王宮のトランペット 第七話

「ああ?なんだ?」
「ラインハットにとって風の帽子は大切なものだろうと思うんだけど、でもやっぱり、アイテムはアイテムにすぎない。このままコリンズ君の立太子式を進めたらどうかな?」
ビアンカは言い添えた。
「悪だくみの大元だった侯爵さんも逮捕しちゃったんでしょう?もう文句を言う人もいないんじゃないかしら」
「本質的には、その通り」
とヘンリーは言った。
「ただ問題は、クレメンス家に同調する者が、ラインハットの旧貴族階級に多くいるという点なんだ。コリンズが貴族たちから浮いているとすれば、この子がいざ王位についたときに、国政が困難になるかもしれない」
ルークは首を振った。
「きみったら、立派な親ばかだよ」
「お前に言われたか、ないね」
「君もコリンズ君も、国民から支持されているじゃないか。何も問題ないよ」
ビアンカが付け加えた。
「グランバニアも、現王家を応援するわ」
デールは微笑を浮かべた。
「心強い限りです、王妃様。しかし、友邦とはいえ外国の勢力を後ろ盾に王太子になるという図は、良い方面と同じくらい、悪い方面にも影響が出ます」
「あのさ!」
と、アイルが言い出した。
「なんだい?」
「ぼくは思うんだけど、コリンズ君がどうしたいか聞いてみたら?明日は、コリンズ君が王太子になるんでしょ?」
大人たちは顔を見合わせ、そして同時に顔をほころばせた。
「そのとおりですね」
「忘れてたよ」
ヘンリーも、苦笑していた。
「そうだな。コリンズおまえは、どうしたい?風の帽子をあくまで探すか、それともアイテムなしで式を強行するか?」
コリンズはしばらく黙っていた。
「……探すよ。風の帽子を探してみる!」
「あまり時間がないんだぞ?」
「おれ、将来王様になるんだろ?王様って究極の人気商売だと思うんだ。だから、いやがらせなんかに負けない、なんでも自分の力でやる気だってことを、アピールしたいんだ」
ルークとデール、二人の王は笑い出した。
「前向きでいいね!」
「そうですね、究極ですね」
えへへ、とコリンズは笑った。
「じゃ、決まりだね?明日はやつらの目の前に風の帽子を持ち出して、びっくりさせてやるんだ」
ヘンリーはしばらく腕を組んで考えをめぐらしているようだった。
「ランス……クレメンス子爵を逃がしちまったんだ。あいつとあいつの仲間が、ずっとおまえを監視してるはずだ。どうやって探すつもりなんだ、コリンズ?」
「辻馬車屋のジェップが客をおろしたあたりを、一軒一軒探してみるよ。イリスはあのへん、詳しいんだって。いっしょに行ってくれるって」

 イリスはかごの中をのぞいて買い物を確かめた。だいじょうぶ、全部そろっている。そろそろ家に帰って夕食の下ごしらえにかからなくてはならない。そう思いながら、イリスは早足でラインハットの下町の市場を通り抜けようとしていた。
「 いくらお祭で品薄になってるったって、たまねぎがこんなに高くなるなんて、もう……」
だがぷりぷり怒っているのはイリスだけで、市場のそのあたりはお祭気分で浮き浮きしている。湖の精霊祭のために近隣から人が集まってきているようだった。
「今夜、また花火があるらしいぞ」
「このあいだのは凄かったからね!」
「もう一回見てから帰りたいね」
いいなあ、イリスはぼんやりとそう思った。夢のような、ラインハットの夜。馬車に乗ってこのあたりを通り過ぎたとき、窓から湖の水面がかすかに波立って光っているのが見えたっけ。
 突然、イリスは立ち止まり、あたりを見回した。
「このあたりなんだ!」
辻馬車屋のジェップはきっぷのいいラインハット男だった。そのジェップがレディ・アーシュラと小間使いは、確かにこの辺で降りた、と話してくれたのである。
 一度コリンズや双子と別れて市場に行ったイリスは、もう一度その現場へ戻ってきてしまったのだった。
「明日、来よう。コリンズ君のために、絶対探し出してやるわ」
この場所を忘れないように、ともう一度イリスはあたりを見回し、情景を頭に刻み込んだ。
 そのときだった。黒い頭巾の、腰の曲がった老婆が、杖をついて歩いていくのが目に入った。前から来た者と、ぶつかりそうになった。どうやら祭を見るために田舎から出てきた農夫らしい。
「婆ちゃん、あぶねえ」
「おや、すいませんね」
そう老婆はつぶやき、上目遣いに農夫の顔を見上げた。その口元に、でかいほくろがひとつ。
「頭巾のハンナだわ!」
もう夕食に使うたまねぎのことなど、イリスの頭にはなかった。急ぎ足で老婆に近づく。このおばあさんが、そもそもの事の起こりだったのだ。
