このていどの揺さぶりで動揺するようなおれじゃないぞ?
「『風の帽子』は、城においてあるに決まってるじゃないか。今日の午後からの式で使うんだから」
テディの目が、険悪に細くなった。
「では、『風の帽子』は関係ないのですな?」
「そう言っただろ」
「では、我々がお供をしても、かまいませんな?」
キリが眉をひそめた。
「ハイゲイト殿、あつかましい仰せです。コリンズ殿下、グランバニアの王子、王女殿下とごいっしょする名誉を、簡単によこせとおっしゃるのですか」
「そうですなあ。われわれごときがごいっしょしては、おいやでしょうなあ。秘密の探し物がおありのときは」
「もういい」
コリンズがさえぎった。
「キリ、時間がない。こいつらの同道、許す。すぐに捜索を始めよう」
「かしこまりました。では、まずはあの家から」

 ラインハット城には続々と客が到着していた。午前中の時間も残り少なくなり、式典の準備も滞りなく進んでいる。完璧だった。ただ、主役のコリンズ王子が不在であり、式に使う大事な道具がない、ということをのぞけば。コリンズ付きの侍女ショーンが、コリンズの式服を抱えて走ってきた。
「マリア奥様、コリンズ様にお戻りいただくわけにはいかないのですか。もう着替えていただかないと」
マリアはすべての準備を終えて、自分も式典用の衣装と結髪をすませたところだった。
「コリンズは、お友達の命を助けようと、今、必死なんです」
ショーンは沈黙した。
「大丈夫、必ず間に合います……リルシィ?」
マリアの秘書、リルシィが羊皮紙を広げた。式典会場の略図が描いてあった。
「コリンズ様は、ここ、城内の階段から登場して、客席の後ろをぐるっとまわって城の出入り口方向からホールの中央へ出ます。そこで、玉座に対面する位置で宣誓となります」
マリアは、略図の上の階段を指差した。
「ショーンはここで待機してください。あの子が姿を見せたら、すぐに着替えれば間に合うでしょう」
「はいっ」
ショーンは大声で返事をすると式服一式を持って飛び出していった。

 一家の長女は、しぶしぶ負けを認めた。美しいクッションの上に置かれたガラスの靴を、なかなかかっこいい従僕がひざまづいて差し出し、彼女の素足にはかせようとしたのだが、どこをどう曲げても、思いっきり息をつめても、足は靴に入らなかったのだ。
「今度はあたしの番よ!」
勝ち誇った顔で妹が言った。長女はじろりと妹をにらんで、椅子から立った。あとにはまだ、二人の妹が控えている。
「あ~」
とコリンズ王子が言った。
「この家には、ほかに人はいらっしゃいませんか?」
一家の女主人は首を振った。
「これで全部ですが」
「その、招待状はあちこちに配られましたので、もしや使用人のどなたかということも」
女主人は微笑んだ。
「うちは、主人が亡くなってからつつましく生活しておりまして。下男のほかは、年取った料理女がいるだけですわ」
「お客などは?」
「今は特に」
「そうですか」
妹がガラスの靴と悪戦苦闘している。が、なぜかコリンズ王子は、興味が薄れたように見えた。
 コリンズ王子、グランバニアの王子、王女、おつきらしい二人の貴族(一人はでぶでもうひとりはちび)も、妙に上の空である。長女はため息をついた。ロマンスはそれほどたやすく手に入るものではないらしかった。