「待って、ねえ、『頭巾のハンナ』!」
耳の遠いらしい老婆は、杖をつきながらゆっくり角を曲がっていく。イリスは走り出した。
「待ってよ、あんたの紹介してくれたレディは」
老婆のあとを追って、イリスも広場を離れ、その小さな路地に走りこんだ。
 強い力で手首をつかまれたのはそのときだった。誰かがイリスの手を捕らえ、背中にぐいっとまわして固定した。手にしたかごが地面に落ち、市場で買ったたまねぎがばらばらとこぼれ落ちた。
 頭巾のハンナは顔を近寄せた。頭巾が顔から滑り落ちる。口元に大きなほくろがあった。ハンナはにやりと笑った。
「あたしが紹介したレディだって?」
聞き覚えのある、ねっとりしたしゃべり方だった。
「違うね。あたしが、レディ・アーシュラなんだよ」
「だって……」
ハンナと名乗っていた女は、首を捻じ曲げて人を呼んだ。
「アガサ、アガサ、あの小娘が、自分から飛び込んできたよ!」
路地の奥から、見覚えのある小間使いが走ってくるのが見えた。
「あのとき帽子だけもってきておまえは逃げちまったけど、本当なら用済みで始末していたところだったのさ」
アガサがせせら笑った。
「ほんとにバカな子。ちょうどいいわ」
 イリスは息を吸い込んだ。広場の方を向いて、叫ぼうとした。
「誰か来てぇ!人さらい……」
最後まで言い終わる前に、ハンナの手がイリスの口に布を押し込み、大人二人がかりで少女を抱え揚げた。
「あきらめな!誰も助けになんか、来ないよ」

 ラインハット城の一階ホールから大階段をあがっていくと城の警備隊の詰め所がある。いかめしい鎧姿の兵士たちが忙しそうに出入りしていた。今日はコリンズ殿下が晴れて王太子となるためのセレモニーが行われるのだった。ラインハット、グランバニア両王家をはじめ、国内の貴族や紳士淑女ほか、式に参列するお客にまんいちのことがあってはならない。詰め所は朝から大忙しだった。
「お母さん、やっぱり、やめましょうよ」
もう神経質に爪を噛んで、スーザンは言い始めた。
「あたしたちの訴えなんて、誰も聞いてくれないわよ。門前払いされるなんて、あたし、いやよ、ねえ!」
一人娘にいらつきながら、エマーソン夫人は言い返した。
「そんなこと言ったって、きょう日、給金なしのメシ代だけで働く女中なんて、いやしないんだよ?あの子は連れ戻さなくちゃ」
「でも!こんなとこに入っていって、小娘一人探してください、なんて、言うの?もう帰りましょうよ」
「いやなら母さん一人でいきます。おまえは待っておいで」
「いや!こんなところで一人でなんて、怖いもの!」
押し問答しているところを、誰かが話しかけてきた。
「どうかなさいましたか?」
若い兵士だった。夫人はこほん、と咳払いをした。
「私の義理の娘が、昨日から家に帰らないのです。補導して、家に戻していただけないかと思いまして」
「それでしたら、こちらへおいでください」
 詰め所は外から見るよりずっと広かった。大きな長方形でその一角に警備隊長トムのオフィスがあり、その前の当たりに大きなテーブルと長いベンチが置いてあった。
 年配の兵士が羊皮紙と羽ペンを取り出して待機している。夫人とスーザンはベンチにすわった。
「まずは、いなくなった娘さんのお名前からどうぞ」
「イリスです。私の死んだ夫の連れ子です」
兵士が羽ペンをインクにつけようとして、動きを止めた。
「失礼ですが、おすまいはラインハットのお近くでしょうか」
「私の領地でしたら、エマーソンの村ですけど」
 その土地の女主人なのだ、ということを夫人は強調しておいた。兵士は、最初はなしかけてきた若い兵士を手招きして、何か話し合っている。若い兵士はさっとその場を離れていった。
「奥様、少々お待ちください。ただいま警備隊長がまいりますので」
「そう」
小なりとはいえ、女領主だということをはっきり言ったのがよかったらしい。一般の兵士より隊長が話を聞いてくれるほうがよい待遇だ、と夫人は思った。
 まもなく、兵士長の装備を身に着けた男がやってきた。若造ではないが、少壮気鋭、といった雰囲気だった。兵士らしい短めの髪にやや角ばったあごの持ち主である。
「警備隊長を務めるトムと言うものです。エマーソンの奥様ですね?」
「そうよ」
「イリスさんというのは、10歳ほどのお嬢さんでしょうか」