 式典開始の時刻となった。客席はすべてうまった。たいていは国王支持を表明している貴族階級、地方の郷士、ラインハットやオラクルベリーの名士といった人々だった。湖の精霊祭の最後にあたるセレモニーである。客席にはどこか浮き浮きした、期待に満ちた雰囲気があった。
 そのなかに、ちょっと異なる色合いの人々が占める一画があった。身なりは特にいいのだが、どことなく不満がくすぶっているような険悪な顔つきをしている。ラインハット貴族の若者たちだった。その中央にいるのは、クレメンス子爵ランスロットだった。彼は、城から降りてくる階段や、主催者の席にすわっているヘンリーを、陰険な笑顔でかわるがわる眺めていた。
  ヘンリーのほうは、じろじろと遠慮なく浴びせてくる視線をすべて受け流し、平然と振舞っている。
「いつまで持つかな?」
ランスがつぶやくと、下卑た笑いが沸きあがった。
 その声が聞こえたかのように、ヘンリーが立ち上がった。下品な嘲笑をかきけすような大きな拍手が彼を迎えた。さっと片手を横に突き出して五指を広げると会場は静かになった。
「ラインハット城へようこそ」
10年以上政治家としてすごした年月が、その声にも態度にも貫禄を与え、抱えている弱点などみじんも見せない。明晰な声で彼は告げた。
「これより、ラインハット王国立太子式を始めます」

 式は始まった。楽士長ジェロームは、儀典長タンズベール伯爵の合図を受けて、楽士の席から声をかけた。
「国王陛下、ご入場」
楽士たちは自分の楽器を手に取った。
 ジェロームはもともと、ラインハット正規軍所属軍楽隊のトランペット奏者だった。ひとたび戦争が起こればナチュラル・トランペットを吹いて軍隊の行進の歩調を取るのが仕事だった。また戦場は、たいていの場合阿鼻叫喚の場となる。人の声では届かない指令も、トランペットの音色なら軍全体に行き渡る。トランペット奏者は、王や将軍の指令を知らせるという重要な役目を担っているのだった。
 ナチュラル・トランペットは、呼吸/肺活量と唇の使い方にたいへんな修練が必要であり、ジェロームの家系は先祖代々この技術を磨いてきた。今も兄弟や従兄弟などが何人も軍楽隊に所属している。
 気位が高いと人から言われることもある。が、そもそもトランペット奏者は王家に直属の、誇り高き専門家なのだ。特にジェロームは当代一の名人と呼ばれ、頑固一徹で通してきた。
 部下のトランペット奏者たちが、新しい楽器を構えた。
 それは一見、管の湾曲した装飾のあるトランペットに見えたが、管の途中に奇妙なものがついていた。
「セルジオが取り寄せた見本をもとに、城の工房で工夫して造らせたんだ。こういうものがサラボナのほうじゃもう使われているらしい」
これを手渡したとき、ヘンリー大公はそう言った。こういうもの、というのは、管の途中に設けられている単純な機構だった。ジェロームが初めてそこに指を触れたとき、それはするりと動いた。
「これは」
可動部分を動かすと、管の長さが変わる。
「管の長さが変われば、音の高さが変わる……」
ジェロームはつぶやいた。彼の手の中に在るのは、ナチュラル・トランペットの進化形、移調管付きトランペットだった。
 奏者の一人、オーランドが目で合図をよこした。ジェロームがうなずいた。王宮のトランペット吹きたちは、いっせいに息を吸い込んだ。公の場でこの新しい機種を使うのは、これが初めてだった。全員、使ってみたくてたまらなかったのだ。次の瞬間、華やかなファンファーレが、城の大ホールに響き渡り、開け放した扉を通して屋外にも流れ出した。

 ラインハットの街中に、トランペットが喨々と鳴り渡る。
「国王のファンファーレだ!」
コリンズはそう叫んだ。
「今聞こえている、あれ?」
カイが言った。
「うん。叔父上が会場のホールに入ったんだ。ていうことは、式が始まっちゃったんだ」
「どうするの?」
とカイが聞いた。
「いったん、お城へ帰る?」
コリンズは首を振った。
「ううん、このままあの子を探すよ」
「大丈夫?」
「おれ、王様になるんだろ?イリスはおれが護ってやるべき民の一人で、おれの親戚で、それに、友達なんだ」
アイルが笑っていった。
「かっこいいぞ、コリンズ君」
「ありがとよ、勇者様」
「あたしたちも、最後まで付き合うわ。イリスちゃんが見つかったら、いっしょにルーラしてあげるから」
「ああ!頼むね」
 キリがやってきた。
「民家は、だいたい回りました。あとは商店、工房、宿屋などですが」
「先に宿屋へ行こう」
すぐにコリンズが言った。
「隠れるにはもってこいだ」