「お嬢さん、ていうものじゃありませんわ。夫と、夫の前の妻の間の娘なんですけど、甘やかされた小娘です。何かと言うと家事を怠けたがりましてねえ。夕べもラインハットの市場へ使いに出したのですけど、そのままもどりません。お祭だとすぐこれですから。どこかで遊んでいるにちがいありませんわ。つれて帰ろうと思いますの」
 トムは聞きながら小声で兵士に何かを言いつけた。兵士はすぐに詰め所を出ると、立派な貴族を連れて戻ってきた。
「タンズベールの伯爵、ユージンと申します」
ま、と夫人は手でほほを覆った。だんだん、大物が来るわ。エマーソンの名も捨てたもんじゃない、と夫人は思った。
「その、イリスさんの生みのお母さんと言う方は、エリザ様とおっしゃるのではないですか?」
「確か、そんな名前ですけど」
「エリザ様の母君も同じエリザと言うお名前ではなかったですか。この城で女官づとめをされたことがおありでは」
「そんなこと、知りませんわ!」
だが、タンズベール伯と名乗った貴族は、興奮しているようだった。
「トム隊長、宰相様とコリンズ様をすぐにお連れしてください。イリスさんが、行方不明のようです!」
おそるおそる、スーザンが言った。
「何かのお間違えではありませんか。うちのイリスは、ガチョウ番の小娘ですけど。いつも台所のかまどの前に寝ているような子で、とても立派な方々に探していただくようなたいそうなものじゃなくて……」
 小走りにやってくる足音がしたかと思うと、身なりのいい少年が夫人とスーザンのところまで走ってきた。お城の舞踏会のときに見た顔である。コリンズ王子だった。
「イリスがいないんだって!?」
その後ろから威風辺りを払う大貴族が現れた。二人の若者である。周囲の兵士たちがいっせいに壁際に退き、敬礼をささげた。国王デール一世と、王国宰相ヘンリー大公だった。
 夫人とスーザンはあわてて椅子から立ち上がり、スカートのすそをつまんで腰をかがめた。
「こ、国王陛下ならびに大公殿下には、」
しどろもどろに言いかけたのを、デール王は手でさえぎった。
「もうしわけないのですが、時間があまりありません。イリス嬢は、家にいないのですね?」
「は、はい」
トムが話しかけた。
「姿を消したのはおそらく昨日の午後、場所はラインハットの市場の周辺だったようです」
国王は兄と顔を見合わせた。コリンズが叫んだ。
「どうりで約束の時間にイリスが来ないわけだ!」
「市場のそばには、きょう探すはずの地域があるよな」
「先にイリスが、そこを探そうとして、逆にやつらに捕まっちゃったのかも」
「いい線だ、コリンズ」
「レディ・アーシュラですか、彼らにとってはイリスは顔を見られたことから、生かしておけない存在でしょう。早く見つけないと、命が危ないかもしれません」
「トム」
はっ、と隊長が敬礼した。
「町の門はどうだ」
「異常ありません。昨日より、人相に該当する女二人連れが出て行ったという報告は来ていません」
よし、とヘンリーはつぶやいた。
「馬車を仕立ててくれ、トム。このあいだコリンズが使った、派手派手な白いのだ。コリンズ、キリを連れて行け。ガラスの靴を持って、ラインハットの市場の周りの家を一軒一軒訪ねるんだ。ガラスの靴を履くことのできる娘を探している、と言え」
「失礼ですが」
とトムが言った。
「オレスト様にお願いして、兵士を大量動員してはいかがですか。そのほうが早くはありませんか?」
「だがあいつらに感づかれたら、すぐにイリスが殺される恐れがある。ランスたちもどこかで見ているはずだしな。ここは一軒づつつぶしていこう」
「わかった。おれ、もう一回、にやけたバカ王子になればいいんだね?パーティで会ったかわいい、小さな足の女の子を捜してるわけだ」
「よし、呑み込んだな。イリスを捕らえている連中がおそらく風の帽子も持っているはずだ。見つけ出せよ?」
「もちろん。アイルとカイがいっしょに行くって言ってくれたんだ。必ず見つけるよ」
デールが言った。
「立太子式は、少し遅らせて始めましょう」
「それがいいな。王太子の出番は、式が始まってから少し後だ。それまで時間を稼いでおくか」
やおらヘンリーは顔を上げた。
「今日は忙しいぞ!さあ、始めよう」
トム隊長が、タンズベール伯爵が、デール王が、コリンズ王子が、兵士たちが、いっせいに動き出した。
「待った」
とヘンリーが言った。人々の動きが止まった。
「イリス誘拐の情報、よく拾い上げてくれた。みんな、よくやった」
兵士たちはさっと紅潮し、胸を張って敬礼した。ヘンリーはにっと笑い、それからケープを翻して国王と共に詰め所を出て行った。
 夫人とスーザンは、ぼうっとしていた。
「いったいぜんたい、何が、どうなったんですの?」
最初にイリスの名を聞いたベテランの兵士が、笑いに崩れてくる顔を一生懸命引き締めて答えた。
「いつものことですよ。ヘンリー様の頭の中では、1+1の答えが百になってでてくるんです」
だが夫人が口惜しがっているのは別のことだった。 どいつもこいつも、イリス、イリス、イリス!実の娘のスーザンの方は、売り込むすきさえなかったのだ。

 鏡に映っているのは、裕福な商人の物堅い女房、といった感じの女だった。服は金はかかっているが地味で、髪型もぴっちり撫で付けている。
「こんなもんかしらね」
ハンナはつぶやいた。
「あたしはどんな役なの?」
アガサは聞いた。
「あんたは小間使い。いつもそうだろ?」
ふんとアガサはつぶやいた。
 二人は、オラクルベリーで芝居をやる一座の元メンバーだった。あの有名なカジノのステージで観客を沸かせる大一座の看板女優……だったわけではない。もっと場末の小屋芝居の、しかも端役である。ハンナは老婆、おかみさん、貴婦人など持ち役が多く、「頭巾のハンナ」も「レディ・アーシュラ」も、ハンナにとっては慣れたものだった。一方アガサはどんな芝居でも小間使い役一筋で、その役なら完全にはまっていた。
  ところが、ついこのあいだの世界が滅びるんじゃないかという大騒ぎのとき、気の小さい座長が田舎へ帰ると言い出して、一座は解散してしまった。ハンナもアガサも、それ以来仕事にありついていない。
  そういうわけで、ラインハット貴族のお使いだという連中が『風の帽子』を手に入れてくれたら金を出すぞ、と言っているのを聞いたとき、すっからかんだった二人はやってみるかという気になったのだった。何人かに仕込みをしておいたのだが、10かそこらの小娘が大当たりとは、ハンナも予想していなかった。
「それにしてもこんだけ苦労して、金はいつ、手に入るんだろうねえ」
いやみたっぷりにアガサが言った。ハンナは肩をすくめた。
「前金をもらったろう。とにかく、風の帽子だっけ、お宝を抱えていれば、そのうち買い手がつくさ。まずはラインハットを逃げ出すことだよ」
「小娘はどうすんのさ」
「街中で始末するのはどうも危なっかしい。外へ連れ出してからゆっくり考えようよ」
「あの小娘、泣き出して助けを呼んだりしたら、すぐにあたしゃ、殺るからね」
アガサは手のひらに納まりそうな大きさのごく細刃の短剣をもてあそんでいた。毒針だった。ハンナは片手を振った。
「好きにおしよ。おまえも聞いたね、小娘!妙なまねするんじゃないよ!」
部屋の片隅に向かって、ハンナはそう叫んだ。猿ぐつわをかまされた少女はびくりとふるえた。
「最初の威勢はどこへやっちまったんだい?まあいい。そのほうが扱いやすいわ」
 そのとき、ドアをノックする音がした。
「お客様、宿のものですが、ちょっとよろしいですか」
「アガサ、聞いておやり」
商人の女房になりきって、ハンナは言った。
「はい、奥様」
小間使いが扉の外に出て応対する。ごく当たり前の情景だった。
「ええ、お発ちは、本日で?」
「はい。お勘定ですか?」
「いえ、実は今、宿の組合から話がまわってきましてね。ちょっとご出発を延ばしていただけませんか」
「あら、何かあったの」
宿の主人は笑った。
「いやあ、ほら、王子様が、王宮の舞踏会に来たガラスの靴の乙女を探しにいらっしゃるんですよ。まったく、父君のヘンリー様はとにかく、お祖父様のエリオス様は女好きでしたからなあ!悪いところが似ましたね」
ほほほ、とアガサは、良家の小間使いらしく愛想笑いをしてみせた。
「でもねえ、あたしも奥様も、王宮の舞踏会なんて、行ってないんですよ」
「それが、王子様のわがままで、一人のこらず調べるんだ、と言ってらっしゃるんだそうで」
「困ったもんだわねえ」
「どうかお願いいたしますよ。第一、王子様のお調べが済むまでは、町の門が開かないんですよ」
「そんな。奥様、どうしましょうか」
ハンナは落ち着いて答えた。
「いいわ。出発を延ばしましょう。一目見れば王子様だって、人違いとわかるでしょうよ」
  まったく、とハンナは思った。大事な風の帽子がなくなったっていうのに、当のコリンズ王子は、女の子を追いかけてるのかい。ラインハットの将来はどうなるんだろうねえ。
 また鏡に向かって、ハンナは化粧の点検を始めた。部屋の隅で、おびえきっていたイリスの目が輝き、希望が生き生きと脈打ち始めたことには気づきもしなかった。